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王と龍と転生者  作者: タチバナ マキ
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第1話 出会った時から

 耳心地の良い水音が、僕の鼓膜を震わせる。

 木の上で囀る小鳥たちは僕のことを心配するように交互に首を傾げていた。

 モヤがかかったような頭を揺らして立ち上がり、目の前にある池の端まで歩み寄り、覗き込む。風が吹いていない今、下手な鏡よりも丁寧に僕の顔を映し出した。

 癖のある黒髪。これといった特徴のない地味な顔立ち。見慣れたようでそうでもないような、至って普通の顔。

 装備品はマントに今着ている服、そして腰からぶら下げられた鞘に収まる重い剣。抜いてみると蒼く輝く刀身が日光を反射し僕の網膜を焼きかけた。

 とにかく、お金や荷物の類はない。今僕のいる場所が森に囲まれていることから考えると、盗人にやられたとも考えにくい。

 何故こんな自分の現状の確認が必要なのか。その理由は簡単だ。



「ここはどこで……僕は誰なんだろう……?」



 今現在に至るまでの記憶の欠落、それを馬鹿にするかのように僕のお腹は大きく鳴った。



__________




 鬱蒼と生い茂る木々の間。そこにかかる蜘蛛の巣や背の高い植物。それらを掻き分け踏み付け、僕は走り抜ける。棘や葉が肌を切り裂く感触が時折脳へ届くが、今はそんな事を気にしていられない。

 木と木の間はそんなに狭いわけではない。僕が速度を落とさず走り抜けるには丁度いいが、それは僕の後ろを追いかける()()にとっても同じことだ。

 激しい僕と()()の激しい息遣いの隙間に、木々を薙ぎ払う嫌な音が鳴った。寒気が走る首筋を、第六感の警告に従って躊躇なく頭を下げると、うなじの皮一枚を軽く切り裂いて何かが空を切る。


 もう分かるかとも思うが、今僕は人を襲う生き物に追いかけられている。食欲に従って間抜けにも森へ踏み込んだ僕は、程なくして大きな生き物にエンカウントした。

 僕の3倍はあろうかという体躯に、何かの血で汚れた鋭い爪、吐き出される生臭い息。朧気な記憶が叩き出す「狼」という単語はすぐに弾かれ、『魔物』と修正された。

 小さなウサギを咥えたその魔物は僕を見るなり爪を振るってきた。何故かその一撃を躱せて逃げた僕を追って、あの魔物との追いかけっこが始まったわけだ。



「誰かあああああああ!! 助けてええええええ!!!」



 悲鳴を上げ始めた肺をさらに絞り、出来る限り大きな声でみっともなく助けを求めた。その声が森を抜け、誰か助けを連れてきてくれることを願いたい。それまで僕が生きていると良いが。



「それは僕の頑張り次第ということ、で!」



 全身が総毛立つ感覚の直後、僕は腰の剣を抜いて渾身の力で横に振るう__刹那、振るわれる魔物の爪と刀身がぶつかり合い、腕が痺れる感覚と魔物の怒号が飛んできた。

 理屈はわからないが、今のでもう何回目かの神回避だ。人間命の危機に瀕したら感覚くらい研ぎ澄まされるのかもしれないが、どうせなら逃げ切れる程度の馬鹿力に目覚めたかった。

 というのも、確かに致命傷は避けられているものの、掠り傷……今すぐ死に繋がらないような小さな傷は確実に蓄積されているのだ。流れる血は体力を奪い、襲いくる恐怖は冷静な判断を妨げる。

 追ってくる魔物も確殺の攻撃を何度も防がれよほど気が立っているのか、攻撃が単調なのが救いだ。もはや醜く逃げる僕と無様に追う魔物の滑稽な図に成り果てている。

 こんなところで死んでたまるか。その意気を込めて目の前の背の高い雑草を掻き分けた瞬間、足が空を切った。



「う、わあぁ!?」



 どうやら2,3メートルの断層があったらしく、僕はその斜面を為す術なく転げ落ちた。何回かバウンドして地面を転がった後、木に叩きつけられる衝撃に息が詰まる。



「かはっ……!」



 ヤバい。空気を吸えず霞がかる思考でそれだけは分かった。今起き上がらなくてはあの魔物に追いつかれて殺される。理解はしているのに体が動かない。

 締め付けられるような痛みを訴える肺、動かそうとすると脳を焼く腕の痛み。どうやら重症を負ってしまったようで、その事実だけでも十分僕の希望を奪い去った。

 ここまでか。記憶を全て無くし、空腹に抗えなかった哀れな原因で僕は死んでいくのかもな。僕を見失ったのか未だ魔獣は姿を現さない。この時間で人生を振り返ろうにも振り返る記憶がない。まるで天が僕を嘲笑うためだけに用意されたような時間だ。

 もう助からないなら、早くケリを付けてもらおう。大声出して、それで終わりだ。

 せめて早く楽になりたいと、肺の痛みを我慢しながら息を吸って魔物に居場所を知らせようとした。


 その時だった。



「あの〜……生きてますか? 大丈夫ですか?」



 マゼンタの髪をした可憐な少女が、僕の顔を覗き込んでそういった。



___________




「なっ……! かっ……!」



 あまりの驚きに吸った息は吐き出され、その反動でより体は悲鳴を上げた。



「だ、大丈夫ですか!? ちょっと待っててください、私の仲間が回復魔法を使えるのですぐに来てもらいますから! おーい!」


「だっ、逃げ……」



 僕の容態がまずいものだと一瞬で見抜いた彼女は焦った表情を浮かべながらも僕を落ち着かせるように手を握って僕の背中を擦ってくれる。どうやら彼女には底知れない優しさがあるようだ。

 だが僕はそんな彼女を今すぐにここから立ち去らせなければいけない。健気な彼女のためを思うからこそ、僕を見殺しにしてほしい。


 __僕の全身が寒気を感じ、第六感が激しく警報を鳴らしているから。


 僕の必死の呼びかけも声にならずに彼女に伝わらない。彼女は情けない僕を救おうと大声を出しているが、それは余計なものまで呼んでしまう。__近くの茂みが揺れ、大きな影が飛び出してきた。

 無論、魔物。ヤツは彼女が僕を助けようとしていることを瞬時に理解したようで、彼女に狙いを定めた。せっかく狙った獲物を逃がさせやしない、と。

 迫った影が、か弱い少女の命を奪わんと爪を振る上げる。その殺気と雄叫びに振り向いた彼女の目が見開かれるが、反応できる間合いではない。


 守らなきゃ。


 恐怖に染めつくされた頭の中にそれだけが浮かんだ。僕を助けてくれようとした彼女をむざむざと殺させたくない。重たい体を必死に動かして彼女の盾になろうと試みるが、間に合わない。そも、間に合ってもあまりにも頼りない肉の壁一枚だ。何も変わるわけない。

 無防備な彼女とただ起き上がっただけの僕。2つの命をまとめて薙ぎ払わんと振り下ろされる。走馬灯もなにもない、ほんの数十分の人生だった。諦めた僕はその場で瞼を下ろし__













