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王と龍と転生者  作者: タチバナ マキ
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第4話 不穏の正体

 朝の空気は冷たかったが、焼け焦げた匂いだけはいつまでも残っていた。

 土を踏みしめる音がやけに響く。村のあちこちで崩れかけた家屋を直す音、瓦礫を運ぶ掛け声が交じり合い、どこか歪なリズムを奏でていた。

 僕は木材を抱えたまま、半壊した家の前で立ち止まった。昨日、僕を避難所まで連れて行ってくれた男__カイルが、瓦礫を退かしながら、無言でこちらに手を振る。



「手伝います」



 自然とそう言っていた。カイルは小さく頷くと、土埃にまみれた額を拭って瓦礫の山に目をやった。朝の空気は冷たかったが、焼け焦げた匂いだけはいつまでも残っていた。

 土を踏みしめる音がやけに響く。村のあちこちで崩れかけた家屋を直す音、瓦礫を運ぶ掛け声が交じり合い、どこか歪なリズムを奏でていた。


 僕たちが昨日の魔獣を撃退した事実は、警備団の人間を初めとした一部の人間しか周知していない。村としては村民を安心させるために村の戦力が勝ち得た勝利と言うことにしたい。僕とリントは名誉が欲しいわけではない。昨晩、村長に()()()()()()にしてくれと頼まれた僕たちは、特に躊躇いもなく功績を譲った。

 カイルの目には、自分で自分の村を守れなかったことへの悔しさが滲んでいた。



「……昨日のこと、正直まだ現実味がないんだ」



「わかります。終わってから、やっと心が動く感じで」



「そう、それ。あの時は取りあえず動いてる感じでな。……なあ、あんたは、怖くなかったのか?」



 一瞬、答えに詰まった。

 怖くなかったといえば嘘になる。でも、怖いと感じている暇もなかった。あのときは――ただ、生きなきゃいけない、それだけだった。



「……正直、よくわかりません。今になって、体が重くて仕方ないです」


「だろうな」



 カイルはわずかに笑い、また瓦礫に手をかけた。その表情には、年齢相応の疲労と、わずかな希望が滲んでいた。僕も、その横で木材を積み上げていく。無心になって働くうちに、少しずつ、村の輪郭が戻ってきた気がした。


 ただ――



(リント……どこ行ったんだろう)



 朝、目覚めたときには、彼の姿はもうなかった。

 何も言わずに消えるのは、彼の癖だとわかっていた。けれど、今回は様子が違った。夜のうちに、誰にも気づかれずに動いていたようだった。魔物の襲撃、唐突すぎる大群。そして、あっけない終わり。



(何者かの影、か……)



 心にわずかな棘が残る。リントによると昨日の襲撃が自然発生的なものだとは考えられないらしい。それならば今彼は周辺の警戒にでも出ているのだろうか。

 それに__最後の大型魔獣が姿を消したことも気がかりだ。健が切られていた筈だからあんな時間で湖まで逃げられるとは考えにくい。だから誰かが魔獣を逃がしたか、使えないと判断して処分したか。


 木材の山がだいぶ小さくなってきた頃、カイルが腰を上げて大きく伸びをする。

 僕も手を止め、土埃のついた手を軽く払った。朝は涼しかったはずなのに熱がなかなか引かない。



「助かった。あんたがいなきゃ、まだ終わってなかったな」


「いえ、少しでも役に立ててよかったです」



 そう言うと、カイルは少し目を伏せて笑った。それは照れたようでもあり、どこか申し訳なさそうな表情でもあった。



「……本当はさ、俺たちだけで片付けるべきなんだよ。あんたらに助けてもらっておいて、勝手なこと言うようだけどな」



 そう言って彼は瓦礫に目を向ける。

 焼けた木材、崩れた壁、ひしゃげた家具。どれも、元は誰かの暮らしだったはずだ。



「でも、これは俺たちの村だから。守れなかったのは悔しい。でも、それでも……ここを立て直すのは、やっぱり俺たち自身でやらなきゃいけないんだと思う」



 それは、責任とか、正義とか、そういった言葉ではうまく言い表せないものだった。カイルの声には、ただ“当たり前のようにそう思っている”という、静かな確信が宿っていた。


 ――僕には、それが少しだけ眩しく思えた。









 夕暮れが村を朱に染めていた。

 炊き出しの列には、子どもから老人まで、煤けた顔の村人たちが並んでいる。僕もその一人だった。木の器に注がれた温かいスープの香りが、空っぽだった胃を刺激する。



「はい、次の人ー」



 布を三角巾のように頭に巻いた女性が、笑顔で器を手渡してくれる。礼を言って受け取ると、僕はそのまま端のほうへ移動し、炊き出しの鍋を見守る子どもたちを避けて腰を下ろした。

