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信長廃嫡  作者: 白紙撤回
第十章  萬松寺
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第十章  萬松寺(8)

 

 

 

 吉法師への輿入れのため、井ノ口の居館を出立しゅったつした帰蝶姫には、侍女と侍衆、それに警護の将士が多数付き従っていた。

 警護に当たるのは斎藤山城入道の旗本のほか、西美濃衆の稲葉、安藤、氏家、不破らが遣わした精兵たちだ。

 西美濃衆はそれだけ強く、この縁組の成功を望んでいる。

 少なくとも美濃領内で不測の事態が起きて、輿入れが延期や取りやめになることがあってはならない。

 警護の者は武装しているが、輿の前後に随行する侍は烏帽子に直垂の正装である。

 随行者の中には平手とその子息の甚左衛門、それに仲介役を務めた堀田道空も加わっている。

 平手は山城入道の家老の一人、春日丹後かすが たんごと馬を並べていた。

 丹後は恰幅かっぷくがよく、赤ら顔だ。

 大事な輿入れであるから宴席が始まる前に酒を飲むはずはなく、顔色は地だろう。

 それにしては声高に話す調子も酔っぱらいのそれに似て、よほど上機嫌な様子である。

 

「いやあ、平手殿。こたびの御縁組で濃尾一和が成れば、これほど目出度めでたいことはござらぬなあ。婿殿が類稀たぐいまれなる美形と聞いて、姫様も御輿入れを愉しみにしておられたのじゃ」

「いかにも我が殿は美男にござるが、姫様も見目麗みめうるわしき御方と聞こえてござる。御似合いの夫婦めおとになりましょうなあ」

 

 平手は、にこやかに調子を合わせる。

 その後ろでは甚左衛門が、やはり山城入道の家臣の福富平太郎ふくずみ へいたろうと馬を並べている。

 福富は上背があり、眼差しが鋭い。

 甚左衛門の兄の五郎右衛門に似て口数は少ない。

 それでも五郎右衛門は兄弟であるから甚左衛門との会話は拒まないが、福富のほうは話しかけても二言、三言の最低限な答えが返るだけである。

 どうにも反応が薄いので、甚左衛門もあきらめて口をつぐむことにした。

 堀田道空はそのあとを、のんびりと馬を進ませている。

 井ノ口から那古野へ向かうには、墨俣で木曾川を越えて尾張領の黒田へ渡り、下津、萱津を経由する古来の鎌倉道を辿るのが最短経路だ。

 しかし黒田城主の山内猪之助やまうち いのすけが岩倉の織田伊勢守の配下であり、備後守とは敵対する立場であった。

 それゆえに輿入れの一行は、いったん西へ向かって長良川を越え、その西岸を南下したのち、再び川を越えて竹ヶ鼻から尾張に入る迂回路をとった。

 古来、木曾川は数百年おきに大氾濫を起こして流路を変えている。

 そのたびに濃尾両国の国境も変わっていたが、それが原因となって清和の帝の治世の貞観八年には両国の役人の間で争いが起き、美濃側が兵を出して尾張側を襲う紛争にまで至った。

 天文十八年の時点では、木曾川本流は墨俣で長良川と合流しており、その左岸となる竹ヶ鼻は尾張国葉栗郡に属している。

 ただし実際は、それより東を流れる木曾川支流の黒田川までは山城入道の勢力圏で、竹ヶ鼻城には不破家が城代を置いていた。

 竹ヶ鼻城の南東、駒塚で黒田川を越えれば備後守の勢力圏である。

 美濃側が警護に当たるのは駒塚までで、兵たちと侍衆の大半はそこで引き返す。

 対岸の富田からは尾張側が警護を引き継ぐのである。

 しかし美濃側の随行者の中でも春日丹後を含む十人ほどは、那古野まで同行して祝言に参列してから、美濃へ戻る。

 また、福富平太郎ほか数名は祝言ののちも帰蝶姫付きの家来として、尾張に留まることになっている。

 一行は途中で小休止もとりながら何事もなく駒塚に到着した。

 駒塚には黒田川を越える小さな渡し場があったが、朝から一般の旅人を川留かわどめした上で、山城入道が派遣した役人が近隣の村人に指図して輿入れの一行を渡河させる準備を整えていた。

 帰蝶姫の輿や随行者の馬を渡すためには、いかだが数艘、用意されている。

 ほかに小舟も十数艘が待機しており、那古野まで随行する侍女と侍衆は、さほど時をかけずに川を渡ることができそうだ。

 対岸には尾張方の兵の姿が見えた。

 どうやら二百を超えていて、吉法師配下の那古野の兵だけではなかろうと平手は思った。

 吉法師自慢の足軽衆は、引き続き竹千代のいる安養寺の守りについているから、この場に姿はない。

 代わりに備後守から与力の兵が送られ来たのであろうか。

 馬を筏で運ぶときは乗り手の侍は下馬したが、輿は帰蝶姫を乗せたままで川を越えた。

 平手も甚左衛門、春日丹後、福富平太郎とともに小舟に乗り込み、対岸へ渡った。

 堀田道空は別の舟になった。

 対岸では内藤勝介と平手五郎右衛門、それに滝川久助が兵たちとともに待っていたが、いずれも何か言いたいのに口止めされているような微妙な顔つきであった。

 療養を終えて復帰した内藤だが、顔と手足に赤い火傷の痕が残っている。

 しかし備後守からも兵が遣わされているなら、それを率いて来たのは誰であろうか。

 春日丹後は、尾張側の侍たちの微妙な態度に気づかないのか、相変わらず上機嫌な様子で声高に言った。

 

「それでは尾張の衆、ここからはよろしくお願いいたしまするぞ。花嫁御寮を無事に花婿殿のもとまでお届けくだされ」

「は……その儀につきましては」

 