 目が閉じられる寸前、飛んできた氷柱が魔物の頭を吹き飛ばした。




 頭を失った魔物の体は、その衝撃で諸共後ろに吹き飛び、バウンドして地面に横たわった。その亡骸はビクンビクンと痙攣し、鼓動に合わせて血が吹き出している。

 あまりの突拍子のなさに目の前の出来事が夢なのではないかと疑うが、頬についた返り血の生ぬるさが僕の意識を引き戻した。瞬間蘇る体の痛み。



「うっ……い、一体……」


「ふぅ、びっくりした〜。おーい! こっちこっちー!」



 唖然とする僕の横で、なんてことないように魔物の死を受け入れた彼女は氷柱が飛んできた方向へ笑顔で手を振った。愛らしい笑顔に似合わない冷酷さ。その価値観に戦慄しながら首だけで振り返ると、1人の男が歩いていた。

 革鎧にベージュのズボン。使い込まれたブーツと手袋。肩と左胸だけに装着された鉄甲は動きやすさを重視しているのが見て取れる。荒々しい雰囲気の装備とはかけ離れた濃紺色の髪の毛に目が惹かれる。

 そして、1度見たら目を離せなくなるような、深い深い中黄色の瞳。見つめられるだけで冷たさまで感じる眼力だ。

 押し黙る僕の傍らにやってきた彼は、僕を一瞥した後ゆっくりと口を開いた。




「あんた……何者だ?」




 目を細め、警戒心を隠しもしない気迫を放ちながら彼は僕を見下して言った。彼の目は爬虫類のような凄みがある。その視線に囚われた僕は蛇に睨まれた蛙のように体が固まって動かない。

 警戒するような、それでいて僕を見下すような。睨みだけではない。その体から発せられる……いわゆる”殺気”とも受け取れるプレッシャーが重力として襲いかかってくる。

 この人、僕のことを睨み殺すつもりなんじゃないか? そう思えるほどの重圧に襲われ数秒、冷や汗を吹き出す僕と彼の間に彼女が割り込んできた。



「はーいリント、もう止めなさい。この人は悪い人じゃないんだから! 私はこの人に回復魔法をかけてあげてってお願いしたはずよ?」



「……分かりました。あなたがそう言うなら従いましょう」


「君もごめんなさい。彼はちょっと神経質なところがあって。悪気があったわけじゃないんですよ?」



 コロコロと表情を変え、元気に体を揺らしながら彼女はそう言った。肝心の僕は息が止まるような重圧からやっと解放され、その安心感から荒く呼吸を繰り返しているだけだ。

 彼女からの言葉にハッとして焦点を合わせれば、リントと呼ばれた彼はもう目の前に座り込んでいる。驚きに身を捩るとまた全身に痛みが走る。



「くっ……」


「動くな。今治してやる」



 そう言って彼は僕の肩に手を置いた。一瞬体を強張らせたが、彼は僕に危害を加えるでもなく目を瞑る。瞬間感じる温かさ。

 なんと表現すれば良いのか分からないが、暖炉の火より穏やかで、春の陽射しより深い温かさが体を駆け巡る。優しさすら感じるその力は血管を通り、筋肉に染み渡り、故障した箇所に行き渡る。

 折れた腕が、打たれた背中が、流れ込む力を歓迎するようにほんのりと熱を持ち始める。血が巡り、痛みをどこかへ消し去っていくのが分かった。

 そうしていること数十秒、怪我の熱が引いた頃合いに彼が手を離した。同時に失われる温かさに寂しさを感じながら動かなかった腕を持ち上げると、元通りに、何なら快調なくらい自由に動く。



「すごい、治ってる……ありがとう」


「いい。この人の慈悲のお陰だ」



 呆気にとられる僕の感謝を受け流して彼は後ろに控えていた彼女を指した。それに従って僕が彼女にも頭を下げると彼女は慌てたように手を振った。



「いえいえ、私は何もしてませんから! あなたが無事で良かったです! それより、あなたはここで何をしてるんですか? ここは危険な魔物が多い付近では有名な森ですけど」



 ああ、そうなんだ。素直にそう思った。

 他に感じることなんてないだろう。だって気が付いたらこの森の中にいたんだからどうしようもない。記憶を無くす前の僕が何を思ってこの森に入ったかは知らないが、今の僕以外が原因で命が危険に晒されたのは言うまでもない。

 黙っている僕にリントが訝しげな視線を向けてくる。既に苦手になりそうな彼の視線から逃げるように慌てて口を開いた。



「あ、あの、僕記憶喪失で。この森に入る前の記憶が一切ないんだ」



 それを聞いて更に疑わしげな視線を向けてくるリント。



「記憶喪失だと? そんなに都合のいい話があるか?」


「つ、都合がいい?」


「……こっちの話だ。それよりお前の腰の剣だが……」



 リントの言い回しに違和感を覚えた僕が首を傾げると、リントは何か誤魔化しながら興味を僕の腰の剣に移した。その目は今は疑いというより驚きに近い感情を(たた)えている。

 気になるならどうぞ、と鞘ごと彼に渡すと彼は更に驚いた表情を見せて、遠慮がちにそれを受け取った。



「ま、まさか誰とも知れない相手に鞘ごと得物を渡す奴がいるなんて……」


「あ、馬鹿にされてたの?」



 溢すような彼の独り言に僕はツッコミを入れたが、彼はそれを聞き流して刀身を鞘から抜き去った。彼の紺の髪と蒼色の刀身が共鳴するように輝いた。剣も僕が持ってる時よりも心做しか輝いているように見える。

 それにしても画になる。彼女の顔の良さに気を取られて霞んでいたが、彼の顔も相当整っている。荒々しい格好をしていても隠せない気品が溢れ出し、ちぐはぐな雰囲気を無理矢理にでも統一しているように感じた。

