第四幕:暗雲
「お疲れ様です」
「おお、コーメ、お疲れ!」
「お疲れ様コーメ。この前コーメから提案してもらった陣形、正式に採用することになったよ」
「まあ、それはよかったです」
私が軍略会議室に入ると、同僚のみなさんが暖かく私を迎えてくれた。
――私がショクゴ王国に来てから、早や二ヶ月が経った。
この二ヶ月で、ショクゴの軍事力は目に見えて向上した。
私がショクゴに来て早々独自に隅々まで調べたところ、ショクゴは兵の数こそ私の祖国であるギアン帝国に比べれば圧倒的に劣るものの、兵一人一人の練度は勝るとも劣らないものだった。
特に広大なセキヘ河に面していることもあり、水軍の戦闘能力の高さは大陸一と言っても過言ではない。
足場の不安定な船上での戦闘に長けているのだ。
――足らないのは軍略だけだった。
今まで軍事力で他国に劣っていたのは、軍師の力不足によるところが大きかったのだ。
だから私の持ちうる限りの兵法を授けただけで、軍事力は劇的に向上した。
つい先日起きたチョーア共和国との小競り合いでも、倍以上の兵力差を覆して我が軍が見事勝利を収めた。
今ならどんな国と戦うことになったとしても、互角以上に渡り合う自信がある。
ショクゴのみんなも、今では私に家族のように接してくれている。
……ただ一人を除いて。
「コラ小娘! また貴様は勝手に軍略会議室に入って来おって!」
その時だった。
軍師のシュユ様が、顔を真っ赤にしながら軍略会議室に入って来た。
やれやれ。
「シュユ様、何度も申しております通り、私も国王陛下に正式に任命された軍師補佐官の一人です。軍略会議室にいる資格はあるかと」
「そうですよシュユ様!」
「コーメは本当によくやってくれています!」
「だまらっしゃい! この国の軍師は私だぞッ! その私が認めないと言っているんだ! そもそも女なぞに軍師補佐官が務まるものか! 女は大人しく女の仕事をしておればいいのだ!」
「「「……」」」
あまりに時代錯誤なシュユ様の発言に、一同はドン引き。
……でも、これが実情なのよね。
私のお父様も、シュユ様と似たような思想だったし。
「た、大変ですッ!!」
「「「――!」」」
その時だった。
伝令係が血相を変えて、軍略会議室に入って来た。
何事……!?
「何だ騒々しい!」
「ギ、ギアン帝国が、我が国に宣戦布告してきました……!」
「……な、何いいいいいいい!?!?!?」
そんな――!!
「アッハッハ、これはこれは、壮観だなぁ」
「何を吞気なことを言っているのですかゲツエ様!?」
セキヘ河を挟んで、ショクゴとギアンの両軍が向かい合っていた。
ショクゴの兵およそ五万に対して、ギアンはおよそ百万――。
セキヘ河の向こう岸を見渡す限りのギアン兵が埋め尽くしている光景は、確かに壮観ではある。
「……ゲツエ様、恐れながら申し上げます」
「うむ、申してみよ、シュユ」
「……この絶望的なまでの兵力差。しかもギアン軍を指揮しているのは、あの軍神セバイです」
シュユ様がギロリと私を睨んでくる。
もう私はチュターツ家とは縁を切られた身ですので、そんな目で見られても困るのですが。
「うむ、それで?」
「大変遺憾ではございますが、ここは降伏すべきかと」
――!
……シュユ様。
「だ、そうだが、君はどう思う、コーメ?」
「――!」
ゲツエ様がいつもの不敵な笑みを私に向けてくれる。
それだけのことで、こんなに絶望的な状況にもかかわらず、私の中から無限に勇気が湧いてきた。
嗚呼、やはりこの方こそが、王の器だわ――。
「降伏の必要はございません。この戦、必ず勝てます」
「フフ、面白い」
ゲツエ様は顎に手を当て、コクリと一つ頷いた。
「だまらっしゃい! ゲツエ様、こんな小娘の妄言に騙されてはいけません! 多くの兵の命が懸かっているのです! どうか慎重なご判断を!」
「うむ、確かにシュユの言うことも一理あるな。はてさて、どうしたものか」
ゲツエ様はわざとらしく困り顔をする。
――この方は、私を試されているのだわ。
「それでは私から一つご提案があります」
「だまらっしゃいッ!!」
「よい。コーメ、申してみよ」
「ゲ、ゲツエ様!?」
「はい。現在我が軍は兵力もさることながら、矢の数が圧倒的に不足しております」
先日のチョーア共和国との小競り合いで、矢を大量に消費してしまったからね。
「うむ、確かに」
「そ、そうだ! だから私は降伏すべきだと言っているのだ!」
船上での戦いは、どうしても遠距離からの矢での攻防が主体になる。
だからこそ、矢がないことにはそもそも戦いの土俵に乗ることさえできないのだ。
「ですから私が――明日までに十万本の矢をご用意してご覧に入れます」
「十万本だとッ!?」
「……フフ、フフフフ、実に面白い。やはり君を登用した俺の目に狂いはなかったようだ」
「で、ですがゲツエ様、一日で十万本も矢を作るなど、どう考えても不可能です!」
確かに、鍛冶師たちが総動員で徹夜したとしても、精々一万本が限界だろう。
「それをコーメがやると言っているのだ。軍神セバイは慎重派だ、いずれにせよ今日中にギアンが攻めてくることはあるまい。降伏するのは明日でも十分間に合うはずだ」
「……わかりました。どうせ達成することなどできるはずがないのですからな。私はこの小娘が失敗するほうに、軍師の椅子を賭けても構いませんよ! その代わり、失敗したら二度と出過ぎた真似をするんじゃないぞ! いいな!」
「ええ、承知いたしました」
うふふ、その言葉、忘れないでくださいねシュユ様?