 スープの中には、何かの葉野菜と干し肉がいくつか。それでも、こうして食べ物があるだけありがたい。そう思える程度には、昨日の出来事は非日常だった。

 器から立ち上る湯気を見つめていると、不意に背後から影が差した。



「……遅かったな」



 その声に、反射的に顔を上げる。そこにいたのは、黒い外套の裾に土埃をつけた男――リントだった。



「おかえり。……無事でよかった」


「お前もな。だいぶ手伝ってたらしいな、復旧作業」



 リントはそう言いながら、僕の隣に腰を下ろした。彼の外套からは湿った森の匂いがかすかに漂う。調査に出ていたことは想像に難くない。



「村の外を見てきた。結論から言うと、やはりあの群れは操られていた可能性が高い」


「……やっぱり」



 思わず、器を見つめたまま、息を吐いた。

 あの時彼が感じた違和感――襲撃の規模、動き、そして終わり方。やはり人為的なものだったようだ。



「何か痕跡でも?」



 リントは言葉で返す代わりに腰の小袋から何かを取り出した。

 それは焦げついた金属片――小さな、(やじり)だった。



「魔獣の首筋から見つけた。これは一定の知性がない生き物を操る術式が組まれた鏃だ。こいつだけがかろうじて残ってた」



 僕はそれを見て、喉奥に冷たいものが流れるのを感じた。

 誰かが、意図的に――村を襲わせた。それも、魔獣を制御するような技術を持った誰かが。



「犯人の目的は?」


「今のところは不明だ。ただ、村を“試した”ような印象を受ける。どこまで耐えられるか、誰が動くか……観察でもしてるかのように、な」



 リントの声は低く、感情を抑えていたが、明らかに警戒心が滲んでいた。彼はよく周囲を見ている。僕は器の中を見つめながら、かすかに首を横に振った。



「それなら……まだ、終わってないってことだよね」


「ああ。今は一時の静けさだ。村を狙った理由も、標的がこの場所だけなのかもわからない。――これ以上犠牲を出さないためには、動くしかない」


「……わかった。次は、何をすればいい?」


「ひとまず今日は休め。明日村長と話す。警備の補強、調査の許可、あと……“転生者”に関する情報も集める」


「転生者……」



 その言葉に、僕は無意識に自分の掌を見た。

 まるでそれが、自分に関係しているかのように思えてしまったのは――気のせいだろうか。


 スープを飲み干した僕は椀を返し、住民の避難所になっている塔へ向かって歩き出した。リントも静かに僕の隣を歩く。



「……仮に、この村に立ち入りたい場合」



 リントがぼそっと呟いた。



「この村に不当な軍事介入をしたい場合、防御力が下がったこの村の警護という理由を付ければ容易くこの村に関与できる。それが建前を気にする立場の人間たちだった場合、昨日の襲撃はやはり必要な手順だっただろうな」



 不当な軍事介入。建前を気にする立場。それは……公の軍隊を意味しているのではないだろうか。



「それってリントたちの仲間なんじゃ……?」


「それも明日話す」



 短く返事をして、リントは目を閉じた。まるで、風の音を聞いているように静かだった。

 村を吹き抜ける夜風は冷たくて、でも、遠くから焚き火の匂いを運んできた。あたたかさがまだこの村に残っている証のようで、それが少しだけ救いだった。

 僕たちは並んで塔へ向かい、そして夜が深まっていく中、それぞれ眠りについた。









 翌朝──。

 塔の高窓から差し込む朝日が、淡く床を照らしていた。寝袋の中にこもっていた微かなぬくもりが、じわじわと陽の光に押し出されていく。

 昨夜の疲れがまだ残る体を引きずるように起こし、敷いていた毛布を丁寧に畳む。木の床の冷たさが、足の裏からじんわりと伝わってきた。


 扉を開けて外に出ると、村の朝はすでに始まっていた。破れた柵の修復、荷車に積まれた資材、遠くで鳴る木槌の音。土と煙と炊き出しの香りが混じり合い、まだ完全には戻らぬ日常の空気が村全体を包んでいた。

 リントと共に、村の中心にある詰所へと向かう。もともとは集会や祭事に使われていた小ぶりな石造りの建物で、今は臨時の指令所として昼夜を問わず緊張感のある声が飛び交っていた。

