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王と龍と転生者  作者: タチバナ マキ
6/6

第6話 覚悟の形

 木々を縫うように歩みを進める。前から後ろへと流れていく景色は、見知ったようで全てが細かに違う。

 頬を叩く風は冷たいが、嫌な寒さではない。朝露を含んだ土は柔らかく、靴底が沈むたびにしっとりとした感触が返ってくる。枝葉の擦れる音と、遠くで鳴く鳥の声。それだけがこの道を歩く僕たちを包んでいた。

 村へ向かっている——その事実の割に、胸の奥は不思議と落ち着いていた。

 思い返すだけで胸が重くなるような凄惨な戦いの跡。人々の生活が焼けた臭い。そして、魔獣の胸を穿った感触。全てが鮮明に思い出せる。

 隣を歩くリントは相変わらず多くを語らない。だが歩調は一定で、こちらを急かすこともない。背後にはルーナがいる。彼女は森歩きに慣れているらしく、枝を避ける動きも足運びも無駄がなかった。


「……思ったよりも普通だね」


 ぽつりと口から零れた言葉に自分で少し驚いた。


「俺たちの拠点は首都とは反対方向だからな。国軍が動いてるにせよ、今遭遇することはない」


 リントは前を向いたまま淡々と答える。

 あの湖に囲まれた村は魔獣による襲撃を受けた。それも普通とは言い難い、明らかに誰かが裏で糸を引いている形で。

 黒幕を王国の軍隊と踏んでいるリントが村へ行くと言い出したのは、あの襲撃から五日後の今朝だった。

 あの村から王国の首都まで往復で約五日間。国軍があの村に何かしら介入するとしたら今日が妥当らしい。それを見越し、敵の動きと狙いを暴こうと言うのがリントの思惑だ。

 歩いているうちに森の匂いが少しずつ変わっていくのがわかった。湿った土と苔の匂いの奥に、微かに煙の名残が混じっている。もう焚き火の匂いと区別がつかないほど薄れているのに、鼻の奥に引っかかって離れない。

 あの村が近いのだと、理屈より先に体が理解していた。

 胸の奥が、少しだけざわつく。

 怖い、とは違う。かといって安心しているわけでもない。ただ、何かを見落としてはいけない場所に向かっているような感覚があった。理由を考えようとすると、途端に輪郭がぼやけてしまう。だから僕はあえて考えないようにした。

 今の自分にできるのは、歩くことと目を開いていることだけだ。

 村の人たちの顔、断片的に思い浮かぶ。瓦礫を運んでいたカイルの背中。炊き出しの列に並んでいた子どもたち。スープの湯気越しに見えた、疲れ切った笑顔。

 守りたい、という言葉も正確じゃない気がする。あの人たちをどうしたいのかまだ自分でも分かっていない。ただ失くなってほしくないと思った。それだけははっきりしていた。

 拠点にいるときはこんなふうに考え込むことはなかった。敵か味方か、危険か安全か。判断はいつも誰かが先にしてくれていた。僕はついていけばよかった。

 でも、あの村では違った。

 誰かが戦って、誰かが泣いて、誰かが生き延びている。その全部が、当たり前のようにそこにあった。正解も逃げ道も用意されていない場所。だからこそ、目を逸らせなかったのかもしれない。

 前を歩くリントの背中を見る。相変わらず揺るぎのない歩き方だ。迷いがないわけじゃないのだろうけれど、それを表に出さない強さがある。

 その少し後ろで、ルーナは黙って歩いている。フードの奥の表情は見えない。でも、彼女もまた、この道を選んでいるのだと思うと、不思議と心強さを感じた。

 僕だけが、はっきりとした理由を持っていない気がした。

 それでも、足は止まらない。

 あの村にまた戻ると決めたのは自分だ。危険かもしれないし、何が待っているのかも分からない。それでも行かなければならない気がした。

 たぶん、それで十分なのだと思う。やれることをやる。それ以上の答えは今は要らない。

 木々の隙間が、少しずつ開けていく。遠くに湖からの光が反射しているのが見えた。

 村は、もうすぐそこだった。














 崩れかけの門をくぐる。門番は僕とリント顔を覚えていたようで、同行していたルーナも含めてどこか安堵を含んだ雰囲気で迎えられた。門番は襲撃の件の真実を知る人たち、僕たちの再来に喜んでくれた。


