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王と龍と転生者  作者: タチバナ マキ
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第2話 嵐の予兆

 真っ暗な世界に、ただ一人だ。体の感覚がない。今僕が立っているのか座っているのか倒れているのか、それも分からない。

 虚空を見つめていると、視界の端が段々と紅く染まり始めていることに気が付いた。いや、違う。紅く染まり始めたんじゃない、初めから紅かったんだ。あまりにも()()が近すぎて真っ暗に見えていただけだ。



『君で最後だ』



 声が聞こえたわけじゃない。まるで脳に直接語りかけられたかのような感覚。そもそも五感が働いているのかも分からないのだから、そんなこと関係ないが。

 ただそこにあるだけだった僕の意識が浮上していく。視界が上から白み始め指の端から感覚が戻り始める。



『また会おう』



 その声に押し上げられるように、瞼が開く__。



___________



 ぼんやりと開いた瞼。真っ先に見えたのは木製の慣れない天井だった。背中には硬い感触、遅れて木材の匂いが鼻を突いた。



「——ああ、そっか。ここはルーナたちの家か……」




 体を起こすと、今僕がいる質素な部屋が目に入った。急にやってきた僕に余っている部屋が割り振られ、必要に応じて家具を増やしていくからと昨晩は床に毛布を敷いて寝たんだったか。

 腕を伸ばしながら立ち上がり、ドアに向かって歩き出す。歩く度にギシギシと鳴る床が人の手作りの暖かさを演出する。


 扉を開けると、見知った背中がそこにあった。


 リントは頬を撫でるような風を受けながら、ツリーハウスのテラスに腰掛けていた。朝日が森の葉を通して差し込み、あたたかい光の斑点が彼の蒼い髪に揺れていた。



「リント、起きてたんだ」



「当たり前だ。誰が周辺の見張りをしていると思ってる」



 こちらを一瞥もせずそう言い放ったリントは、徹夜で見張りをしていたのだろうか、しかしそんな疲れは一切見せずに階下を眺めている。




 ここは大きな森の奥深く。形成された大きなギャップの真ん中に残ってそびえ立っている大きな木に建てられたツリーハウス。ルーナたちに懸賞金がかけられてすぐに住まいとして作ったらしい。ダイニング、ルーナの部屋、リントの部屋より上の四階に僕の部屋は割り振られた。

 四階の時点で既に周囲の木々より高い場所にある。ハウスは上手く葉で隠しているが隙間から見える範囲でも十二分に楽しめる景色だ。

 遠く、視界が霞む寸前まで続く鬱蒼と茂った深緑の森。そして昨日見た、霞みながらもその圧倒的な存在感を隠しきれない大きな山脈。何度見ても感銘を受けるものだ。



「綺麗だね。僕の元いた世界ではこんな景色そうそう見られなかった気がするよ」


「ここだって十分辺境の地だからな」



 僕の感想に興味無さげに相槌を打ったリントが階段を降りていく。慌てて僕もその後を追った。



「ルーナは? まだ寝てるの?」


「とっくに起きて川に水浴びに行った。覗きに行こうなんて考えるなよ」


「しないよ……あ、水と言えばさ、君の魔法だよ、リント!」



 突然大声を出した僕に訝しむように目を向けるリント。僕はその視線を無視して言葉を続けた。



「君の魔法、回復だけじゃなかったんだね、氷出したり。ルーナもバリアみたいなの使ってたりしてたよね? 魔法ってものすごく一般的なものだったりするの?」



 昨日の戦闘の際、大きな氷の壁を生み出したリントに敵の攻撃をバリアで防いだルーナ。傍から見ても凄まじい力で顕現したあの魔法はどのくらい常識なのか。新参者の僕にはそれすらも分からない。

