表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長廃嫡  作者: 白紙撤回
終章  聖徳寺
103/112

終章  聖徳寺(3)

 

 

 

 帰蝶は、にっこりとした。

 

「よくやった、褒めてつかわす」

 

 草庵の戸口で腰に手を当て、仁王立ちした格好である。

 澄ましていれば美形であるのに、いちいち行動に女らしさがない。

 というか子供じみている。

 決して福富平太郎は口に出さないことだけど。

 帰蝶は草庵の中にいる侍女たちを振り返って告げた。

 

「じゃあ、さっそく日比野さんに行くわよ」

「その前に姫様は笠で御顔をお隠しなされ」

 

 そう言った平太郎に向き直り、帰蝶は目を丸くして、

 

「笠なんて持ってないわよ、輿に乗って来たんだもの。嫁入り道具のどこかには母上が入れてくれたと思うけど」

「そうであろうと思うて用意してござる」

 

 平太郎は手にしていた市女笠いちめがさを差し出した。

 帰蝶は「へええ」と感心してから、にまっと笑い、

 

「いちいち気が利いてるわね。でも市女笠なんて、男のアンタがどこから持って来たの。なんかイヤらしい」

「イヤら……!」

 

 こめかみに青筋を浮かべて思わず声を荒らげかけた平太郎は、ごほんと咳払いして気を鎮めた。

 

「……富田の町でうて来てござる」

「いやホントに気が利いてるわ。いまみたいにすぐキレるところを治せば、アンタ完璧超人になれるわよ」

「いったいどなたがキレさせていると……いや」

 

 こほんとまた咳払いして、

 

「……とにかく参りましょう」

「了解」

 

 帰蝶と侍女たちは市女笠をかぶり草庵を出て、平太郎のあとについて山門に向かった。

 聖徳寺は寺内町を含めて境内とする建前だが、実際のところは寺の者も町の者たちも、山門より内側を僧侶が日々勤行する寺と考え、その外は門徒である町衆が暮らす町として扱っているようだ。

 いまは帰蝶がいる寺とその周囲を美濃方の兵が、織田三郎が通って来るはずの町の入口から山門までの沿道を尾張方の兵が警固している。

 しかし帰蝶たち一行を渡し場で迎えた尾張兵のうち、半数以上は引き上げている。

 彼らは末森城から織田備後守の指図で来たらしいけど、子息の三郎が聖徳寺に直接来て帰蝶と婚礼を上げることが決まると、早々に撤収してしまったのだ。

 尾張方の考えが理解できぬと平太郎は渋い顔をしていたけど、それは帰蝶も同様だった。

 婚礼をぶち壊しに来たなら徹底的にやってくれればよかったのに。

 無理やり末森城に連れて行かれて、三郎の弟の勘十郎とやらと結婚させられるのだったらゴメンだけど。

 富田に残った尾張方の兵は百ばかりで、美濃方の兵の半数程度だ。

 さらに美濃方は、黒田川の対岸の駒塚にも西美濃衆らの兵が留まっており、異変があれば川を越えて駆けつけて来るだろう。

 とはいえ、平太郎や春日丹後を初めとして美濃方の者はほとんど皆、帰蝶と織田三郎との婚礼の儀が無事に執り行われることを望んでいる。

 いまからでも婚礼が中止になればいいと願っているのは帰蝶ひとりであろうから、味方の兵が多いことに、あまり意味はない。

 僅かな可能性として、守護不入であるはずの聖徳寺とその寺内町に尾張や美濃の兵が堂々と立ち入っていることに反発した一向宗原理主義過激派門徒が騒動を引き起こしてくれれば、この場での婚礼は中止になるだろうけど、それもほとんど望み薄であった。

 加賀国では一向宗門徒が一揆を起こし、守護の富樫氏を打倒して一国を支配する状況になったけど、美濃や尾張では一向宗の寺や門徒と領主である武士との関係はそこまで悪化していない。

 尾張ではしばらく前に織田藤左衛門という者が、同じ一族ながら対立関係にある備後守の経済基盤である津島を攻撃するため、木曾川下流の市江島の一向宗門徒を利用しようとしたことがある。

 しかし門徒の勢力が伸長することを嫌った尾張守護代、織田大和守が藤左衛門を蟄居させたため、一向宗門徒と領主との深刻な対立には至らなかった。

 富田寺内町の商人は、主に近隣から集まる門徒を相手に商売しているが、美濃、尾張各地の領主とも仕入れや販売の取り引きがあるから、武家と敵対することは望んでいないだろう。

