第五章 美濃井ノ口(6)
だが風が強く吹き始め、雲の流れが早くなった。
遠くで雷鳴が聞こえ、空が急に暗くなってきた。
与次郎と青山の配下の兵は、瑞龍寺山から稲葉山へ至る尾根に設けられた斎藤方の曲輪に攻めかかっていたが、まだ陥落には時を要するであろう。
与次郎が眉をひそめた。
「いかぬのう。雨は寄せ手に不利となる。城方には休める屋根があるが、こちらは濡れるばかりじゃ。足元も危うくなろう」
「もうひと踏ん張りで曲輪は落ちましょう。その上で曲輪の内でしばらく兵を休ませてはいかがかと」
内藤が言ったが、与次郎は気遣わしげに稲葉山の西側をみやる。
「いや、大手から攻めた味方がどうしておるかじゃ。ここからでは、どこまで曲輪を落としたか見えぬからのう」
巨大な山塊である稲葉山だ。
その山体の向こうに井ノ口の町も、七曲りの道も隠れて、瑞龍寺山の側からは見えない。
味方の戦況がわからないのである。
ぽつりと、冷たいものが与次郎の鼻先に当たった。
天を見上げた。ぽつぽつと大粒の雨が降りかかって来た
与次郎は舌打ちした。
「ともかく早う目の前の曲輪を落としてくれよう。そこで雨宿りといたすか、あるいは……いったん麓へ兵を引くかは、それからのことじゃ」
「されば御本陣へ伝令を走らせ、大殿のお指図を仰ぎましょう。すでに瑞龍寺山頂の曲輪を落としたことは伝令を送ってお知らせしてござるが、雨によってまた戦況が変わるやもしれませぬ」
内藤の進言に、与次郎はうなずいた。
「任せた」
だが、そのまま攻め続けても曲輪を落とせぬまま雨は激しくなり、目の前が煙って敵の姿もよく見えなくなった。
今度は青山が与次郎に進言した。
「このままでは日も落ちるやもしれませぬ。敵方に動揺の気配はなく、大手の味方の働きも芳しくないものと」
「やむを得ぬ。伝令が戻るのも待ってはおれぬ、いったん麓まで退き、瑞龍寺で夜明かしいたそう」
与次郎は兵をまとめ、いま落としたばかりの瑞龍寺山頂の曲輪も放棄して、麓へ向かって退いた。
幸い、城方は追撃して来ない。
曲輪の守備兵も相応に損害を蒙っていたのであろう。
雨は弱まる気配はなく、斜面を流れる雨水に足をとられ、兵たちは幾度も転んでしまう。
麓の瑞龍寺が近づいた。
だが、様子がおかしかった。
雨に屋根を濡らした堂宇の間で、敵とも味方ともつかない軍兵が駆け回っている。
いや戦っているのだ。
瑞龍寺にはいくらか抑えの兵を残していた。
孫三郎と五郎右衛門も先に退いていた。
だから戦う兵どもの一方は味方である。
しかし、敵はどこから現れた?
「御注進っーッ!」
兵が駆け上がって来た。
傾いた旗指物で、味方の者とわかった。
「城方、逆落としに寄せて参って大手の御味方は総崩れ! このままでは退き口を塞がれまする! 急ぎ兵を引かれませ!」
「なんじゃとっ!」
与次郎は喚いた。
配下の兵にも動揺が広がる。
大手の味方も手ぬるい攻めではなかったはずだ。
斎藤山城入道から離反した者たちや、備後守の直属の兵がそちらから攻めていた。
土岐一族の兵も備後守の旗本たちに督戦されて、攻撃に加わっていただろう。
だが、与次郎たちが瑞龍寺山頂から退いたのと同様に、大手から攻めた者たちも、雨を嫌って兵を引こうとしたのであろう。
それに乗じて山城入道が、乾坤一擲の勝負に出た──
そう思い至って、与次郎は愕然とする。
味方は数が多くとも寄せ集めだ。
守勢に回れば脆く、たちまち崩されたのだ。
内藤が与次郎の肩を揺すった。
「これはいかぬぞ与次郎様、早うお退きくだされ。御一門衆には逃げ延びていただかねばならぬ」
「左様、殿軍は我らにお任せあれ」
青山も申し出る。
与次郎は首を振った。
「逃がすというなら、まず孫三郎じゃ。あやつは、いずれ兄者に劣らぬ将器となろう。内藤そのほう、見事に進退見極めてみせい」
「……承知!」
内藤は一礼し、急いで山を駆け下る。
足を滑らせ転んだが、すぐまた立ち上がって駆け出した。
与次郎は青山に告げた。
「我らが配下の兵はまだ数がおる。算を乱して逃げたのでは美濃方の思う壺。兵をまとめて、繰引きに引くのじゃ」
「承知つかまつった」
青山は、うなずいた。