 『魔法』というワードにワクワクを隠せない僕の様子に呆れたような顔に切り替えたリントは、ため息混じりに面倒臭そうにも口を開いた。



「魔法は魔法でも色々ある。人間と言ってもお前やルーナ様がいるのと同じだ。魔術師の魔力の性質、組み合わせ、発想、鍛錬。それらが複雑に絡み合う事で魔術師は歴史上その唯一性を失うことはなかった」


「へぇ〜。僕も使えるかな?」


「知らん。全ての生き物が持つ魔力とは、鍛錬を経てようやく世界に干渉する現象となる。使えるかどうかはお前次第だ」



 要は練習すれば大体皆使えるし、オリジナル要素もあるぞ、と言う事だ。もう少し要約してくれたって良いじゃないかと思いながら彼の背中を追って地上まで降りた。


 一階の部屋は主にダイニングとして使われており、結構大きめのスペースが確保されている。驚くべきは設備の充実さで、キッチンやトイレまで揃っているという急拵えとは思えないほどの贅沢っぷりだ。

 リント曰く「ルーナ様が使う場所だ。当たり前だ」らしい。



「顔でも洗ってこい。ルーナ様が戻って来たら朝食にする」


「はーい」



 リントに促されて外に出て井戸へ向かう。井戸まで掘ったのかと思ったが、これは魔法を使って水を出しているらしい。

 桶で組み上げた水を手で掬い、顔に打ち付けるようにかける。冷たい水が首筋を伝っていく感触が寝起きの感覚を研ぎ澄ましていくようだ。


 顔を洗い終わったところでタオルがないことに気付いた。仕方ないので頭をブルブルと振っていると木々の間からこちらへ歩いてくる人影が見えた。

 モデル顔負けのスタイルに、目を引くマゼンタの美しい髪。遠くからでもその顔は満面の笑みに飾られているのが分かる。ルーナだ。



「おはようございます! ラルムくん! 昨日はよく眠れましたか?」


「おはようルーナ。お陰様で疲れがとれたよ」



 駆け寄ってくる彼女と挨拶を交わし、笑顔を交換する。まるで昨日の死闘が嘘のような爽やかさだが、あれはきっと追われる身としての日常なのかもしれない。

 少し湿った髪の毛を靡かせて歩くルーナの後ろに着いて歩く。彼女が小屋に入るのに続くと、中からは既にいい匂いが漂っていて、ルーナと一緒に鼻を鳴らしていると同時にお盆に料理を乗せたリントがキッチン奥から現れた。



「ルーナ様、丁度朝食が出来上がりました。出来合いの物を温めるだけでしたが」


「ありがとうリント。じゃあ早速皆で朝食といきましょう!」



 楽しそうに席に着いたルーナのその一言で、僕はこの世界で初めての朝食に舌鼓を打つのだった。













「荷物は持ったか? 出発するぞ」



 背負子に信じられないような量の薪を積んだリントが平然な顔をして僕に声をかけてきた。リュックの大きさの革鞄に魔物の骨や皮等の素材入れて背負った僕は軽く返事を返す。



「持ったけど……そんなに薪持って行く必要あるの?」


「一度に多く持って行った方が効率的だろ。人の心配より自分の心配してろ。ここから村まではかなり離れてるからな」



 そう、僕たちはこの荷物をここから一番近くの村まで運んで売り、日々の生活費に充てるのだ。いつもはルーナより比較的懸賞金が低く、自衛に信頼があるリントが行っていたらしいが、今回は世間知らずの僕に色々経験させる目的も兼ねているらしい。


 歩き出したリントの後ろを追う前に二階の部屋を見上げる。ルーナの部屋だ。彼女は一応世間を知るための旅なのでこういう時間の多くは勉強に費やしているらしい。彼女が政治を行ったらすぐにでも名君になれそうではあるが、政治とはそう簡単なものではない。



