第六章 三河小豆坂(8)
吉法師が以前に加藤図書助の屋敷を訪ねたときは、庭に築山と池があった。
その奥の土塀の向こうには海が見えた。
だが、いまは池の上に能舞台が設けられている。
そのため土塀とその先の海は、ほとんど隠されていた。
外に出ればすぐ海だから、座敷からは見えなくてもいいということか。
それよりは能舞台を建てることを優先したのだろう。
当代の図書助の指図とすれば、自分とは趣味が合わないと吉法師は思った。
芸事への興味が自分には薄いことを差し引いても、座敷からの景色を捨て去ってしまったことに得心がいかない。
(……儂は、当代の図書助を嫌うておるのじゃな。あの者も儂を嫌うておるゆえ)
結局はそこに尽きるだろう。
もしかすると能舞台を設けたのは先代であるのかもしれないわけだし。
池の畔には篝火がいくつか焚かれ、これが能舞台を照らしていた。
能舞台と向き合うかたちの主殿の座敷に、観客が集まっている。
図書助の母であろう身なりのいい老婦人と、妻であろうか、やはり上等な仕立ての衣服を纏った女性。
この二人の間に、もう一人分の茵が用意され、それが客席の中央を占めている。
もちろん竹千代の席であろう。
図書助の母と妻が、その親代わりを務めているという構図か。
老婦人の隣には隼人佐がおり、その横にまた年配の婦人がいるのは隼人佐の妻だろう。
図書助の妻の脇には、子息らしい少年が二人。
あとは婦人たちの侍女が十名ばかり後ろに並んでいた。
男の奉公人の姿はない。
だがおそらく物陰に控えており、何か異変があれば飛び出せる手配はしているだろう。
吉法師は本舞台の中央に立っていた。
被衣を深く被って顔を伏せているが、その妖艶な面差しは隠しきれず篝火に照らされている。
「綺麗……」
「ほんとに……」
囁き交わしている侍女たちは、美女の正体が那古野の殿様であることを、もちろん知る由もない。
万千代と小平太、小藤太は地謡座に着いていた。
最も観客に近い側に座しているのが万千代で、これも美貌の少年であるから、
「謡い手もなんと凛々しい若衆でありましょう……」
「那古野の殿様の、なんともあいがたいお心遣いでありますこと……」
侍女たちは見惚れるばかりである。
同じ地謡座にいる、むさ苦しい髭面の二人は視界に入っていないのだろう。
勝千代や犬千代ら吉法師のほかの配下の者は、鏡の間すなわち舞台の袖に控えて出番を待っている。
座敷に少年が二人、入って来た。
一人は竹千代であろう。
もう一人は三河から竹千代に従って来たという同年輩の小姓の阿部徳千代か。
竹千代は図書助の母と妻の間に座り、徳千代は後ろに回って、侍女たちが並んだ列の一番端に座した。
幼い、というのが吉法師から見た竹千代の第一印象だ。
丸顔で、目もくりくりと大きく丸い。
好奇心いっぱいという顔つきで、舞台上の吉法師に目を向けている。
実母とは三歳の頃に両親の離縁で生き別れ、いままた父親からも引き離されて、人質として他国に預けられている竹千代だ。
憐れむべき境遇であるはずなのに、当人は至って天真爛漫な様子である。
目の色に翳というものがない。
(……ふむ。幼くは見えるが、よほど肝が太いのであろう)
吉法師は竹千代の性根を、そう見込んだ。
このように健気な者であれば、周囲には自然と人が集まろう。
何か事があれば、すぐに周りから助けの手が差し伸べられよう。
図書助の母と妻も、我が身内を見るような慈しみの目を、間に座した竹千代に向けている。
天性の人望を備えた者とまで、竹千代の人物を吉法師は見定めた。
もちろん一目見ただけのことであるから、吉法師の思い込みかもしれない。
だが、そうではなかったときが案じられた。
(……やはり、この者は我が身内として遇するほかはない。もし我らの掌中から離れることがあれば、むしろ恐るべき敵となろう)
万千代が艶のある声で、朗々と謡い始めた。
「──田楽のォ、ァ田楽のォ……」
滑稽踊りである。
心得のない吉法師に、正統派の能など舞えない。
教えを乞えるような名人の心当たりも周囲にはない。
しばらく前まで安養寺に滞在していた前美濃守護の土岐宗藝は能に造詣が深く、自らも舞いの名手であったというが、すでに美濃へ帰国している。
だから自己流の踊りであるが、試しに勝千代たちの前で披露したところ絶賛されたので自信はついていた。
尾張沓掛
田楽ヶ窪に
山たち出ると
人の言う
歌詞も筋立ても『あつまの道の記』をもとに吉法師が考えた。
初めは同じ文句の繰り返しで、これに合わせて吉法師が、くるくるとその場で周りながら、ときどき女人のような科を作ってみせる。
いまのところ、ただそれだけの芸であるが、美貌の少年の謡い手と妖艶な美女の舞い手が披露しているというだけで、観客を大いに感嘆させた。
「こりゃあ何とも乙なものよ」
