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【書籍化7月25日配信開始!】面倒くさがりのレベッカはやられたらやり返す

作者: 吉田ルネ

7月25日 リブラノベルから配信開始です!

書籍化に伴って大幅加筆修正。

ボリュームなんと3.8倍! 特典SSつき!

ハリスのデレがマシマシ。新キャラも登場。

エリックとイザベラのその後のお話も。

ぜひ、ごらんください!


https://www.cmoa.jp/title/1101457617/vol/1/





たくさんのコメント、誤字報告ありがとうございました。

お返事はしませんが、全部読みました。これからの参考にいたします。

公爵、侯爵については訂正しました。


読んでくださったみなさまに感謝申し上げます。



 レベッカはウェリントン公爵家の娘である。年は18。明るい栗色の巻き毛に、はしばみ色のくりっとした瞳。白くふっくらとした頬にピンクの唇。うっすらとそばかすがあるのはご愛敬。

 どちらかというと小柄なほう。殿方と向かい合うと自然と見上げる形になる。少しでも背を高く見せようと、一生懸命背筋を伸ばす。


 あーあー。そんなにがんばると疲れちゃうよ。

 支えてあげた方がいいかな。そんな気持ちにさせる。


 つまり、とてもかわいらしい。

 それなのに。


「うっわ、めんどくさい」

 それが、レベッカの口癖である。令嬢らしからぬ砕けた口調でそう言う。

 見た目と本性の乖離が甚だしい。


 少し前に、第二王子のエリック殿下との婚約が調った。

 めでたいことである。


 婚約したばかりだというのに、お茶会のお誘いが来た。招待主は王太子殿下の婚約者イザベラである。

 え? こんなに早く? と思ったけれど、もしかしたら王族のみなさんの感覚はこんなものなのかしら。イザベラのほうが、年も上だし、婚約期間も長いし、社交にも長けているんだからそんなものなのだろうと思うことにした。

 いろいろと慣れていらっしゃるのだろうから、お任せしていけばまちがいないはず。




「わたくしたち、家族になるんですもの。早く仲良くなりたかったの」

 招かれたイザベラの屋敷、バーズ侯爵邸のティールームでイザベラは満面の笑みで言った。

 うっわ、めんどくせぇ。いい、いい。そういうの。これから嫌でも顔を合わせるんだから。

 家族といっても、エリックは結婚したのち、新たにバーナビー公爵を名乗り臣下に下る。王族用に用意してある一代限りの爵位である。

 別の屋敷に住むわけだし、家族というよりは親戚扱いなのだ。


 だから、必要以上のお付き合いはいらない。

 レベッカはにこやかな笑みを浮かべて、心の奥でひっそりと毒づいた。


 テーブルには王太子であるハリス殿下とイザベラ、その向かいにエリック殿下とレベッカ。

 わざわざこの4人が集まる必要あったかなぁ。でもまあ、茶葉もケーキも一級品だから堪能すれば、元は取れるか。さすが公爵家だ。


「ねえ、エリック?」

 イザベラが話しかけてエリックが「そうだね」と返事をする。

 このやり取り、何度目か。いい加減飽きてきてレベッカは、すんっとしたままカップを口に運ぶ。

 話の中心はこのふたり。

 子どものころは、ああだった、こうだった。あのときは楽しかったわねぇ。

 そうだったねぇ。


 知らんがな。あんたたちの子どもころの話なんて。昔話がしたいなら、わたしいらなくない?

 レベッカはすんっとしたまま、プチフールを口に運んだ。


 ああ、時間がもったいない。こんな無駄な時間をすごすなら、本の続きを読んでいたかった。

 ちょうど佳境に差し掛かったところだったのよ。悲劇の伯爵令嬢が、罠とも知らずにお城の舞踏会に向かったのよ。

 ああ、危ない。行っちゃダメ。そこには残虐なテロリストが爆弾を仕掛けて待ち構えているのよ。

 お願い、気が付いて! そして引き返して!


