第五章 美濃井ノ口(9)
備後守は裸の左肩から胸にかけて晒布を巻いている。
頬には矢であろうか刀槍か、浅く掠めた痕が残る。
その姿のまま古渡城の広間で、吉法師と対面した。
「山城入道めに、してやられたわ」
にやりと口の端を歪めて、備後守は言った。
「雨を好機と乾坤一擲の逆落としよ。さすがは美濃一国を差配する立場に成り上がっただけのことはある。機を見るに敏なものよのう」
「よき者どもを多く喪いました。与次郎叔父上と青山与三右衛門も討たれたところを見た者がおりまする」
吉法師が言うと、備後守は眉をひそめる。
「戦よ。討つこともあれば討たれることもある」
「青山の妻子には篤く報いたいと存じまする。されば、与次郎叔父上には」
「十郎左には、いずれ何がしか遣わそう。されど、いまそのほうも申した通り、多くの者が死んだのじゃ。いますぐ全ての者に手当ていたすことは叶わぬ」
「は……」
「なれど、まあ、このままで済ませるつもりもないがのう」
備後守は、またにやりと口の端を歪めて、髭を撫でた。
「山城入道も、おのれがいかに嫌われておったか思い知ったであろう。こたび、どれだけの者が我らの味方についたか。されば、あらためて朝倉とも談合いたして、美濃とは和議を取り結ぶ。土岐次郎殿を新たに美濃守護とし、山城入道が守護代。いまの美濃守様には、よき隠居所にて安穏にお過ごしいただこう。山城入道の首が繋がったのみで、我が目論見と結果は変わらぬ」
「山城入道がおります限り、やがて再び美濃には大乱が起こると存じまする」
吉法師が言うと、備後守はうなずき、
「それでよいのじゃ。それでこそ、また我らがつけ入る隙が生まれよう。それまでは、また三河での戦じゃ。松平次郎三郎、かたちばかり我が家来となったが、今川めも虎視眈々と三河を狙うておる。されば、いずれに仕えるのが我が家に利があるかと両天秤いたして、今川に寝返るやもしれぬぞ」
「人質として差し出した嫡男を捨ててでございまするか」
「ふむ……」
備後守は、にやにやと笑いながら口髭を撫でた。
「いまだ童形のそのほうよ。女の味は、知らぬか」
「…………」
吉法師が眉をひそめると、備後守は、にやりと白い歯を見せて、
「我が子を生ませられたということはのう、子種があったということじゃ。あとは欲しいままに女子を抱いて、新たに子をなせばよい」
「松平次郎三郎が父上と同じように考えるかは、わかりませぬ」
吉法師は言ったが、備後守は意地の悪い笑みを崩さず、
「だが竹千代は離縁した女に産ませた子ぞ。新たに妻とした戸田弾正の娘に男児が生まれたら、どうじゃ。いや、案外すでに新しき妻に心を奪われ、まだ生まれずともその子を世継ぎとすればよいと考えておるやもしれぬ」
「松平次郎三郎が竹千代を見捨てて我らより離反いたすなら、父上が烏帽子親として竹千代を元服させればよいと存じまする」
吉法師は言った。
「そして我が妹のうち見合った年頃の者を竹千代と娶せ、我が一門衆として竹千代を三河に送り込み、母方の縁者である水野に後見させましょう。されば本来の嫡子である竹千代と、戸田弾正の娘が生んだ代わりの嫡子。果たして律義と噂の三河の者どもは、どちらに心を寄せましょうや」
「ほう……」
備後守は目を見開く。
「面白きことを申すものよ。それが父に捨てられるやもしれぬ竹千代を哀れんでの、この場の思いつきでなければだがのう」
「捨てられると決まったわけでもございませぬ。松平次郎三郎、いまなお我らの配下にございましょう」
念を押す吉法師に、備後守はまた、にやりとした。
「いまのところは、じゃ」




