第四章 三河大浜(8)
古渡城の広間。
上段の間に座した備後守と、吉法師は向かい合っている。
初陣を果たした二日後のことだった。
吉法師は烏帽子に直垂という正装である。
出陣の前日に挨拶に来たときは、新しく誂えた甲冑姿だった。
そのときは平手や青山、内藤も従えていたが、いまこの場には吉法師と備後守の二人きりである。
備後守は唇の端を吊り上げて含むところのありそうな笑みで、言った。
「まずは大儀じゃ。見事初陣を飾ってみせたのう」
「は……父上のお計らいにより、岩室十蔵が一党の忍び働きも得て、吉良、大浜辺りの村々を焼き払うてございます」
吉法師が頭を下げると、備後守は虫でも払うように片手を振って、
「我が世子の初陣じゃ。無様な真似もさせられぬ。家の名に傷がつこうでな」
「…………」
吉法師は目を伏せたままでいる。
備後守の言葉は照れ隠しではなく本心だろう。いまさら驚くことでもない。
ぱちり──と、備後守は手にした扇子を開いては閉じて弄び、
「水野めは、こたびの責めを一族の某とやらに一身に負わせ、詫び証文の代わりにその首を送って寄越すと申したわ。要らぬと返答いたしたがのう、それで赦したと思われるのも業腹ゆえ」
「は……」
「そこへいくと佐治めは、不手際はあったが大浜攻めの後詰も果たした。吉良では村に火をかけ、すぐ引き上ぐるはずが、兵どもが乱取りなどいたして大浜へ向かうのが遅れたと申すがの。気性の荒い水軍衆のことゆえ、こたびは赦すが次はないぞと申しつけた」
「常なれば日が沈んでのちは錨を下ろすべきところ、夜目の効く者を舳先に立てて大浜まで船を寄せて参ったと、青山与三右衛門から聞いておりまする。我が兵たちの危急が救われましたのも佐治殿の働きによるものと存じまする」
吉法師が言うと、備後守は失笑したように「ふん」と鼻を鳴らし、
「その窮地を招いたのは佐治めの怠慢よ。終わりよければ全てよしでは済まぬのじゃ、戦の大将を務むるなれば」
「は……」
吉法師は深く頭を下げて同意する素振りを示したが、今回の一件ではむしろ佐治上野介という人物への評価を高めていた。
(知多の佐治上野介、諱は為景と申したか。まだ世継ぎもおらぬ若き海賊大将と聞くが、なかなかの律義者よ……)
まだ佐治家は備後守に臣従したわけではなく、いまのところは盟約によって味方をしているかたちだ。
その彼らが備後守の子息の初陣のため、陽動の役を務めたのである。
水軍衆の気の荒さは備後守の言う通りで、佐治の配下の水夫どもは、吉良周辺の村に火をかけるだけで引き上げろという指示に納得できない者が多かったのだろう。
だから命令を無視して略奪に走ったわけだが、それも仕方のないことだと吉法師は思う。
佐治水軍は、まだこちらの家来ではないのだから。
自らの家臣の命令違反、軍規違反は厳しく咎める必要がある。
戦場では大将は兵たちを我が手足がごとく思うままに動かさなければならないからだ。
そうしなければ刻々と変化する戦況に対応しきれない。
独断専行が許されるのは、それを許されるほど武功を重ねた強者が、大将の暗黙の許しを得ている場合のみである。
無論、それが常に許されるわけはなく、いまこのときは全ての士卒が大将の采配通り動くべきという状況で命令に背くのは大罪だ。
だが臣下でもない佐治が、日没後の航行という危険を冒しても、約定通り大浜への後詰を務めたことは素直に評るすべきである。
そうでなければ新たな味方など得られない。
不手際を処罰するのは、こちらの力が決定的に上回り、相手が屈服したあとでいい。
ぱちり──と、また備後守が扇子を開いては閉じた。
「……ところで、大浜の長田平右衛門とはいかなる者か。大橋禅休入道の甥じゃと申したな」
備後守がそれを知らないはずはない。
いまも津島は備後守の支配下にある。
このごろでは津島十五党のうち堀田家の道悦、道空という兄弟が備後守に重用されて、大橋家に代わって十五党の頭領のような立場にある。
その彼らを通して津島に関する情報は備後守の耳に入るはずだ。
長田の父親は禅休入道の弟で、大橋家から三河の旧家である長田家に養子に入った。
その子息である平右衛門が、いまは松平家の家臣として大浜城の守備を任されている。
大浜の湊は西三河における水運交通の要衝で、熱田や桑名を介して津島とも人や物の行き来がある。
長田平右衛門についての風聞も当然、津島に届いているだろう。
つまり、その人物像についての一通りは、とっくに備後守も承知しているはずなのだ。
吉法師は当たり障りのないところを答えることにした。
実のところは、それ以上のことも知らないのであるが。
「初陣で大浜を攻めることは姉上にも知らせておりませぬ。それゆえ平右衛門がいかなる者か、あらためて確かめることはいたしておりませぬが、以前に聞かされた話では、なかなかの戦巧者ではあるようだと」
