『流転』中
4
青月が三階に上がり、この部屋に入るのは初めてのことだった。
「カウンセリングルーム」と呼ばれている部屋。カウンセリングを受ける魂は基本的に一階から入るが、行う方は三階から入るルールがある。そう隣で作業をするアルから聞いた。
天窓には満点の星空が浮かんでいて、柔らかい明かりで満たされている。上は開放感があるが、部屋の中は来る魂によって形が変わる。
青月の時は、柔らかいソファーが向かい合い、間に小さな机という、アルや無月との距離感が近いものであった。
三階から入ると、こうも伽藍堂なのかと驚く。
「――よし出来た。ありがとう、青月」
アルは顔を上げて、浮かべていた書類や本の類を消した。青月は手を振った。
「私、いただけですよ? 何もしていません」
「いや、それが重要なんだよ。この部屋にはルールが多くてね。必ず二人で入らないといけないんだ」
「そうなのですか?」
「うん。でも無月はよく一人で入っているみたいだけどね。あとで注意しておこう」
アルは微笑むと、一階側の扉を開けてカウンセリングルームを出るよう促す。青月がそれに従うと、アルも続いた。
広々とした書架が、しんと静まり返っている。いつもの事。
「お前、お前! 待て!」
それに似合わない大声がして、青月は驚いた。
アルが素早く動く。本棚を抜けた先に、孤月に食ってかかりそうな勢いの男、下弦がいた。
「お前だよ! ぼんやりしやがって、止まれって!」
「下弦、やめなさい。迷い魂に話しかけないで」
アルが下弦を抑えると、孤月はふらふらと立ち去っていく。下弦は舌打ちをし、アルを睨んだ。
「何だよアル、久々に来ていきなり」
「禁止事項だよ。無月にまた会えなくなるよ」
「そ、それは別に良い。それよりあいつだよ!」
下弦は無月の名を出されて、少し落ち着いたらしい。アルから解放される。
「孤月のことを知っているのかい?」
「知っているも何も……。いや、ルール違反になるから話せねえ。でもあいつは」
「君の今生と関係があると言うことだね。……こちらとしても、彼の情報が欲しいところだ。カウンセリングルームで話を聞きたいな」
「分かった」
青月は目を丸くした。下弦が素直に応じると思わなかったからだ。
下弦はいつも横暴で、酒を求めて暴れる男だった。書架を壊しては無月に閉じ込められる。それを繰り返す。
しかし、今の下弦は何かを決めたような顔をしている。
アルは下弦をカウンセリングルームに通し、自分も三階から入る為に階段を上がり始めた。青月はその背を見送ろうとしたが、アルが振り返り、「おいで」と言った。
「君は次の書架長だ。カウンセリングルームでしている事を少しずつ知った方が良い」
「無月さんに許可は?」
「僕が良いって言うんだから大丈夫だよ」
アルは言い切って、進み出す。青月は慌ててその背を追った。
5
カウンセリングルーム内に入ると、病室のような内装に変わっていた。天窓は雷雨が映し出されており、下弦の心情を表しているのかもしれない。
アルと青月は、ベッドに腰掛ける下弦と向かい合うようにパイプ椅子に座った。簡素なオーバーテーブルには、プラスチックのコップに入ったほうじ茶が揺れていた。
「ここでは久し振りに君と話すね、下弦」
「そうだな、お前が有月って名乗っていた頃以来じゃねえの」
下弦はつまらなそうに言った。で、と青月を一瞥する。青月は肩が跳ねてしまった。
「お前は何でいるの?」
「次期書架長にも話を聞いてもらおうってね。孤月に関わる事が多いだろうし」
「……はあん。なるほどな。分かった」
下弦はあっさりと引き下がり、ほうじ茶を飲み干す。前置きは終わり、と言っているようだった。
「俺が実は一番、現実と繋がれているのは知ってるだろ?」
「ああ、そうだったね。今は何をしている?」
「アル中で入院。いつもの流れさ」
「いつもの精神科かい?」
「そう。で、そこであいつと必ず会う」
アルが目を細める。青月はえ、と声を漏らした。
「どうして会う? 彼も入院患者か?」
「そうだと思う。ここでは若い男だが、俺が会う時にはもっと歳がいっていた。俺よりずっと歳上だ。五十路はいってたんじゃねえかな。タバコ吸いながら、三度目の入院だって話していたよ」
「喫煙所で会うのかい」
「そう。結構話好きな奴でな。かと思うと全く話さない日もある」
青月は脳内で、孤月の見た目から三十年分歳を取らせる。しかし、上手く像を作れなかった。
「あいつのことが気になって調べた時がある。無駄にこの生を繰り返しているからよ、あいつの情報は結構持っているぜ」
