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#2|彼の正体

「あのー、もう閉めますよ」

 

 読書に夢中になっていると、図書館の館長らしきお爺さんから、遠慮がちに声を掛けられる。もうそんな時間になってしまっていたのかと、自分の集中力の高さに驚いた。


「すみません」


向かい側から低い声がして、彼も最後まで残っていたのだと気付く。


「本はこちらで預かりますので、お気を付けて帰ってください」


お爺さんのご厚意に甘えて私達は本を返すと、お爺さんはそれを受け取り、奥の方に消えていってしまった。

 

 必然的に、静まり返った空間の中で、私と彼の二人きりとなる。彼の、黒縁眼鏡を外してケースに仕舞う音だけが響く。

 ふと、「これは彼と話せるチャンスなんじゃないか」という考えが頭をよぎる。机の上には、まだ例の押し花の栞が残っていた。


「あの! その栞、素敵ですね!」

 

勢いよく話しかけたためか、声が少し上擦った。直後に「失敗した」と恥ずかしくなり、顔が熱くなる。


そんな私に対して彼は照れ臭そうに笑い、


「これは、花屋で働いている姉から頂いていたものです。カモミールっていう花らしいですよ」


と、親切に説明してくれた。

 

 「人から貰ったものを大切に使う人なのだ」と、好感度がさらに上がった。

 もう少し彼と話したい、と胸の内から欲が出てくる。


「あの、——途中まで、一緒に帰りませんか?」


私は彼の目を見て、少し無理強いな提案する。少し汗が滲んだ手で、座っていた椅子の背もたれを強く握る。


「僕は別に構いませんが、いつもどちらの方向に帰りますか?」


「私は、いつも夏川駅前を通って帰ってます」


彼は「ふっ」と少し笑った後、椅子から立ち上がる。


「奇遇ですね。僕も夏川駅から電車に乗って帰ります」


彼は座っていた椅子を静かに机の下にしまい、小さな黒い鞄を肩に掛ける。


「それじゃあ、帰りましょうか」

 

 その言葉を合図に「はい」と返事をして、私達は夏川図書館を出た。




 図書館から出て歩き始めた直後に、彼は鞄からサングラスを取り出して、それをかけ始める。


「今もう暗いですけど、サングラスつけたら見えにくくなりません?」

 

 私は、彼がいつも()()()()()黒縁眼鏡と間違えたのかと思い、口に出していた。しかし、その言葉を聞いた彼の表情は、少し困惑しているように見える。


「ここら辺って夜でも眩しくないですか? 僕はこれをかけたくらいが、丁度良いんです」


「暗い方が好きとか?」


「まあ、そんな感じですかね」


彼は、何かをごまかしているように聞こえたが、気に障った部分があったのだろうか。

 

 これ以上を問い詰める必要が無いと判断した私は、外灯や照明に対して眩しいと感じたことは無かったが、「へえ」と相槌を打った。


 会話終了。数十秒の沈黙が生まれる。街の雑音が、二人の間に流れる。

 私が一緒に帰ろうと誘ってしまった手前、何か話題を出さなければならないと脳内がグルグルと回る。

 とりあえず、小さいことでもいいから何か言おうと口を開いた。


「二日連続も向かい側に座ってしまって、すみませんでした。気を遣わせてしまいましたよね」


「いえいえ、僕は全然気にしていませんよ。結果的に集中して読めていたので」

彼はなんてことない、といった風に答える。


 また会話終了。再び沈黙が訪れる。ここまで、絶望的に会話が続かないこともあるのだろうか。

 ただ、彼にとって私が向かい側に座っていたことが迷惑ではないという事実が分かり、お世辞だとしても安心する。

 すると突然、彼は「あっ」と声を漏らす。


「そういえば、お互いまだ自己紹介してなかったですよね」

 