 剣を構えるその姿、それは彼の鋭い性格も合わさって騎士のような印象を僕に叩きつけてきた。

 しばらく僕が見惚れ呆けていると、リントは剣を一振り、その感覚を確かめてから鞘に収めた。



「ありがとう、よく分かった」


「分かったって……何が?」


「お前の正体さ」



 何でもないようにそう言って剣を渡すリントの言葉に、僕の動きはまた止まった。

 僕の正体。それは予想以上に重く僕の中に落ちてきた。思いの外早く手がかりが掴めたことも、彼がそれに当たりをつけた根拠の不明さも、それに起因しない。

 素性ではなく”正体”と重々しく表現されたこと以外、何が僕にそれほどの衝撃を与え得る。

 リントの言葉を処理しきれない僕の頭はまともに働かない。目的があるわけでもなく、ただ言葉が溢れ出る。



「僕の……正体?」



 僕の呟きにリントは頷く。馬鹿にしているような雰囲気も僕を騙すような魂胆も見えない。

 彼は言葉を続けようと息を吸い口を開く__ところで、後ろからその口が塞がれた。



「は〜い、難しい話はそこまでですよ2人共。そろそろお昼の時間ですし、ご飯食べちゃいましょ! ね? あなたも食べていきますよね?」



 リントの口を後ろから塞いだ彼女は、彼の影からひょっこりと笑顔を覗かせながら問いかけてきた。それに僕が返事をする前に、腹の虫がキュルルと鳴った。

 あまりにてんやわんやしていたせいで忘れていたけど、そもそもお腹が減ったから森に入ったことをすっかり忘れていた。お言葉に甘えて首を縦に振る。



「良かった! 丁度お肉も手に入ったことですし、私達の出会いを祝して腕を振るっちゃいますよ〜!」



 袖を捲って可愛らしく力こぶをアピールしてきた彼女に思わず笑みが漏れた。そして歩き出す彼女。行く先には……死に絶えた魔物の亡骸が横たわっている。



「……え?」


「おいお前、薪でも拾いに行くぞ。解体シーンはお前にはまだ早い」


「解体、え、え?」



 リントに肩を掴まれ、そのまま彼女とは反対側の茂みの中に連れて行かれる。理解が追いつかない僕は助けと説明を求めるように彼女の方へ振り向く。そして、見てしまった。



「命に感謝! いっただっきまーす!」



 小さいナタを振りかざす、少女の後ろ姿を。



__________




「”転生者”?」


「ああ。お前みたいな奴は一般的にはそう言われている」



 森の中の少し開けた空間で、僕達はシチューを囲んでいた。

 まずは自己紹介。やはり彼の名前はリントだそうだ。そして彼女の名前はルーナ。

 ルーナは少し離れた場所の貴族の娘らしく、世間を知るために暫くの間護衛のリントを付けて旅を続けているらしい。「民草は草に非ず」。誇らしげにルーナが語ったその言葉は彼女の父親の座右の銘らしい。


 問題は僕の名前だ。僕の名前を考えようとした時、リントは上記のように発言し、続けた。



「お前のような記憶喪失の奴は稀に現れる。出生不明で、必ず何かしらの”神器級”の武器を持っている。”転生者”特有の特徴は3つ。『取り戻されない記憶』『”神器級”の武器』、そして『固有能力』だ」


「それで何で”転生者”なの?」


「例えばお前はこのスプーンを誰に聞くでもなく使いこなした。剣も刃が魔物の爪に当たるように振ったらしいな。それはそれらをそもそも知らないと取れない行動だ。記憶になくても深層意識で受け入れられているなら、お前は魔法にも驚かなかったはずだろ?」



 なるほど、と思わず感嘆の溜息が漏れてしまった。

 つまり、体に染み付いた経験に基づく反応。それが魔法に対しては見られなかった。それは、魔法を経験することがない世界……()()()()()()()()()()で今まで生きてきたことを示しているということだ。


 僕とリントが真面目な話をしている傍ら、ルーナは邪魔してはいけないと一人黙々と寂しそうにシチューを口に運んでいた。それに気付いたリントが倣ってシチューを頬張り「美味しいです」と微笑むと、ルーナは笑顔の花を取り戻す。


 僕もシチューを口に運ぶ。ほんのりとスパイスが効いていて、しっかり煮込んだ野菜と肉の旨味がスープに溶け出している。温かさと共に口の中を幸せで満たした。

 これでシチューと言われて首を傾げたくなるのも、深層意識が関係しているのかも知れない。



「ていうか、その”神器級”ってなんなの? ”固有能力”? じゃあこの剣も”神器級”?」


「あ! その話なら私ができます!」



 はいはい! とルーナが元気に手を挙げる。ルーナは空になった食器におかわりを(よそ)りながら語りだした。



「この世界の武器は性能によって位階(ランク)分けされてるんです。下から”獅子級”、”宝玉級”、”神器級”、”天龍(てんりゅう)級”。”神器級”からは特殊能力が備わっていて、”転生者”の持つ武器は彼らの使命に大きく関わると言われています」


「僕の使命に……」


「はい。でもそれは”固有能力”も同じですよ。本来なら遺伝や修業によって身に付く筈の”固有能力”を”転生者”は最初からその身に宿しています。それも使命に必要な力だと聞いています。大変ですね〜」



 形の良い眉を曲げてルーナはあははと苦笑した。貴族としての使命を持つ彼女は、”転生者”として何かしらの使命を持っているらしい僕に共感してくれているのだろうか。


 ”転生者”の使命。活動を始めてまだ半日すら経っていない僕にはピンとこないが、僕も例外ではなくその使命とやらを負っていると考えて間違いないだろう。

 一体どこで何をすれば良いのか、それを探すところから始めなければいけないなんて、どうも神様という奴は性格が悪いらしい。まだ名前が付いてすらいない僕にそんなことは……。



「あ。それで、何で僕の名前を考えるタイミングでその話を?」


「馬鹿。歴史に名を残す可能性があるって話をしたんだよ。それを踏まえて、良い名前をつけろ」



 なるほど。さっきから思っていたが、どうも彼の言い回しは遠回りで頭の回転が早くない僕には少し分かりにくい。

 しかしリントの言うことにも一理ある。そこまで優遇されてまで使命を与えられた”転生者”、それが歴史に与える影響は大きいだろう。ならば、それに恥じない名前が必要だ。

 使命、使命だ。僕が果たすべきで、きっとこれからの1番の課題になるだろう使命。それを刻み込み、いついかなる時も心に留めておくための名前。



「__ラルムってどうかな」



 とてつもなく拙い、思い出せないけど確かに存在した記憶。そこで宣託を意味する言葉に「何とかルム」という言葉があった気がする。



「だから、適当に補填してラルム。どうかな」



 厳粛に、そして適当に考えた僕の自慢の名前。自信に溢れた僕の問いにルーナは笑顔で頷き、リントは呆れた顔で溜息を吐いた。



「どうかなって……お前の名前なんだ、俺らにお伺いを立てる必要ないだろ」


「でも、悪くないって思ってるんでしょ」



 懲りずに嫌味を並べるリントの肩を叩いて、ルーナがそう笑った。その言葉にリントは否定も肯定もせず、ただ気まずそうに押し黙り、シチューを口に運んだ。


 この瞬間、名無しの僕はこの世界の住人、ラルムとして新しい人生を歩み始めた。

 何のために何をするのか。それを探す当てのない人生だが、今後も彼らのような魅力的な人物たちとの出会いがあるだろう。その僕の旅立ちを祝すように腰の神器も熱を持ったような気がする。


 僕の前で初めて言い負かされたリントをルーナと笑い、出来すぎな第1歩を踏み出したのだった。


________



「ところでラルム」



 大鍋も空になり、少し食休みをしようと大きく息を吐いたタイミングでリントが声をかけてきた。呼ばれなれていないその名前に緩慢に振り向くと、流石の僕でも異変を感じ取れた。