 続きが気になって仕方がない。


「あっ、そうそう。ちょうどバラが咲き始めたのよ。ちゅんちゅんの死体を埋めたところよ」

 イザベラが宣った。ちゅんちゅんってなんだ。バラの木の下には死体が埋まっているってか。物騒だな。


「行ってみましょう?」

 イザベラはエリックを誘うと、二人で連れ立って掃き出し窓から出て行ってしまった。




 ……………………。

「はあ?」

 思わず口から出てしまった。

「ははっ」

 向かいでハリスが笑った。いやいや、笑い事じゃないでしょ。

「えー、イザベラさまはハリス殿下の婚約者ですわよね」

「そうだね。3か月後に結婚する」

「エリック殿下の婚約者はわたしですわね」

「そうだね」

 ハリスは、くっくっと笑い続ける。


「アレはずーっとあんなかんじだよ」

 アレ呼ばわり。結婚前だというのに、もうそんな扱いなんですか。

「え? デキてるんですか」

 いけない。衝撃のあまり、令嬢の仮面を落としてしまった。


「いや、まだデキてはいないよ」

 まだ。

 そのうちデキるということか。

「え? 黙認?」

「いやー。どうしたものかな?」

 ハリスはじっとレベッカを見つめた。その透けるような青い瞳に吸い込まれそうになって、レベッカはくらりとめまいがした。

 ヤバいぞ、この男。


「きみならどうする?」


 はてさて。

 このまま、気づかないふりをしてやり過ごすという手もあるが、ああいうタイプはずーっとああやってマウントを取ってくるのだ。そういうタイプだ。

 悪いことに、エリックはわかっているのかいないのか、それにのってしまっている。

 そうなるとただただ、絡まれるのだ。いやだ。めんどうくさい。


 この先、延々とそれが続くのかと思うと、もうすでに嫌になっている。

 なんとかこの婚約、解消できないか。とすら思う。


「そもそも、どういう関係なんですの?」

 答える以前に、状況を把握しなくてはならない。ずっと子どもの頃の話をしていた。レベッカにはわからない話を。

 わざと。

 見せつけるように。


 レベッカが本当に嫌だったのは、エリックがそれを見過ごしたことだ。レベッカを気遣ってはくれなかったことだ。

 優先するべきレベッカを置き去りにして、ふたりで盛り上がったのだ。

 許せない。


 そんなふうにマウントを取ってくる女は一定数いる。

 そういう輩は相手にしないのが一番の対策なのに、肝心のエリックがそれにのってしまったのだ。

 そうしたらレベッカは対策の取りようがない。やられっぱなしだ。ぼっこぼこだ。


 気づけよ、エリック。

 そんなレベッカの望みは届かなかった。もう、この一回で見限るには十分だった。




「幼なじみなんだよ」

 ハリスは言った。

「3人とも年が近いだろう?」

 ハリスが21才、エリックとイザベラがともに20才である。

「イザベラの家とは親戚筋でもあるし、小さいころから一緒になることも多かった」


 いやーな感じ。幼なじみとは、ある種の免罪符である。なにをやっても許される。子どものころからこうだったから。あの手合いは必ずそう言う。

 そんなわけあるか、とレベッカは思う。

 年頃になったら節度は必要。絶対。それがわからないなら、いかれた輩だ。

 レベッカにも幼なじみはいる。もちろんみんな節度を守っている。まちがっても婚約者を放置するようないかれぽんちはいない。

 まっとうな人ばかりで、さいわいだ。


「もともとはエリック殿下とイザベラさまが相思相愛だったとか?」

「そうじゃないよ。アレはどっちでもよかったんだ。ただ王太子妃の名前が欲しかったんだろう」

「え? それだけでハリス殿下を選んだと?」

「そうだね。バーズ侯爵もそう望んだんだろう」

「それなのに、アレですか」


 ははは、とハリスは笑った。

「まったくだよね」

 だから、笑い事ではないというのに。

「イザベラはね、自分が中心じゃないと気が済まないんだ。みんなが注目するのは自分ひとりじゃないと許せないんだよ」


 世界の中心でアイデンティティを叫ぶ。

 めんどくせぇ。


「今まではわたしもエリックも自分ひとりのものだった。今回きみという婚約者を得て、エリックは自分だけのものじゃなくなった。それが嫌なんだろうな。どんな状況であれ一番は自分じゃなければ。だから暴挙に出た」


 浅はか。

「それで王太子妃が務まるのですか?」

「無理だろうね」

 えー? それでいいの?