 扉前で比較的暇そうな男を捕まえると、どうやら僕たちのことを知っているらしい。案内された扉をくぐると、書類を前にした村長が顔を上げる。机の上にはろうそくの燃えかすと夜の痕跡が残り、その目の下には深い隈が刻まれていた。



「来てくれたか。……今回の件は、すまなかった。真相を知らぬ者たちに代わって、謝罪と感謝を」



 静かにかけられたその声には、疲労の色を滲ませながらも、気遣いと責任感が混じっていた。年老いてなお、背筋はしゃんと伸び、その眼差しは村を守る者のものだった。


 リントは静かに腰を下ろし、椅子の背に軽く体を預けた。その隣に僕も座る。詰所の中はまだ肌寒く、夜の名残のような重たい空気が残っている。



「俺はリント。社交辞令は省略しましょう。改めて確認したい。一昨夜、村を襲った魔獣たちについて」



 静かな口調ながら、村長の言葉には警戒と探りの色が滲んでいた。村長は軽く目を伏せる。机の端に寄せられた書類に手をやりながら、低い声で続けた。



「数の割に被害が抑えられたのは、君たちのおかげだ。……だが、あの規模で魔獣が動くのは異常だ。山越えの獣道も越えてきた形跡がなかった。いったい、どこから現れたのか……それがまだ掴めていない」



 リントは頷き、静かに言葉を継ぐ。



「魔獣の動きも気になります。狂暴で無秩序なようでいて、攻撃が集中していた場所がいくつかあった。防壁、貯蔵庫、民家……。それに、村を守る戦力である警備隊。偶然にしては出来すぎている」


「それは、私も気づいていた」



 村長の声に、一瞬だけ力が込もる。



「まるで、防御力が売りのこの村を丸裸にするような被害だ。この後何者かが攻めてくるのだとしたら、我々は何もできないだろう」



 外では、復旧作業の音が小さく響いていた。木を削る音、荷を運ぶ足音、壊れた柵の修復作業。日常を取り戻そうとする音が、詰所の中にかすかに入り込んでくる。



「魔獣にしては、狙いが賢すぎる」



 リントがぽつりと呟く。



「それが気にかかっています。魔獣は本来、群れで動くとしても、こんなふうに“目的を持って”村を襲うことはまずない」


「……私も同感だ」



 村長は目を瞑り、息を吐くように小さくリントの考えを肯定した。何故自分たちの村がこんな目に遭わなければならないのか。憂うような表情だ。

 村長も、何者かの計画的な襲撃であることには気が付いていたのだろう。ここまでの話はまるで報告と言うよりも確認に近かった。



「だとすれば、狙いは?」



 リントが問うたのは、自分にも問いかけているような慎重な声音だった。

 村長は黙ったまま視線を落とし、しばしの沈黙のあと、机の引き出しに手を伸ばす。取り出したのは古びた革の帳面。表紙には無地の紙が貼られ、そこに一文字も記されていなかった。



「君たちに話すべきか迷っていた。だが、一昨日の出来事でもはや隠しておく意味はないと思った」



 帳面をそっと開いた村長の指が、ある頁の一文をなぞる。



「──この村には、塔に眠る”転生者”がいる」



 空気が静かに凍る。リントの目がわずかに細められ、僕は反射的に息を呑んでいた。



「数十年前、この村に瀕死の状態で現れた者がいた。名前も、出自も、年齢さえ分からなかった。ただひとつわかっていたのは──その者が、“転生者”と呼ばれる存在であったこと」



 村長はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 声には動揺も誇張もなく、ただ過去の事実を並べているだけだった。それが、逆にこの話の重みを際立たせていた。



「村は男を保護した。男は義理堅く、以来、男は村の危機に対して戦うようになった。しかし彼の力はそう振るえるものではないらしく、平時には長い眠りについている。今も尚、あの塔に」



 リントの視線が鋭く塔の方向へ向けられる。僕の頭にも、初めてこの村に来たときに見た、親のようにこの村を見下ろす塔の迫力が蘇った。



「今回の件が彼を狙ったものだとは断定できない。しかし最近革命でこの国の王が代わったと聞いた。それも軍国主義の。そんな軍隊が世界の命運に関わると言われている”転生者”を求めるのは合点のいくところだ」



