第一章 津島(2)
織田備後守は三十手前である。
口髭で貫禄を出そうとしているが、元来が色白で瓜実顔の貴族然とした美男子だ。
織田の一族には美男美女が多い。
本丸御殿の前庭に的を置き、弓の稽古をする備後守は諸肌脱いでいる。
細身ではあるが、弓を引き絞れば胸や腕の筋肉が隆起する。
研ぎ上げられた刀剣のような締まった体躯である。
しかし色は白い。
日に当たれば赤く火照るばかりの肌である。
それでも武芸の鍛錬となれば懲りずに諸肌脱いで、少しでも日に焼けようと努める。
それは備後守が家督を継ぐ前の若者だった時分、平手に気を許して漏らしたことだ。
「儂はどうも優男ゆえ、貫目が足らぬと見られるらしい。髭もなかなか揃わぬからのう。されば鍛錬で身を鍛え、鋼のごとく黒光りした偉丈夫になるほかないわ」
備後守自身が平手にそう語ったことを覚えているかは、わからない。
だが備後守の、他人が自身をどう見るか妙なところで気にする性質は、いまでも変わらない。
矢を放った。
ひゅっと風を切り、的を射抜いた。
しばし残心。
やがて弓を下ろして、控えていた小姓に預けた。
「お見事にございまする」
庭の端で見守っていた平手が声をかけると、備後守は「ふん」と皮肉めいた笑みを浮かべた。
「十も射れば一つは外す。動かぬ的を狙うて、この程度じゃ」
弓懸を外しながら平手を振り返り、たずねる。
「いかがであった、そのほうの所領の実入りは」
「は、今年はまずまずのものにございまする。天候が大きく荒れることもなく、大戦で田畑を荒らされることもございませなんだゆえ」
にこやかな笑みを繕って平手は答えた。
彼は尾張国の中南部、春日井郡の志賀に父祖伝来の領地を持つ。
勝幡城下にも屋敷を与えられ、普段は吉法師の傅役として、また備後守の腹心としての務めをこなすが、ときおり志賀に戻って年貢そのほかの賦課の収納に自ら目を配り、あるいは領民からの訴えに裁きを下す。
息子たちにも手伝わせてはいるが、任せきりにはできないと平手は考えている。
その息子たちは、いまは城下の屋敷に留めてある。
この場には平手ひとりが呼び出されたのである。
三宅川沿いの堤の上に、さらに土盛りをして勝幡城は築かれていた。
いわゆる平城であり、さほど大きな構えではない。
しかし備後守が政務を執る本丸や、妻子が暮らす「奥」は御殿と呼ぶにふさわしい壮麗な造りだ。
板材や柱材は磨き上げられ、釘隠しや把手などの金具には一つ一つ細やかな彫金細工が施されている。
勝幡城を築いたのは備後守の父で弾正忠を称した信定である。
津島を掌中に収めたのも信定の代だった。
その勢いの盛んなことを見て、これに誼を通じ、のちに臣従したのが平手の父で同じく中務とも、また監物とも称した経英だ。
備後守は御殿の縁側に、どかっと無造作に腰を下ろした。
「隠居殿が、長うはないそうじゃ」
「霜台様が」
平手は問い返す。
霜台とは弾正台の唐名すなわち中国風の呼び名であり、弾正忠を称した信定の尊称となっている。
弾正台は律令制下で治安維持を担った官庁で、弾正忠はその実務に当たった中堅どころの職位だ。
律令制などとうに有名無実と化してはいるが、朝廷から授けられる官職には文字通り、実はなくとも名誉がある。
信定も、また備後守信秀も、内裏の修築や式祭典の催行など様々な機会に朝廷や公家衆に献金して、弾正忠や備後守の官職を手に入れた。
平手が名乗る中務は宮中の事務全般を担当した中務省にちなんだものだが、これは全く自称でしかない。
「与次郎が知らせて来た。さて、これで誰がどう動くかじゃ」
備後守は考え込むように、口髭を撫でた。
与次郎は備後守の長弟で諱を信康といい、尾張国の北端、丹羽郡の犬山城主である。
信定は数年前に隠居して家督を備後守に譲ったのちは、この与次郎のもとで暮らしていた。
平手は眉をひそめて神妙な面持ちを作った。
「まずは良き医師を選び、お遣わしになられましては」
「そのあたりは与次郎が抜かりなかろう。あれは隠居殿へは、よう気働きいたすでのう」
備後守は冷ややかに笑い、平手の顔を見た。
「吉法師を那古野へ遣わす。あやつを城主として、平手そのほうが、二のおとなじゃ」
「お……お待ちくださいませ」
平手は慌てて言った。
「それでは、それがし殿のお側で働くことが適いませぬ」
「無用じゃ。我が家中に人がおらぬわけではない。勝手方は山田弥右衛門あたりで務まろう」
「されど」
「儂の勘定で商人どもから集めた書画や茶道具は置いて行けよ」
「…………」
ぎょっと目を剥き、言葉に詰まる平手から視線を外し、備後守は立ち上がった。
