第十章 萬松寺(6)
津津木蔵人の父親は弾正忠信定の右筆であった。
このごろでは──つまり備後守に代替わりして以降は──右筆も地位が向上し、発給文書の起草を任されるなど裁量の幅が広がっていたが、弾正忠の時代は右筆といえば、奉行の指示通りの文書を書き上げるだけの清書係の扱いだった。
だが本来の蔵人の父親は和漢の詩歌に通暁した能書家であり、有職故実にも明るく、吏僚としてしかるべき地位を与えられていたなら、その才を発揮しただろう。
しかし当主が備後守に代替わりしたのち、しばらくして父親は病に倒れ、世に名を知られぬまま亡くなった。
母親は蔵人を実家に置いて、すぐに津島の社家に後添えとして再嫁した。
もともと父親との関係がうまくいっておらず、心残りもなかったのだろう。
父親は控えな性格ゆえに、その才を上役から正しく認められることがなかった。
連歌会に備えて詩歌をまとめて代作するよう上役から頼まれて、見返りも求めず応じるようなお人好しでもあった。
そんな父親を、母親は軽んじていた。
自身の姉──蔵人の伯母が勝幡城下の侍長屋を訪ねて来るたびに、母親は父親の悪口を言っていた。
母親は津島のそれなりに裕福な商家の娘だった。
これが美男の若侍であった父親が所用で津島を訪れた際に一目惚れして、知己の伝手を辿って押しかけ同然に嫁入りした。
ところが才はあっても認められず、出世と縁遠い父親との生活で質素倹約を強いられることが、お嬢様育ちの母親には耐え難かったのだ。
日々の勤めを終えて長屋に帰り、小さな盃に一杯きりの晩酌で満足した父親が美声で詩歌を吟じるのを聞くのが、幼い日の蔵人は大好きだったのだけど。
だから、その父親を悪く言うばかりの母親のことは好きではなかった。
母親が再婚するに当たって実家に置いて行かれることになっても、蔵人は寂しいと思わなかった。
母方の祖父母のほうは蔵人を持て余して、熱田の商家に丁稚奉公に出そうとした。
当時八歳の蔵人は強く反発した。
「わたしは、武士の子です!」
津津木家の先祖は、かの源頼朝公に厩別当として仕えた都筑平太である。
少なくとも父親は、そう言っていた。
都筑家は武蔵国都筑郡を本拠として、古代以来の馬牧である立野牧をも領していたが、源平の争乱においては平家方に属して頼朝公に敵対した。
このため平家没落後に都筑平太は捕らえられ、梶原景時に預けられて処罰を待つ身となった。
だがそうしたときに、奥州から頼朝公に献上された大きく猛々しい荒馬を御家人の誰も御せずにいたところ、景時に推挙された平太が見事に乗りこなしてみせた。
立野牧を領する平太が馬の扱いに秀でていることを景時は知っており、その才を惜しんで助命の機会を伺っていたのである。
平太は罪を許された上に厩別当に取り立てられる栄誉を賜った。
そののち都筑家は鎌倉幕府の治世で大いに栄え、各地の地頭職に任じられて、一族の者が現地に赴いた。
尾張にも、都筑家の一族の者が来住することになった。
だが建武の御新政、室町幕府の成立と南北朝の騒乱を経て、いつしか尾張の都筑一族は没落した。
それでも蔵人は、誉れ高い厩別当、都筑平太の末裔として商人に身を落とすことは受け入れ難かった。
蔵人のその態度に母方の祖父は激怒した。
「武士と申すなら我らも南朝の遺臣、津島十五党の末裔じゃぞ。しかし孫子の代まで家名を伝えるには商いでも何でもして暮らしを立てにゃならんのじゃ。軽輩者の右筆風情の息子が我こそ武士じゃと偉ぶるなら、一人で好きに生きるがよいぞ!」
そう言われた蔵人は、母方の実家を飛び出した。
父方の実家は知多にあるらしいが、父親の生前から音信は絶えていた。
しかし、ほかに行くあてがないわけではなかった。