 その声は初対面の時ほど低く、重圧こそ感じないものの確かな緊張感が走っているのが肌で感じられる。

 気と表情を引き締めてリントに向き直ると、彼は声のボリュームを落とし続けた。



「お前、脚に自信はあるか?」


「足の速さってこと? さっき食べた魔物を振り切れない程度かな。分かる?」


「なんとなくな」



 それから彼は一瞬顎を抱えて何事か思考し、食器を片付け始めていたルーナのもとに急ぎ足で近寄った。



「ほぼ全方位です。残念ですが、鍋は新調してください」


「__分かったわ。私も戦う?」


「いえ、今回はラルムがいるのであいつをお願いします。あなたの正面から11時の方向が1番手薄です」


「了解。気を付けてね」


「ええ、森を吹き飛ばさない程度には」



 彼らは何が起こっているのかまるで理解が追いつかない僕を他所に話を進めている。区切りが付くと、ルーナが僕のところへ駆け寄ってきた。真面目なその顔に今度は明確に僕も緊張を覚える。



「よく聞いてくださいラルムくん。実は私達追っ手に追われているんですけど、囲まれちゃったみたいです。巻き込んでごめんなさい。逃げるので私達が行動を起こしたら私の後について走ってください」



 僕の耳元で彼女はそう囁く。柔らかい吐息が耳に吹きかけられて役得な感じもするが今はそんな事に構っていられない。頷くだけで返事をする。

 貴族である彼女たちに追っ手がいるなんて不思議な話だが、それでも彼女たちが嘘を吐いているようには見えない。今は彼女らを信じるしかない。


 僕の反応に満足そうに顔を綻ばせたルーナはまた翻り、屈伸をするリントの前に歩み出た。

 ルーナはどこからか取り出した剣を、ラルムは腰のベルトにぶら下がっていた杖を、合図を取ることもなく同時に振って、詠唱。



「【デスペルタル】」

「【ノブレス・エスペランサ】!」



 瞬間、僕達を中心として円形に氷の壁が現れた。空気そのものが凍るような音と勢いに驚く間もなく、唯一氷壁が張られなかった場所へルーナの振るった剣の太刀筋が飛ぶ……その延長線上にあった木々が根本から切り飛ばされた。



「走って!」



 ルーナって、こんなこと出来たの?

 驚きとちょっとした恐怖がブレンドされ、そんな感想に支配されていた脳内にルーナの鋭い一声が飛び込んできた。足が勝手に動き出す。

 前を走るルーナの後に続いて木々が切り倒された足場の悪い道を駆け抜ける。確かに足場は悪いが、木々の間を走って迷子になるよりはマシなように思えた。

 僕の後ろにリントが追い付いた瞬間、僕らが走り始めてから約4秒、さっきまでいた空き地の周りから何人もの怒号と何事か指示する声が聞こえてきた。間もなく縋るように追ってくる足音も聞こえ始める。



「ちょっと人多すぎない!?」


「泣き言言うな、舌噛むぞ! 死にたくないなら俺の前を死ぬ気で走れ!」



 予想以上に多い気配に振り返ろうとした僕の尻を弾くように叩いたリントの声が耳に飛び込んできた。そのせいで舌を噛んだけど。


 心の中で悪態を吐いた瞬間、切り倒されていない木々の間から何か飛んでくるのが分かった。全身に凍るような悪寒が走る。

 間違いなく攻撃の類。それも当たれば命が奪われるような危険なものだ。光り輝くそれは寸分狂わず僕の頭を狙い、飛んでくる。



「う__」


「止まっちゃ駄目です!」



 その攻撃が僕の頭に当たる直前、僕の後ろから詰めてきたリントが振った剣一閃、攻撃を2つに切り捨てた。それを分かっていたように後ろに振り返っていたルーナが僕の手を引き寄せる__瞬間、切り捨てられた光の弾は小さく爆発した。



「うわぁ!?」


「攻撃魔法です! 軌道的に後ろからの攻撃で間違いないでしょう、このまま走り抜けますよ!」


「分かってます。申し訳ありませんが討ち漏らした魔弾の迎撃はお願いします」



 僕を抱えたまま疾走するルーナ、後走りで魔法を迎撃しながらルーナに余裕で付いてくるリント。ルーナの腕の中から身を捩って解放され、自分の足で走り始めるとすぐに森を抜けた。



 そこには美しい草原が広がっていた。のどかな草原、と聞いて思い浮かべる光景をそのまま創り出したような緑の大地。その奥、気の遠くなるほど遠くには恐ろしく高い山脈が視界の端まで続いていく気さえする。暗く怪しい雰囲気の山々は穏やかな緑の大地と鮮烈な青の空をグラデーションで1つに纏めていた。


 ここが、僕が招かれた世界。記憶になく、したがって思い出もなく、きっと僕に縁もゆかりもない世界。だけど、僕がこれから変革を起こすことを期待されている、僕の中で産声を上げ始めたばかりの世界。

 場違いではあるが胸が高鳴った。これからここで生きていけるんだと、無邪気にも心が躍る。



 しかし後ろから轟いた爆音によって現状に引き戻される。とっさに後ろを振り向くと、爆発に合わせて切り込んできた敵と鍔迫り合いをしているリントがいた。



「リント!」


「そう声を荒げる、なっ!」



 敵を蹴り飛ばしたリントは僕達の目の前まで飛び退いて態勢を整える。そのリントを追うように蹴り飛ばされた敵を跨ぐように森から大人数駆け出してきた。

 彼らは統一性のない色のボロ布をギリギリ服と認識できる程度に縫い合わせて身に纏い、錆にまみれた多種多様の武器を振り回して雄叫びを上げている。

 荒くれ者、という表現がぴったりの彼ら。倒れる仲間を心配する様子を見せない協調性のなさだが、その目には溢れんばかりの殺意が漲って、醜く歪んだ嗤いは彼らが全員同種のヤバい奴らだと主張していた。



「ルーナ様、ラルム、俺の後ろに。魔術師がまだ姿を現しません」



 背を伸ばし、胸を張り、威風堂々と剣を構えるリントが忠告する。声には警戒の色を滲ませているものの、チラと見えた顔は特段焦った様子もなく、余裕が伺える。

 僕を後ろに置くようにルーナも剣を構えた。ルーナはリントとは違い、顔には緊張が迸っている。そんな彼女に守られてばかりではいられないと倣って剣を抜いた瞬間。



「流石だな7億ウォル。簡単にはその首はくれねぇか」



 耳元で響くような声が耳朶を打った。


 今まで下衆た笑みを浮かべていただけだった荒くれ者たちがその顔を凍らせる。訝しげな視線を向けるより先に彼らは素早く道を開ける。


 奥から、一際笑みが深い男が歩み出てきた。その表情は余裕とも取れるが、嘲笑、という表現が1番しっくり来る。

 30代後半くらいの男の手には、大ぶりのナタと比較的小型の斧。他の荒くれ者と違い、彼の得物は光を眩く反射するほど磨かれている。ブルリと僕の全身が震え、それだけで彼が実力者だと分かった。



