終章 聖徳寺(8)
聖徳寺には本堂とは別に広い講堂がある。
門徒たちが集まり、親鸞の教えについて学んだり、寺内町の運営そのほか様々なことについて会合を開くのに使われるという。
聖徳寺で婚礼の儀を上げようという吉法師の意向は、那古野までの急使を務めた滝川久助を通して平手に伝えられた。
平手は思わず眩暈を覚えた。
婚礼は新郎と新婦、また双方の実家の今後の繋がりを確かめ合う、固めの儀式である。
古い時代は婿取りといって、新郎が新婦の家に入ることもあったが、このごろでは婿養子のかたちを除いて、新郎の家に新婦が嫁いで来るのが当たり前となっている。
ゆえに婚礼の儀は新郎の家で執り行われ、その際には新婦が仏間で嫁ぎ先の家の先祖に挨拶をするようなこともある。
しかし、婚礼そのものは神や仏とは無縁の、あくまで家同士の繋がりのための儀式であった。
それを織田家と斎藤家、どちらの宗旨とも異なる真宗の寺で執り行うという発想が、平手には理解できない。
だが、いまさら再び那古野へ使者を送り、吉法師を止めようとしたところで無駄であろう。
そもそも帰蝶姫の輿入れの一行を聖徳寺に入らせたのは、平手自身だ。
それは備後守の差し金で帰蝶姫一行が末森へ向かうよう要求され、美濃方が立腹して婚礼が中止になりかけたのを、どうにか抑えるためではあった。
その時点で平手の頭には、聖徳寺は濃尾両国の守護不入の特権を持つ中立地帯、という意識しかなかった。
聖徳寺の住持は代々、開山である小笠原閑善坊の子孫が勤めている。
当代の十三世住持は顕勝というが幼少であって、本山の石山本願寺で修行中であり、いまは明蓮という僧が聖徳寺の代理の住持となっている。
明蓮は平手と交誼があり、帰蝶姫一行の休憩のため境内を借りたいという要望を快く承知してくれた。
だが、婚礼の儀まで聖徳寺で行わせてもらいたいという、その後の平手の申し出には、さすがに困惑したようだった。
「講堂でございましたら広さは充分にございますので、お使いいただいて構いませぬが……御両家は、それでよろしいのですか?」
「されば、古には夫が妻の家に通うこともあり、妻が夫の家に入るのは当節になっての習わしにござる。婚礼の儀を必ず夫の家で行わなければならぬと決まったものではないと存じておりまする。また、こたびは美濃、尾張両国の末永き和親のための婚儀でござるゆえ、両国の境にあって、いずれとも偏りのない交誼のある御当寺にて婚礼の儀を執り行わせていただきますのは、まさしく濃尾一和の証となりましょう」
平手はそう明蓮に説き、同じことを春日丹後と福富平太郎にも伝えて納得させた。
婚礼が延期や中止になるよりは、それで仕方がないと美濃方も考えたようだった。
その講堂には仏像はないが、寺宝である親鸞直筆の六字名号の写しが掛けられていた。
これを明蓮は「久しぶりに虫干しする」という口実で外してくれた。
そうすれば、ただの広間と変わらない。
宴席の膳は本格的な仕度は間に合わないが、簡単な肴なら用意すると、これも寺の側で請け負ってくれた。
「あるいは人に御酒をも下され、物をも下されてと蓮如上人の伝えにもございましてな。当寺でも参集される皆様には酒を禁じず、むしろ存分に振る舞う習わしがございますゆえ、そのあたりの手配りもお任せくだされ」
明蓮の好意に、平手は感謝した。
もちろん、あとで聖徳寺に相応の礼はしなければならないが、いまは婚儀を成功させることが第一である。
果たして聖徳寺の講堂には、織田家の嫡子、三郎と、斎藤家の姫君、帰蝶との婚礼にふさわしい仕度が整えられた。