第88話
ブーゲンビリアの王都、マソティアナの郊外。
周りにはただただ平坦なコンクリートの地面が広がっている場所に、ブーゲンビリア魔法生物学研究所はあった。そんな左右非対称であり、横に大きく広がっている白い建物を、第二王子、ガランス・フォン・ブーゲンビリアは見つめていた。
ガラスで造られた透明なドアで中の様子を伺える入口へと続く、舗装された灰色の道を、ガランスは無言で考えを纏めながら歩く。左右を見回すと、一体何の目的で、何の意味があるのかもわからない白い柱が何本も街路樹の如くそびえ立っているのが目に入ったが、今は気にする必要は無いとガランスはかぶりを振った。
入口の前にガランスが立つと、待っていたと言わんばかりに両側のドアが左右に機械音を響かせながら素早く開いた。これがいわゆる「自動ドア」というやつかとガランスは脳内の記憶から異世界についての記憶を引っ張り出してドアの正体に気がついた。
「通行証を」
どこもかしこも異世界の技術に侵食されているなと思っていると、警備員らしき服を着ている中年の男性がガランスに近づき、声を掛けてきた。
「ああ」
ガランスは一言頷くと、ジャケットの胸ポケットから予め手配しておいた通行証を取り出し、男性に見せた。王子のコネは、こういうときに役立つものだ。
「ガランス王子……!? 失礼いたしました……」
通行証に書かれていた名前を見て、男性が目の色を変え、慌てた様子でガランスに頭を下げてきた。自分が王子だとわかった途端にこれか、いつもそうだなとガランスは通行証をポケットにしまいながら心の中で嘆息した。
「皆が顔を知っているのは父上や兄上だろうからね。第二王子は所詮第二。気に病む必要は無いよ」
「ですが……大変無礼な……」
「そう思うのなら、君が僕を案内してくれ。これで手打ちとしよう」
人でもモノでも権力でも、使えるものは何だって使う。それが目的を果たす為に、ガランスが身に着けた武器だった。
「一体どちらまで……?」
「どちらっていうか、会いたい人がいるんだ」
「と言いますと……?」
「ブルーエ・フォン・サンデリアーナ」
元公爵令嬢の名を、ガランスは口にした。
かねてより王室の間では、彼女がこの研究所に居ついているという噂があった。もっとも、事実確認を行った人間は誰一人いなかったのであるが。それを今、確かめようという事だ。
「……かしこまりました」
男性は再び頭を下げて言うと、ガランスを先導し始めた。
*
男性に連れて来られた場所は、研究所の地下にある、天井に吊るされた僅かな橙色の照明が狭い範囲だけを照らしている薄暗い空間だった。いたるところに置かれている機械から噴き出ている機械のせいか、窓が無く換気が出来ていないせいなのかはわからないが、とにかく蒸し暑いなというのが第一印象だった。立っているだけで全身から滲み出てくる汗のぬめっとした感触に、ガランスは軽く舌打ちした。
「あなたは……!」
額の汗を指で拭っていると、お目当ての人物は向こうからやって来た。突然の来訪に動揺しているのか、暑いのにも関わらずわなわなと震えながらガランスを見る。
「久しぶり。ブルーエ」
目の前の人物――ブルーエ・フォン・サンデリアーナに、ガランスは薄く微笑みながらそう挨拶した。
「な……何なの……。いきなり……こんな場所に……」
「待ってくれ。何も戦いに来た訳じゃない」
マナの集束を感じ取り、ガランスは両手を挙げてブルーエを制止する。
「取引に来たんだ」
そしてそのまま、ガランスは彼女に、そう言った。




