第七章 三河小豆坂 其ノ二(2)
章立てを変更しました。
「第六章(11)」→「第七章(1)」
「第六章(12)」→「第七章(2)」
また第七章(2)の誤字を修正しました。
引き続きよろしくお願いいたします。
甲冑姿の若侍が天白道場の広間に入って来て、告げた。
「申し上げます。ただいま岡崎城からの御助勢、石川助十郎殿以下兵三百、着到されましてございます」
「ふむ。三百とな」
備後守は口髭を撫でながら苦笑いして、広間に居並ぶ一同を見回す。
「おのれの城の目と鼻の先での戦ぞ。随分と兵を出し渋ったものじゃが、いかがなものかのう」
「はい! まずは!」
答えて言ったのは三郎五郎である。相変わらずの大声を張り上げて、
「その兵どもの面構えを見てやるのが、よろしいでしょう! 三百が精鋭の三百か、あるいは烏合の衆なのか!」
「うむ……それも道理よ。よし、助十郎とやらと配下の兵どもを儂自ら迎えてくれよう」
備後守は立ち上がり、居並ぶ者たちもそれに倣った。
一同は屋形を出て、境内の南側にある門へ向かう。
妙見信仰は北辰すなわち北極星を神格化したことを起源とするから、本尊や御神体は北を背にするかたちで配され、門や鳥居は境内の南側に置かれるのである。
境内では兵たちが物見櫓を組み上げたり、食事の煮炊きをしていたが、備後守と重臣たちの姿を認めて手を止め、頭を下げた。
「構わずともよい、役目に戻れ」
備後守は鷹揚に声をかける。
門は開け放されているが、その内側に逆茂木と置楯が並べられている。
槍を手にした兵が三十人ばかり集まっているのは、門の外に到着した松平勢を警戒しているかたちだ。
備後守が門を出る前に、柴田権六と内藤、ほか数人の門の付近にいた侍が先に立った。
万が一、松平勢が逆意を抱いて矢を射かけて来たときは自ら盾になるためである。
天白道場は堤の上の高台にある。
堤の下は田起こし前の乾いた田地だ。
門の前からはゆるい下り坂が伸びて、その下に松平勢が集まっていた。
歴戦の強者とは見えた。
陣笠を被った兵たちは四十前から五十過ぎ、兜を着けた侍は六十前後と見える者もいて、若い者はいない。
甲冑や槍の柄、刀の鞘の塗りは、あちこち剥げて、いささか見苦しい。
だがそれを身に着けた者たちは、いずれも眼光鋭く、一癖も二癖もありそうな面構えであった。
それらの兵を従えるかたちで最前列に立っているのは、身の丈が六尺三寸はあろうという大男だ。
これが石川助十郎であろう。
額当てを着けているが、兜は被らず、白髪頭を露わにしている。
年齢のせいなのか頬は痩せこけているが、配下の者たち以上に険しい顔つきで、相当の癖者と見えた。
備後守はにこやかに、坂の上から呼びかけた。
「石川と申したか。まずは大儀じゃ」
「は……」
助十郎は一礼する。
しかし、それきり何も言わない。
備後守は苦笑して、
「兵の数は三百と申したのう。それが、いまの次郎三郎殿の精一杯か」
「いかにも。先に安祥を失いし痛手から、我ら、いまだ立ち直らず」
顔を伏せたままで、助十郎は答えて言う。
備後守は鼻で笑い、
「おまけに又四郎がごとき裏切り者も出たからのう。あれは、そのほうの身内か」
「若輩のうちに曲事あり、逐電いたした者にござる。殿より御赦免を得て帰参早々、今度は今川方に返り忠いたした不届き者にて」
「つまり、いまは縁を切っておると申すか」
「は……」
助十郎は変わらず顔を伏せたまま答え、備後守は口髭を撫でた。
「ふむ。ときにこの天白道場の大檀那の石川と申すは、そのほうのことか」
「は……」
「なるほど。腹を空かせた仁王がごとき者と世話人の老爺が申しておったそうじゃが、言い得て妙よのう」
備後守は、にやりと唇の端を吊り上げて、
「しかし岡崎の石川と申せば、三河の一向宗の門徒総代として知られた者ではないのか。一向宗は、ひたすらに念仏を唱える宗旨であろう。なにゆえその門徒が天白神も拝むのか」
