第五章 美濃井ノ口(1)
「──陰ッ! 陽ッ! 陰ッ! 陽ッ……!」
平手五郎右衛門の号令に従い、五十人ほどの男たちが長さ三間半の青竹を振り下ろし、また振り上げる。
いや、青竹でもそれだけ長さがあれば相当に重い。
上げるといっても斜め上に少し傾けるだけで精一杯、下ろすときには勢いで前のめりになり、慌てて踏み留まる者もいる。
青竹自体も撓るから、ラクをしようと思えば手元で上下に振れば先のほうは大きく揺れるが、たちまち平右衛門に見抜かれて怒声が飛ぶ。
「そこの者ッ! 横着をいたすなッ! もっと腰を入れて腕から振らぬかッ!」
那古野城が建つ台地の下の、荒れ野でのことである。
男たちは野良着の上に、胴丸や籠手を着けている。
足元には漆を塗った革で作った陣笠が転がしてある。
初めは皆、陣笠もかぶっていたのだが、青竹を振るたびに傾いて邪魔になると男たちは文句を言い出した。
「なんじゃとッ!」
五郎右衛門は日に焼けた顔をさらに赤黒くして怒声を発し、男たちは怯んだが、ともにその場にいた青山与三右衛門が五郎右衛門を宥めた。
「まだ鍛錬を始めたばかりじゃ。きょうのところは陣笠なしでやらせてみようぞ」
「青山様が、そう申されますなら仕方もありませぬ」
そう言いながらも五郎右衛門は、しかめ面で不服を隠そうとしない。
まだ青い者よと青山は胸の内でつぶやいたが、元来が寡黙な彼は口に出すことはしない。
五十人ほどの男たちは、吉法師の指示で新たに雇い入れた足軽であった。
知行の代わりに銭で俸禄を与えるかたちで常雇いとして、戦がないときは鍛錬に専念させる。
戦場で功名を重ねれば馬持の侍身分にも取り立てようという条件である。
領内の町や村に高札を掲げて人を集めると、継ぐべき家や田畑のない地侍、商家、百姓の次男三男らが応じて来た。
津島の恒川久蔵や、同じく津島十五党の服部家の小平太、小藤太兄弟もその中にいる。
「こりゃあ櫓や櫂を漕ぐより重労働だぜ」
「涼しい顔して、なに言ってやがる。手元で振ってラクしてねえで、もっと腰を入れろや兄貴」
小平太も小藤太もまだ若いが、あえて髭を伸び放題に伸ばして不敵な面構えを装っている。
もとは水夫として働いてきたので顔も手足も真っ黒に日に焼けて、髭面と合わせて貫禄ばかりは一人前である。
服部家は店を構えての商いよりも、船と水夫を多く抱える船主として稼いでいる。
跡継ぎではない小平太、小藤太兄弟は船頭見習いという建前の一介の水夫として家業を手伝って来たが、それに飽き足らず家を飛び出し、武士としての立身出世を目論んだのだ。
一方、久蔵は小平太の隣で顔から大粒の汗を垂らし、野良着にも汗の染みを作りながら青竹を振っている。
小平太が呆れたように、
「オメエはそんなに大汗かいてマジメすぎんだろ」
「オレはどうも腰の低い生真面目者に思われて家の商いを手伝わされてるが、本当は畑で黙々と鍬を振ってるほうが性に合うし、家のためにもっと稼がなきゃあいけねえってんなら侍として出世するほかはねえ」
答える久蔵に小藤太が笑い、
「そうしたところが生真面目だってんだ久蔵どんは」
「こらァッ! そこの黒髭どもッ! 笑える余裕があるならもっと大きく腕を動かせッ!」
五郎右衛門に怒鳴りつけられて、小平太と小藤太は首をすくめる。
そこに吉法師が勝千代、万千代、犬千代を従えてやって来た。
吉法師は相変わらずの水干姿、勝千代たちも小姓の姿だ。
そのあとには城の下働きの男が数人、荷車に酒樽を二つばかり積んで運んでいる。
目ざとくそれに気づいた小藤太が、
「おい、ありゃあオレらへのご褒美じゃねえのか」
「そうでなけりゃあ、こんなところにわざわざ運んで来ねえものなあ」
小平太は舌なめずりする。
青山が吉法師に一礼したが、五郎右衛門は気づかぬふりで、足軽たちに号令をかけ続けた。
「それッ! 陰ッ! 陽ッ! 陰ッ! 陽ッ……!」
「いかがじゃ、ものになりそうか」
吉法師がたずねて、青山は「は……」と頭を下げた。
「いまは青竹でござるゆえ手元で揺する横着をいたす者もおりまするが、槍の用意が整えば、より厳しく鍛錬いたしまする」
「……ひょえー、もっと厳しくなるのかよ」
小平太が小声でぼやいたのを吉法師は聞き逃さず、
「その顔は見覚えがある。津島の服部小平太じゃな。我は応分の俸禄にて、そのほうらを抱えておる。されば日々の鍛錬は、そのほうらの務めじゃ。不服なれば、いますぐ立ち去るがよい。この場に留まるなら、次に不平を漏らせば堪忍はせぬ」
「へえっ、励みますです!」
小平太は、また首をすくめる。
久蔵が吉法師たちを見て、青竹を振り続けながら、僅かに頭を下げた。
犬千代が笑って手を振り返しながら、吉法師に、
「久蔵殿、頑張ってますねえ。あれはいい槍遣いになりますよ、オイラの見立てでは」