「……あの人がボスかな」


「俺以外の誰がそう見える。舐めんなよガキ」



 僕の呟きに離れた場所にいるはずの男が反応し、鋭い視線を向けてきた。

 無精髭に埋まった顎を撫でながら、その男は値踏みをするように僕を睨む。最初リントに睨まれた時よりも背筋が凍る。背骨に無理やり棒でも刺されたように背中が張った。



「俺らが用あんのはそこの兄ちゃんと女だけだ。命が惜しいんならとっとと……いや、その剣置いてとっとと失せな」



 喋っている間に僕の剣に興味が移った男が顎をしゃくって命令を飛ばしてくる。僕がそれに応えるまいと剣を構え直すと、男はあからさまに機嫌を悪くして溜息を吐いた。



「なんでそういう意地張るかなぁ、理解できねぇよ。懸賞金掛かってないお前殺すのは手間なだけ__」


「話はもう終わりでいいか?」



 腹立たしげにぶつぶつと文句を言う男の言葉を遮ってリントが殺気を飛ばした。後ろにいるのに竦みそうになるほど濃密な殺気。それを正面から受けた男はピタと動きを止め、その口の端を大きく歪ませた。



「ガキがいきがりやがって……待ってろ、どの道お前は死ぬ運命だ」


「ならやってみるといい、すぐに砂を噛むことになる」


「……てめぇ、誰に口聞いてやがる」


「知る必要もない」



 口汚く罵り合う2人。リントは剣を体の前に、男は両腕を脱力しきって各々構える。一触即発の雰囲気の中、両者はピクリとも動かない。

 あの2人がぶつかる。それが分かっていても己のことのように鼓動は強まり口の中は乾いていく。それほどまでに佇まいで実力が伝わってくる男__その影が揺れた。



「ひゃっ、はぁ!」



 嫌悪感を抱かせる叫び声と共に男はリントとの間を踏み潰し、一瞬で間合いを詰める。反撃を考慮せず両の手を振り切ろうとするフォームに、自分だったら確実に殺される予感が体を貫いた。



「リント!」


「言ったろ」



 タイミングをずらし、より避けにくく振られた斧とナタ。それは寸分狂わずリントの胴と頭へ迫る__が、ノーモーションで剣を2度振ったリントの剣戟によって甲高い音を響かせてその攻撃は弾かれた。



「そう声を荒げるなと。俺はお前が想像するより、多分ずっと強い」



 やはり余裕の笑みを浮かべたリントはそう言い放った。



___________




「ガキがぁ!」


「叫ぶことしか脳がないのかお前は」



 攻撃を弾かれ一瞬驚きの表情を覗かせた男は、また一瞬で怒りに顔を染めナタ主体とする連撃を披露する。

 縦横無尽にナタを振るって小手先、胴体、刀身へと細かく剣戟を放ち、隙ありと見做せば斧を振るって一撃必殺を狙う。美しい技術とは言えなくとも、人を殺すために磨かれた技術だと一目で分かる。


 対してリントは__



「単調なんだよ、その動き」


「ぐっ!?」



 僕の目には十二分にトリッキーに映る男の連撃。それを単調だと言い切って男の鳩尾(みぞおち)に強烈な蹴りを叩き込む。後ろへ飛んだ男の顔には拭いきれない苦悶の表情が張り付いていた。



「……ぺっ、やっぱ3億ウォンは伊達じゃねぇな」


「俺が3億か。まあまあ妥当だな」


「認めざるを得んなぁ。__だが、俺には勝てんぞ」



 血を吐き、リントの実力を認めた男。しかしその顔にはまだ決定的な絶望は浮かばない。今のままでは覆せない実力差を目の当たりにしてなお怯まない男の態度に違和感を感じた。



「あの人__」


「ラルムくん来ますよ! 集中して!」


「え?」



 突然飛んできたルーナの叫び声に注意を引かれる。反射で振り返れば周りで待機していた荒くれ者たちが一斉に僕達に突っ込んできていた。リントが止めてくれる、的な発言をしていたがリントは今ボスと交戦中。やはり自分の身は自分で守るしかないらしい。



「まともに戦ったことないけどね!」



 剣を構え直し、あまりにも不安な自分の実力を考慮して僕はルーナに並んだ。



「おらあぁ!」


「ふ__」



 先頭を走ってきた男が振るったハンマーをルーナは剣の腹で叩いて流し、返す刃で男の胴体を下から斜めに斬り上げる。

 横から突っ込んでくる敵のタガーの一撃を彼女はバックステップと体の捻りで振った剣で弾き飛ばし、リントに倣って敵の鳩尾を蹴り飛ばした。



「隙ありぃ!」



 と、吹き飛んだ敵の後ろからまた現れた敵は完全にルーナの死角を取ったと笑みを浮かべてナイフを振る__



「やあ!」


「ぐ、あ」



 ルーナの奮闘を後ろで眺めていた僕がその男の攻撃を中断させるため男の腕を斬りつける。

 初めて感じる人を切る感触。思ったより骨が固くて断ち切ることは出来なかったが肉に刃が侵入するのは分かった。このままでは腕を断ち斬れないと判断。腕から剣を抜き力任せに男の体に刺突を放つと、今度は骨と骨の間を通ってずぶりと嫌な感触で刺さった。



「う」


「てめえぇぇ!!」


「リントくん!」



 初めての感触に動きが止まった僕に襲いかかった敵の腕を、リーチギリギリでルーナが斬り飛ばした。また彼女に助けられる形になった。



「ごめん、助かったよ」


「初めてなら仕方ないです。人を斬るのは嫌なことですから」



 ルーナは僕を一瞥する余裕もなくまた襲いかかってくる敵をまた迎え撃つ。


 ルーナは僕と同じくらいの少女だ。僕自身、自分の歳なんて知りもしないが多分16,7くらいだろう。剣を持って人を傷付けるには、恐らく早すぎる若さだ。

 リントも同じくらいに見えるが、明らかにルーナよりも戦い慣れている気がする。……それはあまりにも残酷だ。


 首筋に悪寒。咄嗟にしゃがむと、さっきまで僕の首があった場所を後ろから振るわれたタガーが空を切った。



「なっ!?」


「やっぱ僕、感覚冴えてるぅ!」



 曲げた膝をクッションにして立ち上がり、その勢いで剣を振り上げるがタガーの平に手を添えた男に受け切られた。



「ガキが!」



 叫び、またタガーを振る男。腹に寒気が走り、1歩下がると服を掠めて剣が通った。それに合わせて僕も剣を振るうが、男の身のこなしに避けられる。

 暫く男が僕の急所を狙い、僕が避け、不格好な一撃を返すというやり取りが続く。打ち合いが7合を超えた辺りで男が後ろに距離を取り、怒りで赤くなった顔で僕を睨んだ。



「くそっ、調子に乗るなよ! やっちまえお前ら!」



 男が森に向かって叫ぶ。瞬間僕の全身に寒気が蘇った。見渡すと、僕らの周りにいた敵はほとんどルーナが斬り伏していた。

 思い出されるリントの『魔術師が見えない』という言葉。瞬時に理解した。



「魔法攻撃!?」


「ま、待ちなさい! この人達はまだ生きて__」


「放て!」



 ルーナの訴えに耳を貸すことなく男が咆哮、森からあの魔弾と呼ばれた光が連続で、都合8つ飛び出した。導かれるように僕達に真っ直ぐ飛んでくる魔弾を見て、ルーナは腰のバッグから何か石のようなものを取り出した。