 村長の話が終わったあと、詰所の中にしばし沈黙が落ちた。誰もが誰かの次の言葉を待っているよな気がした。そんな張り詰めた空気の沈黙。

 やがて、リントが椅子に背を預けたまま、静かに口を開いた。



「……一つ、こちらからも話しておくべきことがあります」



 その声音にはいつもの冷静さがあったが、わずかに何かを選ぶような間が挟まれていた。



「俺たちは、もともと王国に属していた者です。けれど今は、追われる立場にある。……高貴な血の少女と、それに仕える者として」



 村長の眉がぴくりと動く。リントの言葉が、重く静かに詰所の空気に沈んでいく。



「当然理由がある。王の座が入れ替わった。あの国を軍事で塗りつぶそうとする、力だけを信じる政権に。新王に従う者たちは、前王に仕えていた人間を次々と粛清している。俺たちもその対象です」



 机の上に広げられた帳面が、無言のままその場に在り続けている。リントは少しだけ視線を伏せてから、また村長を見た。



「今回、村を守るために戦ったのは……ただ、この村を失えば、我々が隠れて生活するための要がなくなるからだ。かつて交通の要所として栄え、その名残を未だ残すこの村は我々にはとても都合が良い。暫くここに身を潜めるには、村が潰されるわけにはいかなかった。……それだけです」



 リントの口調に偽りや虚勢はなかった。どこまでも率直で、むしろそれが潔さとして響く。

 村長は、その言葉を静かに受け止めているようだった。反論するでも、驚くでもなく、ただ目を細めて微かに頷いた。

 その沈黙の中で、リントがふと視線を外へ向ける。



「一昨日の襲撃。あれは本当に塔の”転生者”を狙ったものだったのでしょうか」



 その声色には、慎重な探りと、微かに憂いが混じっていた。



「魔獣の動き、狙いの正確さ。それらを統制していた何者かがいるとすれば──その目的が、必ずしも“塔”とは限らない可能性がある。……俺たち自身が狙われたという線も、捨てきれない」



 その言葉に、村長の眉がまた少しだけ動く。帳面に置かれた手が、わずかに握られた。



「つまり……君たちを追って、ここまで何者かが来た可能性がある、と?」


「可能性と言われると決して否定できません。そしてその可能性は低くない」



 リントは回りくどくそう言った。その瞳には、わずかに迷いがあった。だが、怯えではない。状況を把握し、冷静に危機を測る騎士のそれだった。



「もちろん確証はない。けれど、敵の動きには“目的”があった。俺たちがここにいたことと村が襲われたこと__その因果がゼロではない以上、この村の襲撃はおそらく止まらない」



 その言葉の意味を、村長はすぐに理解したのだろう。ふっと息を吐くと、目の前の帳面を閉じる。そして、椅子に深く腰を沈めて、重く言葉を紡いだ。



「……君たちがこの村に来た理由も、今の国の事情も理解した。だが……仮にそうだったとしても、この村は塔に眠る者を守る責任がある。敵が誰であれ、それを揺るがすわけにはいかん」


「わかっています。俺たちはそれを尊重する」



 リントが穏やかに応じる。



「けれど、もし敵の狙いがこの村と俺たちの両方にあるとしたら……次は、もっと大きなものが来るかもしれない」



 静かな詰所の中で、再び外から作業の音が響いた。壊れた柵の修理、資材を運ぶ足音、この人々が必死に生きようとする営みが、いつ壊されるとも限らない儚さを帯びて聞こえていた。

 リントは机の上に軽く視線を落としながら、最後に言った。



「……だからこそ、話しておきたかったんです。俺たちのことも、村のことも。敵が何を狙ってくるにせよ、何が起こっても後悔しないように」



 村長は目を閉じ、頷く。深く息を吐いた。躊躇い、迷い、そして覚悟を決めたように。村長は徐に口を開いた。



「君たちはこれからどうするのかね」


「我々としては一時この村を出たいと考えています。敵の目的である可能性が分散すれば、敵の攻撃もどちらかに偏る可能性もある。それが俺たちであった場合、もうこの村には足を運びません」


「塔の”転生者”が狙われていた場合は?」


「その都度俺たちを言い値で使っていただいて結構」



 村長とリントの視線が交差する。互いを値踏みするような、いや、相手に何をさせるのが最も自分たちにとって有益なのかを見極めているような鋭い視線。決して譲れないものがある男たちの心を映し出しているようだ。

 しかしすぐにこの緊張状態も終わる。村長が諦めたようにふっと息を吐いた。



「まったく、商売根性逞しい。この村の商人に欲しいくらいだ」



 今までにはなかった柔らかさを含んだその声色に、場の空気が一瞬で緩和したのがわかった。リントに相変わらず変化は見られないが、自分でもわかるくらい、僕は安堵から肩が揺れた。