「おい、何やってるんだ。早くしろ」



 呆けた僕の背中にリントから催促の声がかけられた。慌ててギャップの境目まで進んでいた彼を追うように駆け足で近寄る。

ガチャガチャと袋の中で揺れる荷物を感じながら「お待たせ」と視線を送ると、彼は特に返事をするでもなく歩みを進め始めた。……ほとんど道も無いに等しい、藪の中へと。



「え、そこ通るの?」


「こっち側にはまともな道がないんだ。回り道すればとにかく遠回りになる」



 足を止めることも振り返ることもせずそう言ったリントは既にその半身を藪に沈ませ、体が陰に飲み込まれる程度に進んでいる。彼を言いくるめることは不可能だ。そう判断した僕は袋を背負い直し、森の中へと歩き出した。


 慣れた彼には見える獣道でもあるのか、視界の殆どを草木で覆われているような森の中を迷うことなくずんずん進んでいく。少しでも視線を外せば見失いそうになる彼の背を追い、しばらく彼が作り出した道を必死に歩いていた。


 どのくらい歩いていたのかもわからない。ただ、同じような景色を何度も何度も見送って数十分、だんだんと木の密度が緩み、歩きやすくなったタイミングで彼が歩きながら声をかけてきた。



「朝の話の続きだが」



 一瞬何の話かわからなかった僕は歩みを止め、すぐに思い至った。



「ああ、魔法の話ね。鍛えれば誰でも使えるって話だったよね?」


「誰でもじゃない。昨日戦った相手の頭領は魔力に好かれていなかったから、使えても基礎的なものだろうな」


「魔力に好き嫌いあるの?」


「火は湿ったところでは起きにくい。水は平らなところでは力強く流れない。同じく自然に溢れる魔力もそれらと同じだ」


「わかりにく……」


「魔力にも適した場所や状態があるってことだ。魔法の種類に適した才能が無ければ話にならない」


「魔法に種類があるの?」



 僕のその疑問にリントは初めて足を止めた。汗一つかかず涼しい顔で振り向いたリントはそっと右手をかざし__上に向けられた掌の上に拳ほどの大きさの水の塊が現れた。



「おお」


「これが水属性魔法。水を操り、極めれば氷になる」



 リントの言葉に呼応するように水の塊がパキン、と鋭い音を立てて凍った。それに目を奪われていると氷は瞬時に水に戻り蒸発、何もなくなった掌の上に突然炎が上がる。



「これが火属性魔法。そして……」



 そしてリントの掌には土塊、小さな太陽のような光球、回復魔法の光、そしてバチバチと迸る電流が順に現れた。彼はそれだけやると満足したのか前を向き直しまた歩き出した。



「本当はもう一属性あるが殆ど適正者はいないから説明は省く。水、火、土、白、回復、雷。これが魔法の大枠だ。この世の殆どの魔法は白属性に分類されるがな」



 僕は考え込んだあと、訊ねた。



「なんでそんな話始めたの?」


「要はお前にも魔法を覚えてもらうと言うことだ。今の時代、剣士だろうと戦士だろうと身体強化の魔法くらいは使えなければ話にならない」


「……僕に、魔法?」



 僕がリントの言葉を復唱したタイミングで視界が開けた。森を抜けたのだ。

 そこは小高い丘のようになっており、比較的近くに横たわる湖は静かな水面が陽光を反射している。

 思わず僕が息を呑む。森を歩いてきた疲れも直前のリントとの会話も一瞬忘れ、その光景の虜となった。

 そんな僕をリントは意外にも待っていてくれた。見守るような、誇るような顔で呆ける僕の横顔を見ていた。

 数秒この時間が続き、正気に戻った僕はハッとしてリントに向き直る。リントはそれを見届けてまた前を向き歩き始めた。



「この美しくも残酷な世界で生き残るためには身体強化ができるようにならないと虫けら同然だ。身体に魔力そのものを強く流すことで疑似的に物質としての格を上げる……要は筋力と身体強度と身体機能を上げる魔法だ。これは白属性に分類されるが、水や火と違って術式を構築する必要がないから基本誰でも使える。お前はこれをマスターするんだ」


