第69話
変わらず雨が滝のように激しく降り続けている外に両足を付けた瞬間、痺れるような衝撃とともに、全身に鳥肌が立った。
寒さからではない。とてつもなく膨大な魔力の噴出を近くで感じたからだ。オルシナスも同じように感じ取ったのか、俺の手を離れて魔力の気配のする方へと泥を蹴って駆け出していく。
レイノの奴、まさかこんな力を隠し持っていたなんて――! 俺はそう考えながら、オルシナスの背中を追いかけた。
*
「レイ――うぐっ!?」
オルシナスに追いつき、雨に全身を濡らして、肌が見えている部分のいたるところから赤い液体を滴らせているレイノを目視した瞬間、激しい吐き気と――恐怖心に襲われた。服が汚れる事を気にする余裕も無く、ぐちゃりとした感触の泥の上に膝をつき、両手で口を抑えて吐瀉物を封じ込める。全身が震え、脚に力が入らなくなる。
なんなんだ、これは――と、雨粒のせいなのか、それとも涙のせいなのかわからないが、滲む視界でレイノの姿を再度見る。眼鏡が外れた彼女の瞳は、赤く、妖しく、生気を感じなかった。
そしてその瞳は、身体二つ分ほど離れた先で――力なくうつ伏せに倒れている水色の髪の女性――シンシュさんを捉えていた。レイノは瞬き一つしないまま、シンシュさんの後ろ髪を左手で人形かのように軽々と掴み取り、血だらけになっている彼女の顔を雨に晒す。最早表情すらわからなくなるほどの状態で、決着は既に決しているのだと、嫌でもわかった。
しかしレイノは空いている右手を握り締め、大気に漂うマナを集めてゆく。
「あ……あ……あ……ああ……」
やめろ、と必死に叫ぼうとしても、声が出ない。それでも必死に何かを絞り出すが、虚しく雨音にかき消される。レイノはその間にも、マナを魔力に変え、左手で乱暴にシンシュさんを持ち上げ、右拳を構えていく。
「や……え……」
立とうとしても、身体が脳からの命令を拒否しているかのように立てない。自分の両脚が、ただの棒へと変わり果てている。右手をレイノに向けるが、魔力を上手く集められない。
「あああああああ」
とにかく何でもいいから出てくれと祈るが、右手からは何も出て来なかった。
「凍てつけ」
もう俺には何も出来ないのかと絶望しかけた瞬間、小さくもはっきりとした声が、雨音を切り裂いて耳に届いた。刹那、今にもシンシュさんの顎を撃ち抜こうとしていたレイノがぴたりと動きを止めた。
声の正体は、確かめるまでも無く、オルシナスだった。彼女は芝生にだらしなく膝をついていた俺を、無表情でじっと見下ろしていた。
「大丈夫……じゃなさそう……」
オルシナスは俺を見ながらそう呟くと、凍ったかのように動きを止めているレイノを見据えた。
「これは『超級』の魔物が放つ殺気……普通の人は正気を保っていられなくなる……どうして……レイノが……」
再び俺を見たが、俺は首を横に振る事しか出来なかった。
「……話は……殺さない程度に……動けなくしてから……」
オルシナスはそう言うと、次の瞬間には姿を消していた。
どこに行った、と周囲を見ても、近くにはいなかった。
まさか――と思ったときには、もう遅かった。
オルシナスはレイノを魔力の衝撃波で、彼方まで吹き飛ばしていた。同時に身体がふっと軽くなって脚に力が入るようになり、俺は立ち上がった。
「一体何が――ってシンシュ!」
「そうだ! 早く治療を!」
レースのついた高級そうな傘を差してやってきたウェリカの声で俺は我に返り、一目散にレイノから解放されたが倒れ込んだままのシンシュさんの元へと駆け寄った。