 空気が緩んだのも束の間、村長は再び机の前で姿勢を正した。そして、ゆっくりとこちらを向く。



「……ところで、君は?」



 その声が自分に向けられたものだと気づくまでに、少し時間がかかった。リントが隣で静かにこちらを見ている。詰所の中で、急に自分だけが見られているような錯覚に包まれ、僕はわずかに身体を強張らせた。



「君の名をまだ聞いていなかったな。君も彼と同じ境遇なのかね?」



  村長の目は、柔らかくも鋭い。相手を試すのではなく、ただ真実を知ろうとしている眼差しだった。その視線を前にして僕は自然と背筋を伸ばし、口を開いた。



「ら、ラルムと言います。僕は……」



 言い淀む。僕は僕について知っていることを全て話して良いのだろうか。それがどんな影響を及ぼすのか自分自身で理解していない。助け船を求めるつもりでリントに視線を送った。

 しかし、リントは何も答えてくれようとはしない。ただ僕の言葉を待っているだけであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 それがわかったとき、僕の中にあった甘えは霧散した。


 僕自身が、自分の存在をどう扱うのか。

 それはきっと、他の誰にも決められない。たとえ過去の記憶が欠けていようとも、いまここに立っている「僕」は、間違いなく自分の意思で動いている。その重みから逃げてはいけない──


 心の中で、わずかに呼吸を整える。



「……僕は、”転生者”と呼ばれる人間らしいです」



____________



 壊れた防壁の隙間から吹き込む風が、容赦なく前髪を掻き上げた。


 詰所を出た僕は、生き生きとした慌ただしさから離れた場所にひとり身を置いていた。リントはあの後も詰所に残り、村長と細かな話を続けていた。村の防衛、補給路、塔との関係、そして“転生者”という存在について。

 今の自分がそこに混じっても邪魔になるだけだ。それに、一昨夜僕たちが守っただけじゃない、今まさに大勢の人たちの手によって守られているこの村をもっと知りたかった。

 村は落ち着いた空気に包まれていた。木造の家々の間には小さな畑が点在し、風に流される雲がのどかさを際立たせている。井戸の前で水を汲む老婦人、干し草を運ぶ少年──みんな日々を生きている。