「【防護(プロテクション)】!」



 それを地面に叩きつけると、そこから波が広がるように光が溢れ僕達を包んだ。そしてその光に魔弾が触れた瞬間、1つ残らず魔弾が弾け飛んだ。



「__」



 僕らを巻き込み、爆発するはずだった魔弾。それらの爆発は倒れていた彼らの仲間を飲み込んで消し炭に変える。……ルーナはそれを見て悲しげに目を細めた。

 一方、期待外れの結果でその役目を果たさなかった魔弾に男は地団駄を踏んで憤慨した。



「ちくしょう!? 何なんだ今のは! こうなったらお前ら、死体なんて消し飛ばして構わねぇから最高火力でぶっ放しち__」


「駄目です。もう許しません」



 男の言葉を遮り、鈴の音のような声色の温度を極限まで下げたルーナが剣を大きく振りかぶった。優しい彼女から迸る、燃えるような怒り。



「私の意思に応えてください、”神器”クレンシア」



 ルーナが口上を述べた瞬間、”神器”と言われた彼女の剣……クレンシアが光を纏う。先程ルーナが森で木々を薙ぎ払ったときと同じ光だ。だがその輝きはその時の比ではない。




「【ノブレス・エスペランサ】!」




 冷めた声で詠唱、ルーナが力強く踏み込み、無慈悲に剣を振るった。__巨大な斬撃は、地面を根こそぎ抉りながら男たちへと放たれた。



「う__」



 光に飲まれる直前、男が断末魔を上げようと口を開く。だがその声が終わるより先に、死を受け入れるより先に斬撃が届いた。当然その通り道には、何も残らない。

 斬撃はそれだけでは止まらず、森の木々にぶつかる。恐らくそこに隠れていた魔術師も巻き込んで多くの木々を切り倒す、というより薙ぎ倒していった。



「うわ……」


「……」



 そこにいたはずだった3人。その完全な消滅を見届けて僕は忘れていた呼吸を再開し、ルーナは剣を鞘に収めて目を瞑る。彼女は何も言うことなく、ただ頭を垂れ、両手を合わせ、祈りを捧げる。己で奪った命と、奪わせてしまった命を悔いるように。

 殺す気で襲いかかってくる男たちをも殺すことなく終わらせようとし、成せなかった彼女はちぐはぐで、それがどれほど彼女を苦しめているのか。僕には見当もつかなかった。



____________




 不気味に嗤った男が斧を構えた。

 あの斧はこれまで渾身の一撃用に振るわれていた。それを考えると、あの男は次の一撃で俺を仕留めようとしているのだろう。



(手も足も出なかったくせに……ということは、何かしらの種か仕掛け……大方”固有能力”かとっておきの魔法といったとこだろう)



 いや、あんな魔力に嫌われそうな雰囲気の男が魔法なんて使えないか、と俺の経験則が弾き出す。品がなく、動きに型がなく、力だけで押し切ろうとする人間を魔力は好まない。

 ”固有能力”。それは今のような戦力差のある戦いにおいて圧倒的に大きな切り札となり得る。上手く使えれば格上をも下すその大いなる力は、各個人によって全く特性が違うのも驚異の1つ。つまり、能力の見当など付くわけがないのだ。



(それを踏まえて対処しなければ……む、来る)



 男は足に力を入れ、愚直にも無策に飛び込んでくる。先程までと変わらない、単調な動き。

 だが何かしら仕掛けがある。そう確信し、体を引きつつ男の頭を目掛けて剣を振るう。小ぶりと言っても重い斧を振りかぶり、防御を捨てた男はその一撃を躱せない。そのまま剣先が男の頭に侵入、無様に脳漿がぶちまけられて決着がつけられる。


 筈だった。



「!」


「おぉ!? 今の避けんのか!?」



 振った剣が頭蓋を砕く感触は訪れず、代わりに蜃気楼のようにぼやけた男の頭を素通りした。手応えはない。それで仕留められなかった男が止まらず振った斧が僅かに回避が間に合った俺の体を掠める。バックステップで距離を取った俺を目で追いながら、やはり頭部に傷を負っていない男はケタケタと嗤った。



「流石だ! 3億ウォルの男はこうでなくちゃいけねぇ!」



 3億ウォル。それは男の口ぶりからして俺の首にかけられた懸賞金の額だろう。この辺りを治める国の平民は年に2千ウォルもあれば十分に暮らしていけるのだから、その破格さが伺える。



「ルーナ様は4億ウォルか。そっちは気に入らんな」


「お? 懸賞金額負けて悔しいか?」


「言ったろ。お前は知る必要もない」



 会話で時間を稼ぎ、掠めた傷に回復魔法をかける。回復魔法は得意ではないが、幸い魔力は生まれつき豊潤に持っている。惜しまなければ大抵の傷は治る。

 それよりも今大事なのはあいつの”固有能力”だ。見たところ実体がなくなる能力らしいが、発動条件も詳しい効果も分からない。もう少し剣を交わし、確かめる必要がある。

 俺が剣を改めて構えると、男は眉を曲げて不機嫌を顕にした。



「おいおい、見苦しいぞガキ。お前は俺に勝てねぇって分かったろ。大人しくしてりゃ痛くしねぇぞ」


「それにも答えた。__お前はすぐに砂を噛むことになる」



 俺の一言に目を細めた男もまた構える。どうせまた真っ直ぐ突っ込んでくる。そう思って身構えていた俺の目の前で男の姿が揺らぐ__完全に、消えた。



「何……?」



 動きが速すぎて目で追えなかったわけではない。そんなヘマはしない。ということは、男は正真正銘その場で消えたということ。目で周囲を見渡しても誰もいない。刹那、気付く。

 確かな殺気が、俺に向かって真っ直ぐ突っ込んでくることに。



「っ!」



 その殺気が俺に到達する直前、大きく後ろに飛んだ。一瞬遅れて、突如現れた男が俺のいた場所に斧を振った。無傷で地に足ついた俺の頬を、遅れて風が撫で付ける。



「はぁ!?」



 今度こそ余裕をなくした顔で男は激昂して俺を見る。確殺の二撃を躱され気に食わないご様子だ。

 だが、あいつが馬鹿で助かった。あいつが殺気も隠していたら、確実に今の一撃は貰っていた。致命傷に至る前に反応は出来るだろうが、連撃の契機になる程度の傷は負っただろう。



