第八章 天王向島(11)
天王向島、堀田道空屋敷の茶室。
平手は飲み干した茶碗を置いた。
道空はそれを見て、にっこりとした。
「さて平手殿」
「は……」
「いったい何がどうなってどうなったのか説明していただけますか」
「……されば、三郎様が那古野の城を召し上げられたのちは、それがしは蟄居いたすようにとの大殿の仰せでございました」
「それは、どうなったの部分ですが。その前の何がどうなっての部分も、お聞かせいただけますか」
「されば山城入道様よりの書状を備後守に……」
言いかけた平手を、道空は苦笑いで遮った。
「いやいやいや、そこは知ってる話ですから結構です。やっぱり、とぼけてますよね平手殿?」
「…………」
答えない平手に、道空は「やれやれ」と声に出して首を振る。
「ぶっちゃけた話をしましょう。わたしは、わたしが楽しいことが一番です。でも、わたしが楽しいことというのは、綺麗事を抜きにしても津島の皆が楽しくあることです。わたしは毎日ぷらぷらと遊び歩いていますけど、結局は津島に帰ります。そして津島の人たちに面白おかしく土産話を語って聞かせて、お土産も配ったりして皆に喜んでもらって、それが楽しいんです。わたしにとって一番は津島で、堀田の家は実のところ二の次です。こんなこと兄に言ったら怒られるでしょうけどね。津島の町と堀田の家と、どちらかをとるなら、わたしは津島を選びます」
「…………」
口をつぐんでいる平手に、道空は言った。
「平手殿はどうなのですか。何のために働いておられるのですか。武士として主家のため? いやそれが武士としての意地かもしれませんが、本音の部分は違うはずです。父祖から受け継いだ平手の家名と領地を守り、子や孫に受け継ぎたい。それがたぶん大事なところで、あとは平手殿の個人的な望みを叶えたいというのも、いくらかあるでしょう。ではいったい、平手殿の望みは何ですか」
「……それがしにも意地がござる」
平手は口を開いた。
「それがし決して、忠義ばかりの臣ではござらぬ。役得は遠慮なく我が懐に入れて参った。城の勘定を誤魔化すこともいたした。それに数倍する利得を、我が働きにて主家にもたらしていると考えればこそでござるが」
「ああ……」
道空は腕組みをして、うんうんとうなずき、
「平手殿、勝幡の屋敷におられたときは珍しい書画や茶道具など山ほどお持ちで、ずいぶん金回りがいいなと思っていましたら、そんな事情が」
「されど、それが大殿に知られ申した。それゆえ大殿の身辺より遠ざけられ、三郎様の附家老として那古野へ遣わされ申した」
「自業自得……ですね。いや平手殿には申し訳ないですが」
「いかにもそれは致し方もないところ。しかも、それがし御幼名を吉法師と申された御曹司の襁褓のうちよりの傅役にござったが、吉法師様には嫌われてござった。これは相性が合わぬとしか申しようもござらぬ」
平手が言うと、道空は右手の人差し指を立てて顎の先に当て、左目をつむってみせる。
「……うーん、そうですね。そうですねとしか言いようがありません、吉法師様と平手殿の相性の悪さは」
「左様でござるか」
平手は苦笑し、言葉を続ける。
「しかしともかくも、それがし那古野城の二のおとなとして勘定方を務めて参り申した。いずれ役に立とうと茶器や書画など買い集めたことは吉法師様のお気に召さず、全て安養寺に寄進いたすようにとのお指図でござったが」
「ああ、懲りずにまたやっちゃってたんですね」
「決して我が懐に収めるためではなく、いずれは吉法師様にお役立ていただこうとの考えではござったが」
「でもその頃の吉法師様は茶の湯なんて興味なかったんでしょう? 結局は平手殿の趣味で買い集めちゃったんですよね?」
「そう申されると返す言葉もござらぬ」
平手は苦笑するしかない。
「されば吉法師様は、それがしごときの手を離れたところで、大きく育たれ申した。幼きうちは御学問あれ御鍛錬あれと、この平手がたびたび御諫言いたし無理強いさえいたし申したが、それが僅かでも今日の吉法師様が育つ糧となったのかは、わかり申さぬ。あるいはその無理強いが、礼儀作法を軽んじる天邪鬼な吉法師様を生んでしまったのやもしれぬ。されど政事においては間違いのないなされようの吉法師様を、御廃嫡なさろうという大殿のお考えが、それがしには合点がいかぬ。御曹司には嫌われて、それがし自身も望みもせぬ傅役であり附家老の務めでござったが……その務めにあった者の意地として、御廃嫡は受け入れがたいのでござる」
「……そうですか」
道空は再び右の人差し指を顎に当て、左目をつむる。
「廃嫡に納得いかないから吉法師様を支持する。でも、それだけじゃないですよね、平手殿」
「堀田殿に隠し立てはできぬな」
平手はまた苦笑して、
「いかにも、大殿は底意地が悪うござる。大橋清兵衛より奴野城を召し上げ、平野萬久入道に与えた一件で、津島の衆もそれを痛切に感じたでござろう」
「あれは津島十五党の者が互いに、次は誰が城や領地を奪われるかと疑心暗鬼になって、ヒドい話でした。備後守様がまた同じようなことをする口実を与えないように津島衆の忠義を示そうと、兄の道悦とわたしとで、ずいぶん骨を折ったものですよ」
「その底意地の悪さは我が子、吉法師様にも向けられており、無論のこと家来にも向いてござる。左様な主君を戴くのは、家来にとっては辛きものがござる」
平手が言って、道空はうなずいた。
「なるほど、備後守様よりは吉法師様のほうが、よい御主君であろうと」
「少なくとも公正には家来を扱ってくださろう」
「なるほどなるほど……」
道空は、また右の人差し指を顎に当て、左目をつむった。
「それだけですか?」
「ほかに何があると堀田殿はお考えか」
きき返す平手に、道空は片目をつむったまま、
「備後守様、このところ、お酒を過ごされているようで」
「大殿の身辺に間者でも送り込んでおるのか」
険しい顔になってたずねる平手に、道空は、にっこりとして、
「そのようなことをせずとも、津島の者は商いで、この尾張中どこでも顔を出しておりますから。噂話はいくらでも耳に入ります」
「……左様か」
平手は目を伏せた。
「酒は毒にもなる。もともと強いほうでもない大殿が酒を過ごされておることが、案じられてならぬ」
「そうですね。備後守様が吉法師様を御廃嫡になると発表される前でもあとでも、備後守様の身に何かありましたら、尾張は大変なことになりますでしょう」
道空は笑顔のままで言う。
「御家来衆が勘十郎様を守り立てて纏まりきれるのかどうか。清須や岩倉の動きに勘十郎様が対処しきれるのかどうか。そうした事態では吉法師様のほうが、より頼もしい御主君になるのではないかと、御家来のうちにお考えになる方がおられても無理のないところ」
「それがしの口から滅多なことは申せぬ」
平手は言った。
「大殿の身に何かあろうなどとは縁起でもないことじゃ」




