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信長廃嫡  作者: 白紙撤回
第三章  那古野
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第三章  那古野(1)

 

 

 

 その日、吉法師は那古野城が建つ台地の下の荒れ野にいた。

 久助と青山与三右衛門、そのほか十名ほどの近習、小姓らが一緒である。

 九尺の手槍を構えた青山と、久助は対峙たいじしている。

 それを吉法師とほかの者たちが遠巻きにして見守る。

 久助が手にしているのは長さ三間を超す青竹だ。つまり人の背丈の三倍を超える長さである。

 そして九尺は一間半に相当するから、青竹を槍に見立てれば、久助は青山よりも倍の長さの得物を手にしていることになる。

 青竹の先には襤褸ぼろで包んだ何かが縄でくくりつけてあり、重さでかなりしなっている。

 久助は手元では斜め上に向けて青竹を構えているかたちだ。

 襤褸に包まれているのは実のところ槍の穂先であった。

 青山の手槍も穂先には革の覆いをかぶせてある。

 

「いざ!」

 

 久助は声を張り上げた。

 青山も応じる。

 

「参られい」

 

 久助は青竹を素早く振り上げ、青山が構える手槍を狙って振り下ろした。

 だがその反動で反り返った青竹が、手槍を打つのは一瞬遅くなる。

 青山は横手にかわしつつ、手槍で青竹を払った。

 

 ──ばしっ!

 

 ぜるような音がして、青山は常は細めている左目を閉じ、歯を食いしばる。

 だが手槍は取り落とさない。

 逆に久助が、

 

「……おっと」

 

 と体勢を崩し、辛うじて踏み留まった。

 久助は苦笑いで重い青竹の先を地につき、やれやれと首を振った。

 

「得物は長いほうが有利と思ったのですが、どうもいけません」

「長槍は兵どもに構えさせて槍衾やりぶすまを作るがためのもの。侍同士が戦うには手槍が適しておろう」

 

 青山が答えて言う。

 

「されど長き竹ゆえ、よくたわんで打ち込みは重い。危うく槍を取り落とすところであった」

「その撓むせいで打ち込みが思ったより遅くなるのが、どうにも扱いづらいのです。穂先の重さとの長さの均衡をとらないとダメですね」

「初めからそうした武器と思い、兵どもに持たせてはいかがじゃ」

 

 吉法師は言った。

 

「久助は並みの槍に慣れておるからこそ、かえって扱いづらく感じるのではないか」

「ええ、それはありますでしょう、はい」

 

 久助は、にっこりと笑ってみせる。

 那古野の城主となった吉法師だが、領内の統治については、ほとんど何も手を出せなかった。

 領民にどれだけ年貢や労役を課すか。

 領内を通過する商人が運ぶ荷への関銭はどう定めるか。

 領民からの訴えをどう裁くか。

 盗賊の跳梁跋扈ちょうりょうばっこにどう対処するか。

 それらは全て林新五郎の権限とされ、彼が選んだ家来や与力の者たちに実務は任されていた。

 吉法師は林に、どのような方針で部下を人選しているのかと、たずねてみた。

 縁故や贔屓ひいきなど林の私情が優先されているのではないかと疑ったわけではない。

 正当な根拠のある人選であれば、将来、自ら政務をおこなうことになる吉法師にも学ぶべきものがあると考えたのだ。

 

政事まつりごとは我ら、おとな衆にお任せあれ。殿はまだお若いゆえ御学問に専心なされるが肝要と心得まする」

 

 ぎょろりと大きな目を吉法師に向け、その目以外は笑っているような顔で林は答えた。

 目は笑っていなかった。

 吉法師は眉を吊り上げて、

 

「儂はすでにこの那古野城のあるじじゃ。されば儂が学ぶべきものは書物ではなく現実の政事の中にあろう」

「まだ早うござる」

「何じゃと」

「御年五つの殿には早うござる。さあ、おとなは忙しゅうござるゆえ、御学問に戻られませい」

 

