第八章 天王向島(4)
いよいよ織田信長(吉法師)、廃嫡に向けての新章突入にございます…
道空は平手を茶室に通した。
平手が道悦の店を訪ねて来たのが、どれほど前であったかは聞いていない。
道空の屋敷で待つよう道悦から告げられて、それからしばらく家主の帰りを待ち続けていたのであろうが、平手は焦れていたとしても態度に表していない。
あらかじめ約束があったわけではないので、道空も待たせたことは気にしていない。
互いに落ち着いて近況などを雑談しながら、まずは茶を点てた。
「結構な御手前で……」
平手は茶を飲みきり、椀の飲み口を指で拭いた。
懐紙で指を拭い、茶碗を作法通りに回して置いた。
道空は、にっこりとした。
「では、本題と参りましょうか」
「はい」
平手もうなずいてから、話し始めた。
「堀田殿が我が大殿、備後守の願いに応じ、美濃斎藤山城入道殿が我ら尾張との和談に応じる構えがあるか否か、探りを入れてくださっていると伺いました」
「はい。山城入道様は事実上の守護代として美濃一国を差配なされておりますが、いまだ土岐一門衆や国人領主の力も強く、その意向を無視することはできません。ですので、有力な国人である西美濃衆の稲葉伊予守殿、安藤伊賀守殿、氏家常陸介殿、不破河内守殿らの考えを、まず確かめておりました」
道空は答えて言う。
「西美濃衆が懸念しているのは、大垣城の扱いです。天文十三年に尾張方の手に渡ったのち、備後守様が御一門の播磨守様を入れ置いておりますのが、西美濃衆にとっては喉に刺さった魚の骨みたいに感じられているようです」
「和談となれば我らは敵同士ではなくなる。大垣城に播磨守様があっても、美濃方が案じることではなかろうと思いまするが」
平手が言うと、道空は首を振り、
「大垣は、もとは西美濃の国人、竹腰家の持ち城です。西美濃衆は結束が固い。仲間の城が尾張方に支配されたままでの和談に応じることは難しいのでしょう」
「それが稲葉殿、安藤殿らの本音とも思えませぬ。西美濃は他国との戦のたびに戦場となっており申す。越前、近江、また我ら尾張から西美濃は攻め込みやすい位置にある。尾張との和談は西美濃衆こそ望むところではございませぬか」
「……さて」
道空は右の人差し指を立てて顎先に当て、左の目をつむった。
「西美濃衆の本音を引き出すために、尾張方では何ができますか」
「当家として西美濃衆へ何かを約定することはできませぬ」
平手は言う。
「されど木曾川、揖斐川、長良川の上流である西美濃が平穏となれば、津島には得るところが大いにございましょう。津島の商いが盛んとなれば当家にも益するところ。されば堀田家には西美濃との商いに関する諸権利が保証されることになりましょう」
「つまり成功報酬は約束するから、西美濃への手土産はこちらで用意しろということですね」
「西美濃衆の腹が和談で固まれば、東美濃の者たちもあえて反対いたしますまい。他国との戦のたびに、山深い東濃から駆り出されるのも難儀でござろう」
「……なるほどなるほど」
道空は腕組みをして、うなずいた。
それから上目遣いに平手の顔を見て、
「お話は、それが全てではありませんね。わざわざ訪ねて来られたのは、ほかにもっと大事な用件があるのでしょう」
「……左様」
平手も重々しくうなずいた。
「和談となれば質を預かることになりまする」
「預かる? 取り交わすのではなくてですか」
きき返す道空に、平手はうなずいて、
「こたびの和談、我がほうからの申し出ではございまするが、和議を望んでおるのはむしろ美濃方と、大殿、備後守は見ており申す」
「それはいかがでしょう。恐れながら先だっての備後守様の小豆坂での敗戦は、山城入道様のお耳にも入っておりましょう」
「四千の兵で一万の敵に敗れたのでござる。松平次郎三郎殿の裏切りもあり申した。総大将の備後守、先手の大将、三郎五郎ほか主だった将領は無事にござれば、恥じ入ることではござらぬ」
きっぱりと平手は言って、道空は、うなずいた。
「備後守様のお考えは、わかりました。ですが、その条件を美濃方が呑むかどうかは山城入道様のお考え次第。果たして備後守様は、美濃方からどのような質を預かろうとお望みですか」
