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信長廃嫡  作者: 白紙撤回
第十章  萬松寺
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第十章  萬松寺(3)

 

 

 

 吉法師の朝餉あさげは質素──というより「簡素」である。

 夕餉ゆうげには功績のあった家臣を招いて宴を催したり、来客と膳をともにすることもあるが、朝は手早く腹ごしらえを済ませて仕事にとりかかるのが吉法師のやり方だ。

 吉法師は払暁ふつぎょうに寝所で目を覚ますと、宿直とのいの小姓を呼び入れて着替えを手伝わせる。

 そのあいだに小十蔵が次の間に膳を運んでおく。

 膳の上に並ぶのは、決まって湯漬けと焼き味噌と梅干しだ。

 飯櫃めしびつ鉄瓶てつびんも別に用意してある。

 湯漬けを茶碗に三杯ばかり掻き込むのが、いつもの吉法師である。

 その日の朝も、着替えを済ませた吉法師は寝所から次の間に来て、どかっと膳の前に座った。

 備後守や孫三郎など目上の者の前に出るとき以外は、獣皮を継ぎ当てた小袖と袴をまとい、火打ち石や瓢箪を腰に吊り下げるのが吉法師のお決まりの姿となっている。

 外出のときは小十蔵に鉄炮を持たせて、鳥やら猪やら獲物を見つければ、すぐに鉄炮を受けとって瓢箪から出した鉛玉と弾薬たまぐすりを装填し、狙い撃つのである。

 そうした姿を目にした家臣や領民は、ほとんど的を外すことのない技の見事さを褒める者もあれば、どこでも見境なく鉄炮を放って轟音で周りの者を驚かせるのは武士として浅ましいと嘆く者もある。

 吉法師は決して見境なく鉄炮を放つわけではなく、もしも狙いを外したときに流れ弾で人を傷つけることのない場所を選んでいるのであるが。

 

「おはようございます」

 

 頭を下げる小十蔵に、吉法師は「うむ」とだけ答えると、早くも茶碗を手にとり、湯漬けの一杯目を掻き込んだ。

 

「……うむ」

 

 吉法師は空にした茶碗を小十蔵に突き出す。

 それを受けとった小十蔵は、二杯目の湯漬けを用意する。

 その間に吉法師は、焼き味噌を箸で半分に分け、一片を口に放り込む。

 二杯目の湯漬けを渡されて、吉法師はそれもすぐに掻き込んだ。

 

「……うむ」

 

 また茶碗が突き出され、小十蔵は三杯目の湯漬けを用意する。

 その間に残りの焼き味噌を吉法師は口に放り込む。

 梅干しを口にするのは、湯漬けを食べ終えたあとである。

 しばらく種をしゃぶりながら、小十蔵からその日の予定について説明を受ける。

 そのあとは勝千代、万千代、犬千代たち近臣を呼び入れ、吉法師は彼らから領内や家中での出来事について報告を受ける。

 最後は空にした茶碗に梅干しの種を吐き出し、吉法師は立ち上がって次の間を出、仕事にとりかかるのである。

 しかし、その日は吉法師が三杯目の茶碗を受けとったところで、部屋の外から万千代の声がした。

 

「お食事中のところ申し訳ございません。ただいま番卒の組頭より報告があり、城の西の御新田ごしんでん女子おなご亡骸なきがらが打ち捨ててあったと、百姓たちが騒いでいるとのことでございます」

 

 城の西の新田とは、那古野城が建つ高台の下の、かつて荒れ野であった土地である。

 吉法師は百姓の次男、三男らを集めて銭を与え、その開発を試みていた。

 服部小平太、小藤太兄弟や恒川久蔵らを常雇いの足軽衆に編成したのと同じように、自ら耕すべき田畑を持たない百姓の子弟を銭で雇い入れたのである。

 水路をも整備して新田開発に成功すれば、百姓たちにはそれぞれ土地を与えて自立させる計画だ。

 そのためには数年ごとに氾濫を繰り返す小田井川に堤を築く必要もあるが、それにも少しずつ着手している。

 しかし、その大事な新田に、死体が打ち捨てられていたとは──

 

「打ち捨ててあったとは、誰かに害されたということであるか」

 

 吉法師がたずね、万千代が答えた。

 

「はっ。死体には首がなく、服も身に着けておらぬとのこと」

「…………!」

 

 小十蔵が息を呑む。

 吉法師は、うなずいた。

 

「……であるか」

 

 そして湯漬けを掻き込み、梅干しを口に放り込んで、箸を置く。

 素早く梅干しの果肉を喰らい、種だけにして茶碗に吐き出し、立ち上がった。

 

「その場所に参る。誰ぞ案内あないできる者はあるか」

「百姓たちが集まって番卒も様子を見に行っているそうですから、御新田へ向かえば、すぐにわかるものと」

 

