第四章 三河大浜(5)
(──このようなはずではない……)
平手は口惜しげに歯噛みした。
薄暗がりの林の中に、追い込まれている。
遠くから聞こえる威勢のいい鬨は敵方のものであろう。
回りには味方の兵がいる。
だが皆、疲れ果てている。
旗指物を失うか、自ら捨てた者。
傾いた兜を直すことさえしない者。
兜などなくした者。
槍を杖代わりにして脚を引きずる者。
仲間に肩を借りて、なんとか倒れずにいる者。
手負いの者は多い。
疵が重く、見捨てることになった者もいたであろうが、いまは考えたくない。
平手自身は兜を捨てている。
老体にはその重さが耐えがたいことになったのだ。
「……五郎右衛門」
平手は息子に呼びかけた。武骨に過ぎる者だが戦場では頼りになる。
「南はどちらじゃ。もはや囲まれておろうが、切り抜けるには味方の兵船がおるはずの南の浜へ向かうほかない」
「されば、先ほどあちらへ日が沈みましたゆえ、南はこなたかと」
五郎右衛門は一方の空を指差す。
右の頬が血まみれだが、返り血であろう。
息も荒らげておらず、頑強な男である。
「甚左衛門は留守居といたして、よかったのう。あやつにこのような戦は耐えがたいであろう」
平手が苦笑いすると、五郎右衛門は眉をしかめる。
「敵を侮りすぎ申した。長田平右衛門、並々ならぬ者にござる。釣り出されたかと見せかけて、我らが大浜の湊に攻めかかるや、ただちに兵を返して参った」
「大浜の町衆も女子供まで石つぶてを投げて参ったわ。牢人どもまで雇い入れて備えを固め、長田の兵が戻るまでよく町を守り通したものよ」
「感心いたしておるばかりにも参らぬ」
五郎右衛門は眉間の皺を深めた。
「吉良の方角で煙が上がるのは確かに見え申したゆえ、青山殿の討ち入りは首尾よく参ったのでござろう。それゆえ長田平右衛門も、いったん釣り出された構えをとったものにござろうが、さて万が一に備えてこの大浜の沖にて兵船を留め、我らを後詰いたす手はずが、とてもその様子は見え申さぬ。我らを囲む敵の気配に変ずるところはござらぬ」
「大浜の湊が燃えておらぬのは沖から見えておろう。我らの策が破れたことを知ったとして、青山殿なれば三郎様をお救い申し上げるため、ただちに大浜へ攻めかかることを佐治殿に進言いたすであろうが、さて佐治殿がのう……」
平手は首を振る。
織田備後守の嫡男、三郎の初陣において、備後守が自ら立てた策が破れたわけである。
三郎の生死も、海上にいる佐治にはわからないであろう。
ここは無理に大浜を攻めて自身の兵を損じるよりも、いったん知多へ引き上げようと考えて、おかしくはない。
青山ならば剣を抜いてでも佐治を止めようとするかもしれぬが、船上で周りにいるのは佐治方の兵が大半だ。
たちまち青山は討たれるであろう。
三郎を見捨てるかたちで退くことについては、佐治はあとからいくらでも言いわけを考えるであろう。
五郎右衛門が言った。
「それにしても御年五十六の父上が、三郎様を内藤殿に託して、自ら殿軍を務められようとは」
「ほかに手があったか。内藤殿に殿軍を任せ、儂が三郎様とともに退こうといたしたなら……三郎様は、我も留まって戦うと申されかねぬ」
「癇の強い御曹司にござる。御初陣の御曹司の身に何事かあれば、我ら家来が皆、お咎めを受けることを、おわかりではない」
「いかにものう。だが内藤勝介は進退巧みなる者よ。必ずや三郎様をお守りくださるものとして……我らも、この場を切り抜けねばならぬぞ」
「されば南はあきらめ、まっすぐ西へ、尾張を目指すのがようござる」
「うむ……そういたすか」