「大橋家の一族や郎党に、長田を介して松平方に心を寄せる者があるとの噂は聞いておらぬか」
「かような噂があるとすれば、むしろ松平方が津島十五党のうちに疑心暗鬼を招こうと企む策謀かと存じまする」
「ふむ。出来た答えよのう」
備後守の声が笑いを含む。
たずねたかったのは、姉である蔵との音信を欠かさない吉法師が、大橋家の謀叛の気配を察知しながらそれを報告することをためらっていないかと、そういうことであろう。
「まことの思うところを聞かせよ。余人はおらぬ、そのほうと儂のみじゃ。面を上げよ」
「……は」
吉法師は顔を上げた。
まっすぐに父の顔を見た。
険を深めたものだと思う。
いま少し若い頃には貴公子然とした美形であったものが、いまや狡猾な性格が顔つきに表れている。
「大橋清兵衛より奴野の城を召し上げたことで、そのほうも儂を憎んでおろう」
にやりと頬を歪めて問う備後守に、まっすぐ目を見たまま吉法師は答えた。
「いえ決して」
「偽りを申すな。あれ以来そのほう、儂の前では決して笑わぬであろう。赤子のうちから笑みなど滅多に見せぬ愛嬌のない者ではあったがのう」
「憎んではおりませぬが案じておりまする」
「なに」
「虫けらなれば、踏みつけにされれば手も足も出ず死ぬるほかございませぬ。なれど人は虫けらほど小さきものではございませぬ。逃げる足も抗う手も備えておりまする」
「よう申した」
備後守は、すっくと立ち上がった。
吉法師の顔を見下ろし、にやりと笑って告げた。
「大橋家の者どもが毒虫がごとく儂を刺すと申すなら、それより先に躙り潰してくれようぞ。清兵衛はじめ男どもは切腹、家財は全て召し上げて、女子供は尾張より追放といたす。蔵は尼寺へでも押し籠めよう。なに、口実などいくらでも作れるわ。美濃の大橋源左衛門、また三河の長田平右衛門と通じて謀叛を企んだとな」
「おやめなさるがよろしいと存じまする」
吉法師は父の顔を見上げて言い返す。
感情を消した目で。路傍に転がる石でも見るように。
「堀田道悦また道空は、強か者と聞こえておりまする。いま父上に従うておるは、我が家また我が津島のため、それが得となると踏んだゆえのこと。父上が大橋家を取り潰せば、次は我が身と考えて津島の者どもは動揺いたしましょう。されば道悦、道空らも津島衆を抑えて父上に従い続けるよりは、美濃方への鞍替えを考えておかしくはございませぬ」
「……つまらぬ奴よ」
備後守は吉法師から視線を外し、どかっとまた上段の間に腰を下ろした。
「そのほうを脅したばかりのことじゃ。いまの大橋家など毒にもならぬ。あえて取り潰して、津島の者らを無駄に動揺させることもない」
「…………」
吉法師は口をつぐんでおく。
脅しであろうとなかろうと、それができる力を握っているのが備後守だ。
「初陣を勝ち戦で終わらせた祝儀をくれてやる。何でもよい、望みを申せ」
目を合わさぬまま備後守は吉法師に告げた。
吉法師は頭を下げて、
「されば、これよりのち那古野の政事は全て、それがしが取り仕切りたいと存じまする」
「そのほうにできるか」
備後守が吉法師に視線を戻す。
吉法師は、またまっすぐに父の顔を見て、
「林新五郎は奉行、沙汰人など人と役目を定めたのちは、ほぼ任せきりといたしておりまする。ときおり思い出したように奉行らの差配に口を出すのは、己の力を見せつけるため。誰がその席を与えたか、いつでも取り上げられるのだぞと皆に思い出させるためにございましょう」
「だがそれも人を選ぶ目があればこそ。己に阿るばかりの無能な者を取り立てては政事など成り立たぬ。同じ程度に働く者のうち、贔屓のほうを取り立てることは、あるやもしれぬが」
「されば林が選びし者のうち、誰をその務めに残し、誰を余人をもって替えるかは、すでに腹案がございまする」
「ならば思うようにやってみよ」
備後守は、ぱちりと扇子を鳴らした。
「儂を情に薄い者と思うておるか、三郎……いや、吉法師よ」
「強き大将として国を富ませるには、情を捨てねばならぬときもございましょう。されど、そのときは選ばねばなりませぬ」
吉法師が答えて言うと、備後守は、にやりと笑う。
「我らがより深き楔を津島へ打ち込むには、十五党の強き結束は妨げとなったのよ。平野萬久入道は見事に踊ってみせてくれたわ。清兵衛には気の毒をしたがのう」
それが確かに備後守の目論見であったろうが、いまさらそれを吉法師に告げたのは言いわけのつもりであろうか。
備後守は狡猾なくせに、ときどき妙に他人が自分を見る目を気にすることがある。
いまも息子である吉法師の前で、自分の行いの正当性を取り繕っている。
吉法師は、ただ頭を下げた。