「まだ軍の狙いがはっきりしたわけじゃない。村の中でも油断するなよ」


 門番と短く会話していたリントが近寄りながら声をかけてきた。そうだ。敵の狙いは僕たちである可能性がまだ拭い切れていない。無意識に剣の柄に触れていた手を離し、僕は小さく頷いた。

 村の中の光景は最後に見た時とあまり変わっていない。しかし、建物の骨組みが新しく組まれていたり細かい瓦礫が撤去されていたりと、確かに強かな復興を感じた。忙しそうに行き交う人たちも、座り込んで休憩している屈強な男たちも、皆悲しみや絶望に明け暮れている様には見えない。

 これが人の生きる意思なのだろうか。そう思った瞬間、何故だか胸の奥が不意に詰まった。風が吹き抜けてくれなければ、きっと涙が溢れていた。


「リント、まずは村長のところへ」


 僕の後ろでルーナが声を上げた。ここに着くまで明らかに口数が少なかったルーナの硬さを含んだ声にリントは頷き、「こちらです」と歩みを進めた。

 門から離れ、村の奥へ進むにつれて足音の数が増えていく。

 木と石で組まれた道は所々歪んでいるが、応急的に直された痕跡が残っていた。誰かが急いで整えた道だ。使えるようにすることを優先した、そんな仕事ぶりだった。

 少し前を歩くリントの背中を見ながら周囲へ目を配る。視線が合うと皆すぐに逸らす。警戒というより遠慮に近い。


「襲撃されたばかりにしては治安も良いし、思ったよりも活気に溢れていますね」


 前を向いていたルーナの顔がこちらへ向いている。歩みは依然、止まっていない。


「ラルムくんが戦って守った村なんですよね? ありがとうございます」


「いや、僕はそこまで……ていうか、なんでルーナがお礼言うの?」


「命を懸けて戦って、怖い思いをしても私たちに着いて行きたいと望んでくれたからです」


 視線を前に戻し、彼女は続ける。


「だから、ありがとうございます」


 返す言葉が見つからず、曖昧に息を吐いた。気恥ずかしくもあり、どこか買い被られていることが悔しくもある。それでも感謝されたことには素直に__ニヤけを抑えられないくらいには嬉しかった。

