第五章 美濃井ノ口(4)
比べてしまえば乾山など「小山」であった。
それを丸ごと要害とした犬山城は、「小城」とは言わぬが「並みの城」である。
ところが稲葉山は、麓から見れば巨大な山塊であった。
実際には城として縄張りがされているのは、この大きな山のうちでも北西の一部であるが、それでも犬山城の数倍の規模だ。
山の東側は、ほぼ人の手は入っていないが起伏が激しく、登るには相当の困難を伴う。
南は妙心寺派の禅道場として知られた瑞龍寺の七堂伽藍が建ち並ぶ瑞龍寺山と峰続きで、そちらからの侵攻に備えた曲輪がいくつか設けられている。
西は麓に井ノ口の町が広がっていた。
稲葉山城主である斎藤山城入道が日頃の政務を執る居館も、町の中にある。
だが戦時となれば、山城入道と家臣、兵たちは山中に何段にもわたって設けられた曲輪に籠もる。
井ノ口から稲葉山頂の本丸に至る大手道は『七曲りの道』といわれ、途中でつづら折りとなっている。
大手から攻め上る敵兵は、そこで上方の曲輪から激しい矢の雨を浴びることになる。
敵を射るのに妨げとなる木々は、あらかじめ切り倒してある。
しかし道を外れて斜面を登られぬように灌木は残し、また鹿垣を設けてある。
置楯も並べてあって、城方はそこに兵を潜ませ、敵が寄せて来れば弓矢や投石で反撃しよう。
斜面に岩肌が露出した箇所は、それを削って垂直な壁とし、人がとりついて登ることを妨げてある。
ゆえに稲葉山の西側は井ノ口からは、難攻不落の要害としか見えなかった。
山の北西寄りには『馬の背道』という間道があるが、道幅は狭く傾斜が厳しく、そちらからの攻撃も容易ではない。
「味方は数ばかり多いが、あれをどう攻めるかじゃ」
「瑞龍寺山からなれば尾根続きでいくらか攻めやすくござろうが、美濃守様が御承知くださらぬとか」
井ノ口の町の外に設けた陣所から、織田与次郎と青山与三右衛門は並んで敵城を見上げ、難しい顔であった。
町の外──といっても、井ノ口の町はすでに、ほぼ焼け落ちて廃墟と化している。
斎藤山城入道から離反した美濃南部の領主たちの兵が、率先して町を襲って火をかけたのだ。
彼らは、いまは与次郎たちの陣所よりも前方に陣を張っている。
「こちらに寝返った美濃の者どもに城下での略奪を許したのは、兄者のよい思案であったがのう。あれで当然の流れとして美濃の兵が城攻めの先鋒を務めるかたちとなった」
与次郎が言って、青山がうなずく。
「仰せの通り。大軍をもっての城攻めは、まずは我攻めに一当たりして味方の意気を上げるほかござらぬが、先鋒は兵を多く損ずる辛き役目でござる」
天文十六年九月。
織田備後守は二万五千と号する大軍勢をもって、斎藤山城入道が拠る美濃稲葉山城を攻囲した。
山城入道はこれより先に、主君であった美濃国守護の土岐美濃守を追放していた。
尾張へ逃れて来た美濃守を備後守は丁重に迎え、那古野城下の安養寺に御座所を設けた。
そして美濃守の名前で美濃中の領主に使者を送り、謀叛人、斎藤山城入道討伐のため兵を挙げるよう呼びかけた。
また、かつて美濃守頼芸と守護の座を争った修理大夫頼武の遺児で父と同じ次郎を称する頼純が、母方の実家である越前の朝倉家に庇護されている。
備後守は美濃守を説得し、この朝倉家も味方に引き入れた。
斎藤山城入道を討伐したのちは、美濃守が守護職を次郎頼純に譲り、代わりに美濃守は隠居料として美濃領内に相応の領地を得るという条件である。