「簡単だけど必須級の魔法があるからそれを覚えろってこと?」


「そう言ったろ」


「だから分かりにくいって!」



 僕の訴えを知らん顔して聞き流すリント。まばらに生える木々を避けながら歩くリントの足元に、うっすらと道のようなものが現れ始めたことに気が付いた。

 僕たちは道に対して垂直に藪から侵入した。右、左ときょろきょろと横に視線を移すと見えなくなるほど遠くまでほぼまっすぐに続いている道が目に入った。

 道と言っても小川の上には丸太を何本か束ねただけの質素な橋しか架かっていないし、左側に続く道はだんだんと細くなっていって車輪の後しか残っていないように見える。そのちっぽけな道は崖の側面のすぐ隣を通っている。



「こんな所でも人が通るんだ?」


「今から向かう村は元々交易の要所。十数年前にモスカート街道……大きな街道ができるまでは今から俺たちが行く村と首都を繋ぐ唯一の道だった。この消えかけの道はその名残だ」



 小川に架かる橋を飛び越えるように渡ったリントが「その橋は危ないぞ」と一言だけ注意を促してまた先へ進む。僕は感触を確かめるように注意深くその橋を渡った。

 そのまま頼りない道を歩いていくこと数十分、崖下に到着した。この辺りから傾斜が緩くなり始めて小川もその幅を広げている。せせらぎの音の代わりにまた増え始めた木々のざわめきの存在感が増してきた。

 途端、視界が開けた。眼前は青一色に支配され、一瞬理解できなかったが、どうやら大きな湖に出たらしい。木々は湖の周りを囲うように生えていた、いわゆる防風林だったようだ。



「あれが目当ての村だ。見えるか?」



 隣に並んだ僕に顎で湖の向こうを指すリント。それに従って湖の向こうに視線を投げれば、対岸すら朧気な巨大な湖の真ん中。塀に囲まれ大きな塔を擁した町が栄える島が見えた。



「あんまり村には見えないけど」


「かつては交易の中心だった。だがモスカート街道が整備されたことで都市へのアクセスの悪さ故あの村を利用していた国や街の商人はこの地から足を遠ざけた。まだあそこに残っているのは骨董狙いの物好きとそれを扱う商人だけだ」



 リントの珍しく丁寧な説明もそのモスカート街道とやらができる前の情勢も、なんなら現在の商業のことも知らない僕からしたら全くと言っていいほどピンとこない話だ。

 とにかく敵に見つかる恐れも殆どなくて歓迎されるのがあの村だという話だろう。


 そこまで来て僕はハッと気付き、辺りをキョロキョロ見渡した。それを見たリントはみっともないとでも言うように目を細めた。



「あの村の防御が見えないのか? そう簡単に盗賊に狙われるような船が置いてあるわけないだろ」


「気付いてくれたのはいいけど、じゃあどうやってあっちへ渡るのさ」


「普通は正規の港に行って狼煙を上げてあそこから船を送ってもらう。だが俺たちは追われる身だし時間もかかる。だからこうするんだ」



 そう言ってリントは湖の水に足を踏み入れる。水底に靴を押しつけ、片足をずぶ濡れにするはずだったその行為は、リントが発した冷気によって凍らされた氷を踏みしめる結果となった。

 もう片方の足をその氷の上に乗せれば、パキパキと音を立てて氷の領域が広がる。


 凍らせた湖の上歩いていく気かよ。ようやく気付いた僕は肩を落とした。











 僕たちは軽い武具で身を固めた中年男性二人の検問を受けた後、高さの違う櫓を両脇に抱えた門から村に足を踏み入れた。検問と言ってもこの村によく来るリントはほぼ顔パスだったので、初めての僕が荷物の中身をチェックされた程度だった。