 万千代が答えると、吉法師はうなずき、

 

「……であるか。小十蔵は膳の片付けをしておるがよいぞ」

「あ……いえ、お供いたします。どこぞに曲者くせものが潜んでおるということでございましょうし」

 

 小十蔵は頭を下げ、

 

「それにわたくし、殿のおそばに御奉公に上がる前はしばらく寺に預けられておりましたが、そこには無縁仏がよく投げ込まれておりました。無惨な亡骸はいくらでも目にしております」

「うむ。では、ともに参れ」

 

 吉法師は万千代と小十蔵を従えて城を出た。

 門前で待っていた犬千代も合流し、吉法師に告げた。

 

「勝千代は、一足先に現場に向かってます」

「……であるか。百姓は、どれほど集まっておるか」

「いまのところ新田開発に雇い入れた者だけのはずです。騒ぎが余計に広まらないように、集まった百姓はその場で足止めするよう、勝千代が番卒たちに指示しました」

「うむ。上首尾である」

 

 吉法師はうなずく。

 城の西側のかつての荒れ野は、背の高い草が刈り取られ、まだ水の引かれていない用水路が幾筋か掘られていた。

 その一隅、城の建つ高台から開墾地に下る斜面の下に、百姓や番卒たちが数十人、集まっていた。

 勝千代の姿もあり、番卒たちに何やら指図している。

 吉法師たちが近づいて行くのに勝千代は気づき、振り向いて会釈した。

 百姓たちが道を開け、吉法師はむしろをかけられた亡骸の前に立った。

 筵の下から履物を履いていない足が覗いていたが、足の裏はあまり汚れていない。

 足袋を履いていたのを殺されたあとに脱がされたか。

 あるいは別の場所で殺されたあとに、この場所に運ばれたか。

 勝千代が言った。

 

「どうやらまだ若い女です。その首を斬って着衣とともに持ち去り、裸で打ち捨てるとは鬼畜の所業です」

「……であるか」

 

 吉法師はうなずき、その場にしゃがむ。

 犬千代が戸惑い気味にたずねた。

 

「ご覧になるのですか」

「首のない女子の亡骸など、見ても誰ともわからぬであろう。手の大きさや荒れ具合、日に焼けておるかどうかなどで、武家の娘か百姓の家の者かなど、ある程度は察せられるであろうが」

 

 吉法師はそう言いながら、筵越しに亡骸に顔を近づける。

 

「……伽羅じゃな」

「え?」

 

 きき返した勝千代を、吉法師は振り返り、

 

「筵の下から見えている足は日に焼けておらず、おそらく手も同様であろう。伽羅を焚き染めた衣服を纏っておったようじゃ、微かにその残り香がある。それなりの身分の者であろうから、行方が知れぬとあれば、いずれ騒ぎとなろう。それをあえて、すぐには誰ともわからぬようにして亡骸を打ち捨てたのよ」

「え……誰が何のために?」

 

 犬千代が目を丸くして、勝千代は眉をしかめ、

 

「殿に喧嘩を売ってるってことですか」

「そう考えてよかろう。いまは買うつもりはないが」

 

 吉法師は立ち上がり、万千代に告げた。

 

「萬松寺に運び、大雲永瑞和尚に弔いを願おう。万千代そなたに手配りを任せてよいか」

「承知いたしました」

 

 万千代は頭を下げる。

 吉法師は周囲の百姓たちを見回し、

 

「よいか。誰ぞに害された女子を哀れに思うなら、このことを、むやみに言い広めないようにいたせ。この場所には供養のために地蔵を建てるゆえ、それに手を合わせてくれるがよい」

「…………」

「…………」

 

 百姓たちは困惑気味に目を見交わしていたが、やがて吉法師に頭を下げた。

 

「へえ、かしこまりましてございます」

「殿様の仰せに従いまする」

「余計なことは言わんでおきます」

「……うむ」

 

 吉法師はうなずいた。

 それから勝千代に向かい、

 

「家中の者も同様じゃ。番卒そのほかの家来や城の奉公人たちに、この一件について、あらぬ噂をいたすことを禁じよ。勝千代そなたから皆に申し伝えよ」

「わかりました」

 

 頭を下げる勝千代に、吉法師はうなずいて、

 

「儂は先に城へ戻っておる。この場の始末も任せたぞ」

 

 そう言い残し、犬千代と小十蔵を連れて城へ戻って行く。

 その途中で吉法師は告げた。

 

「犬千代そなたは、安養寺の守りについている伴与七郎にこのことを伝えよ。それから滝川八郎にもしらせておけ」

「かしこまりました」

 

 犬千代が頭を下げると、小十蔵が、

 

「殿はこの一件を、忍びの絡んだことと御考えでしょうか」

「あるいは忍びの謀事はかりごとを真似たい何者かであろう」

 

 吉法師は答えて言った。

 

 

 


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