第九章 末森(5)
守山城は、那古野城からしばらく東に行った先にある。
北に小田井川が、南にその支流である矢田川が流れている。
守山城自体は丘の上に建つが、周囲に川から水を引き入れて堀を巡らせてある。
かつては三河の松平家の勢力が、この守山まで及んであり、松平内膳という者が城代を置いて支配していた。
内膳は諱を信定といって、三河国西部の桜井城を本拠とした。
松平竹千代の祖父である先代次郎三郎こと松平清康の叔父であるが、松平家中の主導権争いで先代次郎三郎とは激しく対立した。
内膳は、諱が同じ織田弾正忠信定と縁を結んで先代二郎三郎に対抗した。
子息の与一の正室に弾正忠の娘を迎え、また自身の娘は弾正忠の子息である孫三郎に嫁がせ、のちには守山城を孫三郎に譲った。
先代次郎三郎は天文四年、守山城を攻めたが、その陣中で乱心を起こした家臣に斬られ、落命した。
いわゆる守山崩れである。
内膳は先代次郎三郎の嫡子で同じく次郎三郎を名乗った広忠を追放し、松平家の事実上の当主となった。
しかし次郎三郎広忠は今川家の援軍を得て三河に帰還。
内膳はこれとの戦いに敗れて降伏し、次郎三郎が三河を支配することになったのである。
ゆえに次郎三郎は今川家に恩があったわけだが、三河への帰還後の次郎三郎が独立を志向したことや、織田備後守に敗れてその配下となっていたこともあり、一時は今川家と敵対した。
しかし、いまは再び今川家と結んで、備後守に対抗している。
守山城は、三河との国境よりもいくらか西に位置しているが、過去の経緯から松平家に対する最前線と織田家の側では認識されていた。
その広間で、吉法師は孫三郎と対面した。
孫三郎は上座を譲ろうとしたが吉法師は遠慮して、互いに上段の間を横に見るかたちで向かい合った。
吉法師はごく普通の小袖と袴姿で、火打ち石や瓢箪も腰に吊り下げていない。
「きょうは、つまらねえ格好だな。婆娑羅の真似はヤメたのか」
にやりと笑ってたずねる孫三郎に、吉法師は頭を下げた。
「叔父上にお願いの儀があって参りましたので」
「なんだ。三郎兄者との喧嘩の仲裁なら、オレの言うことなんぞ兄者は聞かねえと思うぞ」
「喧嘩ならまだよいのですが、父が子に謀事を巡らせるのでは、子としては太刀打ちができませぬ」
「謀事なんぞあるのか」
笑みを引っ込めたずねる孫三郎に、吉法師は「はい」とさらに頭を下げて、
「それを知って快く思わぬ者たちが、我に秘かに知らせてくれました」
「そいつらは味方につけらんねえのか」
「彼の者たちにも家中での立場がございましょうゆえ」
「家中な。まあ誰とは聞かねえでおくけど、兄者の周りの武辺者には、そうした一本気なヤツもいるだろうな」
孫三郎は腕組みをして、上目遣いに吉法師を見た。
「オレに誘いはかかってねえけど、そうした企てがあるって噂は耳にしてる。誘われるワケもねえけどな。長子を廃して次子を立てようという企てだ。オレの耳に入るくらいだから、家中でだいぶ根回しが進んでるんだろう」
「我を廃嫡なさろうと父上がお考えなら、この我の不徳の至り。されど、なぜ父上御自ら廃嫡の儀を御申し渡しくださらぬのか得心が参りませぬ」
「直接申し渡されたら従うのか」
「子が父に歯向かうなど思いもよらず」
「さんざん兄者の意のままにならねえ婆娑羅者の真似をしたツケだろう。三郎オマエの自業自得じゃねえのか」
「返す言葉もございませぬ。されど……」
そう言って頭を上げた吉法師に、孫三郎は眉をしかめて呆れたように、
「されど、なんて言って反論しようとしてるじゃねえか」
「我ではなく天の御心に、我が子を陥れようとなさる父上が適うことはないと存じまする。なぜ父として家長として堂々と廃嫡を御申しつけくださらぬのか」
「三郎オマエが天意天意と、いちいち歯向かう気配を見せるからだろう」
孫三郎は呆れ顔で首を振った。
「オレはオマエを面白えと思ってるけど、世の中は頭の固えヤツのほうが多いんだ。兄者は当主として、そんな石頭なヤツらの機嫌も損ねるワケにいかねえ。兄者は兄者で周りを気にしすぎと思うけどな。悪巧みが好きなくせに悪党とは思われたくないなんて、実は肝が小せえんじゃねえかと思ってる。いやここだけの話だぞ」
「は……」
頭を上げる吉法師を、じろりと孫三郎は見て、
「それで、オレにどうしろってんだ」
「されば遠からず父上は、我を末森の城に御召しになるものと存じまする。いよいよ廃嫡の御沙汰なれば神妙にお受けいたすばかりにございますが、そうではなく別の謀事があるやもしれませぬ」
「別の謀事って?」
「このところ父上がお酒を過ごされていると案じておるように申す者が多くございまする。されど先日その父上にお会いしたところでは、肝の臓を病んでおられる御顔の色ではございませぬ。さればこれは、いかなる意味でございましょう」
「気を回しすぎじゃねえか。酒の飲み過ぎで倒れたことにして三郎オマエを末森に呼び出し、仕物に掛けようなんて。いくら兄者でもそこまで回りくどい真似を……」
孫三郎はそこで首をひねり、
「いや兄者なら、やりかねねえか。これも三郎オマエ自身が、何をやり出すかわかんねえヤツだからだぞ。だから兄者のほうも余計な謀事を巡らせるんじゃねえのか」
孫三郎に睨まれ、吉法師は頭を下げた。
「申し訳もございませぬ」
「まあいい。それで、オマエが呼び出されたときは、オレに一緒に来いとでもいうのか」
「はい。叔父上に御同道願えれば心強く存じまする」
「わかった。オレも兄者のやり方には気に入らねえところがあるから、そのときは一緒に行ってやる。兄者が倒れたという呼び出しなら弟のオレが一緒に駆けつけてもおかしくはねえ。だけどな」
「……はい?」
「家督の話だから三郎オマエ一人で来いって呼び出しだったら、どうする?」
「そのときは神妙にお受けいたしまする。父上より御自ら廃嫡の御沙汰があれば従いますのは、先ほども申し上げた通りにございますゆえ」
「承知した。兄者から呼び出しがあったら、すぐに知らせろ」
大きくうなずいた孫三郎に、吉法師は深々と頭を下げた。
「はい、よろしくお願い申し上げます」




