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信長廃嫡  作者: 白紙撤回
第六章  三河小豆坂
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第六章  三河小豆坂(7)

 

 

 

 婆娑羅と呼ぶにはあでやかに過ぎた。

 美貌の少年が三人と可憐な童女が一人、華やかな小袖や袿を羽織り、夕暮れの熱田の町を闊歩かっぽする。

 往古から宿場として知られた熱田である。

 旅籠や料理屋の軒先に下がる提灯、また二階座敷の窓の明かりが、夕日以上に明るく通りを照らす。

 その下を歩く少年たちは、小袖や袿に組み合わせて獣の皮を継ぎ当てした奇妙な袴を着け、腰には太刀を差している。

 最も年少と見えるよく日焼けした少年だけは、長さ四尺の枕槍をも携えている。

 童女のほうは尼削あまそぎの髪に、緋色の小袖姿。

 唇には紅を差し、面映おもはゆそうにうつむいている。

 その後ろには田楽法師のように飾り蘭笠いがさかぶり、水干をまとった男が馬を牽いて続いた。

 飾りは縁起物の蓬莱鶴亀ほうらいつるかめである。つまり鶴と亀の人形と蓬莱島の模型が笠の上を飾っている。

 そして馬上には、鞍に横座りした天女がごとき娘の姿があった。

 艷やかな下げ髪を白く透けるような薄紗はくさ被衣かづきで覆い、白い水干と緋袴ひばかまという白拍子のような装束。

 かたちのいい鼻と、紅を差した小ぶりな唇が被衣の下から覗いているが、それだけで相当の美形とわかる。

 通りにいた者は皆、足を止めて、一行の姿に見惚れてしまう。

 旅籠や料理屋にいて外の異変に気づいた者は、窓から身を乗り出して一行を見送る。

 

「なんじゃ門付かどづけたぐいにしてはっておるのう」

「どこぞの御大尽おだいじんが御召しの上臈じょうろうではないか」

「そりゃあ、どこの御大尽じゃ、商家か社家か」

 

 三人の少年と童女、そして田楽法師姿の男と馬上の娘という一行は、実は二人組の男に先導されている。

 一人は立鳥帽子を着けて扇子を手にし、いま一人は大黒頭巾を被ってつづみを抱える。

 しかし揃って髭面の、むさ苦しい男たちで、後ろの華やかな少年や娘たちとは、いささか不釣り合いである。

 一行は周囲の注目を集めながら、宿場街を抜けて湊へ出た。

 すでに船の出入りはない時刻である。

 しかし仕事を終えて帰宅する商家の奉公人や、散歩に出た旅籠の客らが提灯を下げて行き交い、なお賑やかである。

 そこに分け入るようにして姿を現した少年と娘らの華美な一行が、人目を惹かないわけがない。

 向かう先は、どうやら湊の東側であった。

 そのまま東海道を下るわけでもなければ、そちらには加藤図書助の屋敷がある。

 それに気づいた野次馬が、ぞろぞろと一行のあとを追い始めた。

 

「こりゃあ加藤様の御召しの上臈か」

「それなら得心じゃ、これほどの上品じょうほん、加藤様ほどの御大尽でなけりゃあ御召しになれんじゃろう」

「いや仮にも神職じゃぞ、かように人目につくかたちで遊女など屋敷に招くまい」

 

 やがて一行は加藤図書助屋敷の門前に到着した。

 

「やはり加藤様の御召しであったか」

「なんとも豪儀ごうぎな門付じゃのう。見目麗しき天女様に、これまたえんな若衆じゃ」

「このまま御門前で芸を披露してくれるなら、我らもおこぼれにあずかれようというものじゃか」

 

 野次馬たちはささやき交わす。

 先導役の二人の髭面の男が、門の前まで進み出て、揃って声を張り上げ呼ばわった。

 

「「たのぉもぉぉぉーっ!!」」

 