「儂の名代として諸国の大小名や公家衆との交誼を担ったのじゃ。相手のいかような好みにも応じられる進物を日頃から備えておったと、まあそう思うて咎めはすまい。賓客の接待も、そのほうよく務めたからな。なれど向後は無用」
「は……恐れ入りましてございまする」
平手は地に両膝をつき、平伏した。
土下座である。
その姿を見やり、備後守は「ふん」と失笑した。
「その田舎芝居も無用よ。あえて咎めはせぬと儂は申しておるのじゃ。面を上げい」
「は……ははっ」
恐る恐るといった様子で、平手は両手を地についたまま顔だけを上げる。
備後守は眉をしかめ、
「そのままでは話しづらいわ。よいから立て」
「あ……いえ、このままにて」
平手は、ふるふると首を振ってみせる。
何事にも大仰なこの五十前の男が、備後守には憎めず、苦笑するほかない。
腰の軽い小利口者であって、主君にとって使い勝手のいい家臣なのである。
「では好きにいたせ。那古野は我が弟の誰ぞに預けようと思うたが、隠居殿の先が長くないとあって考え直した。儂が織田弾正忠家の棟梁であり、吉法師がその正嫡であることを世に示さねばならぬからの」
「それゆえ幼き吉法師様に城主を任されると。いやご深慮感服いたしましてございまする」
平手がにこやかに追従すると、備後守は虫でも追い払うように手を振って、
「世辞など無用じゃ。儂は数日のうちに古渡の城へ移る。まだ普請が全ては終わらぬが、やむを得まい。この勝幡には武藤掃部を城代として置く。掃部めは誰ぞと異なり、主君の城の勘定を誤魔化して買い集めた珍奇の品を、おのれの蔵にしまい込む真似はせぬであろうからの」
「あ……いや、これは恐れ入りまして」
平手はまた平伏し、長身の体躯を縮めるように背を丸めた。
さながら亀が首を引っ込めたような、その姿のままで言う。
「……されば殿は、いよいよ熱田を取り込みにかかられるのですな」
「そういうことよ。社家どもが皆こちらに靡いてからとも思うたが、もはや時をかけてはおられぬ。手荒いこともせねばならぬだろうが、津島とともに熱田を掌中にできれば、この尾張の財貨の流れを一手に握ったことになるのじゃ」
備後守は、にやりと口の端を吊り上げる。
熱田は草薙神剣を奉安する熱田神宮のお膝元である。
同時に「海上七里」と称される海路で伊勢国桑名と結ばれた湊町でもあった。
京の都から東海道を下るには、近江国から鈴鹿峠を越えて伊勢国へ出て、桑名から船で尾張国へ渡る。
この船路には二通りあり、木曾川を川船で遡行して津島へ至るのが古来の東海道であるが、伊勢の海を横切って熱田へ向かう経路も多くの旅人や商人に用いられている。
桑名から熱田へ直行すれば津島を回るより大幅に旅程を短縮できるし、喫水の浅い川船よりも海を行く船のほうが一度に運べる荷は多い。
その一方で、川を行くなら船を覆すような大波に遭う危険は少ない。
桑名から津島までは木曾川の川幅も広く、海路ほどではなくともやや大型の船が往来できる。揺れも少ないから馬や荷車をそのまま運ぶことも可能なのである。
ゆえに津島と熱田は、ともに尾張における水運交通の要所として富み栄えている。
備後守がいま築城普請をおこなっている古渡の地は、熱田の町からさほど遠くない北に位置した。
そのすぐまた北にある那古野城に、備後守は吉法師を城主として据えようと言うのであった。
平手の本拠である志賀城は、那古野城からまた少し北へ行ったところにある。
「那古野と古渡は熱田への押さえに打ち込んだ楔よ。儂に敵する者あれば古渡より攻め、那古野にて後背を守る。それゆえ那古野では、まず守りを固めよ。彼の城は、ほぼ無傷で手に入れたとはいえ、そもそもの備えが足らぬゆえ」
「は……承知つかまつりましてございまする」
平手は平伏したまま言ってから、恐る恐るといった様子で顔を上げる。
「……されば一のおとなは、どなたにお任せに」
「林新五郎といたす。あやつは大身ゆえ子飼いの郎党を多く抱え、また何事も卒なくこなす小器用者よ。守りの城に据え置くには適任であろう」
「御賢察にございまする」
平手は頭を下げた。
林と自身との相性は悪くない。上役として担いで働きづらいことはないだろう。
しかし城の勘定は慎重に扱わなければならない。二度と備後守の疑心を招くことのないように。
当面は新しい茶道具の入手はあきらめるほかはない。
商人どもからの賂も、御曹司付きの次席家老という立場では期待できない。
備後守が言った。
「吉法師を守り立てよとは申さぬ。五つの小童が城主を名乗ろうとて、お飾りに過ぎぬのは誰の目にも明らか。なれど新五郎と手を携えて、那古野の城は必ず守り通せ。よいな」
「は……ははっ!」
平手は、あらためて深々と平伏した。