『破算』上
グロテスクあり
1
夕刻がカップを倒した音で、孤月は目を覚ました。
他愛のない話を繰り返している内に微睡んでしまったらしい。伸びをすると、事務室にいたらしい夕刻が顔を出した。
「起きました? 気持ち良さそうだったので声は掛けませんでしたよ」
「大丈夫、ありがとう」
「いえいえ。ココアでも飲みます?」
孤月が頷くと、夕刻は笑顔で事務室に引っ込む。金色と橙の混ざった色が、室内を満たしていた。
孤月は立ち上がり、本棚を見て行く。他愛の無い本ばかりだ。小説、図鑑、論文、辞典。
そのどれもが若干日に焼けていて、妙にくたびれている。その中に、気になるタイトルの本があった。
「孤月さん、ココア淹れましたよ」
「ああ、ありがとう。今行く」
本を手に取って、孤月は椅子に戻る。いない間にふかふかのクッションが敷かれていて、座り心地が格段に良くなっていた。
孤月は本を机に置いて、ココアを飲む。甘すぎず程良いココアだ。体の芯が温まる。
「その本が気になったんですか?」
「ああ、そうなんだ。タイトルが気になって」
孤月は夕刻に本を渡す。タイトルは『赤い絨毯』。夕刻は眼鏡を直りなしながら、ほほう、と唸った。
「ミステリ系ですね? 面白い本でしたよ」
「待って、ネタバレはなし! 俺そういうのダメだから」
「ふふ、もちろんです。アルさんが来るまで、好きな本を好きなだけ読んでみてください」
夕刻は楽しそうに窓辺のピアノに移動して行く。
「それでは一曲、お月様から来た孤月さんに」
夕刻はピアノに向き合い、流れるように月光を弾き出す。
孤月は聞き入りながら、ふと窓の外を見た。
夕陽が変わらず燃えているが、歩いて来る生徒の数が増えている。白っぽい影だ。彼らは真っ直ぐ、『落日の書架』に向かって来る。
「夕刻、誰か来るよ」
夕刻はピアノを弾く手を止めて、顔を上げた。そして慌てた様子で孤月の元へ駆け寄る。
戸惑っている孤月の背中をぐいぐい押して、事務室に入る。
「これはとてもまずいです! 孤月さん、狭いところ平気ですか?」
「いや、ちょっと分かんないけど」
「とりあえずここ、ここに入ってください!」
夕刻が床下を開けると、孤月に入るよう促す。その勢いに負けて嫌々ながら入ると、夕刻は小さなライトを寄越して扉を閉めた。
床下といっても、かなり広めで立ち上がることもできる。ライトで周囲を照らすと、四畳半くらいの真四角の空間だった。
物は何もない。何のための空間なのか、引き戸があるがびくともしない。
仕方無く端の方で座り込むと、手に何か固いものが触れた。孤月はそれを手に取り、ライトで照らす。
本だった。まだ新そうな装いの、青い本。一頁捲ると、『孤月』とあまり上手でない文字で書かれていた。
「……俺?」
孤月は目を丸くして、次のページを開く。そして、そっと額に当ててみる。ぱん、と何かが破裂する音がして、意識が落とされる。
目を開いた。今回は浮かんで、誰かを見ているような感じでは無いらしい。
暗い部屋に、何人かの若者が倒れている。一人は以前見た涼介、後は分からない。
孤月は息苦しさを覚えながら、目を上げた。部屋の入り口でへたり込む舞は、青褪めた顔で許しを乞う言葉を発している。
――何を今更。
頭のどこかで声が聞こえる。孤月は舞に向かい、微笑む。
「もう遅いよ、舞ちゃん。私たくさん我慢したよ? だけどもう限界」
振り上げた物で、舞を殴りつける。それは先が尖った棒状の何かだった。舞が痛みで踞る。
「待っててね。舞ちゃんは最後から二番目って決めてるの。あ、携帯は壊しておかないとね」
孤月は棒状の物で、舞のスマートフォンを破壊する。舞は目に涙を浮かべて、首を振っていた。
一人、もう一人と凶器で襲っていく。丁寧に頭を潰し、声を上げられる前に仕留めて行く。鏡に映った姿は血みどろで、匂いも酷い。ここで、自分が芽衣である事が分かった。
こいつらに酷い目に遭わされてきた。舞に連れて来られたこいつらに、一晩中酷いことをされた。何度もだ。
そこから女である事が怖くて、髪を伸ばせなくなった。
涼介は優しかったが、こいつだって舞と仲の良い男だ。何をするか分かったものじゃない。
――割れそうな程の強い感情。ドロドロした憎悪。孤月は思わず、そんな事をしたって何にもならないだろ、と叫んだ。
しかし届かない。滅茶苦茶になっていく部屋の中で、楽しそうに歌を歌っている。
生きているのは、涼介と舞だけだ。
振り返ると、舞は何とか這い出して外に出ようとしていた。助けて、助けてと漏れる空気と共に吐き出している。
「だめだよ、舞ちゃん。私とおんなじくらい辛い目に合わないと、双子なんだから分かち合おう?」
「ごめん、ごめん。ただの遊びだったの、ただの」
聞いていられない。芽衣は舞の腹に一発、拳を突き入れた。
「遊びであんなことできるの、舞ちゃんくらいだよ。でもそっか、そうだよね。私も今楽しいから、遊んでるのと同じなんだね。じゃあ全部終わった後にごめんって言えばいいんだね」