 門のすぐ向こうで、ざわつく声や物音がした。

 門前に人が集まって来たことに屋敷の者も気づいて、様子を窺っていたのだろう。

 しばらく待つと、門の脇の潜戸くぐりどが開いた。

 落ち着いた物腰の年配の奉公人が姿を現し、にこやかに、だがきっぱりと告げた。

 

「さて何用でございましょう。御承知の上のことなのかどうか、当家の主人は熱田大神あつたのおおかみに奉仕する神職にございます。されば、門付の類は御遠慮願っておりまする」

「えーっ、太夫たゆうでござる!」

 

 構わず声を張り上げた髭面の一人は、服部小平太であった。

 

才蔵さいぞうにござい!」

 

 いま一人の髭面は服部小藤太である。

 再び声を揃えて、服部兄弟は言った。

 

「「二人揃って尾張萬歳おわりまんざい、一番槍ぶっ刺し隊でーっす!!」」

「いやあの、ですから門付は御遠慮……」

 

 奉公人が言いかけたのを遮るように、服部兄弟は喋り始めた。

 

「なあなあ太夫のアニサン」

「なんやねん才蔵クン」

「こちらの加藤様の御屋敷にな、松平竹千代様ってえ御年六歳の御曹司が預けられていてはるんやと」

「御曹司、御曹司ってえとあれやんな。えーっと、ほら、あれや」

「なんやボケくるんか、ボケくるんか、ツッコミ準備して待っとくで」

「せや、御曹司や。偉いヒトの坊っちゃんや」

「うわ、そのまんまや。せやからその竹千代様がな、御母上や御父上と離れて暮らして寂しい思いをしてはるんやろうな、気の毒やなあと那古野の殿サンが思うてな」

「誰がや」

「いや殿サンが」

「なんで殿サンが気の毒なんや。殿サンなんて高いトコロに座って『苦しゅうない』言うてるだけの気楽な商売やんか。高所恐怖症やったら気の毒やけどな」

「いや兄サンそれ手討ちにされまっせ。とにかくその殿サンが竹千代様を気の毒に思うてはるんや」

「なんでや、竹千代様も高いトコロが苦手なんか」

「苦手なモンの話はしとらん。父上母上と離れて暮らして寂しいやろうて話や」

「そらあ六歳の御曹司が父上母上と離れて暮らしたら寂しいやろ。おまけに高いトコロも苦手やねんもんなあ気の毒や」

「せやから高いトコロの話はしとらんちゅうねん」

「なんでや、才蔵クンも高いトコロが苦手なんか、話をするだけで怖くてたまらんねんか」

「いやワシは高いトコロは平気や、暗くて狭いトコロはあかんねんけどな」

 

 と、言った小藤太の後ろに回り、小平太が両手で弟の目隠しをした。

 

「うわあん、暗いの怖いよ狭いの怖いよオカアチャーン、って何さすねんドアホ」

 

 小藤太は小平太を振り払い、ばしっと片手で相手の胸の辺りを打ってツッコミを入れる。

 

「いまは竹千代様の話や」

「ほなら竹千代様も高いトコロも暗いトコロも狭いトコロも苦手なんか気の毒になあ」

「誰もそんなん言うとらん。とにかくその竹千代様が寂しかろうなあ気の毒やなあて思うた那古野の殿サンがな、一時いっときの慰めにもなろうかってんでえ女踊りの一座を差し遣わされたってえ話や」

「おお、そらええ話や」

「せやろ」

「そいでもってその女踊りの一座はみんな揃って高くて暗くて狭いトコロが苦手なんか」

「何の話や」

 

 ばしんとまた小藤太が小平太にツッコミを入れて、

 

「「どうも、ありがとうございましたー!」」

 

 いったん揃って頭を下げた服部兄弟、また揃って顔を上げると、おどけるように両手を左右に広げ、ひょいと片足を上げて、どやっと言いたげな笑顔を見せた。

 だが、辺りは静まり返っている。

 野次馬たちは黙り込み、図書助屋敷の奉公人は顔をこわばらせている。

 しかし馬上の娘だけが「……ぷっ」と声を漏らした。

 口元を押さえて顔を伏せ、肩を震わせる。

 吐き気をこらえているのでなければ、笑いを抑え込んでいるのだろう。

 枕槍を携えた少年──犬千代が、呆れたように娘を見上げた。

 

