第33話
「ヘイ! とうとう我が領地をブチ抜けましたので、ここから先はブーゲンビリア王国ですわよ!」
夜も明けて周囲がよく見通せるようになってきた頃、器用に片手で手綱を握って空いた手で謎のポーズを決めながらカトレアがカノンちゃんの隣まで来て教えてくれた。のはいいけどヘイって一体なんなんだ。掛け声でいいのか? なんて考えていたらまた前に行ってしまった。それはともかく。
「外国か……」
国境を跨いだ瞬間に空気が一変する……なんて事は無かったが、自分はもう既にバキアにはいないのだと思うと、なんだか不思議な気分になる。下を見ればもう少し違いがわかるのかもしれないが見る気は無い。
「ウェリカ様はブーゲンビリアの王都マソティアナの王宮にいらっしゃいますが、王都までにはまだ幾分か時間が掛かります」
「そ、そうですか……」
普通に考えたらそりゃそうなんだけど、まだカノンちゃんに乗ってなきゃいけないのか……とシンシュさんの柔らかい身体を抱きながら気持ちが沈む。
「ウェリカ様は学校ではどんな様子だったのですか?」
俺の心情を察してか、シンシュさんが話題を振ってくれた。
「貴族貴族と事あるごとに偉そうにするわ、平気で指をさしてくるわ、魔法は暴発させるわで大変ですよ」
「……申し訳ありません」
「だけど、授業は真面目に受けてくれるし、俺が傷つけば泣いてくれて、いい教師になれるって言ってくれた、根っこはすごく優しい子ですよ」
俺がそう言ったとき、シンシュさんが振り向いてきて初めて目が合った。シンシュさんの顔は近くで見ると小顔で目鼻立ちが整っていて、髪の色と同じ水色の瞳が夏の青空を連想させるくらいに綺麗だった。
「ウェリカ様は……本当に……」
「才能のある、いい子です」
驚いたような表情を浮かべているシンシュさんに、俺は迷わず言い切る。
「……早く、連れ戻さないといけませんね」
「はい」
シンシュさんは薄く微笑むと、再び前を向いてカノンちゃんを動かし始めた。
*
「とうとう見えましたね『マソティアナタワー』が」
「マソティアナタワー?」
シンシュさんが顔を向けた先をシンシュさんの肩の上から目を凝らしてじっと見ると、暗闇の中でガラスのような壁から蛍の群れのような無数の煌めきを放ち、カノンちゃんが飛んでいる高さのすぐ下にまで高く伸びている極太の塔が見えた。
「なんだこれ……」
思わず口がそう動いてしまった。少なくともバキアでは似たようなものすら全く見た事の無い建物だった。
「端的に言いますと『異世界』から召喚魔法でこの世界に召喚された人々が自らの活動拠点として建築したものです」
「召喚魔法……」
また、この話が出てくるのか。
「『異世界人』はこれほど巨大な建築物を作り出せるほどに優れた知識と技術力を持っているようです。この塔を見る度、少し恐怖を覚えます」
「異世界って……どんなところなんでしょうね」
今こうして空を飛んでいるブーゲンビリアの事すら又聞き程度の知識しか無くて、実際どんな国なのかもまだいまいちわかっていないのに、この世界とは異なる世界の事なんて想像すら出来ない。ましてやそこから来た人の話となると、得体の知れないものに対する恐怖心が俺にも芽生えてくる。
「カトレア様は次期領主の使命だと言って異世界について熱心に調べているようですが、わたくしはよく知りません。いえ、知らないようにしている、というのが正しいのかもしれません」
「そうですか……でも、気持ちはわかります。俺にも、知るのが怖い、考えるのが怖いっていう気持ちはありますから」
「……似た者同士、なのかもしれませんね。わたくしたちは」
どこか寂しそうな声でシンシュさんは言うと、カノンちゃんをマソティアナタワーから距離を取らせつつ、次第に高度を下げていった。
「もうすぐ王宮に着きますが、準備は出来ていますか?」
地上が近くなり始めてきた頃、シンシュさんが再び俺に振り向いて尋ねたきた。
「もちろんですよ」
地面が近くなり、恐怖が覚悟に変わる。
まもなくカノンちゃんがゆっくりと着陸すると、俺は鞍から降りた。地面はざらざらとした灰色の物質で固められていて、これもまた触れた事の無い材質だった。
「こここそがウェリカが囚われている地、ブーゲンビリア王宮ですわ!」
「ここが……」
近くまで駆け寄ってきたカトレアに言われて俺は目の前にある、周囲が高い壁で囲まれていて、上部がギザギザに尖っている横に長く白い建物を視界に捉えた。大丈夫だ、こういう建物は見覚えがある。俺が知らないものだけで構成されている訳じゃない事がわかって少し落ち着く。
「では、行きますわよ!」
カトレアはそう言うと、シンシュさんと共にドラゴンを近くの建物の物陰に隠した後、門へと向かい、警備をしていた鎧姿の門番の顔面を一切の迷いも見せず蹴り飛ばした。
「へえぇ!?」
明らかに手慣れている一連の動作と壁に叩きつけられ鼻血を出して気絶している門番とあまりにも高い蹴りの威力をものの数秒で見せられたせいでつい唖然としてしまった。
「早くウェリカを救い出しますわよ! ほら!」
「行きましょう。先生」
「あ、ああ……」
ごめんなさい、と心の中で門番に言いながら、俺はシンシュさんの後ろ姿に頷いて王宮の入口まで走るカトレアを追いかけた。