隼人佐が手を打ち、その妻も口元を手で覆いながら愉快そうに、
「ほんに艶な謡いと舞いでございますねえ」
そこに、橋掛りから武悪の面を着けた勝千代が登場した。
犬千代から借りた枕槍を両手で頭上に掲げ、荒々しく足音を立てて、「山たち」すなわち山賊を演じてみせている。
武悪は鬼の面であるが、目蓋は垂れ下がり、大きな鼻は胡座を掻き、剥き出した歯で下唇を噛んだ滑稽な顔つきだ。
あふりたるゥ
山たちともかァ
出合てェ
くしさしやせんン
でんがくがくぼォ
謡いの調子が変わった。
万千代が七五調で謡うのに、小平太と小藤太が「いよォ、はッ」などと合いの手を入れて、小藤太は鼓も打つ。
水夫上がりの服部兄弟は、よく通る声をしている。
むさ苦しい髭面を目に入れなければ、なんとも渋みがあって、いい声なのである。
武悪面の勝千代が、ずかずかと大股に吉法師に歩み寄った。
美女役の吉法師は怯えた様子で、倒れ伏せる。
能であれば美女の役も面を着けるところ、吉法師は被衣を被っているのみで素顔である。
つまり美女そのものとしか見えない姿で舞台上にいて、観客の目を惹きつけないわけがない。
武悪の勝千代が槍をふりかざし、美女の吉法師は科を作りながら、憐れみを乞うように武悪を見上げた。
武悪が怯んだ。
それは演技ばかりではなかった。
(ヤベエだろ殿のその目つき、変な方向に勘違いしそうだぜ……)
どきどきと胸が鳴るのが痛いくらいに勝千代には感じられる。
美女は、その隙を見逃さなかった。
素早く身を起こし、武悪の手から槍を奪い取って、これを一突きにした。
もちろん、実際は体の脇を掠めるだけの演技である。
武悪は苦悶する仕草を見せ、その場で二度、三度と身を翻してから、もつれるような足取りで橋掛かりから鏡の間へ去った。
舞台中央に残った美女は、得意げに槍を頭上にかざしてみせた。
「芝居とわかっていても、とても素敵……」
「巴御前か板額御前のように勇ましいわね……」
侍女たちは、すっかり夢中な様子だ。
今度は橋掛かりから、童女の姿の小十蔵が姿を現した。
万千代に代わって、謡い始める。
薄墨のォ
ァ薄墨のォ
三河岡崎
矢作の里に
薄墨吹かば
月、霞む
まだ幼い声であり、姿も童女を模しているから、実際には少年が謡っているとは観客は気づかないであろう。
そして三河岡崎という歌詞に、竹千代が反応した。
丸い目をさらに見開いて童女姿の小十蔵を見つめ、それから舞台中央の吉法師に視線を戻す。
何やら物問いたげな、好奇心いっぱいの表情だ。
吉法師は槍を下ろして足元に置いた。
笛の音が流れ始めた。
鏡の間から橋掛かりへ、横笛を吹きながら犬千代が登場した。
水干姿で被衣を被った牛若丸がごとき姿である。
吉法師はその場に座して、琴を爪弾く真似をした。
薄墨のォ
ァ薄墨のォ
三河岡崎
矢作の里に
薄墨吹かば
月、霞む
小十蔵が、再び謡う。
これは竹千代の生まれ故郷、三河国岡崎にある時宗寺院の誓願寺に伝わる浄瑠璃姫の伝説を題材としたものだ。
鞍馬寺を出奔した牛若丸が金売り吉次の手引きで奥州へ向かう途中、三河国の矢作という里で土地の長者の屋敷に数日滞在した。
ある夜、長者の娘である浄瑠璃姫が琴を爪弾くと、これに惹かれた牛若丸が、京から携えて来た薄墨という名の笛を吹く。
浄瑠璃姫もまた笛の音に魅了され、牛若丸当人への恋心も芽生えるが、牛若丸は奥州への旅を続けなければならない。
牛若丸が薄墨を姫に託して矢作の里を去ると、実らぬ恋を悲観した姫は川に身を投げてしまう。
長者は姫の菩提のために誓願寺境内に堂宇を建立し、薄墨は寺宝として、いまも誓願寺に伝わっている──
琴を爪弾く姫の周りを、牛若丸は笛を吹きながら一巡りする。
だが、はたと演奏を止めると、姫に背を向けて橋掛かりへ去る。
童女も謡いを止めて、ともに橋掛かりへ去る。
姫は、牛若丸に追いすがるような素振りを見せるが、相手が鏡の間に姿を消すと、力尽きたように床に倒れ伏す。
万千代が、謡い始めた。
武士のォ
やはきの里のォ
跡とへばァ
むかしになりてェ
しるよしもなしィ
むかしになりてェ
しるよしもなしィ……
侍女たちが感嘆の声を上げる。
「浄瑠璃姫の伝説ね……、なんて美しくて悲劇的なのでしょう……」
「ええ、わたくし涙が出てきてしまいましたわ……」
図書助の母が、竹千代にたずねた。
「竹千代様も、浄瑠璃姫の伝説は御存知でございましょうか」
「はい、ですが、いまの歌は存じ上げません」
答えた竹千代は、はきはきとした利発そうな口調である。
だが彼が知らなくても無理はない。
浄瑠璃姫の伝説は有名だが、『あつまの道の記』は世に広く知られた歌集ではない。
仁和寺の関係者の間で読み継がれていただけで、平手でさえ知らなかったほどである。
そして、次がいよいよ佳境であった。