「涼介、起きて、助けて、誰か」
殆ど声にならない舞の叫びが、芽衣の一撃でかき消される。
孤月は見ていられなくて、頭を抱えた。
何だこれは。酷い。あまりにも。
芽衣は微笑みながら、眠っている涼介に近付く。
芽衣ははた、と立ち止まり、部屋を見渡した。そこで更にいい事を思いついた、とばかりに笑う。
赤い絨毯の上で、芽衣は一人静かに準備を始めた。
孤月は無理矢理額を離した。
どうやったかは分からないが、あんな悲惨な現場を見ていたく無かった。
舞が芽衣にしてきたことは、まるで自分がどのように覚えている。子供の頃から酷い姉だったようだ。しかし、それでも殺してしまうのは良く無い事だ。
自分が逃げればよかったのだ。彼女に従う必要はなかった。そう何度も伝えていた。
声は届かなかった。彼女は必ず舞を殺す。そして自分は舌を噛んで自死して、その罪を涼介に着せる。
身体中から嫌な汗が噴き出ている。孤月は本を遠くに投げると、頭を抱えた。
思い出した自分の生がこんなにも救いようの無い物だと、知りたくなかった。
――床下の扉が開いた。夕刻が顔を覗かせる。
「孤月さん、終わりました、出て来て大丈夫ですよ」
「ああ、ありがとう」
孤月は掠れた声で礼を言い、何とか立ち上がった。
2
「なるほど。それが孤月さんの生のひとつなんですね?」
夕刻がほほう、と眼鏡を直しながら言った。
『落日の書架』には変わらず誰もいない。夕刻が淹れてくれたココアを飲みながら、孤月は頷いた。
「酷いもんだ。人殺し、しちゃってたなんてな」
「どんな魂にもそういう経験はありますよ。通る道です。でもちょっと、孤月さんのは特殊かもですが」
「呼び掛けても届かないんだ。こんな事意味ないって言っても聞いてくれない」
「これが繋がりが切れてるって状態なんです。魂側はより良い学びのために、生きている自分を導こうとする。でも向こうには届かない。よくある事です」
夕刻はどんまいです、と困った顔をした。
「しかし、これが俺の記憶の一つなら、何も思い出したくないな。恐ろしい。こんな所来るんじゃなかった……」
「まあまあ。ここ、というか書架に来られる人なんてそうそういないわけですし。落ち込まないで下さい。学びの機会はまだまだありますよ」
夕刻の軽さに、孤月は拍子抜けした。
「そんな感じでいいの? 俺、大量殺人犯だよ?」
「良いんですよ。それに、孤月さんはその罰をもう受けてます」
へ、と変な声が漏れた。夕刻は孤月の左腕を指す。
「そのリストバンド、取ってみてください」
「あ、ああ。良いけど」
孤月は左手首のリストバンドを外す。そこには見覚えのない刻印が無数に押されていた。さすっても消えない、刺青のようになっている。
「それは魂の浄化をされるたびに押される刻印です。誰でも一個はありますよ。浄化をした魂の名前と共に押されるんです」
「なんだよそれ」
「魂の浄化をされると、ある程度の記憶と共に魂の穢れが無くなります。大きな罪を犯したり、逆にそれに巻き込まれすぎて魂が悪い方へ引き摺られた時にされることが多いです」
私も、と夕刻がスカートを捲って太腿を少し見せる。そこには三つほど、刻印があった。
「私たちは学びのために生きていますから、罪を犯さない魂なんていません。そこからの学びもあります。でも、やっぱり巻き込まれやすい魂っているんですよね」
「そうなのか……。気分のいい物じゃないな」
「それはそう。でも仕方が無いことです。ん、あれ?」
夕刻は孤月の左手を取り、刻印を真剣に眺めている。眼鏡を外したり掛けたりと、忙しい。
「これ、無月さんの名前があります。しかもいくつも」
「は? 無月?」
孤月は左手首をまじまじと見る。確かに、小さく「無月」と書かれた刻印がいくつもある。
「これってどういうことだ?」
「過去に無月さんに魂の浄化をされた、という事になると思う……です。でも、アルさんの話だと孤月さんは最近来た方なんですよね?」
孤月は頷いた。自分の中の記憶でも、ここに来たのは初めてで、無月にも会った事はないはずだ。
「考えられる可能性は、孤月さんが魂の浄化をされた時に記憶をまるっと失ってしまった。だから無月さんの事を思い出せない。無月さんには記憶がある、というところかな?」
夕刻は少し声を上擦らせながら、考えを口にする。
孤月は首を振った。
「いや、無月にも新入りさん、と言われたし、青月やその他のヒト……魂たちにもそういう反応をされたよ。いやでも、全員が口裏合わせれば分からないか」
「青月さんかあ。そこが覚えてないなら無いかなあ。あの魂も古株だしなあ」
すっかり夢中になった夕刻は、砕けた口調に気が付いてもいない。
「あ。それか書架全体が浄化されて、みんな記憶失くしてやり直しているとか。それもありかなあ」
「ありかなあって」
「ううん、こういうのってワクワクするね! 孤月くん、張り切ってこの謎を解こうね!」
夕刻は目を輝かせて、孤月の手を取る。
その時、書架の扉が開いた。