 騒動を避けて無事に婚礼を済ませたいと望むのは斎藤家と織田家の双方とて同じであるから、町の本通りのそこかしこに警固に立っている織田家の兵も、町の住民や近隣から来ている門徒が遠慮がちに道を通ろうとするのを咎めることはしない。

 三郎の到着が近づくまでは、通行を禁じることはしないのだろう。

 日比野家が営む絹屋は間口の広い大きな店であった。

 一階の店先には絹の反物と、巾着袋や組紐のような小物類など、女のお洒落心をくすぐる品々が並べられており、足を止めて眺めている客も多い。

 男たちは土産物にするつもりで、女たちはもちろん自分のために買うか、誰かに買わせるつもりでいるのだろう。

 そのせいか織田方の兵も遠慮して、店の左右両脇に離れて立つかたちになっている。

 店の前で足を止めた帰蝶も興味津々という様子で、ほかの客の間から商品を覗き込むようにしながら、平太郎に言った。

 

「あー、ちょっと見てっていい?」

「三郎様が御到着なされてしまいますぞ」

「じゃあ、三郎の顔を拝んだあとにするわ」

「三郎様がお通りになりましたら、姫様もすぐに寺へお戻りにならなければ。まず婚礼衣装に着替えていただかなければなりませぬので」

「この格好のまま婚礼を挙げたんじゃダメ? 旦那様には、ありのままのアタシを見てもらいたいし。というか結婚も二度目だと夢も幻想も抱く気にならんし」

「……はあっ」

 

 平太郎は大きく声に出して、ため息をついた。

 帰蝶に向き直って、告げた。

 

「よろしゅうござるか。新郎の三郎様は、まだ側女そばめも抱えておられぬよしにござる。たわぶれに端女はしためにお手つきなされたことがないとは申せませぬが、おくに女人を迎え入れるのは初めてにござろう」

「向こうは初めての結婚だから、幻想を持たせてやれって言うの?」

 

 仏頂面をする帰蝶に、平太郎は首を振り、

 

「そうではござらぬ。ただ姫様次第で御自分が主導権を握れるのだと、そうお考えなされ。うまくてのひらの上で三郎様を転がしてやれば、我が美濃にとっても姫様御自身にごっても益するところが大きゅうござる」

「そんなウマくいくワケないじゃん」

 

 帰蝶は口をとがらせた。

 土岐次郎に色気の無さを言われたことは、いまでも腹が立つ。

 しかし、それがオトコという生き物の本心なのだろう。

 織田三郎が女性経験が少なそうだといっても、それは土岐次郎だって同じだったはずだ。

 帰蝶の父、斎藤山城入道によって美濃から追放され、妻の実家の越前朝倉家に身を寄せていた土岐修理大夫の息子なのである。

 言ってしまえば肩身の狭い厄介者で、側室を抱える余裕など、なかったであろう。

 だが、そのような者にさえケチをつけられてしまった帰蝶の女としての値打ちとは──

 思考の泥沼にまりかけた帰蝶に、

 

「……あー、こほん」

 

 平太郎が、わざとらしく咳払いしてから、真顔で言った。

 

「申し上げるのは面映おもはゆいことなれど、姫様は澄ました御顔をなさっておられれば三国一の美貌にござる」

「……え? やだ……」

 

 帰蝶は目を丸くして、まじまじと平太郎を見つめた。

 

「平太郎まさかアンタ、アタシに惚れてたの? それならそうと、もっと早く言ってくれてれば……」

「澄ました御顔をなさっておられぬときも存じ上げておるゆえ、それはござらぬ」

「あっそ」

 

 帰蝶は、しかめ面をして目を逸らした。

 

「そんな気もしてたわよ。じゃあ、ここの二階に上がればいいのね」

 

 と、店の中に入って行こうとするので、平太郎もあとを追おうとして、

 

「それがしも参りまする」

「アンタはここで待ってなさいよ」

 

 帰蝶は振り返って平太郎を睨んだ。

 

「もしも織田方が、アタシたちが二階から覗いてることに気づいたら、すぐに大声でしらせなさい。それでアンタは織田の兵をカラダを張って止めるのよ、アタシたちは逃げるけど」

「……わかり申した」

「まあ、春日丹後に伝えて援軍を寄越すくらいはしてやるわ」

 

 帰蝶はそう言い残し、店に入って行った。

 侍女の松と竹は、同情するような顔で平太郎に会釈してから、帰蝶のあとを追う。

 もう一人の侍女の梅が、平太郎に言った。

 

「……福富殿が悪いと思いますよ」

「左様でござろうか」

「うん、あんたが悪い」

 

 そう言って梅も店の中に入った。

 平太郎は小さくため息をつき、首を振った。

 

 

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