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信長廃嫡  作者: 白紙撤回
第九章  末森
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第九章  末森(3)

 

 

 

 小さな築山と池を配した庭を、月明かりが照らしている。

 それを見渡す座敷で、平手は五郎右衛門、甚左衛門の二人の息子と向き合っていた。

 吉法師の供をして出向いた、末森城の完成祝いから戻ってのことである。

 那古野城下の平手の屋敷は、内藤勝介のものと同様、町割をあらためた際に建て替えられている。

 勝幡城下にあった屋敷には及ばないものの、風雅な構えとなっている。

 

「父上の、まことの御存念をお聞かせくだされ」

 

 五郎右衛門が言った。

 

「すでに我ら兄弟、林美作殿より、三郎様の御廃嫡を大殿に願い申し上げる企てに加わらぬかと誘いを受けており申す。一味には柴田権六殿、佐々隼人正殿ら大殿側近の諸将も加担しており、これは大殿ご自身の意を受けて林殿らが動いていると見えまする」

「…………」

 

 平手はそれには答えず、じろりと五郎右衛門の顔を見て、

 

「きょうの宴での大殿、どのように見た」

「盃を重ねておられましたが、手酌での一杯は、僅かずつしか注いでおられぬと見えました」

「なんと」

 

 甚左衛門が目を丸くして、

 

「さすが飲兵衛のんべえは目のつけどころが違いますな。恐れながら酒にお強くはないはずの大殿が盃を重ねておられたのは、忍び徳利でもお使いかと、わたくしは思うておりました」

「なんじゃ、忍び徳利とは」

 

 眉をしかめる五郎右衛門に、甚左衛門は「されば」と笑い、

 

「徳利の中に仕切りがございまして、あちらに傾ければ普通の酒が注がれ、こちらに傾ければ違うものが注がれようという。謀事はかりごとに用いるなら毒でも入れましょうが、深酒をせぬようにと水を入れることもできましょう」

「いくら大殿とて、そこまでなさるまい」

 

 しかめ面で吐き捨てる五郎右衛門に、平手も渋い顔でうなずいた。

 

「万が一その絡繰からくりを周りに知られたときに面目を失おうゆえ、左様なものを大殿が用いることはないであろう」

「いや、父上の仰せの通りでございましょうな」

 

 甚左衛門は苦笑いする。

 平手は、ため息をついた。

 

「儂も五郎右衛門と同じに見てとった。大殿は僅かずつの盃を重ね、さも深酒いたしておるように振る舞われていたのよ。以前に奉公人どもにそれとなく聞いた話では、このごろ大殿の酒量が増えておるということであったが、やはり我が目で見ねば、まことのところはわからぬものじゃ」

「さて、何のためにそのような面倒なことをなされるのでしょう」

 

 甚左衛門が言って、五郎右衛門は「ふん」と面白くなさそうに、

 

「酒を過ごして病の床に伏せたことにでもして、何やら謀事をなさるおつもりであろう」

「父上と兄上には、あっさり見抜かれましたのに?」

 

 甚左衛門は呆れた顔をするが、平手は眉をひそめて首を振る。

 

「あれは我らが大殿のお振る舞いをうかごうておったから気づいたことよ。儂はあの程度の酒で目が曇ることはないし、五郎右衛門も同じであろう。しかし三郎様を初め、宴に加わったほかの者が気づいておるかは、わからぬ。いや柴田権六あたりは初めから大殿の思惑を承知しておるやもしれぬが」

「大殿のお顔が何やら浮腫むくんで見えましたので、お酒も過ごされているようですし、てっきり病でもおありかと」

 

 甚左衛門が首をひねり、五郎右衛門は吐き捨てる。

 

「あれは荒淫こういんのゆえであろう。このごろまた若き側女そばめを抱えられたそうじゃ」

「その話は耳に入っておらなんだ。古渡や末森には、しばらく足を運んでおらんでのう」

 

 平手は腕組みをして、また首を振った。

 

「大殿はお若いうちから、女子おなごを抱く前には精をつけると申されて、猪肉ししにくとりたまごなどよく召し上がられていた。その上で寝る間も惜しんでお励みあれば、それはお顔が浮腫みもしよう」

「なんとまあ」

 

 呆れて笑う甚左衛門を、五郎右衛門が睨みつける。

 

「笑いごとではないぞ」

 

 それから平手に、

 

「されば父上、あらためて御存念をお聞かせあれ。もはや三郎様の御廃嫡は避けがたいものと存じる。万が一、三郎様が御謀叛の兵を挙げられたとしても、与力の兵のうち過半を占める林勢は従わず、内藤殿も大殿に刃を向けることはございますまい。三郎様の子飼いの足軽衆とて、大殿を敵に回すとなれば逃げ出す者もござろう。三郎様に勝機はござらぬと見たが、いかがか」

「そこまで見えておるなら、なぜ儂の存念をたずねるのじゃ」

 

 平手は五郎右衛門に、きき返した。

 

「林殿の企みに加わるべしと、なぜ申さぬ」

「それがしは左様な企みなど、つまらぬと思うておるからでござる」

「つまらぬか」

 

 問い返す平手に、五郎右衛門はうなずく。

 

「御当家の家長は大殿じゃ。その御一存で廃嫡など決めてしまえばよいものを、いったい誰に気兼ねなされておいでか。家来か。御台所様か。御自おんみずから三郎様御廃嫡と仰せにならず、家来にそれを奏上させようとの企みが、実につまらぬ」

「では三郎様をお支えするか」

 

 平手が重ねて問うと、五郎右衛門は、きっぱりと言った。

 

「三郎様は好かぬ」

「ではどうしようと五郎右衛門は考える」

「父上の御存念に従うまで」

「儂には、もはや存念などない」

 

 平手は答えて言った。

 

「三郎様が那古野の城を召し上げられたのちは、儂は蟄居いたすようにとの大殿の仰せじゃ」

「なんとまあ……」

 

 甚左衛門は腕組みをして天井を見上げる。

 

「せめていまからでも大殿の御意向にかなうように勘十郎様をり立て、御勘気を免れる策はないものか」

「父上が蟄居まで申し渡されたのでは手遅れじゃ」

 

 五郎右衛門は吐き捨てた。

 

「もはや大殿は三郎様御廃嫡の御意向を隠しておられぬということではないか」

「蟄居を命じられた父上がそのことを三郎様に告げて、先手を打って三郎様が謀叛を起こすということは……大殿は心配してないでしょうね。それはむしろ好都合ですから。子が父に背いて謀叛したのを討伐するという大義名分ができますし」

 

 甚左衛門が、やれやれと首を振る。

 平手は深々とため息をついて、言った。

 

「……三郎様は常々、天意というものを口にしておられる。もしも三郎様が天意にかなうなら、かような難局も御自身で切り抜けられるであろう」

「…………」

「…………」

 

 それはしかし、平手自身が信じきれていないことであり、五郎右衛門と甚左衛門も押し黙るばかりであった。

 

 

 


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