第六章 三河小豆坂(6)
平手が御座敷を退出すると、入れ替わりに勝千代と万千代、それに恒川久蔵が入って来た。
久蔵は大きな葛籠を背負い、おっかなびっくりといった足取りだ。
「わたくしなどが殿の御前に罷り越しますのも……やはり庭先へ回らせていただくべきでした……」
「そういうところは本当に久蔵殿は生真面目ですね」
くすくすと万千代が笑って、勝千代も笑い、
「服部兄弟なら絶対遠慮しないで、堂々と上がって来るだろうになあ」
「あの二人と一緒にしないでください」
久蔵は眉をひそめる。
吉法師は上段の間で立ち上がり、勝千代たちの前まで下りて来た。
「久蔵、大儀じゃ」
「あ……いえ、もったいないお言葉」
久蔵は慌てて平伏したが、葛籠の重さで勢いがつきすぎて床に額を打ちつけた。
「痛っ!」
さらに葛籠の蓋が開いて、中に収めてあった女物の服が、どさどさと床に落ちてしまう。
「おやおや、大丈夫ですか久蔵殿」
くすくすと笑いながら万千代が久蔵を助け起こす。
勝千代は床に広がった服を集めようとしたが、
「まあいいや、このまま殿に見ていただきましょう」
と、あらためて服を広げて床に並べていった。
小袖、袿、裳袴、被衣。
綾織りあり、辻が花染めあり、刺繍や縫箔ありと、色とりどりで華やかである。
犬千代もそばに来て感心したように、
「やっぱり女の服って綺麗ですねえ」
「だよな。これをオレたちがうまく組み合わせて着たら婆娑羅で超イケてるだろ」
にやりと笑って勝千代が言う。
吉法師が久蔵に、
「これだけのものを譲ってもろうて、よいのか」
「はい、殿の御役に立てるならと蔵様や、このわたくしが殿のお世話になっている御礼だと姉が集めてくれました。古着ではございますが、そのほうが殿もお気遣いがないものと思いまして」
「うむ。ありがたい。礼の文を書かねばならぬな」
吉法師はうなずく。
勝千代が服を一枚ずつ手にとり、裏返してみたりしながら、
「蔵様もナツさんも上等な服をどんどん出してくるから、オレらもビビったんだよ」
「ええ、古着屋を開けば儲かりそうなほどです」
にこにこして言う万千代は、算盤の珠でも弾くような手つきをしている。
卓上での扱いが算木よりも容易な算盤は、しばらく前に唐土から伝わっていたが、日の本で用いる者が増え始めたのは最近のことである。
ほかの皆から一歩下がったところから、興味深そうに覗き込んでいる小十蔵を振り返り、吉法師は言った。
「そのほうも着るのだぞ」
「え? わたくし? どうして女子の服など?」
「竹千代救出作戦のためだぜ」
答えて言ったのは勝千代である。
「ついでにこの機会にオレたちも婆娑羅に変身しようってワケだけど」
「殿はすでに一度、図書助殿に竹千代様の身をこちらで預かりたいと申し入れたのです」
万千代が小十蔵に説明した。
「ですが図書助殿に断られてしまいました。大殿から直接のお指図がない限り、竹千代様を引き渡すわけにはいかないと」
「先代が亡くなり、いまは子息の又八郎が図書助の名を継いでおる」
吉法師は眉をしかめて言った。
「だがこの者がどうにも融通が効かぬ」
「竹千代様のことに限らず、当代の図書助殿は殿のお指図に従おうとしないのです」
万千代が言って、勝千代が、
「そうなんだよ、あの白達磨。足軽衆を集めるときも熱田で高札を立てようとしたら、あいつがケチをつけてきたんだ。これは大殿のお指図なのか、大宮司の千秋様のお許しは得ているのかってさ」
「どちらも許しを得ていると答えたら気まずい顔してましたけどね。自分は何も聞いてないって」
万千代は言って、ぺろりと舌を出し、
「まあ許しを得たというのは方便なんですけど」
「方便? 嘘ということですか?」
目を丸くした小十蔵の肩を、ぽんぽんと犬千代は叩いて、
「仏の嘘だって方便というのさ。武士が方便を使って悪いことはねえよ。覚えておきな、小十蔵」
「はあ」
「図書助は、いま父上に従い安祥へ出陣いたしておる」
吉法師が言った。
「屋敷の留守は叔父の隼人佐が預かっておるそうじゃ。隼人佐は気のいい者ゆえ策に嵌めるのは心苦しいが、己の浅はかなるを図書助に思い知らさねばならぬゆえのう」
「図書助の手ぬるいやり方じゃ竹千代は奪われてたってことを知らしめてやるんだよ」
勝千代が言う。
小十蔵は、吉法師とほかの者たちとの顔を見回して、感心半分、呆れ半分のようにたずねた。
「あの……皆様、つまりは物語に聞く忍びの者のようなことをなさろうとお考えですか?」
「物語も何も、小十蔵の父ちゃんは本物の忍びだろ」
犬千代が小十蔵の肩に手を回すと、小十蔵は困り顔をして、
「ええ、そうではあるのですが……わたくしが聞いた限りでは、父は百姓の姿で物見をすることはあっても、どこかに忍び込むことはあまりしませんし、女子やほかの者に化けることも、ほとんどないそうです。だってすぐに正体が見抜かれそうでしょう?」
「まことの忍びとは、そうしたものやもしらぬな」
吉法師はうなずいた。
「なれど我らは、まことの忍びではないゆえ策を弄するのじゃ。小十蔵そのほうも、我が一党に加わったからには存分に働いてもらわねばならぬ」
「はい……お役に立てるかどうかは、わかりませんが……お指図に従います」
小十蔵は、頭を下げた。
勝千代が久蔵の肩を抱き、
「久蔵殿もだぜ」
「え? わたくしも……」
久蔵は困ったように、吉法師やほかの者たちの顔を見たが、皆、うんうんとうなずいている。
覚悟を決めて久蔵も、頭を下げるほかなかった。
「承知いたしました……存分に相務めまする」