 レベッカはハリスをまじまじと見つめてしまった。

「アレにそこまで求めていないよ。表に出て笑っていればいいのさ。いわば広告塔だ」

 なかなかトゲのある言い方だ。


「ハリス殿下はイザベラさまを愛していらっしゃるのでは?」

「まさか」

 まさかの即答。びっくりだ。

「幼なじみの三角関係かと思いましたわ」

「3人の誰ひとり、そんな気持ちは持っていないよ」

「エリック殿下もですか?」

「そうだね。現にきみとの婚約が調って喜んでいたからね」

「それなのに、この状況」

「まったくもって理解しがたいよ。だいたいこちらに残されたふたりが、どうにかなるとは思いが至らないのだろうかね」

「……殿下とわたしがですか?」

 レベッカは目をぱちくりさせた。いくらなんでもそれじゃあ、ダブル不倫だ。ありえない。


「イザベラは先手を打ったつもりかもしれないが、逆手に取るという戦法もあるんだよ」

 ハリスはにやりと笑った。わからんわからん。

 レベッカは心底、この幼なじみループから離脱したいと思った。巻き込まれはごめん被る。




 きみならどうする?

 ハリスの問いに対する答えが見つからないまま、時は過ぎていった。

 レベッカは盛大な王太子の結婚のパレードを眺めながら、この3か月のことを思い出していた。


 まあ、邪魔が入る。

 エリックからお誘いが来る。夜会やオペラ、百貨店でのお買い物、あるいはキツネ狩り。レベッカが狩るわけじゃない。婦人たちはパラソルの下で優雅にお茶を飲みながらピクニック気分を味わいながら、殿方の帰りを待つのだ。


 まっとうな婚約者らしく、エリックはレベッカをちゃんと誘った。


 それなのに、いざ当日になると「アレ」がなにやかにやと理由をつけて邪魔をしてくるのだ。

 迎えに来た馬車にいっしょに乗っていたり。百歩譲ってそれは許そう。しかし、なぜエリックのとなりにすわるのが「アレ」なのだ。

 そして例によって昔話が始まる。


 またかよ。めんどくせぇ。


 予定がキャンセルになることもしょっちゅうだった。

 またかよ。めんどくせぇ。

 しかも後から聞くと、キャンセルされたのはレベッカであって、エリックはレベッカの代わりに「アレ」と出かけていたのだ。

 オペラだって王族用の貴賓席が用意されていたのに。あの席に座っていればプリモウォーモが手を振ってくれたのに。

 百貨店だって、王族ともなれば支配人が自ら案内をしてくれたのに。最先端モードのドレスやジュエリーを見せてくれたり、ビップルームでお茶を楽しめたりできたのに。


 全部「アレ」に台無しにされた。それを許したエリックにも腹が立った。

 あんたの最優先は誰だ。


 ハリスはだんまりを決め込んでいる。もうじき結婚式なのにどうするつもりなのだ。

 ふたりは堂々と出かけていく。噂に上っているのだって気づかないはずがない。

 タブロイド紙にも載っている。とんだゴシップだ。


 それでも結婚後はおとなしくなるのじゃないか。それだけが頼みの綱だった。


 そんな状況の中での結婚パレード。馬車の中から沿道ににこやかに手を振るふたりの心中やいかに。結婚前から仮面夫婦。

 すごいな。鉄面皮だな。

 隣に立っているエリックもだ。あれだけのことをしでかしておいて、何食わぬ顔で堂々と立っている。婚約者面して。仲良さげに話しかけてくる。

 すごいな。鉄面皮だな。


 レベッカはすでにあきらめの境地だ。父には何度か婚約解消について話をした。が、返事はノーだった。

 これだけゴシップの嵐が吹き荒れる中、婚約解消なんてしたら王家の傷が深くなる。ハリス殿下だって我慢しているんだから。


 だからわたしも我慢しろってか。なんでわたしが「アレ」らの犠牲にならねばならん。理不尽だ。

 いちおうエリックと「アレ」には注意はしてあるらしい。

 障害があればあるほど燃え上がる恋。


 でもこれ、恋とは違う。イザベラはただのレベッカへの対抗心。わたしのほうが上なのよ、というマウント。

 エリックはそれを断り切れなくて引きずられているだけ。もともとちょっと頼りないところがあったが、これほどまでとはレベッカも思わなかった。

 まったくもって心もとない。

 もしかしたら、エリックは親の小言くらいにしか思っていないのかもしれない。

 すごいな。国を挙げてのゴシップになっているというのに。

 レベッカは小さくため息をついた。

 来年はエリックと自分の結婚式である。ため息をついたって仕方あるまい。




 さすがに新婚1か月は「アレ」もおとなしかった。おとなしかったのは1か月だけだった。たったの。




 エリックがオペラに誘ってくれた。席はもちろんロイヤルなボックス席である。遮るものなく舞台が見渡せ、音響も最高。

 なにより特別なことは、推しのプリモウォーモがこちらに手を振ってくれることである。

 観客全体にざっくりと振るのではなく、この席に向かって、しっかりと目線を向けて振ってくれるのである。

 当然、目が合う。見つめあうのだ。推しと! 推しのプリモウォーモと!

