第八章 天王向島(6)
五郎右衛門は甚左衛門と馬を並べて荒子城からの帰途についた。
しかしまっすぐ那古野へは戻る気にならず、平手家の領地である志賀へ向かおうと五郎右衛門は提案し、甚左衛門も承知した。
兄弟の会話を聞かれたくないので、それぞれの馬の口取りや、ほかの小者たちは、後ろからついて来させている。
「……柴田殿を見損なった」
五郎右衛門は言った。
「もっと豪傑肌の武人と思うていたが、あのような策謀を巡らす者であったとは」
「大殿のお指図でしょうね」
甚左衛門が答えて言う。
「大殿は家臣からの進言なんて、滅多にお取り上げにならない御方。ならばご機嫌を損ねてまで無駄なことを言うのも馬鹿らしいと、いつもの林兄弟なら考えるでしょう。それをあえて三郎様の御廃嫡を大殿に進言しようなんて、柴田殿ともども、最初から大殿の御意向を受けて動いてるんでしょう」
「大人しく廃嫡などされると思うか、あのうつけ殿が」
五郎右衛門が言って、甚左衛門は首をかしげる。
「どんな行動に出るかは予測がつきません。城と家とを捨てて、お気に入りの取り巻きを連れて出奔しそうな気もしますし」
「それなら構わぬ。禍根を残さぬように大殿は討手を差し向けられるであろうが」
「ただ三郎様が廃嫡になったとして、代わりに嫡子になられるであろう勘十郎様がまた、いかにもお坊ちゃんで頼りない」
甚左衛門は言った。
「佐々殿に聞いてみたところ、勘十郎様は御元服以来、大殿と一緒に古渡城の評定に参加されて、ときどき発言なされることもあるそうです。でも、それなりに筋の通ったことはおっしゃるけど、判断の難しいことには口をつぐんで、大殿が結論を出した途端に、父上の仰せごもっともとヨイショしているみたいで。いつもにこにこして愛嬌があるんで許されてるけど、あまり中身があるようには感じられないと」
「小利口者か。つまらぬ者よ」
五郎右衛門は吐き捨てる。
「跡継ぎが長子ではなくともよいなら、大殿の御子息でなくともよいことにもなろう。孫三郎様が名乗りを上げたら、家中は割れかねんぞ」
「あるいは三郎五郎様ですね。長幼の序を無視して勘十郎様を立てるなら、正室の子か側室の子かも無視していいわけでしょう。御台所様の御実家、土田家が、いまの尾張でそこまで有力な家というわけでもありませんし」
甚左衛門が言って、五郎右衛門は舌打ちした。
「ええい、忌々しい。うつけ殿が人並みに行儀よくさえしておられれば、我らもこのように思い悩まずとも済んだのよ」
「いまさら言っても仕方のないことです。それより我らも身の振り方を考えておかないといけません。大殿が勘十郎様を立てて、家中の皆がそれをすんなり受け入れればいいのですが、犬山の十郎左様あたりは、これを機会に大殿から離反なされてもおかしくない」
「オレは犬山などに従う気はないぞ。与次郎様が御健在であったならともかく」
「それはもちろんです。ですが十郎左様の離反は大殿の求心力低下を象徴することになるでしょう。そうすると清須、岩倉の動きもいよいよ怪しくなる。孫三郎様を離反させようと企むかもしれませんし、孫三郎様も勘十郎様に従うよりはと、企みに乗るかもしれません」
「そうなったときは先ほどの会合に集まっていた者たちも、皆が勘十郎様を支持するとは限らぬ。いよいよ家中が割れるぞ」
「ええ、ですから我々の身の振り方が問題です」
「父上はどうなされるであろうか。三郎様御廃嫡となったとして、まさか傅役としてその責めを負うて自害などはなさるまいが」
五郎右衛門が言って、甚左衛門は首を振った。
「わかりません。このところ父上、何やら思い悩んでおられる様子なのですが、何が理由かおっしゃってくださらぬのです。もし本当に林様や柴田殿が大殿のお指図で三郎様御廃嫡に向けて動いているなら、父上もそれに関係して、大殿から何か御沙汰があったのかもしれません」