「え? いまのがツボに入った?」

 

 こくこくと、娘は顔を伏せたままうなずいている。

 小平太と小藤太は顔を見合わせ、にやりと笑い合い、

 

「いやあ、トノ……じゃなくアネサンにだけでもわろてもらえたら本望ですわ」

「せやせや、これでワシらも次また頑張ったろうて思えるねんで」

「いや頑張りどころが違うだろ、二人とも」

 

 呆れて言った犬千代は、黒地に白やくれないの糸で白梅と紅梅の花を、金糸でその枝や幹を刺繍した、華やかな袿を羽織っていた。

 これに獣皮を継ぎ当てた袴を組み合わせた格好だが、当人が愛らしい顔立ちであるから、婆娑羅というよりえんである。

 あとの二人の少年──勝千代と万千代も、同様だった。

 勝千代は鮮やかな緋色の地に金色の蝶の模様を織り出した袿を羽織り、万千代は夕陽に映える富嶽ふがくを染めた辻が花の小袖を纏う。

 それらの着物は吉法師の姉の蔵や、恒川久蔵の姉のナツが集めてくれたものだ。

 そして犬千代と同様に身に着けている奇妙な獣皮の袴は、久蔵を介して津島の職人かあつらえたものだった。

 久蔵は津島の商人や職人に顔が利き、望み通りの品を安価に仕立てさせることができたのだ。

 その久蔵は、いまは田楽法師の姿で馬を牽いている。

 図書助屋敷の奉公人は、愛想笑いを引きつらせながら辛うじて言った。

 

「そ……その那古野の御殿様が差し遣わされた一座という前説まえせついやお話が、まことでございますならしばしお待ちを」

 

 そして、そそくさと潜戸から屋敷の中へ引っ込んだ。

 野次馬たちが再び、ざわつき始める。

 

「那古野のお殿様のお指図だとよ」

「それってあれかい、吉法師様と名乗られてる童形の若殿かい」

「この御屋敷に三河の松平の御曹司がいらっしゃるとも言ってたな」

「三河は少し前まで、この尾張と敵対してただろ」

「どうやら人質ってことか」

「まだ六歳だというし、ちょっと気の毒だな……」

 

 織田備後守が松平次郎三郎から嫡子の竹千代を人質にとり、加藤図書助の屋敷に預けてあることは、熱田の民にもほとんど知られていなかった。

 それがいまの服部兄弟のやりとりで知れ渡ったことになる。

 だがそれ自体は問題とならない。

 備後守が自身の居城ではなく、配下である加藤図書助の屋敷に竹千代を預けた以上、人質の所在は松平方や今川方にいずれは伝わっていたはずである。

 図書助屋敷の奉公人や出入りの商人らの口から「高貴な御方を屋敷で預かっているようだ」「どうやら子供のようだ」などの噂が広まることは抑えきれるものではないからだ。

 むしろ六歳の少年が人質にされていると知れば、多くの者が同情するはずである。

 屋敷の周囲で変事があれば、熱田の民の多くが、少年の身を案じるであろう。

 つまり異変が早期に発見される可能性は高くなり、何者であれ竹千代を害しようと目論む者があれば、いくらかでもその行動を牽制することができる。

 

「……あの、犬千代殿」

 

 童女が、ちょいちょいと犬千代の袖を引いて告げた。

 

「どうして、わたくしだけこのように娘の姿なのですか」

「なんだよ小十蔵、オイラのことは犬千代アニキと呼べって言っただろ」

 

 にやりと笑って犬千代は答える。

 

「でもまあその姿のときは、お兄サマって呼んでくれてもいいけどな」

「なんですかそれ……。とにかく犬千代……アニキ、どうしてわたくしだけ女装なのですか」

 

