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#4|二人きりの感想共有会

 私は今日、店長に懇願して有給をもらい、土曜日の午前中から図書館に来ていた。適当に本棚を眺めながら歩いて好きな本を手に取ると、いつもの席に向かう。しかし、孝人は居なかった。「今日は休日だからきっと来てくれるだろう」と勝手に思い込みながら、席について本を読むことにした。


 数十分後、机が二回コンコンと鳴る音がする。本から顔を上げると、机の向かい側に孝人が立っていた。孝人から声を掛けられたことが初めてで、思わず表情が緩む。


「相席いいですか?」


静まり返った図書館に、低い囁き声だけが響く。私は迷うことなく、小声で「どうぞ」と答えた後、孝人は着ていた茶色のトレンチコートを椅子にかけて席に着いた。

 その直後に、再び囁き声が聞こえる。


「あの、後で本の感想を伝えたいので、一区切り着いたらあそこの庭園で話しませんか?」


孝人は窓から見える庭園の方へ指をさした。その庭園は、人通りがほとんどなく、木々が日陰となったベンチがあった。つまり、ほぼ二人きりで過ごせる場所。私にそこまで心を開いてくれているという事実に、嬉しくなった。


「もちろんです」


「良かったあ」


孝人は安心したかように微笑みながら、ため息交じりに呟く。いつもとは違う笑顔に、胸がギュッとなった。もしかして、私を誘うことに緊張したのかと、勘違いしそうになるじゃないか。


「今日は何読んでるんですか?」


続けて、孝人が口を開く。


「『もう、燃え尽きました』っていう本です」


「どんな本か、教えてください」


孝人は期待の眼差しで、私を見つめてくる。その視線に耐えられる訳もないため、仕方なく本の『プロモーション』をすることにした。


「この本は、ごみ処理場で生きている『火』の焼太郎という少年が主人公なんです」


「『ひ』? 燃える方の?」


小声で話していたのが聞こえづらかったのか、途端に孝人が机に体を乗り上げ、顔を近付けてきた。目の前には孝人の顔があり、これ以上近づくと私の唇が触れそうな距離。心臓が急にドクドク鼓動を打ち始め、全身の熱が上がる。

 私はドギマギしてしまい、何とか声を振り絞って「はい」と答えた。


「ご、ごみ処理場に運ばれてくる燃えるごみを、『火』達はいつも燃やして生きているんですが、実はその中に鉄やアルミなどの無機物も沢山混じっていたことが判明するんです。ごみの分別がされていない現状に焼太郎は怒り、何回も逃げ出そうとするんです。それを同じ仲間が毎回引き止めるっていう、くすっと笑えて勉強になる社会派コメディです」


口調は少したどたどしかったが、真剣に『プロモーション』を聞いた孝人はふっと笑い、体勢を元に戻す。


「やっぱり紹介上手だね。ちょっと面白そうって思っちゃいました」


「私これ一回読んだことあるので、孝人さん今読みますか?」


せっかくならと思い、本を渡す。孝人は「ん―」と、少し悩んでいるようだった。


「あんまり読んだことないジャンルだけど、読んでみようかな」


私から本を受け取ると、今度は孝人が手にしていた本を渡してきた。


「じゃあ、僕もこの本貸します」


私はそれを受け取ると、その表紙には『幾田村事件』と書かれていた。私はこの本に、心当たりがあった。


「この本、少し前に読んでましたよね」


 そう。この本のことは、よく覚えている。図書館で恋に落ちた時、孝人が読んでいた本だ。


「何で知ってるんですか? 恥ずかしいな」


孝人は手の甲を口元に当てながら笑っており、頬も少しだけ赤くなっていた。私は孝人の照れた姿に弱いのだろうか。その姿が可愛くて、胸がムズムズする。


「よく見てましたね」


孝人は感心しているような口調だった。少し長い前髪の隙間から、照れ笑いをした後の少し潤んだ瞳が見える。その目を見て「よく見てました」と答えることが許されるのなら、どれほど良いのだろう。


「たまたまです」


私は返答を誤魔化し、取り繕うために『幾田村事件』を読むことにした。




 数時間後、読み終えた本から顔を上げると、頬杖をついた孝人と目が合う。すでに、本を読む時にかけている黒縁眼鏡は外していた。窓から射している光と相まって凄く様になったその姿を、ぼーっと見つめる。


「終わりました?」


孝人の声に、ようやくはっとする。私は何をしているんだ。


「すみません。待たせましたよね」


私は申し訳ない気持ちで、急いで席から立ち上がる。


「いえいえ、その本厚いですから。軽食でも買って外で話しながら食べましょうか」


孝人も席から立ち、二人並んで図書館を後にした。



 先ほど図書館から見えた、木々が日陰となっているベンチに並んで座り、軽食を口にする。孝人は相変わらず、あのサングラスを付けている。図書館のロビーにある軽食用の自販機で、私はチーズ蒸しパン、孝人はソーセージパンを選択した。少しお昼を過ぎていたため、ちょうど空いたお腹に満たされる感覚がする。

