終章 聖徳寺(5)
遠目には、竹林が動いているかのように見えるかもしれない。
長さ三間半の長槍を押し立てた足軽衆が、聖徳寺へ向かう吉法師一行の前後を固める。
ほかに津島と熱田の商人から届いたばかりの鉄炮が三十挺。
弓は五十張。
本来なら弓はもっと用意できるのだが、兵の一部を内藤や平手五郎右衛門らに率いさせて富田へ先行させたため、人手が足りない。
だが足軽衆は安養寺の守りを解いて全員を動員したため、総勢では武装した兵だけで五百を超える人数だった。
中段を行く吉法師は、烏帽子に直垂の正装のまま馬に跨っている。
そのあとには、やはり正装をした松平竹千代、阿部徳千代、天野又五郎が、騎乗で続く。
竹千代の馬は忍びの出自の少年である伴太郎左が口取りを務め、徳千代と又五郎の馬は小者が牽いている。
勝千代と万千代は吉法師の前方で、犬千代と小十蔵は竹千代主従の後方で、馬を進めていた。
婚礼を目前にした吉法師を、竹千代はからかってやりたくて仕方がない。
しかし隊列を乱すわけにいかないので、話しかけられずにいる。
竹千代主従の馬についている口取りには、馬に乗った竹千代たちを逃がさないため、という役目も建前として与えられている。
竹千代は、いまだ人質の身なのである。
そのことについては、吉法師からの謝罪を小十蔵が伝えてきた。
仕方がないと、竹千代は納得している。
竹千代の父、松平次郎三郎と織田備後守との敵対関係は続いている。
いまだ備後守の掌中にある安祥城の奪還を狙い、松平家と、これと手を結ぶ今川家は、周辺に向城を築くなど工作を進めている。
そのような状況で竹千代が吉法師の婚礼に招待されたのが、むしろ信じがたいことだった。
しかし吉法師は、家来たちが反対しようが一蹴したらしい。
「竹千代ごと足軽衆を連れて聖徳寺へ向かえば見張りを残す必要もない」
という理屈らしいけど、本音としては吉法師の竹千代への好意であろう。
竹千代も、ありがたく招待を受けた。
あとで吉法師をからかってやるネタが手に入るのだから、断る理由がない。
隊列の前のほうから、陣笠だけ被った野良着姿の者が、逆行して吉法師に近づいて来た。
伝令役にしては小者としか見えない格好だけど、顔を見ると随分と年寄りのようでもある。
そういえば見覚えのある顔だと思い出し、竹千代は太郎左にたずねた。
「あれは猫十とやらと申す者か」
「ええ、甲賀衆は殿様のお指図で富田へ先行して、美濃方や末森の者たちの動きを探っております。猫十殿も、それを手伝っておるのでしょう」
「猫十の話を聞いた吉法師は、面白がっておるような顔をしておるのう。何の話であったか、聞いてみたいものだが」
「聞いてごらんになればよろしいでしょう。猫十殿は引き上げてしまいましたが、殿様ご本人にお聞きになれば」
そう言うと太郎左は、竹千代の馬を牽く足を早めた。
隊列を乱して構わないのかと案じる隙もなく、竹千代の馬は吉法師の馬と並ぶかたちになった。
吉法師が口の端を綻ばせながら、竹千代にたずねた。
「いかがしたのじゃ」
「猫十から何やら報せを受けて、吉法師そなたが機嫌がよさそうな顔をしておるから、何かと思うたのだ」
「うむ。美濃のじゃじゃ馬がのう」
「じゃじゃ馬?」
きき返す竹千代に、吉法師はうなずき、
「帰蝶姫とやらじゃ。なかなか面白き者のようであるぞ。富田の商家の二階に潜み、儂が通るのを覗き見しようと目論んでおる」
「聖徳寺で待っておれば、いずれ顔を合わせるものを、なにゆえ商家などから覗く」
「それは帰蝶に聞いてみなければわからぬが、儂が気を緩めた素の顔が如何なるものか、確かめてくれようと思うたのではないか」
「では、いかがいたす。望み通りに鼻毛でも抜きながら目の前を通り過ぎてやるか」
「それでは儂がただの、うつけのようではないか」
呆れた顔をしてみせた吉法師に、竹千代は笑い、
「うむ、それだけでは面白くないか。吉法師は、うつけではない。大うつけじゃ」
「ようわかっておるのう、竹千代は」
吉法師は満足げに、うなずいた。
「やはり、そなたは我が身内に迎えねばならぬ。儂の妹を娶るのが気に入らぬなら、帰蝶に妹がおればそれを嫁に貰うのはどうじゃ。そのかたちでも我らは義兄弟ぞ」
「山城入道の婿になるのは御免蒙る。儂は苦しい死に方はしたくないと申したであろう。毒飼などは論外じゃ」
「それは、これから山城入道の婿になる儂に向かって言うことではないぞ」
目を丸くしてみせた吉法師に、竹千代は笑った。
「吉法師が山城入道ごときに謀られるとは思わぬからじゃ」
「……であるか」
吉法師も口元を綻ばせ、うなずいた。