「お陰で分かったぞ、お前の”固有能力”。分かれば単純なもんだ」


「……」



 俺の余裕の表情を見て苛立たしそうに顔を歪めた男は踏み込んでこない。俺なら今の二撃で自身の”固有能力”を看破すると確信したのだろう。それは正しい予想だ。



「風だな? お前は風と自身を同一化することが出来る。剣が起こした風に局部的に同化し攻撃を避け、吹き付ける風に全身同化して姿を消し、移動した。中々厄介な能力だが、実体化しなければ攻撃できないこと、何よりお前がその能力を使いこなせていないことが致命的な弱点になっている」



 傍から見たら明らかに規格外の能力。これが”固有能力”。努力だけでなく才能に恵まれないと開花しない、特別な者の証。かなりチート気味に感じるが、弱点がパッと思い付くだけこいつの能力には穴がある。デメリットのない”固有能力”もあることを考えると、十分戦いやすい相手と言える。

 俺の確認に男は決まり悪そうに頭をボリボリと掻き、溜め息を吐きながら呟いた。



「外れだ、って言ったら?」


「戯言だ。好きなだけ言え」



 剣を握る手に力を込める。そこを伝って魔力が剣に流れ込む感覚。刀身が、燃え上がる。



「【魔力付与・火炎】」



 文字通り、炎を纏った剣。それを見た男はやはり舌打ちをした。

 俺の出した結論はこう。相手が風に乗るなら、乗る風を乱せばいい。


 今度は俺が踏み込む。数メートルは一瞬にも満たない間に溶け、俺と男は既に互いの間合い内に。足を狙って振った俺の剣戟を同化せず跳んで避けた男は、俺の頭目掛けてナタを振り下ろす。その薄っぺらい金属は受けた俺の剣に当たった瞬間、その部分で溶け切れた。それを見届けず、男は俺から距離を取る。



「ふっ__!」



 剣を持たない手で掴んでいた斬れたナタの切っ先。それを男の着地する足目掛けて投擲する。迷わず男は同化、切っ先が男をすり抜けた。


 それを待っていた。改めて刀身に魔力を集中させる。そのまま振り切れば、斬撃の形で放たれた魔力に惹かれた炎がそれを覆い、燃える斬撃が男の足元に迫った。

 着地したばかりの男は同化を解くわけにはいかない。忌々しげにそれを同化で受け流す。瞬間、男の体が中へ舞い上がった。

 跳躍の動作なし、意思もなし。それもその筈、それは炎によって起こされた上昇気流に男が乗っただけだ。



「こうなればもうまな板の上の魚と一緒だな」



 素早く男の着地地点に回り込み、今度こそ実体化して落下してくる男を待ち受ける。

 剣から魔力を除去。途端に炎は消え、驚いた顔を一瞬見せた男が吠えた。



「降参か!? 舐めてんだったらさっさと死ねぇ!」


「舐めてなどいない。お前こそ俺を……剣士を舐め過ぎだ」



 刻一刻と迫る男の姿、その半身が既にぼやけている。さっきと同じことをすればあの体を刀身がすり抜けることは分かっている。ならどうすればいいのか? 簡単な話だ。



「【刺激強化(ドーピング)】」



 体を電流が走る。同時に振るわれる男の渾身の斧。

 行動は刹那、結果は一瞬。それで全て決まった。



「ぐ、あああぁぁぁ!!? 何故、何故だああぁぁぁ!!?」



 確かに同化していた男の腕は、二の腕の丁度真ん中から切り飛ばされていた。



「簡単だと言った筈。__お前が風になって避けるなら、風ごと斬ってしまえばいい」



 要は、剣を振る風すら起きない速度で剣を振り抜いただけの話。至極単純で、難しい理論など一切ない方法。しかしその効果は絶大で、慢心していた男の腕は既に切り飛ばされ、離れた場所で地面に突き刺さった斧を握ったままだ。

 途中で切れたナタを放り出し、耐え難い痛みに抗うように男は腕の切り口を押さえてのた打ち回る。痛みにも慣れておらず、命あっても臨戦態勢を整えようとしない。やはりこの男にはつくづく戦士の資質が欠落している。



「お前がもう少しまともな奴だったら命を助けようとも思ったが……正直期待外れだ」



 剣に付いた血を払い、止めを刺すため男に近寄る。もうこうなっては風と同化する為の集中すらままならないだろう。それに気付いた男は、転がり回るのを止め、歩み寄る俺を見上げた。物乞いをするような、みっともない下賤な表情。

 気色悪さから虫唾が走った。



「た、助ける気があったなら見逃してくれ……賞金稼ぎが賞金首狙うのは当たり前だろ?」


「そうだな。だが、返り討ちのリスクも当たり前だ」



 一閃。煌めくような太刀筋が光り、俺は剣を振り切った。



「__」



 断末魔も遺言も許さない超速の一太刀は胴体と泣き別れした首が飛ぶことすら許さない。一瞬間があり、遅れて気付いたようにずるりと落ちる首と吹き出す血が男の死を告げた。


 それは奇しくも、ルーナが祈りを捧げ終わったのとほぼ同時だった。



__________




「怪我はありませんか、ルーナ様」


「ええ。貰ってた仕込み石のお陰でね」


「それは何より。ラルム、お前も無事か」


「うん、お陰様で」


「ラルムくん凄いですよ! 初めて戦うっぽいのに一太刀も浴びずに無傷で戦いを終えるなんて! 私の初めて実戦なんて、途中で怖くなっちゃってリントに守ってもらっちゃったんですからね」



 リントの戦いが終わった後、リントのもとに2人で駆け寄ってお互いの無事を確かめ合った。

 詳しいところは見ていなかったからよく分からないけど、どうやらリントはあの男を圧倒して勝利したらしい。僕が思っているよりもリントはずっと強いという彼の言葉。どうやら自信過剰なわけではないようだ。

 見たところ傷のないリントは僕達の会話に受け答えをしつつも、何かを気にしているように辺りをキョロキョロと見渡している。



「どうしたの? リント」



 ルーナもそれに気付いたようで、小首を傾げながらリントに問いかける。リントは視線を戻さずに答えた。



「いえ……ルーナ様たちが仕留めた敵の数は覚えていますか?」


「え? えっと、8人だったかな?」


「魔術師も含めて?」


「それならプラス4くらいかも……」


「やはり」



 そのやり取りをして、リントは頭を抱えて俯いた。何か大きなミスをしたようなリアクションだ。

 森の中にいた魔術師も襲いかかってきた無法者たちも全部ルーナがやっつけてくれたよ。だから何も心配はないよ。そんな簡単な報告は、ルーナの心境を慮って喉を落ちていった。