 その時、一陣の風が過ぎていった。前を歩くリントがふいに足を止める。背中越しに張り詰めた気配が伝わってきた。


「やはり出たな」


「人をお化けみたいに言うな」


 字面だけ見れば友人同士の軽口に聞こえるそのやりとりも、この場の雰囲気を感じればそんな感想は浮かんでこない。

 路地から僅かに体を覗かせた少年——リガーレはリントを、ルーナを、そして僕を睨みながら組んでいた腕を下ろした。


「マグナスたちならいないよ。出払ってる」


「それならお前がわざわざ出てくるわけもないだろ。戯言に付き合ってる暇はない」


 ピリリとした緊張感が場に走る。僕とリントは彼がこんな村人がいるところで力を振るわないと分かっているが、リガーレと面識のないルーナだけは腰の剣に手を伸ばした。


「ルーナ、あの子がリガーレだよ」


「あっそうでしたか。ごめんなさい……本当にあんな小さな子が?」


 事前にリガーレについて話はしてある。それでも、実際に目にすれば疑念を抱くのも無理はない。

 まだ大人とは言えない僕らから見てもリガーレはまだ子供だった。そんな年齢で魔法を扱うなど、現実味に欠ける。


「俺たちは村長に用がある。マグナスには後で会いに行くと伝えておけ」


「知るかよ出てけよこの村から。戦争することしかできない野蛮人共。あんたらは戦争に巻き込まれて死ぬ人たちのこと知ってんのかよ」


「戦争が起これば人は死ぬ。当たり前だ」


 吐き捨てるようなリガーレ。リントの声は、至って冷静だ。


「巻き込まれるまで生き死にについて考えられなかったお前と一緒にするな」


「それを考慮しないからまた戦争を起こすんだろ」


「略奪戦争をしないこの国の兵士がどんな気持ちで戦っているかも知らないお前に、何も言われる筋合いはない」


 言葉が言葉を叩き、熱を帯びていく。痺れを切らしたリガーレが一歩踏み出した瞬間、リントの周囲の空気が音を立てて一気に冷え込んだ。

 まずい。人々が必死に日常を取り戻そうとしているこの場所で戦闘になれば、取り返しがつかない。慌てて二人の間に入ろうとした、その前に――フードを外したルーナが、一歩前へ出た。


「リガーレさん」


 リガーレの視線がルーナに向く。


「私はルーナ、リントの主人です。戦争を起こそうとしているのはこの私の意思です」


「そっか、じゃああんたが……」


「はい。マグナスさんからお話を聞いているならご存じの筈です。私たちが何のために戦うのか。より多くの民を救いたいと願っていることも」


「その方法が殺し合い?」


 リガーレが鼻で笑う。


「どうかと思うよ」


「……私は頭が良くないので、他の方法は見つかりませんでした。でも」


 ルーナは一瞬顔を伏せ、しかしすぐにまたリガーレを見た。


「でも、私が死んだ後のずっと未来で生まれた子供たちにも理不尽に死んでほしくない。その為に必要なことだと思ったら、私は何千何万という敵を斬ります。守りきれない民がいることにも目を瞑ります」


 言葉に詰まることもない。真っ直ぐな目で、貫くようにリガーレを見るルーナ。

 その目に宿るのは単なる強さではない。覚悟の強さ。その覚悟を抱えるための、心の強さ。


「だからこそ」


 ルーナは一歩踏み出す。


「そんな戦争をしないためにも、私は色々な人の話を聞きたい。あなたの話も――」


「自分たちのことを、そのお兄さんにすら話してないくせに」


 ぴしゃりと遮る。


「そんなあんたらの言葉なんか、誰が信じるんだよ」


 次の瞬間、突風が吹き荒れた。

 砂と土を巻き上げ、全身を叩く暴力的な風に思わず目を閉じる。拒絶するような砂嵐。それが嘘のように治まる頃にはリガーレの姿は消えていた。路地の奥にも屋根の上にも、気配はない。


「……何がしたかったんだ」


 リントが低く呟く。その声音は追う気も怒る気もなく、ただ冷えた水のように静かだった。周囲を一瞥し、それ以上追う素振りは見せなかった。騒ぎを聞きつけたのか、少し離れた場所で立ち止まってこちらを窺う村人の姿がある。


「行こう」


 短く、それだけ言って歩き出す。


「村長のところへですね」


 ルーナもすぐに続いた。先ほどまでの張り詰めた空気を引きずらない切り替えの早さだった。僕たちの目的はあくまで村の確認。彼に構っている暇など、きっと持ち合わせていないんだ。

 ふと道を振り返る。僕たちを見ていた村人たち以外は立ち止まることなく役割を遂行し続けている。崩れた壁を積み直す者、桶を運ぶ者、焦げた梁を削る者。壊れた日常を黙々と拾い集めている。


「気になるなら、ラルムくんは彼を探してきても良いんですよ」


 振り向くと、ルーナは僅かに視線を落としていた。不安とも悲しみともつかない、淡い影がその表情に差している。


「……多分僕も嫌われてるだろうし、見つけたとしても話はしてもらえないと思うよ。それよりも早く村長のところに行って大事な話を……あ」


 言いかけて言葉が止まる。今度は彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。

 そうだ。彼女たちは大事な話をしに来たんだ。それは僕にまだ話せないというルーナたちの秘密に関することなんだろう。だからルーナは言葉を濁し、僕に席を外して欲しいと言っている。責める理由は、どこにもない。

