第155話
「先生!」
ウェリカに闇魔法を教えたその日の深夜、いつものように魔導書を読み込んだ後自室のベッドで寝ていると、ストレリチアの大声と顔に当たるむにゅっとした感触で俺は目を覚ました。
「どうした。こんな夜遅くに」
「オルシナスが……オルシナスが!」
仰向けになっている俺の肩を押さえつけるストレリチアの両手は、夏なのに凍えているかのようにふるふると激しく震えていた。元から大きな目をさらに大きくし、涼しいのに激しく発汗している様子からして、いつになく焦り、動揺しているようだった。その表情を見ると、鍵を掛けていたのにどうして入ってきたんだだとか、ベッドにめり込むからそんな強い力で触れないでくれなんて事は言えなかった。
「オルシナスがどうしたんだ」
「いなくなったんだ! ボクに今までありがとう、さよならと言って!」
「なんだって……!?」
そんなのまるで、別れの挨拶ではないか。反射的に飛び起きると「いたっ!」ストレリチアと額同士をぶつけてしまった。俺は大丈夫だが、ストレリチアはだいぶ痛そうに額を抑えていた。
「ごめん、大丈夫か」
「大丈夫じゃない! すごく悩んでる顔してた! あんなオルシナス今まで見た事ない!」
思考を整理しつつストレリチアのさらさらとした髪を撫でていると、涙目になりながら必死な声でそんな答えが返ってきた。こいつをここまで揺れ動かしたオルシナスの顔は、一体どんなものだったのだろう。
「オルシナスは今、どこにいるんだ?」
とにかくまずは、本人に会おう。話はまずそこからだ。
「わからないからここに来たの!」
わからない?
「……この前使った魔法は使えないのか?」
「…………あ」
自分で編み出した魔法を自分で忘れるくらいには、慌てふためいていたらしかった。
*
「念のため魂壊竜から多めに毛を抜いといてよかったよ。こんな事して魂破壊されたりしないよね?」
「きっとあいつも大目に見てくれるさ」
魔法陣が描かれた紙を持って再び俺の部屋へとやって来たストレリチアが心配そうに尋ねてきたので楽観的に答えを返した。あいつの毛、そんなにすごいなら俺も何本か抜いておけばよかったな。使う予定無いけど。
「とにかく今はオルシナスだね。……ちゃんと見つけられるといいな」
ストレリチアは小声で呟いた後、床に置かれた魔法陣に手を置いて前のめりに倒れ込んだので、俺は両腕で細く柔らかなその身体を受け止めた。
オルシナスに何があったのか、どうしてストレリチアにさよならなんて告げたのか、ストレリチアの身体の温もりを感じながら今までの記憶を呼び起こして考えてみる。
オルシナスは無口な少女だ。自分が何を考えているのかとか、何を感じているのかとか、何がやりたいかとか、そういった事を話したりはほとんどしない。だからこそ、俺ともっと一緒にいたいと言われたときは本当に驚かされた。
今思えば普段そういう事を言わないからこそ、もっと様子を見ておかなければならなかったのではないかと考えてしまう。
「……何かあったなら、言って欲しかったな」
それとも、俺がまだ教師として信頼されてなかったという事なのだろうか。
「わかんねぇ……」
安らかに目を閉じているストレリチアの顔を見ても、答えは出なかった。
「はぁ……」
「いだぁ!」
ため息をついた瞬間、ストレリチアが突然目を開けて起き上がり、俺の顎に額をぶつけてきた。ちょっとだけクラッときた。
「早く行かないと!」
またしても額を抑えながら、ストレリチアは俺に縋りつきながら叫んだ。
「オルシナスが屋上から飛び降りようとしてる!」
そして勢いよく立ち上がり、扉に向かって走り出した。