第九章 末森(6)
末森城の広間に三十人ほどの侍が居並んだ。
柴田権六、佐々隼人正ら、日頃から末森城に詰める側近たちのほか、尾張各地の領主として備後守に従う者たちもいる。
後列には林新五郎の弟、美作の顔もあった。
彼らは吉法師の廃嫡を望む者たちであり、いよいよ備後守への直談判に臨んだのである。
吉法師廃嫡を備後守に奏上しようという企ての中心にあったのは権六と林新五郎だが、林はいまは安祥城に派遣されている。
そこで尾張国内でこの企ての根回しを権六とともに進めたのが美作だ。
彼は兄とは別に領地を持って備後守に仕えるが、兄や権六より立場は下であるから、この場では後列に控えている。
また、備後守の重臣のうちでも佐久間大学と佐久間次右衛門は企てに加わっていない。
主君が後継者をどう決めようが、家来が口を出すべきではないというのが彼らの考えであり、権六が説得を試みても応じることはなかった。
備後守が小姓を従えて現れ、一同は頭を下げた。
上段の間に備後守は着座して、鷹揚に家臣たちに呼びかけた。
「そう畏まらんでもよいぞ。そのほうらの存念は、ようわかっておる」
「されば、ここに連判状がござる」
権六は懐から書状を出した。
「いまこの場にござらぬ林新五郎殿、前田與十郎殿を含め、多くの者が名を連ねており申す。家来筋の者が主家の御正嫡について言上申し上げるのも畏れ多きことなれど、是非とも殿には我らが憂うるところを御汲み取りいただき、御英断賜りたく願い上げ奉る」
「…………」
備後守は小姓にうなずきかける。
小姓が進み出て、権六から書状を受け取り、備後守のもとへ運んだ。
備後守はそれを受け取ると、しかし広げはせずに懐へしまい込んだ。
「そのほうどもの存念、ようわかっておる。されば、これは預からせてもらおう。後継ぎに誰を立てるかは家の行く末を左右する大事な問題であるからのう」
「は……さればこそ」
佐々隼人正が声を張り上げる。
「憚りながら我ら、連判状に名を連ね、殿に御奏上させていただいておりまする。是非、この場にて御当家の正嫡について、殿のお考えをお示しくださいませ」
「それは無論考えておる。考えておるが、いまはそのときではないというのが儂の考えじゃ」
備後守は答え、にやりと口の端を吊り上げて、この場に集まった一同を見渡した。
「そのほうどもは三郎が嫡子に相応しくないと、そう申したいのであろう。されどこのごろでは、あやつも振る舞いを改めつつある。なれば父として家長として、いましばらくは成り行きを見てやろうと思うのじゃ」
「……いやしかし、それは」
隼人正は言い募ろうとしたが、備後守はそれを押し留めるように右の掌を、相手に向けた。
「そのほうどもの存念はわかっておると申したであろう。三郎の改心が上辺ばかりのものなれば、遠からず本性を曝け出すであろう。正嫡について沙汰を下すのは、それからで遅くないということじゃ」
「……されば」
権六がたずねる。
「三郎様、このまま行状に落ち度なく、御改心あったと見えたときは、いかがなさいまするか」
「そうであったとして、あらためて嫡子が誰であるなどと示すことはせぬ。つまり、いままで通りということじゃ。三郎の行状にまた案ずべきところが出て参れば、正嫡については、そのときまた考えようぞ」
備後守はそう言って、立ち上がった。
「皆、御苦労であった。そのほうどもが当家の行く末を案じるのも忠義ゆえのこと。それはこの備後守、しかと心に刻んだぞ」
そのまま小姓を従えて、広間を退出した。
家臣たちは、ざわついた。
「何じゃ、どういうことじゃ」
「連判状だけお受け取りくださったが、それで終いじゃと?」
「こりゃいったい、どうしたことじゃ、美作!」
一同は美作を振り返る。
美作は、ぎょろりと剥いた大きな目を、落ち着かない様子で彷徨わせながら、
「いや、これは殿が我らの申し上げるところを、御理解くだされたということであろうかと……」
「三郎様が上辺だけでも改心したフリを続ければ、いままで通り何も変わらぬということではないか!」
誰かが怒鳴り、周りの者もそれに同調した。
「そうじゃそうじゃ! これでは我らが集まった意味がないわい!」
「三郎様御廃嫡は殿の御意向ではないのか! 連判状まで差し出してこれでは、屋根に上がって梯子を外されたようなもんじゃ!」
「……されば、それがしが」
権六が重々しく言って、一同は口をつぐんだ。
「折を見て、あらためて殿の御意向を伺おう。とは申しても、三郎様の行状が改まったか否か見届けようという殿のお考えが、すぐに変わることはあるまい。いまは一同、お引き取りあれ」
「……しかし」
誰かが反論しようとしたが、権六は、ぴしゃりと言った。
「いまは、それがしにお任せあれ」
「…………」
「…………」
猛将として知られた柴田権六にそう言われては、皆、黙り込むほかなかった。