 なんてステキ。


 お誘いが来てからレベッカはずっとそわそわしている。夕べはよく眠れなかった。そのせいか、ちょっとお化粧ノリが悪い。クマもできている。

 オイルでマッサージしたり、蒸しタオルでパックをしたり、涙ぐましい努力でお化粧をした。舞台からこちらの顔が見えるわけもないのだが、それでもである。最上級の状態でお会いしたい。

 ドレスも最新モード。髪も流行りの形に結ってもらった。

 これでだいじょうぶ。完璧。エリックだって褒めてくれるはず。


 そしてエリックが迎えに来た。

「やあ、ぼくのプリマドンナはきょうも一段と美しいね」

「やあね、いつもどおりよ」

 一応謙遜する。でも気づいてくれてうれしい。エリックの手を借りて馬車のステップに足をかけた時だった。


「おそいわ! 早く乗りなさいよ!」


 え? なぜ「アレ」がいるのだ?


「イザベラも観たいって言うから連れてきたよ」

 はあ!?


 それからはすべてが台無しだった。馬車の中では当然のように2人がならんで座る。向かいに座るレベッカは見えていないのか、2人にしかわからない話で盛り上がる。

 到着したらしたで、エリックはイザベラをエスコートし、レベッカはその後ろをついて歩く。


 あれあれ? 覚えがあるぞ、この展開。

 結婚しておとなしくなったから油断していた。ちっともおとなしくなんかなっていなかった。

 ただこの機会を手ぐすね引いて待っていただけだった。




 ロイヤルなボックス席でも最前列に座ったのはイザベラとエリック。レベッカはその後ろ。

 婚約者が兄嫁とイチャイチャするのを後ろから見せられるって、なんの罰?

 わたし、前世で極悪人でしたかね。

 おもしろくない。こいつらのせいでよく見えない。だいたい、イチャつくだけで見ないのなら、替わってほしい。


 レベッカはただただ苦痛の時間を過ごした。推しのプリモウォーモが手を振ったのはイザベラだった。


 それからはすべてがそんな感じだった。いや、それ以下だ。

 エリックはレベッカではなくイザベラを優先するようになってしまった。

「兄上が忙しいから、イザベラは寂しいんだよ」

 どんな言い訳だ。婚約者に放置されているわたしは寂しくないというのか。

 ふざけんなや。


 タブロイド紙は2人のゴシップで大賑わいである。


 ハリスはなぜ傍観しているのだろうか。




 イザベラはかわいそうだから、構ってあげているんだよ。それだけだよ。

 愛しているのはきみだけだよ。

 たまたま予定がかぶっただけなんだよ。埋め合わせはちゃんとするから。

 ゴシップなんて気にするな。しょせん噂話だ。

 ほら、花束を受け取って。珍しい色のバラだろう? きみのために取り寄せたんだよ。


 どの面下げて言うんだか。

 口が裂けて死んでしまえ。

 それくらいにレベッカの心はすさんでいた。


 ハリスとは何回か顔を合わせた。エリックがいっしょの時もあったし、いないときもあった。

「きみはエリックを愛しているかい?」

 そう聞かれてレベッカは返事に窮した。

 ??? 愛している???

 嫌いなわけじゃない。でも婚約者なんだから、これから結婚するんだから愛し合わなくちゃいけない。

 ……愛し合わなくちゃいけないのか? 義務か?

 よくわからなくなって、首をかしげた。


 ハリスはくすっと笑って「それが答えだよ」と言った。


 ああそうか。疑問に思っている時点で論外なんだ。

 そっか。そっかそっか。婚約者だからといって執着することもされることもないんだ。

 すうっと肩が軽くなった。


「きみの悪いようにはしないから。もうちょっとだけ我慢しておくれ」

 ハリスはそう言って、レベッカの手をきゅっと握った。




 1年前、仮面夫婦だなー、と冷めた目で見ていたハリスとイザベラの結婚式を思い出す。今レベッカは新婦の位置に立っている。

 冷めた目で。

 うちも仮面夫婦だったわー。なんて思いながら。

 エリックは満面の笑みで横に立っている。すごいなー。鉄面皮だなー。

 イザベラも満面の笑みでお祝いを言う。


 レベッカ、とってもきれいよ。(わたしほどじゃないけど)

 愛されていてうらやましいわ。(ほんとに愛されているのはわたしだけどね)

 しあわせになってね。(なれるものならね)