 ルーナは何も言わない。ただまっすぐこちらを見ている。嘘をつくつもりはないが、本当のことも言えない――そんな目だった。


「……うん」


 胸の奥に沈んだものを吐き出すように短く息を吐く。


「じゃあ、僕は少し村を見てくるよ」


 なるべく軽く言ったつもりだった。重く受け取らせたくなかったし、何より自分が重く受け取りたくなかった。

 踵を返す。今来た道を引き返すように歩き出す。本当にリガーレを探すつもりはない。ただ適当に時間を潰して、頃合いを見て戻ればいい。それで済む話だ。

 背後で小さく砂を踏む音がした。


「ラルムくん」


 呼び止められ腕を引かれる。

 驚いて振り向くと、ルーナが駆け寄ってきていた。柔らかな掌が僕の手を取る。戦場で剣を握る手とは思えないほど、細く、温かな手だった。

 彼女は何も言わないまま、僕の指をそっと開かせる。そして何かを握らせた。

 そっと開いて確かめると、それは小さな石だった。綺麗だが何故か宝石ではないと一目で分かる。角が取れ、磨かれたように滑らかで淡い光を内側に宿している。透き通るでも濁るでもない、不思議な色合い。


「これは?」


「連絡用の魔石です。魔力が溢れて割れやすいんですけど、これを割ると対になった魔石が反応します。何かあった時はこれを割ってください」


 ルーナはほんの少しだけ微笑む。強さを誇る笑みではない。どこか不器用で、静かな笑み。言葉にしない何かが、その石の温もりに宿っている気がした。

 秘密はまだ教えてもらえない。けれど完全に外に置かれているわけでもない。掌の中のぬくもりがじんわりと皮膚を通して伝わってくる。

 握りしめると、ほんの少しだけ心臓の鼓動が落ち着いた。


「……ありがとう」


 うまく笑えたかは分からない。それでもルーナは小さく頷き、今度こそリントの方へ戻っていった。

 二人の背中が並んで、やがて建ち並ぶ家の影に溶けるように消える。

 ひとり残された僕は、暫くその場に立ち尽くしていた。冷たい風が頬を撫でる。けれど掌の中だけは、まだ温かい。

 僕は彼らが行った方向とは反対に歩き出した。目的は特に決まってないし、決まっていたからと言って何ができるわけでもない。しかし立ち止まるわけにはいかない。僕は何かしなければならない。

 できること。したいこと。やるべきこと。僕が自分で探すんだ。リガーレのように、自分の役割を探すんだ。

 靴のつま先で地面を叩いて、慌ただしい方向へと足を向けた。









 村の賑わいは想像していたよりも明るくて、襲撃されたばかりの時は殆ど聞こえなかった笑い声がそこら中飛び交っていた。喉元過ぎればなんとやら……とは全然違うが、この村の人たちは既にあの悲劇を乗り越えつつあるようだ。

 僕はそんな喧騒の邪魔をしないようにできるだけ息を潜めて歩いた。皆が自分の役割を果たしている中、僕は自分の存在を探しているような気がした。皆がもう道を歩いているとき、履いていく靴を探している。そんな感じだ。

 一部の店は営業を再開しているようだ。どこからか運ばれてきた美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。僕がこの村に来たばかりの時はなかった匂い。

 何故だか分からないけど、少し嬉しい。僕は復興には殆ど関与していない。だけど、誰かの暮らしが続いて、生活が営まれている。そんな今を守れた自分が、誇らしい。

 この村は唯一の門に近づけば近づくほど石造りの、それも商店が増えていく。確かにここが流通の要だったと言うことを考えれば普通のことなのだろう。商店の周りは一段と活気がある。

 しかし襲撃は門から広がっていった。多くの店は壊されていて、今は店の前のスペースに布を敷いて商売をしているのが殆どだ。対人用に強固に作られた石造りの建物も、見上げるほど大きな魔物が相手では荷が重かったらしい。

