終章 聖徳寺(7)
平手と内藤勝介は聖徳寺の書院で、春日丹後ら美濃方の重臣たちと、和議の仲介役を務めた堀田道空とともに歓談していた。
春日丹後は上機嫌に戻り、すでに酒が入っているかのような口調であるし、ほかの美濃方の重臣も似たような調子である。
福富平太郎の顔は見えなかったが、
「姫様の御準備に抜かりがなきよう、侍女たちにあれこれと指図してござる。生真面目さが、あの者の長所でも短所でもござってな」
春日丹後の説明に、そうしたものかと平手は納得した。
実のところ平手も吉法師が到着次第、この場のことは内藤に任せて、自身は吉法師に婚礼の儀の段取りをあらためて説明しなければならないと考えている。
その吉法師が到着して、控えの間に入ったと寺の若い僧が知らせに来た。
平手は春日丹後らに挨拶をして席を立ち、僧に案内されて吉法師の控えの間に入った。
そこで吉法師が、せっかく着ていた直垂を脱ごうとしているので、平手は呆れて声を上げた。
「殿! 何をしてなさる! もう婚礼の儀まで時がございませぬぞ!」
「召し替えじゃ。すぐに済む」
吉法師は犬千代と小十蔵に手伝わせて、下帯姿になってしまう。
色白で細身だが、要所には筋肉の厚みがついた、引き締まった体躯である。
平手は眉をしかめて、
「確かに那古野からこの富田までの道中、旅塵にまみれてございましょうが……」
「そのようなことではない」
どかっと、その場に胡座を掻いた吉法師の髷の元結を、犬千代が解いてしまう。
小十蔵は湯を張った桶に手を入れて、濡らしたその手で、吉法師の髪を梳き始めた。
吉法師は言った。
「実は富田の町に入ったところで、商家の二階から美濃方の者が、秘かに儂の姿を覗き見ておった」
「確かでございまするか? それは申し訳ございませぬ。そのようなことのないよう、あらかじめ道沿いの町家を一軒ずつ検めさせておりましたが……」
平手は眉間の皺を深くしたが、吉法師は口元を綻ばせて、
「それゆえ、儂は万が一にも曲者に命を狙われぬよう姿を改めておくのだと、あらかじめ美濃方に申しておけ。あちらには福富とか申す気の短い者がおるようだが、覗き見の非礼を思い知らせてやれば、儂がいかなる姿に変じようとも文句など言えぬであろう」
「いったい、何をなさるおつもりでござるか……?」
平手がたずねたところで、勝千代と万千代が入って来た。
「買って来ましたぜ、殿。さすが富田には、津島や熱田とまではいかなくても、それなりに上物が揃ってます」
勝千代が抱えているのは、華やかな椿の柄の小袖のほか、女物の服であった。
万千代のほうは、艶やかな黒髪の束──付髪を手にしている。
「ええ、付髪も上等なものが手に入りました。これなら殿の御髪の色艶と変わらぬものと」
「いったい、何をなさる……いや」
平手は額に手を当て、渋い顔で首を振った。
「殿は、こたびの婚礼を台無しにしようと御考えか」
「そうならぬよう、あらかじめ美濃方に話を通せと申したのじゃ」
吉法師は答えて言う。
「いや、全て種明かししては面白くもないゆえ、儂が姿を変じることのみを伝えておけばよいわ」
「では美濃方の度肝を抜こうとの御考えにはござるが、婚礼をなさるおつもりはあると……いや」
平手は、また首を振り、
「殿がこれから召し替えようとなさるお姿で、婚礼の儀など執り行えるものではございませぬぞ」
「案じるでない。儂の姿を覗き見た美濃方の者は、帰蝶姫自身であるようじゃ」
吉法師が言って、平手は目を丸くした。
「帰蝶様が? それはまた、どうしたわけで……?」
「知らぬ。されど帰蝶と申すのも、なかなか面白き者のようじゃ。これで儂の趣向を笑うてくれるなら、我らは案外よい夫婦になれるやもしれぬぞ」
「……承知いたした」
平手は深々と頭を下げた。
「殿のお望みのまま美濃方には、くれぐれも申し伝えておきまする」