第八章 天王向島(3)
かつて天王川の中洲であったものが、数百年のうちに土砂が堆積し続けて対岸と地続きになったのが天王向島である。
一帯が津島天王社の境内地として扱われるが、数年ごとの大雨や長雨で川が溢れるとほとんど水に浸かってしまうため、葭が繁るばかりの野原として大部分が放置されている。
それでも、ところどころ高所を選んで天王社の許しを得た者たちが屋敷を建て、その周りに田畑も作られて、人気がまるでないわけではない。
堀田道空の屋敷も、この天王向島にあった。
屋敷といっても母屋は小さな草庵という体である。
これに厩舎に納屋と、使用人の禄助と七重の夫婦が住み込む小屋がある。
小屋と呼んではいるが、実は母屋よりも大きいくらいの立派な造りだ。
大きな炊事場を備えており、主人である道空や、来客があったときはその客の食事の仕度を整えるという建前である。
あとは広い庭があり、周囲に板塀を巡らせてある。
これは庭の随所に草花の植え込みを設けてあるので、猪や猿などの野獣に荒らされないためにだが、
「いつでも誰でも自由に訪ね来て、草花を愛でられるように」
と、いつでも門を開け放してあるので、夜になるとやはり野獣が庭に入り込む。
道空が植えている草花ばかりでなく、禄助と七重が育てている野菜も被害に遭うので、
「せめて獣が徘徊する夜は門を閉めさせてください」
夫婦がそう言っても道空は聞き入れない。
「それでは、わたしが思い立ったときにすぐ出かけられないだろう。月が綺麗な晩だとか、朝焼けの綺麗な早朝に。禄助が寝ているところを、いちいち起こして門を開けさせるのも申し訳ないし」
「野菜を獣に荒らされるほうが、よほど申し訳ないです」
「でも獣たちだってゴハンは食べるだろう? 人間はよそから買って来ることもできるけど、獣はそうもいかない。施しをしたと思えばいいのではないか」
「道空様が召し上がられる食材は、よそから買って来てもよいのですが、わたくしたちはなるべく自分たちの食べるものは自分で育てようと思っています」
「どうして。わたしはそれほど良い主人ではないかもしれないけど、禄助や七重に食べ物でだけは不自由をかけないようにしたいと思っているんだ。人間、食べ物の怨みは怖いからね。わたしだけ贅沢なものを食べて禄助たちに粗末な食事をさせたのでは、どんな仕返しをされるか恐ろしい」
「そんなことはいたしませんよ。これは使用人としての、わたくしたちの矜持と思ってください」
禄助が言って、七重が、
「よそのお屋敷のように門の脇に潜戸を設けて、旦那様が夜更けや早朝にお出かけのときは、そちらからお出入りなされてはいかがでしょう」
「うーん、でも、いつでも門を開けておくなら潜戸なんて必要ないからね」
道空は腕組みをして首をかしげ、
「いまさら潜戸なんて造るのも面倒くさいじゃないか」
「ですから庭を荒されて、その後始末をするほうが、よほど面倒くさいのです」
禄助の言葉に、道空は目を丸くして問い返した。
「面倒?」
「ええ、面倒です」
主人に向かって口にする言葉ではないが、禄助は、思いきって言ってみた。
そこまで言わないと道空には通じないと思ったのだが、すると道空は嬉しそうに、にっこりとした。
「よかった。それなら、二人の言う通りに夜は門を閉めよう。大工を呼んで潜戸を造らせ、わたしが不意に思い立って出かけるときは、そちらを通ろう。いや、よかったよかった。こんなに面倒くさがりなのは、わたしだけの病気ではないかと思っていたのだが、禄助でも物事を面倒に思うことがあるなら、よかった」
ともかくこうして道空の屋敷の門には潜戸が設けられたが、昼間はやはり門は開け放してある。
もっとも、住む人の少ない天王向島であるから、道空が期待したように草花を愛でに来る来客など、ほとんどないのだが。
『堀田道空庭 坐雅阿殿』
門の上には、そう扁額が掲げてある。
『坐雅阿殿』と記して『ざ・があでん』と読ませる。
南蛮の言葉で庭園を意味する。
門をくぐると、庭の中央は人を集めて踊りの興行でもできそうな広場で、その周囲に草花の植え込みが設けてある。
薬草となるものが多いが、単に花が綺麗というだけで植えてあるものもある。
どの季節でも綺麗な草花を愛でられるように、種類は豊富である。
道空は広場を横切り、母屋の庵へ向かう。
厩舎を見ると、道空の馬と並んで、来客の馬が繋いである。
「……まだお帰りではないですか……」
訪ねて来たという平手中務が、待ちくたびれて帰ってしまっていることを期待したのだけど。
道空は、やれやれと首を振って、がらがらと庵の戸を開けた。
「ただいま戻りましたー」