果たして尾張勢が南から、越前朝倉勢が北から美濃へ攻め込むと、これに呼応して美濃領内でも反・斎藤山城入道の兵を挙げる者が相次いだ。
ことに美濃南部では山城入道のために尾張勢に攻められるのも愚かしいと、領主たちの多くが備後守に味方した。
斎藤山城入道は稲葉山城の南、茜部の付近に一度は布陣して尾張勢に備えたが、敵が大軍であるのを見て早々に兵を退いて城に籠もった。
その麾下の兵は五千あまりと見られている。
尾張への敵愾心から、あえて斎藤山城入道に味方する者も少なからずいたのであろう。
それでも味方は五倍。優勢である。
あとは備後守が、稲葉山城への総攻めを下知するばかりだ。
そこに内藤勝介が、平手五郎右衛門を従えて現れた。
「やれやれ、これだけ陣所も広いと、どこに何を届ければよいやら味方の荷駄が迷うておった。これはそれがしが荷駄奉行を務めるべきであったかな」
腕組みをして、うんうんとうなずいている内藤に、五郎右衛門が眉をひそめて、
「内藤様は、我ら那古野衆の一手の大将にござる。荷駄などは誰であれ、ほかの者に任せておけばよいと存じる」
「これ五郎右衛門、荷駄などは、などと申して軽んじるではない。古来、腹が減っては戦はできぬと申してな。荷駄は兵粮を預かる大事なお役目ぞ」
うんうんと我が言葉にまたうなずいている内藤に、青山がたずねた。
「いかがでござった、内藤殿。味方の陣所を見て回られたのであろう」
「うむ、井ノ口を焼き討った先手の者どもは、やはり山城入道の首を奪らねば生きる道がないと覚悟して、戦意旺盛と見た。されど同じ美濃の者でも揖斐や鷲巣といった土岐一門は、どうもいかぬ。味方が大軍であることに、かえって浮足立っておる」
内藤が答えて言って、五郎右衛門が首を振り、
「所詮は美濃の者など頼りになり申さぬ。我ら尾張衆の働きに、この戦はかかっておりまする」
「それと、朝倉も頼みにならぬ。いつでも長良川を越えて越前へ引き上げようという構えでござるな、あれは」
内藤がつけ加え、与次郎は「ふうむ……」と腕組みした。
「いや、兄者も初めから朝倉など味方の数に入れておらぬはずじゃ。稲葉、氏家あたりの西美濃衆を、それぞれの城に貼りつけておくために、こちらへ引き入れたまでよ」
「されば、まことの味方の数は一万五千ばかりでござろうか」
青山が言って、内藤はうなずく。
「まずはそう見た。されど城方も五千は残らぬと見ておる。あの稲葉山の広い縄張りに薄く分かれて備えをいたさねばならぬゆえ、兵どもには心細く、逃げ出す者もおるであろう」
そこに備後守が現れた。
鎧姿であるが、まだ兜ではなく烏帽子をかぶっている。
「美濃守様からという名目で瑞龍寺へ使者を立てたわ。土岐家の怨敵、斎藤山城入道への懲罰の戦ゆえ、早々に全山退去いたすようにとな」
「よく美濃守様が御承引なされましたな」
青山が右目を大きく見開くと、備後守は、にやりと笑い、
「あの我儘神輿が承知いたすはずもなかろう。那古野の御座所におわす美濃守様が全てを知るのは、稲葉山が落ちたあとのことよ。なに、それで斎藤山城入道の首を得て、美濃への御帰還が叶うのじゃ。先祖の菩提寺が一つ兵火に焼かれたとて、何ほどのこともなかろう」
「では瑞龍寺山からも攻めかかると」
たずねる与次郎の顔を、備後守は見てまた、にやりとした。
「犬山勢に任せる。青山が率いる那古野の兵、孫三郎の守山の兵、ほか尾張から来た兵をいくらか与力につけよう。大手の攻め口は美濃方からこちらに寝返った者どもに、せいぜい働かせてやるわ」