「されば山城入道様の御息女、帰蝶様を……」
平手は、すっと息を吸い込んでから、言葉を続けた。
「子息、勘十郎の正室としてお迎えすることを備後守は望んでおり申す」
「…………」
道空は笑みを引っ込めた。
右の人差し指を顎に当て、左目をつむって、平手に問うた。
「その話を山城入道様が受け入れると、本当に平手殿はお考えですか」
「それがしは武家奉公する者として、主君の望みに従うばかり」
「主君とは、どちらですか。大殿の備後守様か、若殿の吉法師様か」
「当家の主人は備後守にござる」
「では備後守様の命じるままに、その条件での和談を山城入道様に持ちかけると」
念を押す道空に、平手は無言である。
「…………」
「……はあ」
道空は、がくっと肩を落とした。
「平手殿なら御存知でしょう。わたし、面倒くさがりなんですよ。そんな話がまとまるわけないのに、無駄とわかってるのに仲介させようというんですか」
「逆に、何故まとまらぬと堀田殿はお考えでござろうか」
きき返す平手に、道空は、やれやれと肩をすくめて首を振り、
「備後守様の御家中の騒動に山城入道様は利用されることになるからです。山城入道様の御息女を勘十郎様の正室にお迎えするということは、つまり備後守様は嫡子を吉法師様ではなく勘十郎様とすることに決めたという意味でしょう。山城入道様が勘十郎様の後ろ盾になると思えば、家臣たちの多くも備後守様のご決断を支持するでしょうね。吉法師様がご不満に思っても御家中に味方をする者はほとんどなく、御廃嫡が決まることになるのでしょう。だけど、大事な娘を嫁に送り出してそんなことに利用されるのでは、山城入道様にとって面白いはずがありません」
「左様でござろうか」
「もしどうしても山城入道様の御息女と勘十郎様の御縁組を望むのであれば、まず先に吉法師様を御廃嫡して、勘十郎様が御正室を迎えられる準備を整えられるか、そうでなければ美濃方にも利のある交換条件を出すしかないでしょう」
道空の言葉に、平手は深くうなずいた。
「なるほど……」
「いや平手殿、あなたがこのくらいのこと、おわかりにならないはずないですよね? その態度、絶対とぼけてますよね?」
「…………」
答えない平手に、がくっとまた道空は肩を落とした。
「あああ、もう面倒くさいなあ。ねえ、本音で話しましょうよ。平手殿、本当はどっち寄りなんですか? 本当に備後守様の言いなりで吉法師様を廃嫡に追い込もうと思ってるのか、それとも何か吉法師様に逆転の策があると思ってるのか、どっちなんです?」
「……されば大垣城ではいかがでござろうか」
平手が言って、道空は目を丸くする。
「大垣城? それを交換条件として美濃方へ引き渡すということですか? 備後守様がそれを承知されますか?」
「それがしが大殿を説き伏せまする」
「大殿を説き伏せるってことは、平手殿、やっぱり備後守様寄りですか。でもどういう口実で備後守様を説得するんですか?」
「隠居料にござる」
「隠居料? 誰のですか?」
「吉法師様の」
平手は言った。
「吉法師様には、御自身と山城入道殿の御息女との縁談として話を伝えまする。そして舅殿との御対面のため、濃尾両国の国境、たとえば富田の聖徳寺寺内町へ御出座しを願いまする。その上で彼の地にて吉法師様を搦め捕り、身柄を美濃方へお引き渡しいたす。大垣城は、吉法師様を美濃方にお世話いただくための、いわば迷惑料」
「…………」
道空は顎先に右の人差し指を当て、左目をつむった。
「勘十郎様と帰蝶様が仲睦まじい間は、それでいいでしょう。でも山城入道様は、いざというときのための保険として、手元に置いた吉法師様を手懐けようとなさるでしょうね。そして万が一、尾張方が山城入道様の望まない方向に動こうとしたときには、吉法師様が逃亡したという口実で秘かに尾張へ送り返して、騒乱を引き起こそうと目論むでしょう」
「左様なことにならぬように、この平手中務、美濃と尾張の和睦が末永く続くよう努めましょう」
平手が言って、道空は、うなずいた。
「いいでしょう。そこまでの覚悟を平手殿が決めておられるなら、山城入道様が承知なされるかどうかは別として、いまのお話しを直接お伝えできるように仲介の労をとりましょう」




