第七章 三河小豆坂 其ノ二(12)
どこにでもありそうな畑の間を通る道である。
だがその道と、すぐ脇の畑の中とに、合わせて七人の男が倒れ伏していた。
うち三人は連雀を背負い、行商人と見えた。
あとの四人は、近在の百姓のような身なりである。
連雀とは背負い紐をつけた木枠である。
これに荷物を結わえつけて運ぶが、荷が小物であればまとめて竹籠に入れ、連雀にくくりつける場合が多い。
連雀商人という言葉もあって、定まった店舗を持たずに物を売り歩く行商人の代名詞となっている。
山道を行く場合など、連雀商人は護衛も含めた十数人で行動することもあるが、町や村を訪れて商いをするときは互いの邪魔にならないよう一人か数人ずつに分かれる。
そうだとすれば村の中に三、四人連れの連雀商人の姿があったとしても、さほど怪しいことではなかっただろう。
しかし、すでに三人が討たれ、残る一人の行商人風の男が、四人の敵に囲まれている。
敵は百姓の姿であるが短刀を抜いていた。
倒れている四人の百姓姿の男たちの仲間である。
「問答無用で襲って参るとは、義理も情けもござらぬのですな、松平様に仕える伊賀者は」
そう言った行商人風の生き残りは、岩室十蔵であった。
脇差を構え、四人の敵全てに注意を向けているが、呼びかけている相手はそのうちの一人である。
ほとんど薄くなって地肌も見える白髪混じりの髪に、眠たげな腫れぼったい目をした、冴えない印象の小男だった。
百姓姿であれば百姓としか見えないが、侍の格好をさせれば小役人には見えるだろう。
その程度の地味な男である。
「…………」
その小男を含め、四人の敵は皆、黙り込んでいる。
口を開けば、それが隙になると決めてかかっているのか。
あるいは、これから仕留めようという相手──十蔵に、かける言葉などないということか。
十蔵は、自嘲気味に笑う。
「松平方の忍びが、織田備後守様にお仕えする我らを襲う。それはもちろん生かして帰すつもりがないからでござろうが、もはや松平次郎三郎様が備後守様を裏切ると決めたことを隠すつもりもないのでござるな」
喋りながらも十蔵は油断なく身構えている。
誰から殺るかと、それを見定めながら。
「つまり万が一にも儂がこの場を切り抜け、御味方に急を知らせたところで間に合わぬということであろう。これを見抜けなかったのは我らの手落ち。いや、服部半三殿のこれ見よがしな動きに、見事に惑わされたわ。松平家中には半三と名乗る伊賀者の頭領が二人おるやもしれぬという噂は耳にしてござったのにのう」
「…………」
敵は誰も答えない。
反応も見せない。
十蔵は、にやりと笑った。
「儂が、まことの忍びであれば、使命のために僅かでも生き延びる望みをかけて最後まで足掻くのであろうが、あいにくと一度は侍奉公を望んだ身でござってな。死のうと覚悟を定めれば、死に方は選ぶのよ。さて、いま一人二人は道連れとなってもらおうか」
十蔵は、小男に視線を向けた。
「いかがでござるかな、千賀地半三殿」
「…………」
十蔵の、その視線の動きを隙と見たのであろう。
百姓姿の男の一人が短刀を腰の高さに構え、突きかかる動きを見せた。
それを目の端に捉えた十蔵は、それとは別の敵に挑みかかった。
左手に持ち替えた脇差を振り上げ、着衣の右袖を噛みながら。
そう。
十蔵は左右どちらの手も遜色なく使える。
文字を書くことも箸を持つことも、刀や脇差を振るうことも。
しかしそれだけで敵も惑わされはしない。
二刀を扱う武芸など珍しいものではない。
だから敵も十蔵が左手の脇差で斬りつけてくれば、それを躱しつつ短刀で突きかかる考えであった。
