第六章 三河小豆坂(3)
「──内藤!」
「はい」
「この戦、勝つぞ! いや勝ったぞ!」
織田三郎五郎は鎧が弾けそうなほど逞しく厚い胸を反らして、言い切った。
「勝ったと思って戦えば、戦は勝つものなのだ! うむ、勝った!」
偉丈夫である。
秀麗な目鼻立ちは父の備後守に加えて母親から、筋骨隆々とした体躯は完全に母方から受け継いでいる。
三郎五郎の母親は地侍の娘であるが、板額御前に譬えられるほどの大女であった。
彼女の父も祖父も巨漢の豪傑だったが向こう見ずな猪武者でもあり、ともに戦で早死にして僅かな所領しか残さなかった。
父が死んだ時点で跡継ぎとなるべき弟は幼かったので、娘は家族を養うために小さな領地で自ら鍬を振るい百姓仕事に励んだ。
その彼女を、当時まだ三郎と名乗っていた若輩の備後守が馬の遠乗りの途中で見初めて、手をつけた。
板額御前は武勇に長けた大女であるが美貌も備えていたと『吾妻鏡』に記されている。
三郎五郎の母親も化粧っ気などないくせに、実は整った容貌であることを備後守は見抜いて我が物にしたのだ。
問題はそれを備後守が武勇伝のように弟たちに語って聞かせたことである。
孫三郎や四郎次郎が、それをまた周囲の家臣らに言い広めてしまった。
「若殿の三郎様が『今板額』の大女をお手つきにした──」
弾正忠信定は備後守を叱責した。
事前に相談があれば、娘を誰か重臣の養女にした上で側室とすることもできたのだが、すでに面白おかしく家中に話が広まった以上は手遅れである。
結局、弾正忠は備後守が『今板額』を側室とすることは許したが、男児が生まれても庶子として扱うという条件付きだった。
弾正忠としては誕生の経緯が笑い話となるような者を、我が家の後継者と認めるわけにいかなかった。
そんな経緯で生まれたのが三郎五郎であるが、備後守とも吉法師とも異なる、まるで屈折したところのない陽気な人柄だった。
過剰なまでに前向きでもあった。
安祥城の物見櫓から、東の丘の上に姿の見える敵兵に三郎五郎は目を向けている。
その傍らには内藤勝介ともう一人、備後守が古渡から遣わした与力の柴田権六という者が控えている。
権六もまた巨躯である。
三郎五郎が仁王像の阿形なら権六が吽形、三郎五郎が青鬼なら権六が赤鬼といったところだ。
違うのは三郎五郎が常日頃から爽快な笑みを浮かべているのに対し、権六は無精髭など生やして不敵な面構えでいるところ。
その権六に三郎五郎は呼びかけた。
「権六!」
「はっ」
「敵の布陣をどう見るか!」
「あれは物見でございますな。僅か五騎でこちらを窺うておりまする。我らが寄せればすぐ逃げ去りましょう」
「そうか物見か!」
「はい」
「そう思わせて実は後ろに敵の本隊が控えておるとかではないか!」
「恐らくは」
「うむ! 景気づけに一当ていたそうかと思うたが、すぐ逃げ去るのでは致し方もない!」
三郎五郎は満足そうに、うなずく。
あしらい方を心得ているのか、権六は不敵な笑みを崩さない。
三郎五郎は今度は、内藤に呼びかけた。
「内藤!」
「はい」
「父上の策は絶妙であったな!」
「はい、大殿の策略は常ながらに巧みにございまするが、いまはどの策のお話で」
内藤がにこやかに、だが慎重にたずねると、三郎五郎は笑みのまま、ばしんと内藤の背を叩いた。
「痛っ」
「いまこの場で話しておるからには、戸田弾正を陥れたるあの策略に決まっておろう!」
「あ、そのお話で」
内藤は、にこやかにうなずいた。
三郎五郎も鷹揚にうなずく。
「うむ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「いや見事であったな!」
「はい」
内藤は、にこやかにうなずいておく。
戸田弾正に関する備後守の策略は、実のところ狙った成果は得られていないが、三郎五郎は理解しているのか。
超絶前向きな三郎五郎の感性では、何事であれ失敗を失敗と受け止めることがないのかもしれないが。
松平次郎三郎が備後守に降伏する際は、舅の戸田弾正が仲介役を務めた。
だが弾正当人は備後守とは距離を置いて中立の姿勢を保った。
三河における海上交易の利権を巡って弾正と敵対する佐治上野介が、備後守と協調関係にあるからだ。
しかし弾正は駿河の今川家に近づくこともしなかった。
強大な今川家が相手では臣下として服従するかたちにしかならず、それは海賊大将としての戸田弾正の矜持が許さなかった。
弾正が拠る田原城は周囲を海と堀とに囲われて、巴江城の異名をとる堅固な要害である。
今川家であろうと備後守だろうと、攻められても撃退できる自信があった。
そこで備後守は、我が意に従わない戸田弾正を陥れるべく噂を流した。
松平次郎三郎は岡崎城を落とされても尾張方への抵抗を続けるつもりで嫡子の竹千代を戸田弾正に預けたが、弾正がこれを備後守に売り渡したのだと──
これで今川の怒りが弾正に向かえば、弾正は生き残りのために備後守に従うか、さもなければ独力で今川家と戦うしかない。
堅牢な田原城に拠る弾正と今川が争えば、勝敗はどうあれ双方の損害は大きく、どう転んでも自分の得になると備後守は目論んだのである。
ところが今川方は田原城を力攻めにする愚を犯さなかった。
戸田弾正の次子の甚五郎という者を懐柔し、これを寝返らせて戸田家を二つに割った。
弾正の家臣には今川家と争うことに不安を感じる者が少なからずいて、甚五郎に従うべく田原城を抜け出す者が相次いだ。
その上で今川勢は田原城を攻めて、戸田弾正とその長子の孫四郎を討ち取ったのである。
だが三郎五郎の認識では、備後守に従わない弾正を今川が代わりに討ってくれたとしか受けとっていないだろう。
三郎五郎は、与力の両名に呼びかけた。
「権六! 内藤!」
「はっ」
「はい」
「いや父上は偉大であるな! この勢いなら遠からず今川治部少輔を討って、三河といわず遠江といわず駿河まで併呑なされるであろう!」
正しくは治部少輔ではなく治部大輔であるが、三郎五郎のことである。
敵を呑んでかかるのは常のことだが、わざと格下の官職に言い換えたわけではなく、本気で間違えているのだろうと内藤は思う。
ともあれ内藤は、権六と揃って頭を下げた。
「仰せの通りにござる」
「いや全く、仰せごもっともでございまする……」