 完全に子供扱いであった。

 腹は立ったが、吉法師が激したところで、それこそ子供の癇癪かんしゃくとしか思われないであろう。

 いずれ林には目にもの見せてくれようと思いながら、吉法師は引き下がるほかなかった。

 しかし吉法師には、城主となった以上は確かめてみたいことが、ほかにもあった。

 武芸に達者な久助がいれば、それができるだろうと思い、趣旨を告げると、

 

「面白いお考えですね。されば青山殿にもお手伝いいただきましょう」

 

 にっこりとした久助に、吉法師は眉をひそめる。

 

「おとなどもが、儂の申すことに耳を貸すとは思わぬ」

「おや、殿がそのような弱気なことを申されることもあるのですな。ですが林殿の腰巾着の内藤殿はともかく、青山殿は話のわかる御方と拙者は見ております」

 

 気楽な調子で請け負う久助に、ではそのほうから青山に申し伝えよと吉法師は命じた。

 林に続いて青山にまで子供扱いされたら、吉法師には我慢できそうもない。

 だが武辺者の青山の前で怒りを示したところで、いよいよ子供が拗ねたものとばかりに軽くあしらわれるであろう。

 ところが意外にも青山は好反応であった。

 いや意外に思っているのは吉法師だけで、久助にすれば、言った通りだったでしょうということになる。

 そしてこの日の、九尺の手槍と三間の青竹との対決となったわけなのだ。

 青山は石突で地を突いて槍を立て、吉法師にたずねた。

 

「されば殿、槍は長きほど利があるとは、いかなるよしにて見出されたものにござろうか」

「勝幡におった頃、城の近くの河原で見た子供同士の槍試合じゃ。青竹を槍に見立てての立ち合いが、体が小さくとも長き竹を手にしたほうが、体が大きくとも短き竹を構えた相手をさんざんに打ち据えておった」

「いかにも道理にござる。されどその道理がとしを経ると見えなくなり申す」

 

 とん、と、石突で地を叩き、

 

「手槍の柄は樫の芯棒を割竹で包み、漆を塗って仕上げてござる。丈夫なものとなり申すが、重くもなるゆえ長さには限りがござる。されば長柄の槍は常の二間半にても、青竹の枝葉を除き、漆を塗ったのみにてあつらえ申す」

「同じかたちで三間槍は作れぬか」

「さてそこが道理にござる。竹を柄といたせば三間槍でも三間半の槍でも作れ申そう。なれど先ほど久助が試したがごとく、常の長槍と思えば扱いの難しきものとなり申す。さればこそ殿の申された通り、常ならぬものとして扱えばようござる」

「三間より長き槍にはそれにふさわしき戦い方があると申すか」

「御賢察にござる」

 

 頭を下げる青山に、吉法師もうなずいた。

 

「……であるか。されば穂先は如何いかように工夫いたせばよい。重さにより打ち込みの早さが変わるのであれば、鍛冶に命じて様々な穂先を作らせ、試すほかはないか」

「まず重さを定めることとして、様々に重りを替えて青竹にくくりつけ、打ち込んでみればいかがかと」

「久助はいかがじゃ。長さは三間がよいか、三間半といたせば兵どもが扱えぬか」

 

 吉法師に問われて、久助は、にっこりとした。

 

「よい竹が揃い、穂先の工夫も整いましたら、あとは鍛錬次第で三間半まではいけるものと」

「鍛錬次第か。我が家中の兵にはそれぞれ僅かな田畑を持ち、百姓がごとく働く者も多い。侍なれば村ごと知行いたしておるか、小身の者は小作人を抱えて田畑の耕作を任せようが、それよりさらにかろき身分の者は自らくわを握るほかない。の者どもを日頃から集めて鍛錬いたすのは難儀よ」

 

 吉法師は腕組みをする。

 