その顔面に何やら十蔵が吹きかけた。
「……ぐがっ!」
男の目と鼻に激痛が走り、何も見えなくなった。
金剛砂であった。
本来そう呼ばれるものは石材の研磨に用いられるが、忍びが使う金剛砂は目くらましの道具だ。
多量の唐辛子とともに煮立てた砂を天日干ししたものである。
それを詰めた小さな筒を、十蔵は着衣の両袖に縫い込んでいた。
その袖を噛み破って筒をくわえ、中身の金剛砂を敵に吹きかけたのである。
脇差を左手に持ち替えたのは、そちらに注意を惹きつけ、袖を噛んだことには敵の意識を向けないためであった。
目を押さえて絶叫し混乱する男の喉を、十蔵は掻き切った。
そしてその肩をつかみ、最初に短刀で突きかかって来た男のほうに押しやった。
男たちが、ぶつかり合って地に転げる。
しかし、いま一人の敵が落ち着き払った様子で筆ほどの太さの竹筒をくわえ、十蔵に向かって吹いた。
吹き矢であった。
十蔵は躱そうとして躱しきれず、着衣越しではあったが腕に当たった。
「……くっ!」
鈍い痛みがある。
毒も塗ってあろうが、すぐに効果が回るわけではない。
しかし、それに気をとられた隙に千賀地半三が目の前に駆け寄って来た。
あっと思う暇もなく、短刀で頸を切り裂かれた。
鮮血が千賀地の顔に撥ねかかる。
その腫れぼったく見える目を、千賀地は僅かに細める。
そして無造作に十蔵の肩を押して、その体を地に転がした。
十蔵は目を見開いたまま、絶命していた。
それを一瞥してから、千賀地は生き残った二人に向き直り、ようやく口を開いた。
「我らの庭先たる岡崎の御城下で、五人もの配下を失うとは情けなき限りよ」
「致し方もござらぬ」
答えて言ったのは吹き矢を十蔵に当てた男である。
千賀地と同年輩と見えて、これも白髪混じりの髪だ。
仲間内では竹八と呼ばれている。
「先代次郎三郎様が乱心者に討たれし守山崩れ以来、御家中の内輪の争いが続き、ともに伊賀から参った手練の多くを無駄に死なせ申した。いまの一党の半ば以上は、この三河育ちの若輩ども」
「は……申し訳もございませぬ」
頭を下げたのはもう一人の生き残りの、最初に十蔵に突きかかった男である。
若輩と呼ばれた通り、まだ二十歳前と見える。
千賀地は首を振り、
「敵が、この儂に視線を向けた隙を逃がさなんだのは、よう見ておった。だが踏み込みが遅い。そえゆえ敵に、ほかの味方を襲うことを許したのじゃ。とは申せ、生き残ったことは僥倖である。次に同じ過ちをいたさねばよい」
「は……肝に銘じまする」
若い配下は頭を下げたが、竹八が苦笑する。
「伊賀では若輩であろうと不始末は不始末、何らかの咎めは受けてもらうところだが、この三河では何より人が育っておらぬゆえ、仕置きが甘くなるのもやむを得まいのう」
「そういうことよ」
千賀地はうなずいて、
「あらためて伊賀から手練を招きたいところであるが、服部半三めが悪目立ちしておるおかげで、それも難しかろう」
「いかにもあの者、目上に取り入ることばかり得手にござって、我が一党の頭領がごとき顔をしてござる。だがあれの配下になると思われてしまうと、伊賀から人を招くのは難しゅうござる」
眉をひそめる竹八に、千賀地がまた首を振り、
「まったくもって服部半三め。望んで侍として召し抱えられたのであろうゆえ、侍奉公に専念いたしておればよいものを」
それから事切れた十蔵に、再び目を向けた。
「この者もそうじゃ。確か岩室十蔵と申したか。手練のゆえに侍奉公を許されず、忍びとして働かされておったのであろうが、我らには迷惑千万じゃ」