 いちいち裏の声が聞こえる。うっっっざい。新婚生活をじゃましてくる気が満々だ。

 もういい。期待なんかしない。


 ハリスと目があった。穏やかな笑みを湛えているけれど、なにを考えているんだろう。なぞだ。


 この件(もちろんエリックとイザベラのこと)に関しては、ハリスに任せる。

 国王陛下からはそうメッセージが届いた。


 なに考えているんだろうな。


 エリックとレベッカの住むバーナビー公爵邸は、お城の敷地内にある離宮のひとつである。2人住まいにしてはやや大きいけれど、王家の住まいなんてそんなものかもしれない。


 敷地内とはいっても徒歩なら30分はかかる。もちろん歩かない。移動は馬車が基本。


 エリックは朝公爵邸を出て、お城で仕事をし(王太子の補佐とバーナビー公爵の仕事が半々)会食などがなければ、晩餐に間に合うように帰って来る。


 レベッカは公爵邸で公爵の私用をかたずけ、それから夫人たちの集まりに出かける。

 お茶会だったり慈善事業だったり、あるいは芸能や芸術家への支援だったり。

 そしてエリックが帰ってくるのを待つのだ。


 夜は夜で、夜会があったり音楽会やお芝居を見に行ったりもする。

 もちろんふたりで。

 そのはずだったのに。


 しだいにエリックの帰りは遅くなり、いっしょに晩餐を取ることが減っていった。

 夜会や音楽会やお芝居に出かけることも減っていく。

 遠慮がないな。図々しい。


 エリックがレベッカを優先したのは、結婚式直後のほんの一瞬だった。


「今夜はコッカー商会の会長と会食なんだ」

 朝、出しなにエリックが言った。

「へえ」

 レベッカは半目で返事をする。だって、レベッカは知っている。今夜はコッカー商会の会長は経済会の集まりに出席するのだ。3日前本人から聞いたのだから間違いない。夫人たちだって経済会とはつながりがあるのだよ。

 知らないと思ってバカにしてるんでしょ。


「いってらっしゃい」

「ああ、行ってくるよ」

 どこに行くんだか。




 きみはどうする?

 そろそろその答えを出さなければならない。正直なところ「もうちょっとだけ我慢しておくれ」というハリスのことば頼みなのだが。








「きみ、わたしの子を産んでくれないか」

 ハリス殿下がご乱心です。




 その意味を理解するのに数十秒。まばたきもせずにハリスを見つめた。ハリスも逸らさずにレベッカを見つめる。

 なにか。目を逸らせた方が負けなのか。レベッカはくりくりの目をさらにくりくりにしてハリスを見据えた。

 まだか。まだなのか。

 とうとう堪えきれなくなってレベッカはしぱしぱと目を瞬いた。

「ぷはっ」

 ハリスが吹き出した。


 レベッカもお城に行く用はある。そのついでにハリスのところに寄ったのだ。もちろんアポは取ってある。いくら義理の妹といえど、アポなしに会えるものじゃない。

「会いたかったよ」

 行ったら行ったで、恋人でも迎えるようにハリスは言った。

 いやいや。ことばを間違えていますよ、お義兄さま。




 応接室で特上のお茶を楽しみながら、ハリスは言った。

「イザベラは子を産まない。だからバーナビー公爵家の子を養子にする。それで体裁は整うだろう?」

「できるかもしれないじゃないですか。まだ一年半ですよ。決めるには早すぎませんか」

「できないんだよ。できないようにしてある。父親がわからないのは困るからね」


 ぎゃーーー! そういうことか!

「ちなみにエリックもできないようにしてあるよ。公爵家の使用人は、こちらから派遣しているからね。仕込みは万全」

 そうでした。用意が万端なことで。

「万が一イザベラが身ごもったとしても、薬の影響で臨月まで育つことはないだろう」

 残酷ですな。


「きみが生む子は戸籍上エリックの子だ。養子にしても問題ない。たとえわたしに似ていたとしてもエリックとは区別がつかないだろう?」

 ハリスとエリックはよく似ている。金髪碧眼の王子さま。性格はぜんぜん違うが。ハリスはきりっとしているが、エリックはぼやっとしている。

 見た目だけなら間違いようがない。


「疑われませんかね」

「疑惑を持ったにしても、言い出せないだろうよ。イザベラはたぶんエリックを放さなくなる。きみのところへ帰さなくなる恐れもある」

 マジかー。そこまでかー。

「そこで、父親は自分じゃないなんて言えるわけがなかろう。自分がイザベラに現を抜かしている間に、妻を兄に寝散られたなんてエリックの自尊心はズタズタだ。口が裂けても言えないだろうよ」