 童女の姿をしているのは小十蔵であった。尼削ぎの髪は、よくできた被り物である。

 犬千代は、ぽんっと小十蔵の肩を叩くと、くいっと顎をしゃくって馬上の娘を指し、

 

「オマエだけじゃないだろ。殿だって、あのお姿だ」

「殿は……」

 

 小十蔵は馬上の娘──いや、娘の姿をした吉法師を見上げて、何やら頬を赤らめた。

 

「殿は、お似合いですからよいのです」

 

 そう、馬上にあるのは吉法師であった。

 しかし誰が見ても女人にょにんとしか思えないであろう。

 吉法師の顔を見知っている者がその面影に気づいたとしても、姉か妹か近い身内であろうかと、まずは考えるに違いない。

 しかし娘が吉法師の身内すなわち武家の姫であるなら、白拍子のような姿で下々の前に現れることなどないはずだ。

 結局は他人の空似と思い、吉法師とは見抜けないままであろう。

 その吉法師は、ようやく笑いを抑え込み、被衣の下で澄ました様子で、憂いを帯びた目を伏せていた。

 全くもって妖艶な美女、としか思えない姿である。

 それを見上げたままの小十蔵の肩を、ぽんぽんと犬千代が叩いた。

 

「いやオマエ、すっかり見惚れちまってるけど、あれオイラたちがお仕えしている殿だからな。どこかの姫御前ひめごぜなんかじゃないからな」

「わ……わかってます、そんなこと」

 

 小十蔵は吉法師から目を逸らすように、そっぽを向く。

 犬千代は、にやりとして、

 

「それと、似合っているならいいってんなら、オマエも相当似合ってるよ小十蔵。殿と並んでも妹で通用するくらい可愛く見えるだろうぜ」

「いやそんな、わたくしなど殿には遠く及びません」

 

 小十蔵は真っ赤になりながら顔を伏せた。

 横で聞いていた万千代が、くすくすと笑って、

 

「こらこら犬千代、可愛い弟分ができたからって、あまりからかうものではありませんよ。それとも妹分でしたかね」

「万千代殿まで……みんなからかってばかりでヒドいですっ」

 

 両手で顔を覆い、ぷいっと背を向ける小十蔵の姿は、やはり童女としか見えないのである。

 万千代と犬千代は笑い、勝千代も苦笑して、

 

「女踊りの一座のおともが野郎ばかりよりは、一人くらい娘がいたほうがいいだろうと思ったら、想像以上に小十蔵がイケてたんで驚いたよな。……おっと、門が開きそうだ」

 

 勝千代が言った通り、門の向こう側でかんぬきを外しているらしい、ごとごとという物音がした。

 それから、ぎいいいーっと、重々しい音を立てて門が開いた。

 その向こうには、先ほどの年配の者を含む七、八人の奉公人を従えるかたちで、立烏帽子に狩衣姿の男が立っていた。

 加藤隼人佐であった。

 先代の図書助の弟だがあまり似ておらず、兄が顔も体型も福々しく丸かったのに対して、こちらは痩せた体つきである。

 しかし人のよさそうな笑顔は、いくらか兄に通じるものがあった。

 吉法師がこれまで隼人佐と顔を合わせたのは数回で、親しい交流はない。

 白拍子姿の娘の正体が吉法師であると気づく可能性は低いであろう。

 熱田は那古野よりも古渡に近く、備後守の影響力が強い。

 それゆえ吉法師は、熱田の社家や商家との交誼は、ほぼ平手に任せきりにしていた。

 何事にも卒がない平手は便利に使える男だと、吉法師も最近ようやく理解したところだ。

 隼人佐は、にこやかに言った。

 

「那古野の若殿、吉法師様から差し遣わされました踊りの一座とのことでございまするな。されば吉法師様の御名代として、表門からお入りいただきましょう。ささ、どうぞお通りくだされ。庭に能舞台がございますゆえ、踊りはそちらで拝見いたしましょう」

 

 少年たちは目配せし合う。

 まずは最初の関門を突破したかたちであった。

 

 

 


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