 広場のように広くなっている門前の場所から何本もの道が伸びている。見える位置にある建物は全て商店のようだ。リントの話から察するにここは貿易で栄えた町だろうから当たり前か。



「俺は今から荷物を換金しに行く。お前は市場でも覗いてこい。物の価値や人とのやり取りにも慣れろ」



 そう言ってリントは僕の荷物を手早く持ち去っていった。残された僕は、特に行く宛もなく広場に立ち尽くす。ちらりと視線を巡らせると、数人の商人らしき人たちが露骨にこちらを見ているのがわかる。好奇心というよりは、警戒の眼差しだ。


 まぁ、見知らぬ若者が急に現れたら当然か。


 僕は気まずさを紛らわすように歩き出し、最も賑わっていそうな通りを選んで足を進めた。石畳の道は歩くたびに靴の底から軽く響く。店々からは香辛料や干し肉の匂いが漂い、どこからか細い弦楽器の音も聞こえる。まるで少し前の時代に取り残された町のようで、けれど妙に落ち着く。


 リントに小遣いとして渡された銅貨の相場も聞き忘れてしまったし、そもそも何が必要なのかすらもわからない。目的もなく露店を冷やかしながら歩いていると不意に小さな気配を感じた。なんとなく振り向いてみると、そこに居たのは自分が想像したよりずっと近くに立っていた少年だった。



「こんにちは」



 彼はにこりとも笑わず軽い会釈をしてそう挨拶してきた。愛想は良くないが毒のないその様子に少し肩の力を抜いた。



「こんにちは。……僕、ここに来るのは初めてでちょっと歩き回ってたんだ。何かご用?」



 そう尋ねると少年は首を縦に振った。



「うん、ちょっと話がしたくて」



 それだけ言うと彼は何かを見つけたように視線を湖に向けた。釣られてそちらに目を向けるが特に何かあるわけでもない。ただ高い塀の向こうから波の音が聞こえてくるだけだ。



「お兄さんは水は好き?」



 突然投げかけられた質問に一瞬面食らった僕は、その意図を探ろうと少年の顔を見た。だが彼は相変わらず無表情のまま僕の返事を待っているようだ。



「そんなこと考えたこともなかったな……。でも湖とか川とかは好きだね。水の音って落ち着くし、きらきら光ってる水面とか綺麗だからね」



「僕も穏やかな水面は好き。変な波紋や大きな波で荒れていない水面はすごく好き」



 なんだかこの子との会話は要領を得ない。言い回しが迂遠なリントとはまた違う感じの違和感というか、明らかな壁を感じる。あちらから話しかけてきたのに超えてはいけない壁を押し付けられている感じだ。



「えっと、この村の子?」



「そう、拾ってもらった」



 その言葉に一瞬ドキリとした。拾ってもらったということは生みの親とは死別、または捨てられた可能性が高い。さっき感じた壁ってこれのことか、と考えたが、彼の顔は先ほどから特に変わることもなく変な雰囲気を帯びているわけでもない。いよいよ彼が何を目的に話しかけてきたのかわからなくなってきた。



「さっき大荷物を持ったお兄さんと一緒に村に入ってきたけど」



 リントのことだろうか。どこから見ていたのか疑問に思って訝しむと少年は小高い丘の上に建てられた塔を指さした。湖の岸からも見えていたあの塔はここから見てもわかるほどしっかり造られている。城の城壁を彷彿させるほどの迫力だ。

 彼の行動の意味は「あそこから見ていた」という意味なのだろう。それにしてもここの世界の人々はこの少年と言いリントと言い、表情から相手の考えを見抜く技術でも持っているのだろうか。

 そびえ立つ塔の鋭利な屋根。その下に吊り下げられている鐘を間抜けに眺めていた僕に一言だけ投げかけられた。



「あの人、お兄さんを戦争に巻き込もうとしてるよ」



 その言葉に、喉がひゅっと詰まるような感覚が走った。


 冗談とも思えなかった。少年の瞳には曇りも憐れみもなく、ただ淡々とした告げ口のような色だけが浮かんでいた。思わず彼の顔を見つめ返してしまった僕に、彼は表情ひとつ変えずに続ける。



