第七章 三河小豆坂 其ノ二(18)
那古野城、主殿の御座敷で、吉法師は小十蔵と二人きりで向かい合っている。
吉法師は直垂姿。
小十蔵も、ごく普通の小姓の姿である。
うつむく小十蔵の前には、床に広げられた白晒。
その上には、切られた髻が載せられていた。
「十蔵は、幼き日の儂の一番の家来であり、友であった」
吉法師は言った。
「いまでこそ勝千代、万千代、犬千代らに囲まれている儂だが、幼き日は、いつも一人きりであった。いや近習、小姓らが常に近くにはおったが、その者たちと心を通わすことはなかった」
「…………」
小十蔵は目を潤ませながら、じっと髻を見つめている。
吉法師は言葉を続けた。
「母は近くにいたが、男子は物心つけば女親とは引き離されるのが習い。親しく睦むということはなかった。津島に嫁いだ姉には、よく会いに行ったが、一緒にいられる時間は限られた。姉には嫁としての務めもあったからのう」
だから──と、吉法師は言った。
「幼き儂の、一番の友はそのほうの父、岩室十蔵であった。十蔵を、この那古野へ伴うことを父上がお許しくだされていたなら、十蔵はいまも我が一番の家人であったろう」
「父も……」
小十蔵は口を開く。
「わたくしが殿にお仕えする前のこと、父が吉法師様との思い出を話してくれたことがございます。侍は家に奉公するものゆえ、主人を選べるとは限りませぬ。されど吉法師様にお仕えしていた間は、よい主人を得られたと、ありがたく思っていたと」
「小十蔵」
吉法師は呼びかける。
「いまの儂が、十蔵にとっての幼き日の儂のような、よき主人としてあるかは、わからぬ。されど、そうあるようには努めよう。家来と領民にとって、よい主君であること。天意に適う領主でありたいと、儂は思うておる」
「天でございますか」
問い返す小十蔵に、吉法師はうなずく。
「天の下、儂は国を富ませ、民を豊かにしてみせよう。しかし、そのためには、まず儂が強き領主でなくてはならぬ。武をもって儂はこの尾張を、隣国三河や美濃を、諸国を平らげて、いずれこの日の本に住まう者全てを豊かに、安穏に暮らせるようにしてみせよう。天下の隅々まで我が武威を行き渡らせるのじゃ。天下布武である」
きっぱりと言った吉法師の顔を、小十蔵は目を上げて、まっすぐに見る。
「されば、わたくしにもそのお手伝いをさせてくださいませ」
「うむ。無論である。小十蔵やそのほか、いま儂に仕える者たちの多くが、儂が天下布武を果たすには欠かせぬ力となる。家中には林新五郎のような曲者もおるが、あれとて使いようであろう」
吉法師は、あらためて小十蔵に告げた。
「されば引き続き、この儂の力となってくれ、岩室小十蔵」
「……ははっ、粉骨砕身、努めまする」
小十蔵は平伏した。




