反響の夜明け
昼が“見られる私”を照らしたなら、
夜明けは“誰にも見られない私”を孕んで揺れる。
この物語は、
他人のまなざしを脱ぎ捨てた彼女が、
“言葉にならなかった感情”の残響を踏みしめる軌跡である。
空はまだ、群青と誤解の間でまどろんでいた。
彼女の影は、街灯と記憶のどちらにも属さない。
唇の輪郭は、声なき宣言。
かつての「映る私」は捨てた。
代わりに拾ったのは、見捨てられた“意味”のかけら。
ノイズにまぎれた声色
鏡に刻まれた仮の名
夜を編んだまつげの裏で
誰が私を、選んだか?
指先のネイルはもう飾りじゃない。
それは、“触れない”ことの詩的装甲。
誰かの記憶に咲いた色彩ではなく、
「誰にも咲かせぬ」拒絶の造花。
カフェの椅子に沈んだままの昨日、
ガラス越しの自己紹介が風化していく。
注文されたはずの“優しさ”は、
砂糖を入れ忘れたまま、冷めていった。
嘘のまなざしに本音を預け
嘘の笑顔で本音を隠す
それでも嘘が、
誰よりも正直だった
誰も見ていない今、
彼女は一度だけ、目を閉じて歩いた。
視界のない世界で、彼女は初めて
「私」という言葉を心の中で発音した。
それは音ではなかった。
風に吸われ、靴音に変わった名の残響。
「もう誰にも見られなくていい」
そう思えた瞬間に、
見られていた全てが、
真実だったと気づく。
夜明けの一秒前、
街が静寂の服を脱ぐとき、
彼女の輪郭は、
“忘れられるために記録された影”として、
完璧に世界へと刻印された。
彼女は、見られなくなったことで、
ようやく“自分の輪郭”を知った。
この物語に登場するのは、言葉にならなかった声たち。
そして名づけられなかった“私”の歴史である。
語られないことで、
ようやく語り得た真実が、ここにある。