 しばらく二人とも無言で食べていたため、とりあえず本題に入ることにした。


「そういえば、私の差し上げた『キリン酒場』はどうでしたか?」


「今までこんなもの読んだことなかったから新鮮でした」


その直後、孝人が「ははっ」と吹き出す。


「あそこ笑っちゃったよ。レッサーパンダが、『僕の威嚇ってそんなにダサいですか!?』って泣きながら呑んでたところ」


「あっはは!」


 孝人がレッサーパンダのセリフを真似している姿が面白くて、私も吹き出してしまった。それより私は、孝人に一番読んで欲しかった場面を気に入ってくれたことが、心底嬉しかった。


「私もそのシーンが一番好きです! その後キリンさんの『人間様にとって愛しい存在だからこそ、ダサいところも可愛く見えるんですよ』って言葉、グっときました」


私は興奮状態で話していたため、気が付くと孝人に顔を近付かせていた。


「香織さん。ちょっと近いかな」


孝人が私の肩に手を置きながら、遠慮がちに声を掛ける。それを合図にようやく興奮が落ち着き、「ごめんなさい」と元の姿勢に戻って、残っていた蒸しパンを口に付けようとする。


 すると突然、鳥がその蒸しパンをあっという間に奪い、勢い良くどこかへ飛んで行ってしまった。鳥に詳しくないため何の鳥か分からないが、カラスや鳩ではなさそうだった。

 余りの驚きとショックに「えー!」と大きな声が出る。


「せっかく食べようとしてたのにー! こんなのってアリ?! 情けなさすぎだし、ダサすぎだし、恥ずかしいんだけど!」


 私は色んな感情が混ざり合い、頭を抱えて悶えてしまった。次から次へと出てくる言葉が止まらない。孝人の前では気を付けていた言葉遣いも、すでにどうでも良くなっていた。

 不意に孝人と目が合うと、そんな姿の私を優しく見つめている。


「——でも、可愛らしいですよ」


 突然、突拍子もないことを言われ、心臓がドクンを跳ね上がる。「可愛らしい」と言われた事実を徐々に理解していくにつれて、私の顔が熱くなった。


 しかし、その直後、孝人が「キリンさんの言葉をお借りしてみました」と優しく微笑んだ。


 私はこの言葉で、孝人がどのような意図で「可愛らしい」と言ったのか、余計に混乱してしまった。本当にそう思ったのか、慰めるために言ってくれたのか。脳がすでに死にそうだ。


「そういえば、『幾田村事件』どうでしたか? 香織さんに合いましたか?」


 孝人は、私が蒸しパンを取られたことも先ほどの言葉も、あまり気にしていないようだった。この瞬間、野々宮孝人という人間が不思議で仕方がなかった。勿論、私は脳内混乱中だったため、適当に回答をした。

 しかし、その後徐々に会話が広がっていき、本の感想を言い合うだけでも案外楽しく過ごすことが出来た。




 日も暮れてきたため、以前と同様に夏川駅前まで一緒に帰ることにした。寒いからと孝人から貰ったココアで、両手を温めながら歩く。

 孝人が「そういえば」と、口を開いた。


「香織さんの本屋ってどこですか?」


「夏川駅前にある咲楽(さくら)書店です。三階建てなので、ここら辺だと一番大きいと思います」


私の話を聞いて、孝人は数秒間、黙り込む。どうしたのだろうか。


「余りにも香織さんの『プロモーション』が上手だったので、——香織さんの本屋に行ってみてもいいですか?」


孝人が首をかしげながら、見つめてくる。私は予想もしていなかったお願いだったが、答えは勿論決まっていた。


「是非!来てください!」


あまりの嬉しさで、勢い良く返答する。そんな私を見て、孝人はふふっと笑った。


「またオススメの本とか教えて下さい」


「来る時、事前に私に連絡して下さい。孝人さん専属になるんで!」


私は胸に手を当てて、自慢げに答える。また孝人は、ふふっと笑った。

 

 その後すぐに夏川駅前に到着し、孝人は「また連絡します」と言って、手を振りながら帰っていく。私も手を振り返しながら、孝人の背中を眺める。あ、すれ違った人とぶつかった。それに孝人は動揺したのか、直後にまた反対側にいた人ぶつかり、ペコペコ謝りながらようやく駅のホームに消えていった。


 その一連の逃れを見て、私は思わず口元が緩んでしまった。


 きっと、その姿は客観的に見るとかなりダサいのだろう。しかし、私にとっては、再び孝人の印象とは違う新たな一面を見れたようで、何だかとても可愛らしかった。

——キリンさんの言葉を借りると、これが「愛おしい」ということなのだろう。


 手を温めているココアの熱のように、その想いが胸にじんわりと染みていった。

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