 わー、腹黒。


「それに一代限りの公爵家だ。跡継ぎはいらない。王家に養子に出した方が子どものためにもよかろう?」

 そうですかね。


「わたしときみの子なら優秀な子だろう?」

「アレよりはマシですかね」

「いやいや、きみは優秀だよ。ちゃんと物事を理論立てて考えることができる。公爵家の采配も完璧だ。人当たりもいいし人望もある。もっと準備期間があったのなら、イザベラと入れ替えていたね」

「褒めすぎではないですか」

「いや、ほんとうに」

 そう言ってレベッカを見つめるハリスの青い瞳はいたって真剣だ。


「あのふたりはもう?」

 まだ肉体関係は結んでいない。女の勘、というやつだ。まだまだ薄くて浅いレベッカの勘だが。

「もうそろそろだと踏んでいる」

 ははは。乾いた笑いしか出なかった。そこまで読まれているとは当の本人たちは思ってもいないだろうな。




 よし! そっちがその気なら、受けて立とうじゃないの。やられたらやり返すわよ。

 あとで吠え面かけよ!


「わかりました。その作戦のりましょう」

 レベッカは右手を差し出した。がっちりと、共同戦線の固い握手をするのだと思ったら、レベッカの手はハリスの両手に、やんわりと包まれた。

「応えてくれてうれしいよ」

 ひゃーーー!


 国王陛下が任せたハリスの作戦は、突拍子もないものだった。




 ハリスが言ったとおり、まもなくエリックの帰りは深夜になり、日付をまたぐようになり、日の出のころになり、やがて帰らない日も増えていった。

 直接お城に出勤するんだろう。不倫先からどの面下げて仕事に行くんだろうな。

 すごいな。鉄面皮だな。不倫相手の夫がいるというのに。しかも兄。

 ええ? 兄弟で? ドン引きー。

 「罪悪感」ということばを教えて差し上げたい。


 ここまで読まれていると知ったら、やつらはどんな顔をするだろう。

 っていうか、王太子妃がこんなにお城を空けていいのだろうか。たしかに仕事はさせないようなことは言っていたけれども。


 アレを妻に迎えないといけないとは、ハリス殿下も難儀なことだ。

 貴族のパワーバランスを鑑みた上での縁組だから、仕方がないっちゃないのだが。


 


 ふたりは城下の高級ホテルを常宿にしているらしい。お城の中で逢引きするわけにもいかないだろうが、タブロイド紙の格好の餌食となっている。

 が、そこは高級ホテル、ちゃんと出入りがわからないように秘密の通路がいくつか用意してある。

 ほかにも使う人がいるようだ。

 実にけしからん。




 お城の中にハリスとレベッカの部屋が用意された。王太子と王太子妃の居住区域とは離れたところにある。

 国王陛下の妹君(ハリスとエリックの叔母)が嫁ぐ前に使っていた部屋だ。つまり国王一家の居住区。

 そんなところを使っていいのだろうか。恐れ多い。

 裏を返せばこのプロジェクト、国王夫妻の鳴り物入りということ。イザベラ、どれだけ信用を失ったんだ。

 

 イザベラと顔を合わせることはまずないだろう。それでなくても留守が多いイザベラだ。


 あのふたりは自分たちのお楽しみに夢中で、それぞれの夫と妻がなにをしているか、気づきもしないだろう。自室にいないことすら気づかないかもしれない。

 お粗末なことだ。


 腹黒な作戦から始まった関係なはずなのに、ハリスのゲロ甘に、レベッカは戸惑っている。思えば初日からゲロ甘だった。

 ミッションをこなすように淡々とするのかと思いきや

「おいで、レベッカ」

 とハリスはやたらと甘くささやき、最中にあっても

「くらべるな」

 とちょっとした悋気を見せたり。

 恋人ですか。そんな勘違いをしそうなほど。

 くらべる気はさらさらなかったが、いやくらべるまでもなくハリスの圧倒的勝利だった。男として。


 イザベラ、ばかじゃないの? どっちっていったら絶対にハリスなのに。エリックなんてガキ中のガキだ。あれのどこがいいの?