 そんな風景の中に、自分が混ざれるのだろうか。



「こんにちは。お兄さん」



 驚くほど近くから声がかけられた。命の危機に鋭く反応する直感もすり抜けて、彼は肩でも組むかのような距離に立っていた。

 ……正直そろそろ現れるのではないかと思っていた。だからこそまだ話し合いを続けるリントたちを置いて一人で外に出てきたのだ。



「こんにちは。わざわざ会いに来てくれたんだね」


「うん。お兄さんとはまだ話がしたくて」



 少年の口角が少し上がった。だが何故だろう、笑っているようには全く見えない。

 僕もまた、自然な笑顔になるように意識して表情を作っていた。今こうして当たり前のように会話をしていても、心の中では彼の一挙手一投足に気を配っている。

 一昨日の魔物襲撃。その背後の存在が彼である可能性がまだ否定できないからだ。

 少年は軽く首を傾げ、塔の影を背負ったまま僕を見上げていた。黒曜石のような瞳が、笑っているのか試しているのか、判断を難しくさせる。



「一昨日の夜は……なかなか、面白い光景だったよ」



 その言い方は、まるで舞台の観客のようだ。だが、どこかで舞台裏も知っている者の響きが混じっていた。

 僕は心の奥で疑念を押し殺す。やはりこの少年があの襲撃に一枚噛んでいるのではないか、疑念が更に強まる。それを悟られないよう、呼吸を整えた。



「……あんまり面白いって表現は似合わない出来事だったと思うけど」


「そうかな。僕にとっては、確かめたいことがいくつかあったんだ。結果は……うん、悪くない」



 言葉の意味を測りかねて眉を寄せると、少年は小さく笑った。不思議なことに、その笑みには悪意よりも安堵の色が混じっているように見えた。



「お兄さんは楽しくなかっただろうね。慣れていない戦場に引っ張り出されたんだから」


「……見てたんだ」


「そりゃあ勿論」


「あんな経験はもうこりごりだよ。それにこの村もこれ以上傷付いて欲しくない」


「それはどうだろうね。そう願ったって、この村は色んなものを引き寄せるから。人も、トラブルも。お兄さんや僕もその内だ」



 あえて僕が聞き流しても、彼は次々と含みのあることを言う。まるで自分を怪しませたいかのようにすら感じてしまう。

 この少年は間違いなく何かしらの事情を知っている。そしてそれを話す気はないらしい。だからといって明確な敵意があるわけでもない、何とも不気味で掴み所がない。



「君は長くここにいるの?」


「そうでもないよ。でも……この村は嫌いじゃない。特に朝は、空気が澄んでいて」



 彼は村を見やり、畑の間を歩く村人や、井戸端で笑い合う声に視線を落とす。その横顔は、敵意どころかどこか守る者の表情に似ていた。



「そういえば、お兄さんはどうしてこの村に?」


「……旅の途中で立ち寄った。それだけだよ」


「ふぅん……でも、剣を振るう姿は旅人って感じじゃなかった。装備も護身用とは思えないしね」



 不意に核心を突くようなことを言われ、僕は心の中で身構える。魔獣の襲撃のとき、あの場にいたのは偶然じゃない__そう思っているのかもしれない。



「偶然手を貸しただけだよ」


「偶然ねぇ……まあ、偶然が続くと、それはもう役目って呼ぶのかもしれないけど」



 少年は肩をすくめ、また視線を村へと戻した。柔らかな笑みと、底の見えない声色。どこまでが本音なのか測れない。



「……君の人生は楽しいのかい?」


「は?」


「何だか君は役割を持つことに拘ってる気がしてね。初めて会ったときもそんなことを言ってたよね?」



 少年は少し瞬きをして、面倒臭そうに溜め息を吐いた。まるでこちらに失望するかのような感じだ。もしかしたら言ってはいけないことを言ってしまったのかも知れない。僕が謝るべきか悩んでいると、彼は徐に口を開いた。



「楽しいかどうかなんて考えたことないよ。将来楽しく生きるために今はやるべきことやってるのさ」


「……やるべきこと、か」


「そう。迷うくらいなら、情報を集めるか、動くか。そのどっちかで前に進めばいい」



 言い切る声は静かで温度がない。忠告とも励ましともつかない、ただの事実の羅列。

 その無感情さが、逆に胸の奥を突く。



「じゃあ、一つ情報が欲しい」


「何?」


「君の名前を聞きたい」



 少年はわずかに視線を逸らし、短く息を吐いた。



「意味ないって、前にも言った」


「意味があるかないかは、自分で決めたいんだ。これから自分が何をするのかを決めるために、今は少しでも多く知っておきたい。……君は、どう思う?」



 風が僕たち二人の間を抜け、木の葉が足元を転がった。少年はその音を追うように視線を落とし、しばし沈黙する。



「……リガーレ。それが僕の名前」



 その声音には、感情らしいものは何一つ乗っていなかった。まるで、ただの記号を口にしただけのように。

 声には特別な感情の色はなく、名乗ったことすら義務的に済ませたような淡白さがあった。名を告げた本人ですら、それを重く受け止めてはいないのだろう。リガーレは短くそう言っただけで、もう用は済んだと言わんばかりに再び空へと視線を返した。

 その横顔に特別な色はない。名乗ることすら義務のひとつのように、機械的に終えた__そんな淡白さがあった。

 けれど、僕は口元をわずかに緩めた。言葉を交わすことで見えるものが、少しだけ増えた気がしたからだ。



「……じゃあ、リガーレ。君はこれから、何をする?」



 問いかけに、彼はわずかに肩をすくめただけだった。答えを探す間すらなく、即答に近い調子で返す。



「やるべきことをやる。それだけ」



 風が吹き抜け、会話はそこで途切れた。リガーレはまるで会話がもう終わったとでもいうように、村の奥へと歩き出す。その背中は距離の割に遠く、追いかけても届かないように思えた。


 風に押されるように歩いていくリガーレの背を目で追っていると、彼はふと足を止めた。

 目線の先には、井戸端で桶を抱えた小さな少女。足元には転がった別の桶がある。拾おうとして踏み出した少女は、縁に近づきすぎてしまっていた。


 僕が反射的に踏み出そうとした瞬間__リガーレの指先が、ほとんど見えない速さで動いた。

 かすかな風切り音の後、少女の足元の石が転がり、彼女ははっとして後ずさる。落ちかけていた桶はまるで逆らうように坂を上り、リガーレの足元で止まった。



「……これ、落としたよ」



 彼は何でもない調子で桶を拾い、少女へ放る。少女は両手でそれを受け止め、小さく礼を言って駆けていった。リガーレは少女の背を見送るでもなく空へと視線を戻した。

 あの迷いのない救いが、今の無関心な横顔とどうしても結びつかない。

 助けたことを誇ることもない。ただ風が吹いて石が転がるような、自然な出来事として終わらせてしまう。

 助けたことに理由も感情もないように見えるのに。その一瞬の行動は、妙に目を離せない力を持っていた。


 遠くに視線を投げる彼の瞳は、何かを探しているようでもあり、ただ景色を眺めているだけのようでもある。黒曜石のように揺らぎのないその目に、僕は小さなざわめきを覚えた。