「この村の人はあまり外の戦争のことを知らないし、知りたがらない。でも、見てればわかる。あの人の周りにはいつも武器の匂いがする」


「……君は、何者?」



 訊いたはずの僕の声が、まるで風にかき消されるように頼りなかった。だが少年は質問には答えず、視線をまた湖の方へと戻した。



「僕もお兄さんみたいな人、何人か見たことある。最初は優しい顔をしてた。でも、だんだん顔が変わっていった。自分の選択が正しかったのかどうか分からなくなって、でも戻れなくて……」


「……リントは、僕を守ってくれたんだ。命賭けで」


「お兄さんを死ぬべき時に死なせるために、だったら?」



 その一言は、まるで氷の刃のように冷たく、鋭く胸を刺した。


 自分でも、薄々気づいていたのかもしれない。

 僕は「守られている」だけじゃない。あの人は僕に“戦えるようになれ”と教え込もうとしている。魔法、武具、命の重さ。あれはただの知識ではなく、戦場で生きるための技術だった。


 ――巻き込まれるのか、それとも、自分で選ぶのか。


 混乱する僕をよそに、少年はくるりと踵を返した。歩き出した彼の後ろ姿は、妙に大人びていて、年齢不相応な重さを背負っているように見えた。



「待って、君の名前は?」



 思わず叫んでしまった僕の問いに、彼は立ち止まり、振り返りもせずに呟いた。



「知ったところで何もできないじゃないか」



 それだけを言い残して、彼は雑踏の向こうへと消えていった。

 残された僕は、ふたたび波の音を聞きながら立ち尽くした。


 リントの言葉と、少年の言葉。そのどちらが正しいのかなんて、今の僕には分からない。


 でも――


 どちらにせよ、僕は“選ばなくてはいけない”。

 そう痛感させられた出会いだった。



 少年の言葉が空気に沈んでいったそのとき、遠くで「ドンッ」と低く鈍い音が鳴った。爆発音のようにも聞こえたし、何かが崩れた音のようにも聞こえた。



「……今の、何の音?」



 不安が胸を押しつぶしそうになりながら、僕はその方向へ走り出そうとした。だが、足が勝手に動かない。心臓が早鐘を打ち、頭の中は混乱していた。昨日経験した、肌を刺すような殺気じゃない。だけど漠然とした悪寒が全身に張り付いている。

 逃げろ。動かない体に脳がそう命令してる。

 この村の中に、何かが――確かに動いている。



『お兄さんを戦争に巻き込もうとしてるよ』



 少年の言葉が頭をよぎった。


 足が震え、僕はその場に立ち尽くしたままだった。遠くでまた、「ドンッ」と鈍い音が響く。爆発か、あるいは何かが壊れたのだろう。胸の中で何かがざわつき、焦りがじわじわと広がる。



「リント……」



 無意識に名前を呼んだが、返事はない。さっきまで僕と一緒にいたはずの彼は、もうここにはいなかった。彼ならすぐに状況を把握して動いてくれるだろう。でも僕はまだ、何もできない。

 遠くの広場のほうから人々のざわめきと、急に響き渡った怒声が聞こえてくる。声のトーンは明らかに不安と怒りを含んでいて、何か大きな事件が起きていることを示していた。


 僕は重い足を引きずりながら、その方向へと歩き出した。心臓の鼓動は早まり、頭の中は混乱しながらも、一つだけはっきりしていた。



「ここで何が起きているのか、知りたい」



 己が己であるために。この先どうなろうとも、自分の選択を後悔しないために。

 今はただ、わからないことを遍く理解したい。


 塔の鐘が警報として鳴り響くのと同時に、崩れた壁の向こうから魔物が姿を現した。

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