第七幕:敗走
「む?」
余の乗っている旗艦がガクンと一つ揺れたかと思うと、途端に進みが遅くなった。
「オイ、セバイ、何があった?」
「……風向きが変わりました」
「何だと!?」
確かに船上に掲げてある旗を見ると、風が東南からのものに変わっていた。
……くっ!
「だ、だが、それくらいのこと、問題はないのであろう? 兵力ではこちらが圧倒しているのだからなッ!」
「……はい、それはそうですが」
何とも歯切れの悪い言い方に、余の中にジワリと黒いものが広がる。
「ソウソ様ぁ、まだ戦いは終わりませんかぁ?」
「も、もう少しだシーベ! 大人しく待っておれ!」
「はぁい」
くっ、これだから頭の足りない女は……!
コーメならこんなことはなかったというのに。
――ハッ!? 余は何を考えているのだ!?
あんな頭でっかちの可愛げのない女に、余が未練などあるはずがなかろう……!
「うわぁっ!!」
「「「――!!」」」
その時だった。
前方から我が軍の兵士の悲鳴が聞こえてきた。
「何があった!?」
「火です! ショクゴ軍から無数の火矢を浴びせられていますッ!」
「「「――!?!?」」」
何いいいいいいい!?!?
「アッハッハ、これはこれは、壮観だなぁ」
次々と火が燃え移っていくギアン軍の船を見て、ゲツエ様が子どもみたいにパチパチと手を叩いてはしゃがれている。
うふふ、シュユさんと違って、ゲツエ様のこういうお姿はギャップ萌えだわ。
東南から吹いている風がギアン軍の船を足止めし、且つ後方に火を燃え移らせていく。
船同士を連結させているのも、この場合は裏目に出ている。
慎重なお父様ならきっと船同士を連結させていると思っていたけど、皮肉なものね……。
慎重が故に、自分たちの首を絞めることになるなんて。
――こうして火の力で大半の戦力を削いだところに、ショクゴ軍自慢の水兵が突撃。
あっという間に戦況は覆り、ギアン軍を蹂躙した。
さて、後は仕上げね。
「ゲツエ様、参りますよ」
「うむ、どこまでも俺を導いてくれ、コーメよ」
「ゲツエ様!?」
ゲツエ様に真摯な瞳でギュッと手を握られる。
だ、だから、そういうことをすると勘違いしそうになるからやめてくださいと申したじゃありませんか、もう……!
「……陛下、誠に遺憾ではありますが、ここまでのようです」
「……くっ!!」
もう僅かしか残っていない我が軍を見て、流石に余も察する。
――ギアンはこの戦いに敗けたのだと。
クソが!!
クソがクソがクソがクソがクソがああああああ!!!!!
ショクゴ程度のクソ雑魚が、たまたま運が味方したくらいで調子に乗りおってええええ!!!!
「ソウソ様ぁ! ねえ敗けちゃったんですかぁ? 私に勝利の美酒を味わわせてくれるって言ってたじゃないですかぁ?」
「――!」
コイツ……!!
「空気を読めこの……クサレ脳ミソがァーーッ!!!」
「ギャアッ!!?」
シーベの顔面を思い切りブン殴ってやった。
「あ、あああああ……!! ゴメンなさい……!! ゴメンなさああああい……!!」
シーベは惨めったらしく鼻血を吹き出しながら、泣いて謝る。
フン、それでいいんだよ、それで。
「……陛下、早く逃げましょう。岸辺に馬を用意してございます」
「わかっておる! 国に帰ったら貴様には責任を取らせるから、覚悟しておけよ、セバイ!」
「……御意」
ああもう、今日は人生最悪の日だッ!
「む?」
馬に乗って自国へと向かう山中。
突如どこからともなく、ジャーンジャーンという銅鑼の音が鳴り響いてきた。
何だ!?
「どこに行こうというのですか、ソウソ陛下」
「げえっ、コーメ!?!?」
余の前に立ちはだかったのは、我が国から追放し、とっくの昔に野垂れ死んでいたはずの、元婚約者だった――。