 と、横道から現れた見知った顔を見つけた。彼は鍛えられた腕で重そうに木材を抱えながら歩いていた。僕が駆け寄るとその人__カイルは顔を明るくさせて笑いかけてくれた。


「こんにちは、カイルさん」


「おう。戻ってきてたんだな」


「はい。それ運ぶの手伝いますよ。暇だったんです」


 悪いな、と言いながらもカイルは手伝わせてくれた。単に疲れていたのか、手持ち無沙汰な僕を気遣ってくれたのかは分からないが。

 この木材は船を作るための材料だと教えてくれた。今の状態では食料も物資も足りないから急遽修理と造船を進めているのだそう。


「そっか。湖の中って防衛って観点で見ると強いですけど、結構不便なことも多いですね」


「ああ、昔は橋もあったそうだが、魔物が増えてから橋は壊されるし居座られるしで危ないから取り壊しになったらしい。だからこの村も廃れたわけだがな」


「へえ、やっぱり魔物は流通面の邪魔にもなるんですね」


「そりゃあな。商隊(キャラバン)ってのは大体護衛を付けてるもんだが、人と魔物じゃ勝手が違う。わざわざ大金叩いて対人と対魔物、両方の護衛を付けるのはそう簡単にできることじゃないのさ」


 俺だったら断然、盗賊の方が怖いね。とカイルは付け足した。そうか。僕は野生の魔物と出会ったことは一度しかない。この前の戦いも殆どリントが片付けていた。そう考えるとやはり、自然の生き物というのは恐ろしいのだ。

 そのまま暫く会話を続けながら歩いた。カイルは顔が広いらしく、沢山の人に話しかけられては笑みを振りまいていた。カイルのような人が生き残ってくれて良かった。きっと彼に元気づけられた人も多い。

 そんな事に気を取られていたからだろう。足下の石畳のへこみに気付かず足を引っかけてしまった。何の前触れもなく身体が倒れる。急速に地面が近付いて、身体が平行になっていく感覚を一瞬味わった。

 ドカン、と殴打に似た感触が身体の全面を打った。思わず呻き声が漏れたが、身体が倒れる勢いが相殺されて倒れる前に踏ん張るのが間に合った。


「おお!? どうした、大丈夫か?」


 木材の揺れを感じ取ったカイルが振り返る。その声は、恐らく顔も純粋な心配が滲んでいるが、僕はそれどころではない。


(……今のは、突風……?)


 脳裏に僕より一回り小さいリガーレの横顔が浮かんだ。少女が井戸に落ちるのを防いだ時の、ぶっきらぼうな顔。

 ばっと顔を上げると、やはり心配そうなカイルと目が合った。


「カイルさん、すみません、やっぱり大事な用ができました」


「お、おお、そうか。結構運んでもらって現場はもうすぐそこだからな。ありがとうよ。ちなみに、その用ってのは?」


 少し言葉を選んで、すぐ口に出した。


「僕のことを嫌いな子と仲直りがしたいんです」


 カイルは一瞬、ぽかんとした顔を見せた。しかしすぐに、がははと豪快に笑った。


「そうかそうか。そりゃ一大事だ。よし、頑張って来いよ」


「はい、ありがとうございます」


 そのまま僕は踵を返して走り出した。道行く人を避けながら緩やかな坂を上る。走って走って、そして、あの塔の近くまで来た。塔の周りの開けた土地にはテントが沢山張られていた。辺りには小さな子どもたちが数人走り回って遊んでいる。

 あの突風は間違いなくリガーレだ。姿こそ見えなかったが、彼は確実に僕を助けてくれた。

 ルーナたちの目的も行き先もリガーレは知っている筈だ。なら、僕たちを信用していない彼が真っ先にマークするのは、目的も何故別行動をしているのかも分からない、僕だ。


「リガーレ、リガーレ! さっきは助けてくれてありがとう! 僕のことを見てるんだろ! 僕は君と話がしたい!」


 木の陰、テントの陰、鳥が飛んでいる空。どこにリガーレがいるかは分からないが、僕には叫んで声を聞いてもらうことしかできない。

 走り回っていた子供達が立ち止まり、奇異の目で僕を見ている。僕は構わず叫び続けた。


「リガーレ! 出てきてくれ! 君のことを知りたいんだ!」


「あんまりあいつの名前を叫ばないでやってくれるか」


 突然声をかけられて辺りを見渡した。草が風にそよぎ、鳥が囀り、大地が眠っている。僕のことなど気にしないような自然が広がっているだけだ。

 その時、視界の端で影が動いた。弾かれたように視線を向けると、いつから居たのか、見知った大男がこちらに向かって歩いていた。何故今まで聞こえなかったのか、金属の足音が今更耳に届く。