「君が激昂するくらいの人間性、ということかな」
「あいつは人殺しなんだよ。しかも連続殺人。でも、精神的に異常があって無実になってる。多重人格なんだよ」
「ふむ」
下弦はオーバーテーブルを叩き、震える拳を片手で押さえる。
「狙うのは必ずショートヘアの女だ。大抵は刺し殺して終わり。ただ最後の殺人だけは、死体を丁寧に愛していたらしい」
青月は目を見開いた。血の気が引くのを感じる。アルは口元に手をやり、少し考え込む素振りを見せた。
「それは全部の生に共通している?」
「いや、そういう訳じゃない。俺が興味を持たない事もあるから百パーセントとは言えないが、女の状態によって変わる。ただ殺される女は同じだ」
青月は先日の迷い魂の女の事を思い出した。あの時は女の方に業があり、孤月を何かに見間違えたのかと思った。しかし、もしかしたら――
「そうか。その人が孤月だと思う根拠はなんだろう? 現実で会ったその人はかなり歳上みたいだが」
「煙草の匂いと左手首の傷だよ。そいつとおんなじだ」
「左手首の傷」
アルが青月を見てくるが、青月には覚えがなかった。首を横に振る。
「そうか。分かった。元々その生で君は警察官だったな。君の観察眼は僕も本物だと思う」
「そりゃどうも。アルコールに脳を焼かれなけりゃまだマシだったんだろうけどな」
「それは仕方が無い。君の学びは今そこにあるんだ。何度も繰り返す程に」
「何が学びなんだか分からねえけどな。この話をしたのは初めてだ。無月には言えねえからな」
「どうしてだい?」
アルは不思議そうに言う。下弦はあ、と口を押さえた。無意識に発言したらしい。
「いや――そうだな。さっきの最後に殺された女の話なんだがよ。あれ、多分無月の今回の生のような気がするんだよ。これは何も根拠が無い事だからあれなんだが」
「なんと」
「孤月って名前なんだろ、あの男。気をつけた方がいい。無月と因縁があるなら、ここで殺されちまったら終わりだろ」
「そうだね。注視しよう。下弦の勘は鋭いからね」
「そうしてくれ。俺はどうせすぐアル中に戻っちまうから」
下弦はそう言うと、ベッドから飛び降りた。
6
下弦がカウンセリングルームから出た後、青月は何とも言えない気持ちになっていた。
下弦の話は信じ難く、そこに無月や孤月も出てくるとなると夢物語だ。
しかし、アルは真剣に何かを書き込んでいた。青月が覗き込むと、よく分からない文字でびっしりだ。
「アルさん、それは記録ですか?」
「いや、これは僕の趣味だね。こんな事は初めてだ」
アルは満足気に微笑む。
「このケースを無月に渡すのは勿体無い。僕がやりたいな」
「書架にそんなに来られますか?」
「それが問題だ。無月にも嫌な顔をされそうだし。そうだ、孤月を異動させよう。僕付きの書架に異動させれば毎回でも顔を見に行ける」
アルは顔を明るくして、にこにこと微笑んだ。青月は驚きを隠せず、席を立った。
「またそうやって、研究対象みたいな事をして! 駄目です。無月さんに相談しないと」
「でも、彼の話が本当なら無月が危ないよ?」
アルは笑みを消して、青月を捉えた。
青月の喉が思わず鳴る。
青月は昔、アルにカウンセリングを受けた事を思い出す。
――もし生まれ変わりがあるとするならば、また私に生まれることはあるのでしょうか?
アルはその時、こう答えた。
――君が知らないだけで、君はもう何十回と君に生まれているんだよ。君は今の生で学び尽くしてから、ようやく次の生に行けるんだ。
青月はその時、絶望した。
――では、私はずっとこの苦しみから逃れられないと言うのですか?
――いいや、そんな事はない。もし堪えられないのなら、生まれ変わる事自体をキャンセルする事ができる。
それは教えてはいけない事だけれど、とアルは真剣に言った。
――今ここにいる青月は、僕が名前をあげた魂の存在だ。君はまだよく分かっていないけれど、その前にもたくさんの生を経験しているんだ。だから、それら諸共終わりにするなら、今ここにいる君を殺せば良い。
それで全て終わり。魂は消滅して二度と戻らない。
アルの冷たい声が、脳内に響く。
「つまり、孤月さんが自分を取り戻した時に無月さんに危害を加えるかも、ということですか?」
「可能性の話は無限だけれどね。どの生でも必ず殺しているって、かなり業が深いよ。それを精算する為にやりかねない」
アルは溜息を吐き、書き込みに使っていた本を消した。
「さあ、ここから出よう。僕も一旦戻るよ。無月が来たら僕から話すから、君はこの事は忘れなさい」