「恐れながら」
助十郎は顔は上げぬまま答えて言う。
「我が一族が信心いたすは真宗にござる。一向宗と申すも浄土教の流れを汲んではござるが、いささか宗旨が異なってござる。それを叡山の山法師どもが我ら真宗と一絡げにして呼んだばかりに一向宗の呼び名が世に広まってござる」
「ふむ。真宗とは浄土教の真の教えか。そのほうが仕える松平家の菩提寺、大樹寺の宗旨は浄土宗であるが、これは偽りの浄土教であるか」
「親鸞聖人は左様なことは仰せられており申さぬ。そもそも我ら一族は、家祖の釈種現龍が蓮如上人に帰依して以来の門徒にござれば、真宗は我が家の宗旨、天白様はそれがしが武士として信心いたしておる神にござって、何ら矛盾はござらぬ」
「……まあせいぜい励むがよいぞ」
何を言っても動じず言い返してくる助十郎が面白くなく、備後守は眉をしかめて投げやりに言う。
すると三郎五郎が前に進み出て、そのまま坂を下って助十郎に歩み寄る。
「さ……三郎五郎様」
慌てて内藤と、ほかに侍が三人、あとを追った。
三郎五郎は朗らかな笑顔で助十郎に呼びかけた。
「いやあ! 五郎殿とおっしゃったか! なるほど仁王様のように大きいですな!」
「助十郎にござる」
眉をひそめて助十郎は答えたが、三郎五郎は構わず、いくらか伸び上がりながら相手の肩に腕を回し、
「オレも今板額と呼ばれた母譲りの大男のつもりでいましたが、獅子頭殿にはかないませんな! いや鬼瓦のほうが似ていますかな!」
「鬼瓦?」
問い返す助十郎に、三郎五郎は、にやりと白い歯を見せ、
「それくらい厳しい、武士としてよい面構えということです! いや申し遅れましたが、オレは織田備後守の息子で三郎五郎といいます! 息子といっても跡継ぎでもなんでもないんで気安く相手をしてやってください!」
「は……」
頭を下げる助十郎の肩を、ぽんぽんと気安く三郎五郎は叩く。
「ときに鬼瓦殿、腹が減っておりませんか! 戦にて陣所を構えれば、まずは腹ごしらえと決まっていますからな! どうぞ鬼瓦殿も我らと一緒に本陣にてお召し上がりください! 配下の皆さんの食事も、すぐに届けさせましょう!」
これに内藤が慌てて声を潜め、
「それはお待ちを三郎五郎様、我らの兵粮にもゆとりがあるわけではござらぬ」
「ケチなことを言いなさんな! とっとと今川勢を追い払って戦を終わらせればよいのじゃ!」
三郎五郎は言ったが、助十郎が、
「食事であれば、それがしは兵たちと一緒にこの場でいただきまする」
「いやそれはいけません! 一手の大将である鬼瓦殿と一緒に飯を喰らうのでは、兵たちが寛げませんでしょう! そうではございませんか皆の衆!」
三郎五郎に呼びかけられた松平勢の兵たちは、困惑気味に顔を見合わせる。
「いや、そんなことはねえけど……」
「石川様は、いつも儂らから離れて一人で飯を喰らっておられますので……」
「ありゃあ儂らが寛げるように遠慮してくださっていたのかのう……」
それを聞いた三郎五郎は、にんまりと笑って、また助十郎の肩をぽんぽんと叩いた。
「孤独にぼっちメシですか! いけませんなあ獅子頭殿! ここはぜひ我らと一緒に飯を喰いましょう!」
「……そこまで申されるなら」
渋々といった様子で助十郎はうなずいた。
ばしんと、その背を三郎五郎は叩き、
「ではさっそく! 本陣はこちらです! といっても鬼瓦殿も勝手を知った天白様の本堂ですが! ああ、兵の皆さんにもすぐにメシを届けさせますから!」
松平勢の兵たちにも呼びかけてから、助十郎を伴って境内へと戻る。
孫三郎が備後守に言った。
「三郎五郎に救われたのう、兄者」
「救われたとはなんじゃ」
「石川と申す者が、あのように不遜な態度をとったのは、いっそ手討ちにされようと思い定めたおったからじゃろう。しかし三郎五郎のおかげで、いくらかこの場が和んだわ」
「……ふん」
備後守は興が醒めた顔で、門をくぐって境内に戻った。