「マグナスさん……ですよね」


「ああ。そういう君の名は知らんが、あいつと一緒に居たな」


「はい。ラルムと言います」


「そうか。ラルムよ、あまりリガーレの名を大声で叫ばんでやってくれ。敵に知られたら困るだろう」


 まるで最初から自然とそこに居たような佇まい。マグナスは落ち着き払った声で、僕の心に直接語りかけるような穏やかさで話した。

 歳は四十代に差し掛かるくらいだろうか。短く刈り上げた髪は陽光に照らされてやっと茶髪だと分かる。服に収まりきらない筋骨隆々の身体には大きな傷跡も見える。この身体を支える金属の義足がどこか頼りなく見えてしまう。


「すみません、迂闊でした。……えっと、マグナスさんはリガーレの居場所を知ってますか?」


「知っているとも。あれは俺たちと行動してるからな。……だがまず、君は何者だ? 失礼だが見たところ、特別な実力者ではないようだが」


 ふっ、とマグナスの目つきが変わった。いや、やっと表に現れたという方が正しいだろう。心に直接語りかけられたような響きは、値踏みのようなささやかな威圧だったのだ。

 目の前の巨体が更に大きくなったような錯覚を覚える。僕の目に追えない戦いに割って入れるような実力者だ、力関係だけならもっと大きな差があるだろう。

 ぎゅっと拳を握りしめる。そうだ、これは武者震いだ。こんなことで怯えているようじゃいつまで経っても、ルーナ達に置いて行かれる。


「……僕は、ルーナとリントに命を救われました。彼女たちが戦争を起こそうとしていることも知っています。僕は……転生者です」


 マグナスの眉が動く。それ以上表情に出すつもりはないらしい。

 風が吹いた。

 塔をすり抜け、草を揺らす。子供達の笑い声を、眼下に広がる村に届けるように。

 マグナスはまだ何も言わない。ただ僕を見ていた。嘘を見抜こうとしているのかもしれないし、ただ値踏みしているのかもしれない。その沈黙が嫌に長く感じる。

 やがて彼は、ゆっくりと大きく息を吐いた。


「……そうか」


「驚かないんですか?」


「驚いているとも」


 マグナスは肩を竦めた。


「だが我々が成そうとしていることを考えれば不思議ではない。君に実感がなくともな」


 そう言ってから、マグナスはふと視線を横へ向けた。

 何もない草地。塔の周りを遠慮するかのように、木々が避けている。

 マグナスはそこを見たまま、僅かに頬を緩めた。


「いつまで隠れているつもりだ、リガーレ」


 その名を口にした瞬間だった。

 さっきまで穏やかだった風が、ふっと渦を巻いた。草がざわめく。足元の砂がふわりと舞い上がる。

 そして、テントの影から小柄な人影が姿を現した。


「……別に隠れてたわけじゃないけど」


 少し不満そうな声。腕を組んだままこちらを見ている。リガーレだった。

 バレるまで姿を見せなかったのにそれは無理があるんじゃないかな、と思っていると、マグナスが苦笑した。


「そうか。では風に紛れて盗み聞きをしていたわけか」


「そんなんじゃないって。そもそもさ」


 リガーレはむっとした顔で言い返すと、僕の方を見た。


「あんなに大声で名前呼ばれたら、嫌でも聞こえるって」


 僕は少し頭を掻いた。


「ごめん。話がしたかったんだ」


「話って……前もしたじゃん」


「あんなの話した内に入らないよ。出来るなら君の思ってること、全部知りたい」


 面倒臭そうにリガーレは溜息を吐く。そんな顔を見て、思い出した。


「あと、さっきは助けてくれてありがとう」


 リガーレの眉がぴくりと動いた。


「別に助けてないし」


「でもあのままだったら転んで木材の下敷きだった。ありがとう」


「知らないって」


 ぶっきらぼうに言い返され、視線もぷいと逸らされてしまった。でもその仕草がどこか愛らしい。

 マグナスが小さく笑った。


「すまんな。あいつは礼を言われ慣れてない」


「うるさいな」


 リガーレは不機嫌そうに言い返す。そして真面目な顔になり、改めて僕を見た。


