第27話
あれからウェリカが教室に戻ってくる事は無かった。
だから授業が終わった後、俺は真っすぐ寮のウェリカの部屋の前までやって来た。
滲み出る嫌な予感をぐっと抑えながら、俺は呼吸を整え、鍵が掛けられたドアをノックする。
「ウェリカ、俺だ」
「アルドリノール……?」
ドアが開き、ウェリカが姿を見せた。顔に元気は無いものの、部屋にいた事にとりあえず安堵する。
「何があったか、聞いてもいいか?」
「……うん」
*
「……あのね」
しばらくお互い何も言わず部屋のベッドに隣合わせとなって座っていると、やがてウェリカはゆっくりと口を開き始めた。
「あたし、結婚するんだって。ブーゲンビリア王国の第二王子と」
「え……?」
「そりゃ驚くわよね。あたしもびっくりしたもん。だから明日、領地に帰るわ」
「明日って……いくらなんでも急すぎだろ!」
「前々から縁談が進められてたらしいのよ。で、この前話が纏まったので帰りましょうって話になってるの」
ウェリカはそう言って立ち上がると、箱に教科書やら私服やらの私物をどんどん入れていく。
「……お前はそれでいいのかよ」
自然と、言葉が口から漏れた。
「勝手に誰と結婚するか決めさせられてて、ここから出て行く事になって。……最強になれないまま、終わる事になって!」
小さな部屋の中で、荷造りの音と俺の声だけが響く。
「……あたしは、貴族なのよ?」
やがて、ウェリカが俺の方を振り向いて言った。
「令嬢として家の発展に貢献出来る事を何よりも喜ぶべきなのよ。それにブーゲンビリアの王子と結婚できるなんて光栄の至りだし、むしろありがたくお話を頂戴するのが筋ってもんじゃない?」
「そう思ってんなら、どうして――」
どうして。
「そんなに泣きそうな顔してんだよ……!」
「これは……そう! 嬉し涙よ!」
「誤魔化すな!」
もう、そんな空元気の笑顔で振舞わないでくれ。
「……じゃあ、どうすればいいのよ……」
「それは……」
言葉に詰まる。帰るな、結婚すんななどと口に出すのは簡単だ。だけどとっくに爵位も無くした俺には、言ったところで何も変える事は出来ない。無知な平民の戯言だと一蹴されて終わりだ。彼女の父親は、平気でそう口走る人間だと俺は知っている。
今からそいつを殴りに行くのも簡単だ。魔法を使えばどうにでもなるし何なら今すぐにでも部屋から出てそうしたい。けれど短い貴族時代に培った知識と理性が、俺の身体を現実という鎖で止める。
殴った結果処罰を受けるのが俺だけなら何も考える必要は無い。だけどそうではないのが現実だ。俺を雇ったクインテッサ、ひいてはノコエンシス領の領主である彼女の父親にまで影響が及んでしまう。
それは出来ない。する訳には、いかない。家も家族も金も失った俺を支えてくれた恩人の一人の顔に泥を塗る事は、出来ない。
だけどウェリカをこのまま行かせたくも無い。本当は帰りたくないと思っているのは嫌でもわかる。それをわかっていながら笑顔で送り出せるほど、俺は大人じゃない。
俺は、一体どうすればいいんだ……。
「もう、いいのよ」
堂々巡りに陥って頭を抱えていると、ウェリカが隣に座ってきて、今までに聞いた事が無いくらいの優しい声色で俺に言った。
「あんたに出来る事は何も無い……でしょ?」
「……ごめん」
「謝らないで。いつかこういう日が来るんじゃないかってずっと思ってたから。……思ってたよりかはちょっと早かったけどね」
わざとらしい笑みを、俺に向けてくる。
その笑顔が悲しくて、悔しくて。頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「泣かないでよ……。あんたに……迷惑……掛けたくなっちゃうじゃない……」
指摘されて、自分の目から涙が零れている事に気がついた。目の下を拭ってウェリカを見ると、彼女もまた泣いていた。
「掛けろよ……お前は……俺の妹だろ……」
妹は、兄に迷惑掛ける生き物なんだよ。
「なんであんたがそれ言うのよ……あはは……」
ウェリカが作り笑いをした後、俺の肩に頭を置いた。
「…………本当にそうだったら、よかったのに」
しばらくそのままそうして無言で過ごした後、ウェリカが立ち上がり俺に何かを手渡した。
「あんたなら、きっといい教師になれるわよ。あたしが保証するわ。短い間だったけど……ありがとね」
ウェリカは俺を立たせて手を引いて、部屋から出て行かせようとする。
「これは……」
「あげるわ。あたしの事を思い出したくなったらせいぜい読む事ね」
俺が持たされたのは、彼女が授業中にいつも取っていたノートの一冊だった。そうして彼女は明るい声で、俺をドアの前まで引っ張った。
「ウェリカ……! 本当にこれで――!」
「行って……。お願い……。最後は笑顔で……終わりたいの」
ドアが開き、背中を押されて廊下に足が一歩、また一歩と踏み出される。
「またね。お兄ちゃん……!」
ウェリカの精一杯の微笑みを見た瞬間、ドアが閉じられた。
「なんで……お前も……同じ事を……」
ドアに縋りつき、床に倒れた俺は思い出す。
『またね、兄さん』
実家に帰省してから魔法学校に戻るとき、別れ間際にフィオラが俺にそう言った。
結局それが、最後に交わした言葉となった。
こんなのは、もう嫌だ。
だけど、俺には。
「あああ……」
再び鍵が閉められたドアを壊す事は、出来なかった。




