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信長廃嫡  作者: 白紙撤回
第六章  三河小豆坂
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第六章  三河小豆坂(5)

 

 

 

 那古野城の御座敷。

 上段の間に座した吉法師の前で、平手は平伏した。

 

「御召しによりまかり越しました」

「うむ。平手そのほう、父上のもとへ使いに参れ」

「大殿のもとへ……」

 

 平手は顔を上げ、

 

「大殿は、いま安祥へ御出陣なされておいででございまするが」

「うむ。その安祥までの使いをいたせ」

 

 吉法師は何事でもないように言う。

 傍らには犬千代と、新たに小姓となった小十蔵が控えている。

 澄ました顔の犬千代に対し、小十蔵は緊張気味で、膝の上でぎゅっと拳を握っている。

 平手は僅かに眉をひそめて言った。

 

「戦陣への御使者となれば火急の大事でございまするな。されば五郎右衛門を差し遣わせまするのは、いかがでございましょう」

「五郎右衛門を伴いたいと申すなら連れて参れ。されど、儂は平手そのほうに命じておる。そのほうでなければ務まらぬ大事ぞ」

 

 吉法師の言葉に、平手は居住まいを正した。

 戦陣への使者など正直なところ、老境の身には厳しいものがある。

 だが主君の命とあれば、致し方あるまい。

 

「されば、いかなる御用向きの御使者にございましょう」

「松平竹千代がことじゃ。いま熱田の加藤図書助の屋敷にあるが、これを我が膝元の安養寺へ移すゆえ、父上にお伝えして参れ」


 また何事でもないように言う吉法師に、平手は慌てて言った。

 

「お待ちくださいませ。それであれば、まずは殿のそのご意向を大殿にお伝えして参りまする。竹千代様には大殿のお許しをいただいたのちに安養寺へ御動座願うのが、よろしいと存じまする」

「それでは遅い」

 

 吉法師は、ぴしゃりとねつけた。

 

「戸田弾正が討たれて渥美郡は今川方の手に落ちた。三河衆には動揺が広がっていよう。松平次郎三郎を我がほうに繋ぎ止めるものは質にとった竹千代の存在のみぞ。されば、いま竹千代の身に何かあれば、いかがいたす」

「加藤図書助殿も、そのあたりは心得て竹千代様の周囲を固める手配りはしておられようものと」

 

 答えて言った平手を、吉法師は一喝した。

 

「手ぬるいわ。今川方は、あるいは今川に心を寄せる松平家中の者どもは、竹千代を三河へ連れ帰る必要などないのじゃ。竹千代というくびきがなくなれば松平次郎三郎め、たちまち我らより離反いたして今川方へ走ろうぞ。あの者が我らの味方に留まっておるのは、嫡子を質として差し出した上、これを見捨てたという汚名をこうむりたくないばかりのことであろう」

「左様な……」

 

 ごくりと平手は唾を呑み込んで、

 

「左様なことは、ござりますまいと……」

何故なにゆえそう申せるのか。皆、我が身と我が家を守るために必死ぞ。弱き者は強き者に従うほかないのじゃ。我より強き者が二人おるなら、より強きほうに従うまでのこと」

 

 吉法師は、きっぱりと言った。

 

「我らの力は今川に及ばぬ。国の力で敗け、策でも敗けた。戸田弾正が一件でそれがよう見えた。松平次郎三郎にも見えておろう。なれば竹千代を見捨ててでも今川方へ転じたいのが本心であろう。父上によって今川への楯に使われるのも本意ではなかろうからの」

「……されば殿は竹千代様を、いかように御守りなさろうとお考えでございまするか」

 

 眉間の皺を深めてたずねる平手を、じっと見据えて吉法師は答える。

 

「我が足軽衆を身辺に張りつける。寺の者は顔も心根も知れておるが、新しき者は入れぬよう和尚に申し伝える。そればかりでは手が足りぬゆえ、あらためて津島で人を集めた。念のため新参の者には寺の外を守らせるが、どのような者を雇い入れるかは恒川久蔵や服部小平太、小藤太らに手配りを任せたゆえ間違いはなかろう」

「また銭が流れ出て行きますな」

「勘定方は平手、そのほうの務めであろう。熱田や津島の者どもに、儂の名で出世払いの証文を下してやるがよい」

かろきことのようにおっしゃいまする」

 

 平手は渋い顔で首を振る。

 吉法師は、さらに言った。

 

「それと滝川八郎に手配りさせて、加藤図書助屋敷を密かに見張らせておる。竹千代を安養寺へ移したのちは、その警護にも八郎の手を借りる。これは久助に鉄炮修行を許した礼じゃと八郎が申して、我が懐から銭は出ておらぬ」

「滝川殿が」

 

 目を丸くする平手に、吉法師はうなずいて、告げた。

 

「よいか爺。儂は父上と同じてつは踏まぬ。松平竹千代をしっかりと味方として抱え込む。たとえ次郎三郎が竹千代を見捨てて離反しようとて、それは変わらぬ。竹千代が長じれば我が妹の誰ぞを嫁がせ、我が一門として遇する。されば三河の者どもも心底より我らの味方となろう」

「次郎三郎殿が離反なされても、でございまするか」

「嫡子を見捨てた次郎三郎と、幼少より質として辛酸しんさんめながらも織田の姫を嫁にもろうて凱旋いたす竹千代じゃ。律義と評判の三河者は、いずれに心を寄せるであろうか」

「……承知いたしました」

 

 平手は頭を下げた。

 覚悟を決めるしかなかった。

 いまの主人は吉法師であり、これは平手が何を言おうが耳を貸す者ではない。

 それに策として間違ってもいなかった。

 吉法師の見立て通り、竹千代が亡き者となれば得をするのは今川方である。

 あるいは松平次郎三郎も今川方への寝返りを望んでいるなら、竹千代の存在は足枷あしかせでしかない。

 

「殿のお考えを大殿にお伝えいたし、御理解を賜って参りまする」

 

 

 


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