 その時だった。

 背後から砂利を踏む軽快な足音が近づいてきた。僕には聞き覚えのある、一定のリズムを刻む足音。



「ラルム」



 声の主はやはりリントだった。その手には、今までどこに保管していたのか、この村に訪れたときに僕たちが持っていた背負子とバッグがあった。


 その瞬間、背後から圧が走った。

 恐らくリガーレからだ。ほんの一瞬で、まるで突き刺すような鋭さを帯びていた。思わず振り返ったが、彼の表情には何の変化もない。ただ、その瞳だけがリントに釘付けになっていた。



「こんな所にいたのか。さっき話した通り一度村を出るぞ。用意しろ」


「……ああ、うん」



 無造作にこちらに差し出された背負子を受け取りながら、思わずそんな気のない返事が出てしまった。リントはそれを気にも留めず、僕が背負子を受け取ったのを確認するとすぐに背を向けた。



「ねえリント」


「何だ」


「……僕だけこの村に残るのって駄目かな」


「は?」



 振り返ったリントの顔は、あからさまに面倒そうだった。



「何でそうなる」


「僕、まだできることも少ないし、知ってることも少ない。だから、少しでもこの村で見識を広めたいんだ。今後どうに身を振るのかを考えるためにも無駄にはならないと思うんだけど」


「お前が一人で残って何ができる。一昨日のレベルの襲撃が来たら死ぬだけだ。それとも仲良くなったそこの子供に加勢して貰おうとでも考えているのか?」


「え?」



 その瞬間、背中に強い圧が突き刺さる。

 リガーレだ、と直感した。思わず呼吸を止めた僕とリガーレの間に、リントが一歩踏み込む。



「で、お前は何者だ?」



 低い声。



「ただの村人にしては異様な雰囲気だ。だが敵の密偵とも思えない……その雑な魔力の抑え方じゃな」



 リガーレは答えない。沈黙のまま、わずかに首を傾けてリントを見上げる。その瞳は澄んでいて、しかし底がまったく見えない。



「……さあ、何者だと思う?」



 低く、感情の起伏を感じさせない声。挑発でもなく、純粋な問いのように響く。

 リントの眉が一瞬だけわずかに動いた。



「答える気はないってことか」


「君に教える理由がないだけ」



 リガーレは視線を切り、空に流れる雲を追った。



「僕は僕のやるべきことをしてる。それだけだよ」



 掴み所がなく、だけど迷いもないそののらりくらりとした言葉にリントはひとつ息を吐いた。

 そして次の瞬間、マントを翻す。鋼が鞘から抜ける鋭い音が、空気を裂いた。



「えっ、ちょ、リント!?」


「答えろ、これは命令だ。今この村に存在する不安分子は全て斬る」



 その声は低く、凍り付くように冷たい。片手で小さく構えられた刃先が、リガーレの喉元を指した。


 刃先がわずかに揺れた。風が通り抜ける音が、不自然なほど鮮明に耳に残る。


 リガーレは動かない。

 冷たい鋼が喉元を捉えても、その黒曜石の瞳に怯えの色はひとつもない。そこには測れない距離感があった。リントの姿を見ているはずなのに、視線の奥はもっと遠く__誰にも触れられない場所を見ている。