「犬千代も槍の技は鍛えてますからねえ。そのうち、いい槍遣いになれるでしょうね、もう少し背が伸びれば」
くすくすと笑いながら万千代が言って、犬千代は頬をふくらませる。
「身長は仕方ないだろ、オイラまだ十歳だぜ」
「殿のお見立て通り、銭で俸禄を与えて兵を抱えるのは大成功ですね」
勝千代が言った。
「知行地として与えられる田畑には限りがあるけど、御当家は銭には困らないし、兵たちも田畑の耕作など気にせず鍛錬に励めるというものです」
「……うむ」
吉法師はうなずくと、あらためて青山にたずねた。
「あといかほど鍛錬させる」
「五郎右衛門に任せてござるが、初めが肝腎ゆえ、皆、顎を出すまで振らせてみるのもよろしいかと」
「されば、きょうのところはあと五十で終わりといたし、酒を運んで来たゆえ振る舞うてやれ。我に従えば、よい目が見られると皆に思い知らせ、さらによき兵を集めるのじゃ。いずれは精兵を選りすぐり、我が旗本といたそう」
「は……されば」
青山は呼びかけた。
「五郎右衛門、あと五十じゃ! 皆、声を合わせて腕から振れい!」
「──陰ッ! 陽ッ! 陰ッ! 陽ッ……!」
五郎右衛門の号令に、足軽たちも大きく声を合わせて青竹を振る。
鍛錬が終われば酒を振る舞ってくださるという殿様のありがたいお言葉を、皆、聞いていたのである。
「……うむ」
吉法師は満足げにうなずいて、
「儂が見ておると、鍛錬ののちに皆、寛げまい。儂もほかに回るところがあるゆえ、あとは任せた」
「は……」
青山は頭を下げる。
吉法師は側近たちを従えて、その場を立ち去った。
やがて残り五十を足軽たちは振り終えて、
「よーっしッ! そこまでいッ!」
五郎右衛門が呼ばわり、皆、どっとため息をついた。
小平太、小藤太をはじめ幾人かが青竹を放り出し、五郎右衛門の叱責が飛ぶ。
「こらあッ! 己の得物を投げるなッ! 武具は武士の命と心得いッ!」
「左様、ただの青竹と思うでない。槍が揃うまで、それがお主らの得物ぞ」
青山が言い添える。
そこまで言わなければ新参の足軽どもには理解できまいと思ったのである。
「だって、青竹と思ったからよう」
「そりゃまあ、だって青竹だもんな。でも槍が配られなきゃ確かに、オレらこいつを竹槍にして戦うしかねえや」
小平太、小藤太らは気まずい顔で、青竹を再び拾い上げる。
五郎右衛門の指図で足軽たちは、青竹を一箇所にまとめて積み上げた。
あとで城まで運んで保管し、明日またこの荒野まで抱えて来て、鍛錬に用いるのである。
酒樽を運んで来た城の使用人の頭が、足軽たちに呼びかけた。
「さあ皆様、殿様からの御差し入れ、京より届いたばかりの諸白の柳でございますよ。二樽ございますゆえ、たんとお召し上がりくださいませ。あとで女たちが肴も運んで参りますので」
「おおっ、柳なんて上等な酒、何度か船の荷として運びはしたが飲んだことなんざねえぜ」
「なんとも豪気な殿様じゃねえか、織田吉法師様って御方はよう」
小平太と小藤太をはじめ足軽たちは歓びの声を上げる。
五郎右衛門はしかし、しかめ面で青山に言った。
「この者どもが、まことに戦場で物の役に立つと青山様はお考えでござるか」
「役に立つよう鍛錬いたすのが我らの務めぞ」
青山は答えて言ったが、五郎右衛門は首を振り、
「銭のために働く者どもでござる。いつ裏切るか知れたものではござらぬ」
「それゆえ、まずは領内から人を集めておるのであろう。銭ばかりでなく地縁血縁が、あの者どもを繋ぐ鎖となっておろう」
青山は言って、つけ足すように、
「それにのう、銭のために動く者ほど案外、裏切らぬものやもしれぬ。忍びどもを見てみよ。一度結んだ約定を果たさぬのは、その者が死ぬるときのみぞ。さもなくば身命を賭して務めを果たす。そのような者でなければ、誰も銭を積んで忍びなど雇いはせぬ」
「それがしには、わかり申さぬ」
五郎右衛門は、また首を振った。
「三郎様のことは、幼子のうちから聡明よ沈着よと周りの皆が持て囃してござったが、それがしには癇の強い聞かぬ気の子供としか見えませなんだ。それは、いまも変わってござらぬ。なにゆえ三郎様は、元服も初陣も果たされながら、なお自ら御幼名を名乗り、稚児姿のままおられるか」
「それがしにもわからぬ」
青山は答えて言った。
「ただ、仕えて悪しき御主君とは思うておらぬ」
城の使用人たちが樽を開け、柄杓で茶碗に酒を掬って足軽たちに配った。
「うめえ!」
「いや甘露甘露!」
「さすがは諸白、見た目も味も澄んでおるのう」
「ありがたやありがたや、南無南無」
「いやそこは法華経の御題目だろ、柳の蔵元は妙法蓮華寺の大檀那だぜ」
足軽たちは陽気に盛り上がる。
その様子を見やってから頭を垂れ、五郎右衛門は、首を振った。
「それがしには、わかり申さぬ」