「それが問題だった?」


「それ自体が問題なのではなく、魔術師はもっといたことが問題なんです。既に近くに気配がない、逃げられたんでしょう」


「え? いた?」


「森の中を走ってた時の魔法の手数を考えると4人じゃきかない。最低でももう1,2人」



 思い出すように目を瞑りながらラルムはそう言った。

 それの何が問題なのか、まだ僕には分からない。リントはやはり他人に考えを伝えるのが致命的に下手だ。1,2人殺さずに済んだ。それの何が問題足り得よう。

 そんな僕に説明をしてくれたのは、意外にもルーナだった。



「えと、ラルムくん。その魔術師を取り逃がしてしまったことで1番まずいことになるのはあなたなんですよ」


「え? 僕?」


「賞金首を狩りに行ったら、得体の知れない仲間が増えてました。もし逃げた魔術師が他の仲間か同業者にそう触れ回ったらどうなると思う?」



 リントのその問いに嫌な予感がした。賞金稼ぎ界隈のことはよく知らないが、もし僕がそう聞かされたら。



「僕も賞金首になる、とか……?」


「まあ良くてそれだ。悪くて拷問、俺達の居場所を聞き出すのに使われるだろうな」


「ひえ」



 無慈悲な宣告。まだ行く宛も決まっておらず、実力も未熟らしい僕がさっきの男みたいな奴からこれから先狙われることになったら。そう考えると戦ってるときですら忘れていた恐怖が込み上げてきた。

 さっき戦った男たち。彼らに僕は勝てないだろうけど、同時に負けることもないだろう。それくらいの実力差だったからこそ落ち着いて戦えていたと言える。

 だけど、あの男のことを考えると手足が竦む。なまじ戦闘能力を見に付けてしまったからこそ分かる、あの男の強さ。僕が相手をすれば、あっという間に四肢を切り取られて達磨にされてもおかしくない。


 途端、僕の目の前は真っ暗になった。死刑宣告にも近いリントの言葉は僕を暗闇に叩き落とした。さっき抱いたはずの高揚感もワクワクも、全てが吹き飛んで__。


 パンッ! と、小気味良い音が目の前で鳴った。



「わぁ!? な、何だよ」


「お前は人の話を聞かない天才か。ルーナ様が喋ってるだろ」



 僕の顔の目の前で手を打ったリントは呆れ顔で僕の視線と注意をルーナに向けた。ルーナは僕の視線を受けてあはは、と苦笑を見せた。



「そう悲観ばかりが人生ではありません。どうですか? ラルムくんさえ良ければ今後私達と一緒に旅をしませんか?」


「え?」


「勿論ラルムくんにも仕事とかやってもらいますし、何より私達は高額賞金首ですから強い賞金稼ぎが狙ってきます。危険を承知でそれでいいと言うなら」


「ぼ、僕!」



 ルーナの言葉を遮って僕の口から勝手に言葉が飛び出した。しかしルーナもリントもそれを何とも思わないような態度で、表情で僕の次の一言を待ってくれている。



「僕、君たちと一緒に旅がしたい」


「__」


「僕の使命ってのも君たちの最終目的もよく分からないけど、君たちには恩があるから。負担には変わりないかも知れないけど、でも、僕が捕まって君たちの居場所がバレる心配を君たちにかけたくない。勿論捕まりたくないってのもあるけど」



 精一杯の言葉を並べるけど、きっとそれは意味がない。

 どう言葉で飾ろうと、僕と彼女らが一緒に行動するのは僕のメリットの方が大きい。大して彼らはそこまで大きな恩恵があるわけではない。それでも一緒に居ても良いと言う慈悲を逃すまいと見苦しく縋っている。



「それでも君たちとは、一緒に居たいって。そう感じるんだ」



 心のどこかで。妙に違和感のある胸のどこかで僕の直感はそう叫んでいた。彼女らと離れてはいけない、そう感じていた。

 そんな僕の何の根拠もない言葉を信じる人なんていない。いるとすれば何も物が考えられない人か。



「__ええ、私も」



 目の前で可憐に微笑む、極度のお人好しか。

 まるで大輪の花が咲いたかのように微笑む彼女の笑顔は、真っ暗闇に叩き落されていた僕を掬い上げる、否、闇を弾き飛ばした。



「ふふ、"転生者"に運命を感じてもらえるなんて光栄です。ね、リント」


「ええ、少なくとも今の俺らには願ったり叶ったりです」



 僕の懸念なんて1つも考えていない、とでも言うように彼女らはすんなりと首を縦に振った。肩透かしを食らって惚ける僕の額をリントが小突いた。



「一緒に行かないかって提案してるのはこっちだ。何でお前がそんなに畏まる」



 確かにそうだけど。僕がその問いに答えあぐねているとルーナがクスリと笑った。



「ふふ、2人共とっても仲良くてちょっと妬けちゃいますね。私もちゃんとしたお友達は初めてです」


「お友達……」


「あ、あれ? こういうのってお友達って言うんじゃなんですか?」



 コロコロと表情を変えるルーナ。そしてルーナをからかったことで僕の頭をまた小突くリント。

 これから僕と共に旅をしてくれる、この世界の初めての仲間。そして、友人たち。僕のような立場の人間で、どれほどがこんなにも恵まれた出会いを果たせよう。きっとこれは必然なのかもしれない。それでも納得できてしまえそうな安心感が、確かにそこにあった。



「じゃあじゃあ、記念に美味しい料理でも食べましょうよ! お鍋は新調しなきゃですけど、晩御飯までに私が腕によりをかけて歓迎の料理作ります!」



 楽しそうにそう宣言したルーナに、リントが首肯する。2人の視線が僕に集まるのを感じた。

 ルーナの料理が美味しいのなんてもう知ってる。彼女が料理を作ってくれると言うなら期待以上の料理が提供されるのはほぼ間違いないだろう。

 2人の視線を受けて、やっと気持ちが落ち着いた僕は、一言だけ捻り出した。








「血ぃ見たばっかりで食欲ないかも」


「【デスペルタル】__!」


 

 この世界に来てから最大の命の危機を乗り越え、僕の物語の序章は幕を閉じた。





________




 この森に入ってどのくらい経っただろう。

 太陽が昇っている時間帯でも常に薄暗いこの森は、踏み込んだ者の時間間隔を狂わせる。森の入口から目的地まで遠いこともあって既に心身共に疲れ果てていた。いや、疲れ果てている理由は他にある。


 欲深い我らがボスが狙った4億ウォルの女と3億ウォルの男。特に、ボスを殺したあの男。彼らは決して我々のような中途半端な存在が手を出していい獲物ではなかった。

 そこに関しては反省しよう。だが、国を追われてからずっと寝食を共にした仲間たちを殺された恨み。これは無視することは出来ない。余裕こいてボスを殺した男も、見た目によらず恐ろしい技を持った女も、話にはなかった"転生者"と言われていた男も、必ず同胞のもとへ送ってやる。

 だがそれには足りない。力も人数も、全く足りない。



「ハァ、ハァ……『守護鬼(ガーディアン)』のアジトはまだか……!」



 そのために、この森に住むという『守護鬼』に力を借りようと思い、ここまでやってきたのだ。



「『守護鬼』と同じ"転生者"に、7億ウォルの賞金首……きっと、きっと仇討ちに協力してくれる……!」






「仇討ちには興味ねぇが」






 耳元で声。反射で腰の杖を抜く。より先に軽い衝撃。視界が反転した。



「あ__?」


「その7億ウォルは俺たちが貰ってやる」



 視界の端に、見慣れた体。首のない、力尽きた体。見覚えが……何十年……共に、生きてきた____。

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