「で?」


「うん?」


「話、したいんでしょ」


 僕は頷いた。


「何」


 簡潔だった。だから僕も、回りくどい言い方はやめようと思えた。


「君がルーナたちのこと、どう思ってるのか知りたい」


「……は?」


 露骨に顔を顰められた。


「何となく分かるでしょ。ていうか何でそんなこと知りたいの」


「僕はルーナたちに命を助けてもらった。だから知りたいんだ。そんな人たちがやろうとしてる事を、どう思ってる人がいるのか」


 リガーレはしばらく黙っていた。じっと僕を見る。値踏みするような、疑うような目。

 やがて小さく息を吐いた。


「……変な奴」


「そうかな」


「普通さ」


 リガーレは言う。


「そういうのって止めようとするでしょ」


「かもしれない」


「でもお兄さん、止めようとしないじゃん」


「まだ何も決めてないから」


 僕は正直に答えた。


「止めるべきなのかどうなのか。何も分からないんだよ。君の答えがその一助になってくれるって思うんだ」


「自分勝手じゃん」


「今はそれでいいと思ってるんだ。いつか誰かの為に命を賭けるかもしれないんだからさ」


 いつかルーナの為に、リントの為に、もしかしたらリガーレの為に。

 高く飛び上がる為の助走のように、今はがむしゃらに自分のできることに手を抜きたくないと決めたから。

 弱くても無知でもいい。ただこのままでいるのだけは嫌だ。

 リガーレの髪が風に揺れる。今更になって初めて、リガーレの髪は少し長いんだと気付いた。


「僕は戦争は嫌いだ」


 逆光になった暗い影の奥でリガーレが口を開いた。


「あの人たちが勝手に死ぬなら死ねばいい。興味もないし。でも戦争が起こったら、死ななくて済んだ人たちが死ぬ。戦争を起こしたお偉いさんたちは生き延びるんだ」


 淡々と言葉を途切れさせないように話す。

 何故だろう。リガーレが戦争を嫌っているという事実は、言葉以上に重く感じた。


「でも、僕が一番気味悪いと思ってるのはアンタだよ」


 鋭い眼光を向けられた。雲の隙間から覗く満月のような静かで強かな光。自然と背筋が伸びる。


「命が大事だから命を救ってもらったあの人たちに従ってる……のに」


 リガーレの声が微かに震えている。彼自身も気付いたのか、一度咳払いをした。


「人を殺す戦争に反対できないなんて、破綻してるよ。頭おかしい。洗脳されてるんだよ」


「リガーレ」


 ピシャリと低い声でマグナスが割り込んだ。恐らくは僕への罵倒を咎めるためだ。

 だけど僕は首を横に振る。いいんだ。僕が破綻していることは何も間違いではない。僕は未完成だ。だからこそ生き急ぐべきだ。

 でも。


「洗脳なんかされてないよ」


 助けてもらって、一緒に過ごして、人となりも少し見えてきた。

 ルーナが言ってた言葉。未来の子供達に理不尽な死を許したくない。きっとその言葉は本心だ。だから僕は与えられた情報から、掴みに行った関係から自分を組み立てていく。


「ルーナたちが間違ってるなら、リントをボコボコにしてルーナに怒鳴りつけてでも止めたい」


「出来るの?」


「出来るようになるさ。信じてもらったんだ。強くなれって言われたら、強くなるしかないじゃないか。僕が特別な出自なのも、きっとその為だ」


 自然と拳に力が込もった。

 世界を自分で見て聞いて考える。そうして行動してきたから転生者は特別だと言われているんだ。

 なら自分にだって出来る。諦めなければ何だって。出来るようになってやる。その一歩として、リガーレと話ができたのは良かった。

 戦争が嫌いだなんて正しいじゃないか。普通のことだ。無実の人に死んでほしくない。正義という概念が曖昧だとしても、その答えはきっと正義だと思う。

 黙るリガーレに笑いかける。


「君のこと、少しだけ分かった気がするよ」


「……そうかい。それは何よりだね」