 彼は何かを思いついたかのように、再び黒い鞄を漁り始める。すると、その中から一枚の名刺が出てきた。


「改めまして、私は野々宮孝人(ののみやたかと)と言います」


歩きながらではあるが、孝人(たかと)は両手でその名刺を持ち、隣で歩く私に自己紹介をし始めた。


「実は、こちらの会社の総務部で働いています」


名刺を受け取り、会社名に目を向けると、見覚えのあることに気付く。


「『文映社(ぶんえいしゃ)』? ここって出版社じゃないですか。凄いですね」


やっぱりこの人はエリートなのか、と感心する。最初に受けた真面目な印象と、合点がいった。


「知ってるんですか? 出版社の中だと、かなりマイナーな会社だとは思っていたんですけど」


サングラス越しに、彼の切れ長の目が見開いたのが見えた。


「私、実は本屋で働いているんです。だから、そちらの業界には少し詳しいんです。」


「そういうことだったんですね」


孝人は妙に納得したような表情を見せる。


「……ちなみに、そちらのお名前を聞いてもいいですか?」


孝人が手を私の方に向けて、遠慮がちに問いかける。


「忘れてました! 私は吉瀬香織、二十三歳です。本屋店員なので名刺が無くてすみません」


「二十三歳ってことは、僕の四つ下ですね。僕、二十七なので」


「そんな感じします」


やっぱりな、と思った。孝人の大人っぽさや社会人の片鱗を見ると、そのくらいの年齢であることに

は納得がいった。ただ、その大人っぽさはスラッとした身長も相まっているような気がする。

 

 しかし、孝人にとって、この年齢差は難点になるのかと不安になった。


「孝人さんは、四歳差って歳の差ある方だと思いますか?」


私は自信の無さからか、顔を足元の方へ俯かせてしまう。


「僕は別に、気にしません。お互いに気が合えばいいんじゃないんですか?」


孝人の回答にホッとして「私もそう思います」と、目を見て微笑む。心なしか、孝人の顔も微笑んでいる様に見えた。

 

 ここで、私は少し気になっていたことを問いかける。


「孝人さんの会社って、完全週休二日制ですか?」

 

その瞬間、孝人は急に吹き出し、「あはは!」と声を上げて笑い始めた。


「何でそんなに笑うんですか!?」


「だって完全週休二日制ですかって。合ってるけどさ、言い方面白すぎでしょ」


「土日どっちも図書館に居るの見かけたら、そりゃ気になりますよ!」


「えー、そうかな? あはは」

 

その後も声を出して笑い続けていた孝人につられ、私も一緒に笑ってしまっていた。

 

 少し堅い雰囲気のあった孝人の笑顔からは、少しあどけなさを感じた。これが彼の素なのだろうか。その落差にまた、胸がときめいた。

 

 この時間が、楽しくて仕方がない。もう少しこの時間が続けばいいのに。


「もう駅に着いちゃいましたね」

 孝人の言葉で、かすかに抱いていた願望は呆気なく散り、一瞬で現実に引き戻された。もっと仲良くなりたいという気持ちは、私の我が儘なのだろうか。


「それじゃあ、お気を付けて」


と軽く一礼し、孝人は後ろを振り返ろうとする。


「孝人さん!」

私は必死に、大きな声で呼び止める。


「はい」


孝人は足を止め、私の方へ体を向けた。


「次また孝人さんを見かけたら、向かいの席に座ってもいいですか?」

 

 冷えた空気で赤くなった両手を、体の前で強く握りしめる。緊張と期待から全身に響き渡る心臓の音が、うるさい。

 

 孝人との関係はここで終わらせたくない。恋愛くらい、多少傲慢でもいいじゃないか。


「——構いませんよ。いつもの席で、待ってます」

孝人の顔には、何回か見た優しい微笑みが浮かんでいた。


「はい!」


 嬉しさのあまり、笑顔が溢れ出る。まだ、孝人と仲良くなれるチャンスが残っていた。心臓に胸を当てると、先ほどは違う穏やかな心臓の音を感じる。私は今、安心している。


「じゃあ、香織さん。また今度」


 孝人は控えめに手を振りながら軽く一礼し、駅の構内へ入って行った。私も手を振り返し、帰路の方向へ歩みを進める。


——「香織さん」


——「香織さん」


 孝人が呼んだ私の名前が、脳内でずっと()()()する。今まで何とも思っていなかった私の名前が、とても華やかに聞こえた。

 

 次に孝人と会う時は、もう少しお洒落な服を着て行こうか。次は何の本を読んでみようか。帰りにはどんな話をしようか。これから訪れるであろう孝人との時間を想像して、「ふふっ」と静かに笑みがこぼれた。

 

 今、私が見ている世界が、キラキラと色づいて見える。恋って、凄いな。


 「早く、孝人に会いたい」

 

 この想いを胸に、帰路へと進める足を速めた。

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