父親と交誼のあった梶原平次郎が居する丹羽郡の羽黒城である。
犬山城のやや南にあり、津島から木曾川を遡行する舟にうまく潜り込めば、八歳の蔵人でもさほど苦労せず辿り着けるだろう。
梶原平次郎は、かの梶原景時の末裔で、いまは備後守の配下である。
先祖に縁があったということで、城主と右筆で立場は違うが、蔵人の父親との交誼が生まれたらしい。
故事来歴に精通しながら、謙虚で温厚な蔵人の父親に、平次郎は一目置いていたようである。
蔵人が黙って舟に潜り込もうとしたのは、すぐに見つかったが、船頭に頼み込むと犬山城下の川湊まで便乗させてもらえた。
そこから羽黒城まで辿り着くと、平次郎は驚きながらも暖かく迎えてくれた。
「商人になど身を落とさず武士として生きたいと申すのは、立派な心構えぞ。よろしい、儂が後見となり、そなたを殿の小姓に推挙いたそう」
そうして蔵人は、いったん備後守の小姓となったのち、勘十郎──当時の幼名は坊丸──が五歳になると、あらためてその小姓につけられた。
自身を取り立ててくれた備後守に蔵人は恩義を感じていたが、それ以上に坊丸には、その幼いうちから側近くにあったので深い敬愛の情を抱いた。
蔵人は父譲りの美男であったが、武士として立身出世するべく小姓として勤めながら武芸の鍛錬に励んだので、体つきも逞しく成長した。
元服した蔵人が小姓から近習に身分が変わると、家中のあちこちから縁談が舞い込むようになった。
その幾つかは父代わりの立場の平次郎が取り持ったが、蔵人は正直な気持ちを平次郎に打ち明けた。
「わたしは女子というものに信が置けぬのです。母や伯母が毎日、勤めに出ている父の悪口ばかり言うのを聞いて育ちましたので」
「しかし津津木の家名を絶やさぬためには、嫁を迎えて子を作らねばならぬのだぞ」
平次郎は眉をひそめたが、蔵人は重ねて言った。
「はい、いつかはそうしなければならないでしょうが、せめてそれは坊丸様が御正室を迎えられてからにしたいと存じます」
「そこまで申すなら、儂も無理強いはいたさぬ」
平次郎も聞き入れてくれた。
そうして蔵人は元服後の勘十郎の第一の側近という立場になった。
その勘十郎の目下の懸案は、兄の三郎であった。
三郎の存在そのものが、勘十郎を悩ませているのである。
勘十郎が望むのは、備後守から家督を継承すること。
そのためには、三郎が邪魔なのだ。
それについての解決策を、蔵人は、ようやく見出した。
末森城内で居室とする書院で、そのあらましを聞かされた勘十郎は、視線は書見台の上の書物に向けたまま、微笑を浮かべた。
「……初めから、そうしておけばよかったのだな」
「申し訳ございません。あれこれ無駄な策を弄して、時をかけすぎました」
蔵人が頭を下げると、勘十郎は微笑みのまま首を振り、
「いや……あの医師の件があったからこそ、この一手が、より効果を生むだろう」
「はい、そうおっしゃっていただけますなら幸いです」
安堵した様子の蔵人に、勘十郎は目を向け、眉をしかめてみせる。
「しかし、ユキのあれは、やりすぎだぞ」
「仕方もありません。医師の件が露見した以上、酒にも誰か毒を入れたのではないかと皆が疑うでしょう。問い詰められて黙っていられるほど、ユキが思慮のある者とは思えませんでした」
「だからといって、あのようなかたちで打ち捨てるとは。まあ、やってしまったことは仕方もないが」
勘十郎は書物に目を戻す。
「わたしが父上を継ぎ、当主となったとして。しばらくは一のおとなは権六とするが、いずれあの者にも面目が立つよう那古野かどこか要所の城を任せることとしよう。代わって、わたしの側近くで一のおとなを務めるのは蔵人、そなただ」
「は……ありがたきお言葉」
蔵人は深く頭を下げた。