 まあ、いいけど。もうミッションは発動したのだ。コンプリートするまで終わらない。残念でした。ハリスはわたしがいただきます。




 ざまあ。




 ハリスの熱意のせいか、レベッカはすぐに身ごもった。

 まあ、あれだけやれば……。レベッカは週の半分をお城で過ごしていた。

「こっちに住んでしまえよ。むこうにいる意味もなかろう?」

 ハリスが誘うが、そうもいかない。公爵と夫人がそろって屋敷に不在などという状況はよろしくないだろう。

 そう言ったらハリスはチッと舌打をした。ええ? 王太子殿下が舌打ですか。よろしくないですよ。




 妊娠を告げると、エリックはしばらく放心した。合わない。いろいろと。

 エリックと寝室を共にしたのは、結婚直後の1か月だけ。ほんの形だけだった。


「すぐにできてよかったわ。お義兄さまのところはできなくて困ってるっておっしゃっていたもの」

 しれっと言ったら、エリックは目を逸らした。

 「罪悪感」ということば、覚えましたかね。

 そしてハリスの言う通り、子どもに関してエリックは口をつぐんだ。


 安定期を迎えたころ、国王陛下からこの子を王太子夫妻の養子にすると公式に発表があった。


「な、なんでよ! わたしだって産めるもの!」

 イザベラは荒れ狂ったが、いまさらである。身ごもったところでハリスの子でないのは明らかだ。

 不貞の子を王家に入れるわけなかろう。これだけスキャンダルにまみれていたら、生まれてきたところで不幸である。

 子どもができなくてなによりだ。


「うちの跡取りは……」

 おずおずとエリックが言った。

「どうせ一代限りの公爵家だ。跡取りはいらんだろう」

 エリックはなにも言えなくなってしまった。けっきょく誰かの言いなりになってしまう気弱さは、こんなときでも拭えなかった。


 そしてレベッカは、身の安全の確保という名目でお城に迎えられた。

 ハリスは毎夜をレベッカと過ごす。


「子どもはできたのだから、ここに来なくてもいいのじゃなくて?」

「なにを言っている。ようやくきみがわたしのもとへ来たというのに、なぜ別々に過ごさなくてはならないのだ」

 拗ねる。かわいい。

「ずっといっしょにいたいんだよ」

 ゲロ甘は継続中だ。というかマシマシだ。


 おやおや、こんな人だったかな。




 レベッカは無事に男児を出産した。ハリスはもちろん国王陛下御夫妻も大喜びだ。初孫である。国家機密ではあるが、正真正銘ハリスの子である。

 レベッカはそのまま子育てのためお城に残ることになった。ハリスががっちりと囲い込んで離さない。


 腹黒で策略家で余裕こいた大人だと思っていたのに、いざフタを開けてみたらレベッカにべったりだし、ヤキモチを焼くし、拗ねるし。

 でもな、とレベッカは思う。この人のこんなところを知っているのは、たぶんレベッカだけだ。イザベラだって知らないだろう。

 ちょっと優越感に浸る。




「愛しているんだ」

 ハリスがそう口を割ったのは、産後ひと月が経ったころだ。

 医者の診察を受けて、夜の生活の解禁を宣言された。されたとたんにハリスは迫ってくる。


「王子を産んだのだから、プロジェクトは終わったのでは?」

 レベッカがそう言ったら、先の発言である。しかも眉尻を下げ、泣きそうな顔だ。


 レベッカだってそこまで鈍感なわけじゃない。うすうす気づいてはいた。でもハリスがはっきりと言わないのだから、レベッカとしては知らぬふりを通すしかない。

 いつの間にか心の奥に湧いていた自分の感情にもふたをする。


 だって、仕方がないじゃないか。気弱で頼りないエリックがすっかりとイザベラに取り込まれ、レベッカよりもイザベラを優先する。

 いくら貴族間のパワーバランス云々の末の結婚だったとしても、それなりにいい夫婦になろうと決めていたのに、そんなレベッカの決意は木っ端みじんに粉砕されてしまったのだ。

 イザベラがレベッカの未来を奪い取ってしまった。

 レベッカは悲しかった。寂しかったし悔しかった。それをなんとも思わないエリックが恨めしかった。


 それに手を差し伸べて、救い上げてくれたのがハリスである。

 そりゃあ頼ってしまうだろう。縋ってしまうだろう。仕方がないだろう。たとえそれが国家機密プロジェクトだったとしても。


 それがどうだ。鉄壁王子が裏の顔を見せる。ぐずぐずに甘やかしているようで、実は自分が甘えている。かわいいと思ってしまうではないか。

 あんなにとろとろに身を蕩かされたら、心だって溶けてしまう。


 ……好きになってもしょうがないだろう?




