#6|いわゆるデート
休憩室で知紗にヘアメイクをしてもらい、ボブヘアの髪を巻いてもらった。花柄のワンピースにカーディガンという、無駄に気合を入れた私服にしたおかげで、より映えている気がする。鏡に写る私が、私じゃないみたいだ。
「香織、今日マジで可愛いよ。お礼にデートの感想教えてね」
知紗は私の背中を強めに叩く。少し痛かったが、緊張がほぐれた気がした。
知紗に見送ってもらい本屋から出ると、少し離れた所で待っている孝人を見つけた。孝人が私に気付き、スマートフォンを持った手を挙げている。
「お待たせしました」
孝人の方に駆け寄ると、一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情が戻る。
「僕も丁度、本を読み終えたばかりだったので、良かったです」
「それじゃあ、行きましょうか。これ右左どっち方向ですか?」
孝人に問いかけるが、反応が返ってこない。
「孝人さん?」
「あの」
ようやく、孝人が口を開いた。
「香織さん、急に可愛らしくなったので、動揺してしまいました」
孝人は目線を外しながら、口元に手の甲を当てていた。これは、大体照れている時にやる癖だということは、すでに分かっていた。暗くて顔色は良く見えないが、きっと頬が赤くなっているのだろう。
「ありがとうございます。気合入れて来て、良かったです」
好きな人に褒められて、今の私の姿に少しだけ自信がついたせいか、口角が自然と上がる。
「嬉しいです、本当に」
孝人は私を見つめながら、微笑んだ。胸がギュッとなる。私は、この笑顔に弱いのだ。
「それじゃあ、行きましょう。こっちです」
気を取り直して、孝人が先導し始める。目の前に見えるその背中が、いつもより広く感じた。
少し歩いて連れていかれた店に入ると、ドアに付いたベルがカランコロンと鳴る。そこは、落ち着いた雰囲気のダイニングバーだった。天井からぶら下がった暖色系の間接照明も明るすぎず、いかにも『お洒落』という言葉が似合う。
案内された二人席に着いて、メニューを開いた。
「ここはパスタが美味しいんですよ」
そう言って、孝人はきのこ和風パスタを選ぶ。私も合わせて、レモンクリームパスタを選んだ。孝人は手を挙げて店員を呼び、注文するついでに、取り皿を頼む。その姿はどこか手慣れていて、より一層大人っぽく見えた。
「どうして取り皿を?」
私は理由が分からず、問いかける。
「お互いのパスタ、食べられるじゃないですか」
孝人は「そうでしょ?」という風に、首を傾げる。さぞ当たり前かのように、気を遣って取り皿を頼めるスマートさに、私は静かに惚れていた。
注文した料理が届くと、お互いに取り皿に一口大にそれぞれパスタを取り分けた。先に、私は孝人のきのこ和風パスタを口にする。
「ん! これ醤油ベースで美味しいですね!」
「僕もレモン系は初めて食べたんですけど、意外とイケますね」
孝人は、取り分けたレモンクリームパスタを頬張りながら話す。私も孝人の感想を聞き、パスタを口に入れた。
「本当だ! レモン胡椒みたいなのが効いてて、私結構好きかも」
「ふふ、良かったです」
お互いに笑い合いながら、孝人と一緒に食事をして感想を伝え合うなんて、想像もしていなかった。客観的に見ると、なんてことの無い時間だとしても、私はこの時間が、何よりも特別に感じた。
「そういえば、本屋でオススメされた『キューティクル姫の混沌劇』でしたっけ? さっき全部読み終えましたよ」
「あの時間で読み切ったんですか?! 早いですね!」
私が勧めた『キューティクル姫の混沌劇』とは、髪の綺麗さだけが取り柄だと自負していたキューティクル姫が、突如異国の王子に求婚されるが、その王子が姫の美しい髪しか見ていないことに気付き、姫が私の全てを惚れされてやると奮闘する恋愛劇である。
変わったタイトルであるが、話の展開が充実していることもあり、私は読むのに時間が半日ほどかかった。しかし、孝人は待機時間の3~4時間程度で読み終えたのだ。
「仕事柄、総務部だとしても色々読む機会が多くて。そのせいですかね」
「なるほど」と、私は納得する。以前から、図書館でも読むスピードは速いと何となく感じていた。
「それで『キューティクル姫の混沌劇』は、孝人さんに合いました?」
私の質問を聞き、孝人がふっと笑って、一旦フォークを皿に置く。
「僕自身、恋愛ものをあまり読んで来なかったんですが、正直本当に面白かったです。主人公が結構健気で、応援しながら読んでしまいました」
孝人さんの言葉を聞いて、楽しく読んでくれたんだろうと、安心する。
「私、あそこのシーン好きなんですよ。顔が近づいてキスされると思ったら、髪にキスされてやっぱり私のこと見てないじゃない!って怒るところ。キューティクル姫って、素直に反応するから可愛いですよね」
「そういうことろが可愛らしくて、王子も意地悪しちゃってたんでしょうね」
孝人でも、素直な反応をする女の子は可愛いと、思うのだろうか。
「でも、あれ実際にされたら、女の子はみんなキュンキュンしちゃうんだろうなー」
「そうなんですか? 僕そういうの疎くて……」
私の話を聞いて、孝人は申し訳なさそうに呟く。私は、「そのままでいてください」と思いながら、ふふっと笑った。気を取り直して、私は再びレモンクリームパスタを口に入れる。
すると突然、テーブル越しに顔を近付けられる。「え? キスされる? ここで?」と、頭の中が混乱する。気付くと、私は口元を紙ナプキンで拭かれていた。口元に、感触が残る。
「ソース、ついてましたよ」
孝人は、口元を拭いた紙ナプキンを丁寧に折り畳みながら、私を見つめて微笑んでいる。
「ご、ごめんなさい! 恥ずかしいですよね本当に」
孝人の前で情けない姿を晒してしまったと同時に、キスされるのではないかと自惚れていた事実に、顔が熱くなった。熱を必死に下げようと、両手で頬を抑える。
「——香織さん、キュンとしました?」
どこか煽情的な瞳で私を見つめる孝人に、心臓の音がドクドクと鳴り、加速していく。頬の熱は、上昇していく一方だった。
「はい……」
情けなく答える私の姿を見て、優しく微笑んでいる。心なしか、孝人の頬も赤くなっているように見えた。恥ずかしさも相まって、胸の中がこそばゆく感じた。
「香織さん、手が止まってますよ?」
孝人が、私を煽るように言った。
「孝人さんが意地悪するからですよー。孝人さんもじゃないですか?」
私は煽り返すと、孝人は声を出して再び笑った。
少し真面目な印象がある孝人が、徐々に感情を出してきた瞬間を見れると、私に心を開いてくれたのかと思ってしまう。それが私の特権みたいで、嬉しさが胸にじわじわと染みた。
他のお客さんも店員も居るはずなのに、今だけは、私と孝人の二人きりの世界になったような気分だった。孝人も、私との時間を少しでも楽しいと、思ってくれているのだろうか。
二人でパスタを口に運びながら会話を交わすことの出来るこの時間が、ずっと続けばいいのにと、孝人とずっと一緒に居たいと、この時までは心の中で何度も唱えていた。
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