「……その剣、振るう理由は?」



 静かな声だった。小さく、けれどはっきりと届く声。



「理由なら、十分にある」



 リントの声は切っ先よりも鋭く、容赦がなかった。



「この村に余計な火種はいらない。お前が何者で、何を背負っていようが……危険だと判断すれば、その時点で終わりだ」



 言葉の最後と同時に、剣がさらに近づく。空気が張り詰め、僕の喉はひどく渇いた。



「やめてよ、リント……!」



 思わず間に割って入ろうと一歩踏み出すが、リントの左手がわずかに横へ伸び、僕の動きを制した。その視線は一瞬もリガーレから外れない。


 リガーレはほんの僅かに瞬きをし、それから口元を緩めた。笑み……というより、呆れに近い何かだった。



「……火種、ね」



 その呟きは、風に乗って消えてしまいそうなほど淡い。



「だったら――燃え広がる前に風で消せばいい」



 言葉が終わると同時に、空気が揺らいだ。

 それは錯覚ではない。肌を撫でる風の流れが、ひと呼吸の間に変わったのがはっきりとわかる。足元の砂利が微かに転がり、井戸端の桶の水面が波打った。


 リントの眉がわずかに動く。

 剣先はまだリガーレの喉元を指していたが、剣の柄を握り直したのが僕にはわかった。



「……やはり、ただの子供じゃないな」



 低い声が、確信を滲ませていた。

 僕は息を呑んだ。この二人の間に漂う空気は、互いの力を測り合う前触れのようだった。



「命令、ね」



 風がふわりとリガーレの足元を撫でる。


 次の瞬間、リントが踏み込む。剣先が弧を描き、肩口に目がけて振り下ろされる__だがそれは空を切った。

 リガーレの体が風に押されたように後方へ滑り、間合いを外していた。


「……風魔法?」



 リントの目がわずかに細まる。その声は彼と出会ったこの数日で初めて聞いた、純粋な驚きのみに染まったものだった。

 しかしリントはすぐさま体勢を整えると、片手を軽く払った。空気中の水分が凝縮し、体の周囲に白い霜が張り付く。


 次の瞬間、踏み込みと同時に氷の衝撃波が放たれ、地面を白く染めながらリガーレに迫る。

 リガーレは即座に両手を広げ、突風でその冷気を押し返す。だが押し返した瞬間には、もうリントの影が眼前に迫っていた。



「速い……!」



 咄嗟に身を捻って躱すが、刃先が肩口の布をかすめ、服の繊維が一瞬で切れる音が耳に残る。

 リントが微かに口角を上げる。



「なるほど、悪くない反応だ。だが」



 低く呟き、今度は剣先から炎が迸る。燃え上がる熱風が押し寄せ、リガーレの髪を焼く寸前で彼はまた風を巻き起こした。

 それでも、押し返すたびにわずかな後退を強いられる。その差は歴然だった。

 呼吸ひとつ乱さず、リントは淡々と間合いを詰め続ける。


 その瞬間、足元から低い唸りが響いた。

 地面がかすかに震え、二人の間に走った地面の割れ目から淡い光が迸る。



「……っ!」



 リントが一歩引き、リガーレも反射的に距離を取る。


 轟音と共に、土煙を上げて地面が盛り上がり、何本もの岩の柱が二人の間を分断した。

 その直後。カン、カン、と乾いた金属音が静寂の中に響き始める。一歩ごとに石畳を叩くその音は、確かな重みを持ち、妙に耳に残る。


 土煙の向こうから現れたのは、背の高い岩のような男だった。

 左足に嵌められた金属の義足が、歩みのたびに鈍く光る。



「__そのくらいにしておけ」



 リントは剣をわずかに下げる。



「……マグナス」



 低く響く声とともに、義足が最後に一度だけカンと音を立てて止まった。


 リントは剣を下ろすと、じっとその男を見据えた。

 僕にはただの無口な対峙にしか見えなかったが、二人の間には言葉にできない何かが流れているように思えた。互いに一言も発さないまま、視線だけを交わす。

 空気が張り詰めたまま動かないその時間に、僕だけが取り残されたような感覚を覚えた。


 義足の男__マグナスと呼ばれたその人物はわずかに視線を落とし、土煙の奥のリガーレにも目をやった。

 だが、その表情からは何も読み取れない。ただ、地面を揺らしたあの魔法が、彼の一言とともに場の空気を完全に制していた。


 リントは、ゆっくりと剣を鞘に収める。

 その横顔は相変わらず冷静だったが、ほんの一瞬だけ目の奥が揺れた気がした。

 __知り合いなのか? いや、そんなこと、僕には分からない。


 マグナスもまた、僕の存在など気にも留めず、静かにリントへ向かって歩み寄る。義足の金属が、石畳を一定の間隔で叩く音だけが響く。

 その音が、何故か胸の奥に重く残った。



「……状況が変わったな」



 誰に向けたのかもわからないその言葉を最後に、四人の間に再び沈黙が落ちた。

 ただ、さっきまでの張り詰めた空気はもう別の色を帯びている。

 それが警戒なのか、信頼なのか、僕にはまだ判断できなかった。


 けれど__この場で、何か大きな流れが変わったのだけは確かだった。

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