第五章 美濃井ノ口(7)
これは白狸ででもあろうかと吉法師は思っていた。
肌が白く、髪も髭も白い。
小柄だが丸々とした体つき。
雨に煙る石庭を見渡すかたちで置かれた文机に向かい、嬉々とした様子で鷹の絵を描いている。
傍らには燭台が置かれ、大蝋燭が文机を照らしているので、雨で辺りが暗かろうと絵を描く妨げにはなっていない。
土岐美濃守頼芸。
隠居を決めたいまは、宗藝と号している。
斎藤山城入道によって放り出された、美濃一国の神輿である。
「吉法師殿は、鷹狩はいたさぬのか」
宗藝に問われて、吉法師はうなずいた。
「いずれ、よき鷹を手に入れて励んでみたいとは思うておりまする。が、いまはほかに学ばねばならぬことも数多く」
ようやく我が手で取り仕切ることになった政事で多忙、とは言えない。
相手は政事の実権を持たない神輿である。
宗藝は「ふむ」と鷹揚にうなずいて、
「鷹はよいぞ。賢く、雄々しい。余も美濃では狩りに出る機会はなかなか得られなかったが、よき鷹どもを何羽か飼うていた」
狩りに出ないのでは鷹は飼い殺しではないか、と思わないでもなかったが、吉法師は口をつぐんでおく。
宗藝自身が神輿の守護として飼い殺されて来たようなものだから。
那古野城内から安養寺に移築させたばかりの書院が、宗藝の御座所となっていた。
座敷に面しては禅宗寺院のような石庭を急ごしらえで設えてあった。
書院の移築普請が終わるかどうかのところで宗藝を尾張へ迎え入れることが決まったので、草木を植えた庭園を作るのは間に合わなかった。
幸いというべきか、土岐家は代々、禅宗それも妙心寺派に帰依している。
備後守の指図を受けた平手が、普段は永泉寺に出入りしている庭者すなわち庭師を連れて来て作らせた石庭を、宗藝はかなり気に入ったようだ。
「このごろは密教の寺でも、かような枯山水を作るのじゃな。なかなかよい景色よ」
そうではなく宗藝のためにあえて作ったものだが、満足したのなら、それでよかった。
斎藤山城入道を討って美濃を手に入れるまで、宗藝は備後守にとって大事な神輿である。
ゆえに日々のご機嫌伺いを、備後守は吉法師に命じていた。
だが自ら政務を執ったことはなく、歌舞音曲や茶道、書画などの文化と遊芸に耽溺してきた老人の相手は、吉法師には退屈なばかりであった。
だから毎日、御座所に顔は出すものの、適当に挨拶をしただけで引き上げている。
宗藝のほうも、いつもなら文化芸術の心得のない吉法師を、あえて引き止めようとはしない。
だが、この日は宗藝のほうが、さらに話しかけてきた。
「学問と申せば吉法師殿は、師となる善知識を求めておるそうな」
「はい、お聞き及びでございましたか」
吉法師が問い返すと、宗藝は紙の上に筆を走らせながら「ふむ」とうなずき、
「吉法師殿の家老の平手中務と申したか、あの者も毎日、我が座所に顔を出すのよ。きのうは鷹の絵を求められたゆえ、一つ描いて渡してやったが、その折の四方山話にのう」
「これは我が家来が御迷惑をおかけいたしておるのであれば誠に申し訳なく」
吉法師が頭を下げると、宗藝は「ふむ」と視線は手元の絵に向けたまま、口元を綻ばせ、
「迷惑だなどということはない。平手も、なかなか話の面白き者よ。それはそれとしてじゃが」
宗藝は吉法師に顔を向け、微笑んだ。
「余が美濃へ帰りしのちは、美濃と尾張には和が結ばれよう。その折には美濃から善知識を遣わそうではないか。快川紹喜と申してのう、いまは妙心寺にあるが我が土岐一門の者で、近く美濃へ戻って参るはずじゃ」
「それはありがたく存じまする。その折にはぜひ、お願いいたしまする」
吉法師が、また頭を下げると、宗藝は鷹揚にうなずく。
「うむ、うむ」
だが、どこまで宗藝の思っている通りに、ことが運ぶのか。
備後守は越前朝倉家との間で、斎藤山城入道を討ったのちは朝倉家が庇護する次郎頼純に宗藝から美濃守護職を譲らせ、代わりに宗藝には隠居料として美濃領内で相応の領地を引き渡すという約束をしている。
しかし備後守と朝倉家の双方に、その約束を守るつもりがあるかどうか、である。
いまは山城入道という共通の敵があるため手を結んでいる両者だ。
山城入道を排除したのちは、どちらも我が掌中にある神輿を押し立てて、美濃一国を自由に差配したいと考えるであろう。
美濃を舞台として備後守と朝倉との戦が続くわけである。
あるいは備後守と朝倉家との間で不毛な戦を避けるため、美濃を南北または東西で分け合う密約ができているかもしれない。
その場合、守護職を次郎頼純に譲って隠居の身となる宗藝の神輿としての価値は失われる。
朝倉家が次郎頼純の母方の実家であるというなら、備後守は我が娘を新守護に差し出して、その意を汲もうとするであろう。
尾張守護代の分家筋という立場である備後守が、名門土岐家の当主の正室として娘を送り込むのは無理がある。
だが、そこは美男美女揃いの織田一族だ。
たとえ身分は側室でも、次郎頼純の閨房に我が娘を送り込めば、これを骨抜きにできようとは陰謀好きの備後守が考えそうなことである。
いずれにしろ──
所詮は宗藝など神輿にすぎないのだ。
備後守や朝倉家といった周囲の思惑に翻弄されるばかりの存在である。
誰かが廊下を歩いて来た。その足音が聞こえた。
宗藝が石庭を望む戸口に文机を置いているので、そのだいぶ手前で足を止め、姿は見せないまま吉法師に呼びかけて来た。
「殿、徳授院より使いの者が参っております」
万千代の声だった。
徳授院よりの使い、というのは符牒である。
美濃へ攻め入った備後守以下、尾張勢の戦況を確かめるべく、木曾川筋に遣わした物見から報告が入ったということだ。
吉法師は宗藝に頭を下げた。
「それでは、それがしはこれにて」
「うむ。いまごろ備後守殿も勇戦いたしておるであろう。何か知らせが入ったら、余にも伝えてくりゃれ」
「は……承知いたしてございます」