 兵たちの後ろから声を上げつつ現れたのは、柴田権六であった。佐々隼人正を伴っている。

 

「我らが警護の御役目、相務めまするが、実のところ那古野の城にさわりがあり、いったん御寮人様には末森の城へお入りいただきたく存じまする」

「晴れの祝言の日に障りじゃと。そりゃいったい何事でござるか」

 

 眉をしかめる丹後に、権六は頭を下げて、

 

「されば仔細は、あらためて備後守より御寮人様へ申し上げましょうゆえ、まずは末森まで御動座くださいますよう」

何故なにゆえこの場で仔細を申さぬ!」

 

 厳しい声を上げたのは福富平太郎であった。

 隣にいた甚左衛門が、思わずびくりと震えたほど大きな声を張り上げて、

 

「我らが何処いずこの道を参るかは尾張方とて承知であったろう! 輿入れに障りがあると申すなら、まず急使を遣わしてそれを報せて寄越すべきであろうが!」

「は……申し訳もございませぬ」

 

 権六は福富に、深々と頭を下げた。

 

「されど不意に出来しゅったいいたしました事にございますれば」

「それで騙し討ちのように、川のこちら側で我らを待ち構えておったか! 舟は全て美濃側の渡し場にあったかもしれぬが、さほど幅もない川だぞ! 火急のことだと大声で呼ばわれば、舟を戻すこともできたであろうが! 初めから有無を言わさず姫様を虜囚とりこにいたす了見であったとしか思えぬ!」

「いえ決して虜囚などとは。ただ大殿のおわします末森へ一時いっときの御動座をお願い申し上げておるばかりにござる」

 

 権六は頭を下げたまま言ったが、福富は聞く耳を持たずに平手に向き直り、怒鳴った。

 

「これは如何いかなる仕儀か、平手殿! 備後守様は初め、御正嫡の三郎様ではなくその弟の勘十郎殿への姫様の輿入れを望んだと聞いておる! よもやこれは、その考えを捨てきれずの謀事はかりごとか!」

「……いえ決してそのようなことはなく」

 

 平手も深々と頭を下げたが、何が起きているのかは、さっぱり理解できずにいる。

 そこに、あとから川を渡って来た堀田道空が、ひょこひょことやって来て、告げた。

 

「福富殿のお声が大きいので、何が起きたか川を渡る間も聞こえていましたが。と言いますか、対岸の美濃の衆にも福富殿の怒鳴り声で、どうやら変事があったようだと伝わっていると思いますが」

 

 確かに対岸の美濃方の将士がざわついている。

 美濃側に戻った渡し船に数人の侍が乗り込み、こちらの様子を確かめに来ようともしている。

 平手は素早く考えを巡らし、権六に向かって告げた。

 

「されば那古野へ向かうのに触りがあると申すなら、いったん御寮人様には当地の聖徳寺に御動座願うのはいかがであろう」

「聖徳寺でござるか……?」

 

 問い返す権六に、平手はうなずき、

 

七寶山しちほうざん聖徳寺は本願寺のじき末寺にして、濃尾両国守護より不入の免許を得てござる。つまり美濃にも尾張にもくみするものではござらぬゆえ、美濃の衆にもそれで御承引願いたい。いかがでござろうか、春日殿、福富殿」

「されば……、いや」

 

 春日丹後は結論を出さず、福富の顔を見る。

 丹後は家老という要職にはあるが、帰蝶姫の輿入れに限っては福富が全権を委ねられているのだろう。

 福富は平手に問い返した。

 

「寺の側はそれを承知いたそうか」

「されば聖徳寺の当代、顕勝けんしょう和尚にはいまだ若年にござって、石山の御本山にて御学問に励まれておわしまするが、代僧の明蓮みょうれん殿とはそれがし、知己にござれば必ず御承知いただけようものと」

 

 平手の答えに、福富はうなずく。

 

「なれば平手殿に任せよう。ただし、我らも対岸よりこちらへ、いくらか兵を呼び寄せさせていただく」

「……それでよろしいかな、柴田殿」

 

 平手はたずね、権六はうなずいた。

 

「致し方もござらぬ。御寮人様の御輿入れを、この場で破談とさせるわけにも参らぬゆえ」

「では、それがし明蓮殿を訪ねて参るゆえ、しばらくこの場でお待ちあれ。……内藤殿、御同道願えぬか」

「うむ、相わかった」

 

 呼びかけられた内藤勝介は、そそくさと平手に近づき、並んで歩き出す。

 平手は声を潜めてたずねた。

 

「……いったい、これはどうしたわけなのじゃ」

「いや、それがしにも、さっぱりわかっておらぬ」

 

 内藤は眉をひそめて首を振る。

 

「かねての手筈てはず通り、この場で兵たちとともに御輿入れの一行を待っておったら、柴田殿と佐々殿も兵を率いて駆けつけて参ってな。大殿のお指図にて、帰蝶姫様には那古野ではなく末森城の奥御殿へ御入り願うべしと申すのよ」

「そのようなこと、美濃方が承知いたすはずなかろうが」

 

 平手は呆れて首を振り、

 

「それは、まことに大殿のお指図なのか。美濃との和議が破談になってもよいということなのか。帰蝶姫様を虜囚にいたしたところで、面子めんつを潰されて激怒した西美濃衆は遠慮なく攻めかけて参ろうぞ。いや西美濃衆ばかりを相手に正面からの戦であれば我らが数で勝ろうが、津島を火攻めにされたり木曾川往来の舟を襲われたら難儀じゃぞ」

「うむ……それがおわかりにならぬ大殿では、ないはずなのだが」

 

 内藤も言って、首を振った。

 

 

 


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