「悪かったと思っているよ。こんな姑息な手段を使って。でもどうにかしてきみを手に入れたかった。一度手に入れたら、もう放したくはない。そんなのはいやだ。お願いだから『もう終わり』なんて言わないでくれ。ずっといっしょにいておくれ」

 ハリスが懇願する。


「……逆手に取る……」

 レベッカがつぶやいたら、ハリスの肩がピクリと跳ねた。

「つまり最初からそのつもりだった……?」


「軽蔑する?」

 ハリスが上目遣いにレベッカを見た。

 この人が一番めんどくさい人だった。


 しょうがないなー!

 しょうがないなー!!

 しょうがないなー!!!

 もう!!!!


 レベッカはハリスに飛びついた。

「わたしも愛してるわ!」




 イザベラにあったのは、レベッカへの一方的な敵愾心。ただ幼なじみ3人の中で自分が一番でありたい。そこにレベッカがじゃまだった。だからエリックを盗った。そうして優越感に浸った。

 くだらない。


 エリックにあったのは、ハリスへの劣等感。自分がどうあってもかなわない自信満々の鉄壁王子ハリス。

 イザベラが、妻がハリスではなく自分を選んだのなら、一時でもハリスより上に立てる。


 どうだ。お前の妻はぼくを選んだのだ。選ばれたのはぼくだ。ぼくなのだ。

 悔しいだろう。悲しいだろう。打ちひしがれるがいい。


 そんな自己満足に陶酔している間に、すべてを失くしていた。気がついたらまわりには誰もいなかった。

 盗ったつもりが盗られていた。


 残ったのはむなしさだけだった。

 イザベラは無気力に自室に引きこもっている。

 エリックがなんとかバーナビー公爵家を取り仕切っているのは、腐っても王子というところだろうか。

 たまに顔を合わせれば、困ったような笑みを浮かべる。

 自業自得とはいえ、まったくもって情けないことだ。


 エリックにもイザベラにも「愛」なんてなかった。

 皮肉なことに。




 風光明媚な湖畔に評判のいいサナトリウム(保養所)がある。レベッカはそこのパンフレットを、こっそりひっそりイザベラの部屋のドアの下から滑り込ませた。

 しばらくすると、彼女はそこに入所した。

 あそこなら噂や人目に煩わされることなく静養できるだろう。

 わたしって親切。

 レベッカは悦に入った。





 レベッカは3人の男の子を産んだ。全員がハリスの養子である。

「おとうさまー、おかあさまー」

 5才4才2才になった王子たちが駆けてくる。

 養父なのだからハリスは「おとうさま」。

 産みの母だからレベッカは「おかあさま」。

 まちがっちゃいない。ハリスとレベッカの関係はいまや公然の秘密だ。が、異を唱えるものは誰一人いない。

 なにしろ国王公認なのだから。


 ましてや、スキャンダルまみれのイザベラが母親であるより、レベッカのほうがずっとよかった。


 いびつな関係である。

「わたしの在位は短い」

 ハリスが言う。現国王陛下は健勝である。衰え知らず。まだまだ現役を退く気配はない。


「このまま息子に王太子を譲ってもいいと思っているよ。むしろそれがいいと思っている。そうすれば、このいびつさは解決する」

「あら、いいんですか?」

 ハリスとレベッカはパーゴラでお茶を飲んでいる。

「いいよ。世代を受け継ぐ責任は果たした。国王の座に執着もない。あとは子どもたちをりっぱに育てるだけさ」


 そうは言っても、外交を担っているのはハリスなのだ。さすがは鉄壁王子。


「あらあら、腹黒策士なのに」

「それは3人のうち、誰かが引き継いでくれるよ、きっと」

 レベッカとハリスのからからとした笑いが庭に響いた。


「おかあさま」

 長男がレベッカのひざによじ登ってくる。

「あっ! にいさまだけずるい! ぼくも!」

「ぼくも」

 レベッカのひざの取り合いだ。

「おまえたちはさっきダンゴムシをいじっていたじゃないか。汚いからおかあさまに触ってはダメだよ」


 えー! 手を洗ってくるー! と下のふたりは駆けて行った。長男はそれを見て「ちょろいな」と言う。

「あなたはいじっていないの?」

 そう聞けば「ちょっとだけだからだいじょうぶ」と答えた。


 やれやれ。めんどくさいのを受け継いだのは、長男のようだ。




    おしまい


「ちゅんちゅん」は飼っていた小鳥です

プリモウォーモは、オペラの男性主役です。ちなみに女性主役はプリマドンナです。

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