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信長廃嫡  作者: 白紙撤回
第七章  三河小豆坂 其ノ二
52/112

第七章  三河小豆坂 其ノ二(1)

章立てを変更しました。

「第六章(11)」→「第七章(1)」

「第六章(12)」→「第七章(2)」

また第七章(2)の誤字を修正しました。

引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

 

 三河における備後守の拠点である安祥城から、東へ向かうと矢作やはぎ川に至る。

 対岸のつつみの上に天白てんぱく信仰の道場があり、そのすぐ北側で、北東から流れて来たおと川が矢作川に合流する。

 天白神は水神とされて主に河川の近くでまつられるが、一方で機織はたおりの神といい、また星神ほしがみであるともいわれている。

 つまり元の由来は異なる様々な民間信仰が習合したものであろうが、この地方では星神という性格から妙見菩薩と同体とされ、軍神いくさがみとして武家の崇敬を集めている。

 天文十七年三月。

 安祥城を出立して矢作川を越えた備後守の手勢、約四千は、この天白道場の境内を陣所とした。

 ここからまた少し東にある生田しょうだ城まで進出した今川勢を迎え撃つためである。

 生田城には松平次郎三郎の家臣の石川又四郎いしかわ またしろうという者が在番していたが、これが今川方へ寝返ってその軍勢を引き入れたのだ。

 道場には神職や住僧はおらず、備後守の軍勢が到着したときには世話人と称する俗人の老爺がいるばかりであった。

 備後守の指図を受けた内藤が、境内を陣所とする旨をこの老爺に申し渡すと、

 

「ほやあ大檀那おおだんなの石川様に言うとくりん」

「石川とは、どの石川か。生田城の又四郎のことか」

「ぼっくう小僧こぞうの又四郎は大檀那たあちゃあがね」

「石川とやらが松平次郎三郎殿の家来なら、我らはその松平殿の主筋である織田備後守様の家中の者じゃ。大殿が当地に御本陣を構えられるにいなやもあるまい。遠慮なく境内を使わせてもらうぞ」

「ほいだで石川様に言うとくりん」

「されば、そのほうから石川とやらに申し伝えよ。この天白道場の境内を大殿、備後守様の御本陣といたすゆえ、左様心得よとな」

「ほやあ石川様に言うとくりん」

「……では、その石川とやらを、ここへ連れて参れ」

「石川様は、おそがいぞん。ひぎれとお仁王様みたいな御方おかただに」

「いいから連れて参れ」

 

 ため息まじりに内藤が申しつけると、老爺はぶつぶつ言いながら道場を出て行った。

 尾張の者は三河訛りも解するが、「ひぎれとお」つまり腹を空かせた仁王様のような石川とは何者なのか。

 道場の境内には本堂に相当する大きな屋形と、八幡神ならびに稲荷神のほこら、ほかに世話人の老爺が住み込んでいた小屋と納屋、それに厩舎うまやがあった。

 八幡神は武神であり稲荷神は豊穣の神であるが、これを八幡稲荷と並び称して、妙見菩薩とあわせて祭祀する風習がある。

 もとは鎌倉の幕府の有力御家人であった千葉氏が妙見信仰と八幡信仰、稲荷信仰に篤かったことから広まったものだ。

 厩舎は道場を訪れた武家の信徒が馬を預けられるように用意したものだろう。

 備後守や重臣たちの馬は、ここに入れることになった。

 厩舎に入りきらない馬は境内の木々に繋いでおくことになる。

 納屋に収めてあった雑多な品々は外に運び出された。

 祭に使うものであろう太鼓、木臼、獅子頭ししがしらなどで、容赦なく打ち壊されて炊事のために火にくべられた。

 空いた納屋は兵の寝床になるだろう。

 もちろん全員は入れないから、ほとんどの者は野宿となるが、長陣となれば小屋掛けをすることにもなろう。

 備後守と重臣たちは屋形の広間に入った。

 正面の祭壇に神体であろう鏡が奉安され、その左右には星神である妙見菩薩や、その本地仏とされる薬師如来、阿弥陀如来、十一面観世音菩薩の像が並んでいた。

 

「神に尻を向けるわけにもいかぬからのう」

 

 備後守は、祭壇に近い壁際に床几しょうぎを置かせて着座した。

 その横と向かいの壁際にも床几がいくつか並べられた。

 備後守の隣に庶長子の三郎五郎信広が座し、さらに内藤や柴田権六ら、古渡と那古野から来た者たちが並ぶ。

 向かい側には備後守の弟である孫三郎信光、四郎次郎信実、孫十郎信次と、その家臣たちが列した。

 美濃の斎藤山城入道を攻めたときは、清須の織田大和守や岩倉の織田伊勢守からの援軍もあったが、これは土岐宗藝という神輿を備後守が担いでいたからである。

 今回の三河攻めは備後守の私戦とみなされており、尾張からは備後守の家中の者だけが参陣している。

 ただし備後守に臣従する松平次郎三郎は援軍を出すことを約束していた。

 次郎三郎の居城、岡崎城は、矢作川と乙川の合流点のすぐ北にある。

 つまり岡崎城は東西と南を川で守られているかたちだ。

 

「さて兵をどれだけ出すかで次郎三郎めの心構えが知れようというものよ」

 

 備後守がいつもながらに意地悪く、にやにやと笑って言うと、対面に座している孫三郎が顔をしかめる。

 

「兄者のそのやり口が、どうにも得心いかん。信用ならねえ味方なら、いっそはっきり敵と決めてかかったほうがええわ」

「敵と決めてどうする。されば次郎三郎め、すぐさま今川方に走り、得をするのは今川ばかりぞ」

 

 にやにやして言う備後守を、孫三郎は腕組みしながら上目遣いに睨み、

 

「だから生殺しみてえに、じわじわとなぶるのか」

「おう。三河者など、せいぜい使い潰してくれようぞ。今川方と幾度もぶつけて、双方とも磨り減らしてやるのじゃ。敵と決めてかかるなら、そのあとよ。次郎三郎と家来どもが弱りきったところで、城を取り上げ放逐いたしてくれるわ」

「兄者の息子の、いまだ童形で吉法師と名乗っとる道楽者がおろう」

不肖ふしょうの息子じゃ。それがどうした」

「あれが次郎三郎の息子の竹千代に、我が妹を嫁がせようとか申しておるそうじゃの」

政事まつりごといくさろくに知らぬ小僧の申すことよ。竹千代は次郎三郎の嫡男とは申せ、まだ六歳じゃ。もし次郎三郎がこれを見捨てて今川方に走り、我らは竹千代を婿に迎えて盛り立てたとして、三河者どもが次郎三郎ではなく竹千代に従うとは到底思えぬ。大事な娘をくれてやるだけ無駄よ」

「娘の親である兄者が、そう申されるなら仕方もねえ。なれど儂は、吉法師の申すことも面白おもしれえと思うぞ」

「ふん。不肖の息子じゃ」

 

 備後守は吐き捨て、口髭を撫でる。

 

 

 


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