「いっそ田畑を召し上げ、代わりに銭で俸禄を与えようか。応仁の大乱の頃の足軽も銭で雇われた野伏のぶせりがごときものであったと聞いておる。これを常雇つねやといのものとして、我が兵といたすのよ」

「さて、それはいかがでしょう」

 

 久助が、にこやかな笑みのまま言上する。

 

「拙者の父もそうなのですが、侍は領地を得てこそ侍という考えもございます。また領地があればこそ、それを守るためにも一国の太守である主君のために働きますが、銭で雇われるのみならば雇い主は誰でもよいということになりかねません。兵たちの意識をどのように切り替えるかが問題になると思います」

「……であるか」

 

 吉法師はうなずくほかはない。

 僅かな田畑といっても、それはその持ち主にとって立派な我が領地だ。

 兵たちを領地を持った最下層の武士としてとらえるか。

 領地から切り離し、主君から銭のかたちの俸禄を与えられて働く「兵士」という新たな身分とするか。

 いっそ家臣どもを皆、その働きに応じて俸禄を与えるかたちで遇することができればいいのだが。

 そうすれば林のように、抱えている領地が大きいというだけで高慢な態度をとる者などいなくなろう。

 もちろん家臣たちを能力に応じて処遇するからには、主君にもまた相応の力が求められる。

 我が家を守り、国を守る強い力だ。

 

「……殿、平手様がおいでです」

 

 小姓の一人が吉法師に告げた。

 城のほうから平手がやって来るのが見えたのだ。

 吉法師が振り向くと、平手は足を早めて近づいて来る。

 

「何の用じゃ、平手」

 

 吉法師が呼びかけると、平手は小走りに駆け寄って来て吉法師の前で足を止め、頭を下げた。

 

「は……いましがた、奴野の城から古渡の大殿への使いの者が、帰りがけとのことでこの那古野にも立ち寄りまして」

「奴野から? 何ぞあったのか?」

「大橋禅休入道殿が今朝方、身罷りましたそうにございます。その旨を伝える使者でございました」

 

 神妙な面持ちをしてみせた平手に、吉法師は眉を吊り上げる。

 

「なんじゃと。すぐ使者に会う。案内いたせ」

「いえ、の者は大殿への使者の役目が本分であるからと、すぐに奴野へ立ち戻りました。那古野へ参りましたのは、このことを吉法師様にもお伝えするようにと蔵様より特段のお指図があったからと」

「入道殿に何があった」

「使者によれば中気ちゅうきであろうと家中の皆が申しておるようで。しかし医師の手当ても間に合わず、見る間に容態が悪化したとか」

「久助!」

 

 吉法師は呼びかけた。

 

「すぐ馬の支度をいたせ。姉上への弔問じゃ」

「いや吉法師様……殿、それはなりませぬぞ」

 

 口を挟んだ平手に、吉法師は思わず大きな声になった。

 

「なにゆえじゃ!」

「禅休入道殿は蔵様の舅とはいえ家来筋の者にございます。よほど武功の者なら別として、家臣の弔問に主君の御嫡男が自ら赴くものではございませぬ。お使者を立てられれば充分でございましょう」

「されば中陰ちゅういんを過ぎましたのち、奴野の城をお訪ねになられてはいかがでござろう」

 

 青山が静かな口調で進言する。

 

「禅休入道殿には、その折に線香など手向けられては」

「……であるか」

 

 吉法師は、うなずいた。

 久助に向かい、

 

「大義であったな、久助。ほかの者たちとともに、この場の片付けをいたせ。……青山」

「……は」

 

 頭を下げる青山に、吉法師はたずねる。

 

「この那古野の城下に天王社があったな。別当寺は何と申したか」

「確か安養寺あんようじと。土地の者は天王坊てんのうぼうと申してござるが」

「であるか。そのほう、ともをいたせ。入道殿への手向けに経を上げてもらう」

「……は。承知つかまつった」

 

 青山は深く頭を下げた。

 

 

 


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