「うん。リガーレって、マグナスと話す時は少し子供っぽくなるんだね」


 また不機嫌そうになるリガーレを見て、今度はマグナスが嬉しそうに笑った。














 魔力というものは感じることができる。そうマグナスは言った。

 声や人相のように人それぞれ特徴がある。強くてもそれらを感じ取ったり気配を抑えたりすることが苦手な人もいるそうだ。まさにリガーレがそうらしい。

 僕とリガーレが話してる間、村の中にいるなら感じ取れる程度の魔力放出を続けていたマグナスが、リントたちがこちらに向かっていると教えてくれた。


「すみません、何だか蚊帳の外に置いてしまったみたいで」


「気にするな」


 コンコンと義足で地面を叩く。


「リガーレにもいい刺激になっただろうし、何より君の考えは興味深い」


 マグナスは穏やかに言った。


「確かにあいつが好きそうだ」


 あいつが誰だか明言はしてもらえなかったが、きっとリントの事だろう。

 そうだったらいいな。期待されてるといいな。そう考えていると、丘を登ってくる二人の人影が見えた。


「……マグナス、僕ここに居なきゃ駄目?」


 リガーレは露骨に顔を顰めた。

 ルーナたちがここに向かっていると聞いてからずっと不機嫌を隠さないリガーレが言った。さっきから足元の石を蹴ったり歩き回ったりと落ち着きがない。


「駄目だ。俺たちとまだ行動したいなら知る必要がある。ラルムを見習え」


 丘を登ってくる人影が近づき、顔がはっきり見えるようになった。派手な髪色は遠くからでも目立つ。ルーナとリントだった

 ルーナは僕たちを見つけると、ぱっと表情を明るくした。そして軽く手を振ると、そのまま駆け足で丘を登ってくる。

 その姿だけで、少し重かったこの場の空気がふっと和らいだ。まるで花が咲いたみたいに場が明るくなる。


「ラルムくん、何事もなさそうで良かったです」


 僕の前まで来ると、辺りをぐるりと見渡した。


「ここは景色がいいですね。リガーレくんにも会えたようで良かったです。それに、マグナスさんも」


 ルーナがマグナスを見る。華やかな美少女に屈強な大男。こうして見ると、リントよりも騎士っぽく見えてしまう。

 マグナスは片膝をつき、頭を垂れた。


「貴女も無事で良かった。これでようやく王国奪還の希望が見えます」


 その様子を横目で見ながら、リガーレが小さく舌打ちする。石をまた一つ蹴り飛ばした。


「そんなに畏まらないでください。今は一介の小娘ですから。……それよりもその脚……」


「クーデターの際、土産にくれてやりました。まだまだ鍛錬が足りなかったようです」


 マグナスが義足を叩いた。甲高く小気味いい音が響く。


「相手が相手だ、よく生き延びた」


 僕たちの後ろから声がかかった。リントも追いついたようだ。彼の雰囲気に似合わない柔らかい笑みを浮かべている。リガーレといいリントといい、マグナスには妙な信頼が集まっている気がした。


「この前は大して話せなかったからな。互いに命あって何よりだ」


「暴れて悪かった。他の奴らは?」


「……ミカゲとレイジが死んだ。あとの二人は生きてる」


「そうか」


 舌打ちでもしたそうにリントは首を少し揺らした。


「良い知らせと悪い知らせがある」


 面倒事を運んできた顔で言った。


「西に軍事拠点があったろ。そこの軍はクーデターに関わっていなかったが、新王政に従わないらしい。内紛だ。味方は他にもいる」


「悪い知らせは?」


 マグナスがリントを見下ろす。リントはマグナスを見ず、視線をリガーレに向けた。


「この村が疑われている可能性が高い」


 いつの間にか周囲の子供達の声は聞こえなくなっていた。塔で陽光が遮られ、吹き付ける風が少し寒い。

 少しの間だけ忘れていた緊張感が、また戻ってきた。

誰かに嘲笑われたみたいに、心臓が早鐘を打ち始めた。

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